---
title: "雜阿含經 · 62"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8xhj740pfpl404lw9knc4k"
---

### （六二）

> (六二)

如是我聞：

> このように私は聞きました。

一時，佛住舍衛國祇樹給孤獨園。

> 一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園に住したまえり。

爾時，世尊告諸比丘：「有五受陰，謂色受陰，受、想、行、識受陰。愚癡無聞凡夫無慧無明，於五受陰生我見繫著，使心繫著而生貪欲。比丘！多聞聖弟子有慧有明，於此五受陰不為見我繫著，使心結縛而起貪欲。

> その時、世尊は比丘たちに告げられました。「五つの執着の集まり（五受陰）がある。すなわち、色の集まり、受・想・行・識の集まりである。 愚かで無知な凡夫は、智慧もなく明らかな理解もないため、この五つの集まりに『私』という見解を結びつけ、心を縛り付けて、貪りの欲望を生じさせる。 比丘たちよ。よく学んだ聖なる弟子は、智慧と明らかな理解を備えている。この五つの集まりに対して、『私』という見解に執着して心が縛られ、貪りの欲望を起こすことはない。」

「云何愚癡無聞凡夫無慧無明，於五受陰見我繫著，使心結縛而生貪欲？比丘！愚癡無聞凡夫無慧無明，見色是我、異我、相在。如是受、想、行、識，是我、異我、相在。如是愚癡無聞凡夫無慧無明，於五受陰說我繫著，使心結縛而生貪欲。

> 「なぜ、愚かで教えを聞いたことのない凡夫は、智慧もなく無明でありながら、五つの執着の対象（五受陰）に自己を見いだし、それに執着して心を縛り、貪りの欲を生じてしまうのか。比丘よ、愚かで教えを聞いたことのない凡夫は、智慧もなく無明であり、色（かたち）を自己である、自己とは別である、自己の中にある、あるいは自己がその中にあると見なす。同様に、受（感受）、想（認識）、行（意志作用）、識（認識作用）についても、自己である、別である、その中にあると見なす。このように、愚かで教えを聞いたことのない凡夫は、智慧もなく無明でありながら、五つの執着の対象について「自己」と語り、それに執着し、心を縛られ、貪りの欲

「比丘！云何聖弟子有慧有明，不說我繫著，使結縛心而生貪欲？聖弟子不見色是我、異我、相在。如是受、想、行、識，不見是我、異我、相在。如是，多聞聖弟子有慧有明，於五受陰不見我繫著，使結縛心而生貪欲，若所有色，若過去、若未來、若現在，若內、若外，若麤、若細，若好、若醜，若遠、若近，彼一切正觀皆悉無常。如是受、想、行、識，若過去、若未來、若現在，若內、若外、若麤、若細，若好、若醜，若遠、若近，彼一切正觀皆悉無常。」

> 比丘よ、聖なる弟子がどのように智慧と明らかな見解を持ち、「私」に執着して心を縛られ、そこから欲望が生じることを言わないのかを説明しよう。 聖なる弟子は、色（物質的なもの）を「私」であるとか、「私」とは別のもの、「私」がその中にあるとは見なさない。同様に、感受・想念・意志・認識も、それらを「私」であるとか、「私」とは別のもの、「私」がその中にあるとは見なさない。このように、よく学んだ聖なる弟子は智慧と明らかな見解を持ち、五つの執着の対象（五取蘊）において「私」と執着することがなく、心を縛って欲望を生じさせることはない。 あらゆる色（物質）について、過去のものも未来のものも現在のものも、内なるものも外なるものも、粗いものも細かいものも、好ましいものも好ましくないものも、遠いものも近いものも、それを正しく観察すると全てが無常であると知る。 感受・想念・意志・認識についても、過去のものも未来のものも現在のものも、内なるものも外なるものも、粗いものも細かいものも、好ましいものも好ましくないものも、遠いものも近いものも、それを正しく観察すると全てが無常であると知る。

佛說此經已，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> お釈迦さまがこのお経をお説きになると、比丘たちは皆、その教えを聞いて大いに喜び、深く心に刻んで実践しました。