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title: "雜阿含經 · 61"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
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### （六一）

> （六一）

如是我聞：

> このように私は聞きました。

一時，佛住舍衛國祇樹給孤獨園。

> 一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園に住したまえり。

爾時，世尊告諸比丘：「有五受陰。何等為五？謂色受陰，受、想、行、識受陰。

> その時、世尊は比丘たちに告げられました。「五つの執着の集まり（五蘊）がある。それらは何か。すなわち、色という執着の集まり、受・想・行・識という執着の集まりである。」

「云何色受陰？所有色，彼一切四大，及四大所造色，是名為色受陰。復次，彼色是無常、苦、變易之法。若彼色受陰，永斷無餘，究竟捨離、滅盡、離欲、寂、沒，餘色受陰更不相續、不起、不出，是名為妙，是名寂靜，是名捨離一切有餘愛盡、無欲、滅盡、涅槃。

> 「では、色という「認識のまとまり（色受陰）」とは何か？ あらゆる物質的なもの（色）は、すべて四大元素（地・水・火・風）と、それらの元素から作り出されたものから成り立っている。これが「色の認識のまとまり（色受陰）」と呼ばれるものである。 さらに、その物質的なものはすべて、無常であり、苦しみであり、変化してやまない性質を持つものである。 もし、この「色の認識のまとまり」を完全に断ち切り、残らず捨て離れ、消え尽くし、欲を離れ、静まり、滅び去ったならば、それ以後、新たな「色の認識のまとまり」は生じず、続かず、現れ出ることはない。これこそが素晴らしく、これこそが静けさであり、これこそが、あらゆる執着の残りを捨て去り、渇愛を尽くし、欲を離れ、消え尽

「云何受受陰？謂六受身。何等為六？謂眼觸生受，耳、鼻、舌、身、意觸生受，是名受受陰。復次，彼受受陰無常、苦、變易之法，乃至滅盡、涅槃。

> 「感受の集合体とは何か。それは六つの感受のグループである。その六つとは、目と対象との接触から生じる感受、耳、鼻、舌、体、心と対象との接触から生じる感受である。これが感受の集合体と呼ばれる。さらに、この感受の集合体は無常であり、苦しみであり、変化する性質を持つものである。そして最終的には、滅尽し、涅槃に至るものである。」

「云何想受陰？謂六想身。何等為六？謂眼觸生想，乃至意觸生想，是名想受陰。復次，彼想受陰無常、苦、變易之法，乃至滅盡、涅槃。

> 「想受陰とは何か。それは六つの想いの集まりである。六つとは何か。目に触れて生じる想い、耳に触れて生じる想い、鼻に触れて生じる想い、舌に触れて生じる想い、体に触れて生じる想い、心に触れて生じる想いである。これらを想受陰という。さらに、この想受陰は無常であり、苦しみであり、変化し続ける性質を持つ。そして、その尽きるところ、すなわち涅槃に至るのである。」

「云何行受陰？謂六思身。何等為六？謂眼觸生思，乃至意觸生思，是名行受陰。復次，彼行受陰無常、苦、變易之法，乃至滅盡、涅槃。

> 行受陰とは何か。それは六種類の思考の集まりである。六種類とは、眼の接触から生じる思考から、意の接触から生じる思考までの六つをいう。これを行受陰と名づける。さらに、この行受陰は無常であり、苦であり、変化する性質のものであり、やがて滅尽し、涅槃に至るものである。

「云何識受陰？謂六識身。何等為六？謂眼識身，乃至意識身，是名識受陰。復次，彼識受陰是無常、苦、變易之法，乃至滅盡、涅槃。

> 識の受陰とは何か。それは六つの識の集まりである。六つとは何か。眼識の集まりから意識の集まりまでの六つであり、これが識の受陰である。さらに、その識の受陰は無常であり、苦しみであり、変化する性質を持つものであり、やがて滅び尽き、涅槃へと至る。

「比丘！若於此法以智慧思惟、觀察、分別、忍，是名隨信行；超昇離生，越凡夫地，未得須陀洹果，中間不死，必得須陀洹果。

> 修行者よ、もしもこの教えを智慧（智慧）をもってよく考え、観察し、区別し、受け入れるならば、それを「随信行」と呼ぶ。彼は生死の迷いを超え、凡夫の境地を離れる。まだ預流果（最初の悟りの境地）を得てはいないが、その途中で命を落とさなければ、必ず預流果に達するのである。

「比丘！若於此法增上智慧思惟、觀察、忍，是名隨法行；超昇離生，越凡夫地，未得須陀洹果，中間不死，必得須陀洹果。

> 比丘たちよ、もしこの教えにおいて、より高次の智慧をもって思考し、観察し、忍耐するならば、それを法に従う行い（随法行）と呼ぶ。この者は、生死の流れを超え、凡夫の境地を離れ、まだ預流果（須陀洹果）を得ていなくても、その間に命を落とさなければ、必ず預流果を得ることになる。

「比丘！於此法如實正慧等見，三結盡斷知，謂身見、戒取、疑。比丘！是名須陀洹果，不墮惡道，必定正趣三菩提，七有天人往生，然後究竟苦邊。

> 比丘よ、この教えにおいて、事実のままに正しい智慧をもって観るとき、三つの束縛が断たれ尽くされることを知る。すなわち、身見、戒取、疑である。比丘よ、これが預流果と呼ばれ、悪道に堕ちることなく、必ず正しく悟りへと向かい、七回の天と人の間の生まれ変わりを経て、ついに苦しみの終わりに至るのである。

「比丘！若於此法如實正慧等見，不起心漏，名阿羅漢，諸漏已盡，所作已作，捨離重擔，逮得己利，盡諸有結，正智心得解脫。」

> 比丘たちよ、もしこの教えをあるがままに正しく智慧で観察し、心の汚れ（煩悩）が生じなければ、それを阿羅漢と名づける。すでに全ての煩悩を尽くし、なすべきことをなし終え、重い荷を下ろし、真の自己の利益を得、存在への執着をすべて断ち切り、正しい智慧によって心の解脱を得たのである。

佛說此經已，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> お釈迦さまがこのお経をお説きになると、比丘たちは皆、その教えを聞いて大いに喜び、深く心に刻んで実践しました。