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title: "雜阿含經 · 71"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
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### （七一）

> （七一）

如是我聞：

> このように私は聞きました。

一時，佛住舍衛國祇樹給孤獨園。

> 一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園に住したまえり。

爾時，世尊告諸比丘：「我今當說有身、有身集、有身滅、有身滅道跡。諦聽，善思，當為汝說。云何有身？謂五受陰。云何為五？色受陰，受、想、行、識受陰，是名有身。云何有身集？當來有愛，貪、喜俱，彼彼染著，是名有身集。云何有身滅？當來有愛，貪、喜俱，彼彼樂著無餘斷、吐、盡、離欲、滅，是名有身滅。

> その時、世尊は比丘たちに告げられました。「今、わたしは『存在（有身）』、『存在の集まり（集）』、『存在の消滅（滅）』、そして『存在の消滅に至る道（道跡）』について説きます。よく聞いて、よく考えなさい。あなたがたに説きましょう。 では、『存在（有身）』とは何か。それは五つの執着の集まり（五受陰）です。その五つとは何か。物質的なもの（色受陰）と、感覚（受）、概念（想）、意志（行）、認識（識）という執着の集まりです。これが『存在』と呼ばれます。 では、『存在の集まり（有身集）』とは何か。未来に向けての渇愛があり、それは貪りと喜びを伴い、あれこれに執着することです。これが『存在の集まり』です。 では、『存在の消滅（有身滅）』とは何か。未来に向けての渇愛、すなわち貪りと喜びを伴い、あれこれに執着する心が、余すところなく断たれ、捨てられ、尽き、欲を離れ、

「云何有身滅道跡？謂八聖道，正見、正志、正語、正業、正命、正方便、正念、正定，是名有身滅道跡。是名當說有身、有身集、有身滅、有身滅道跡。」

> 「身体としての自己」が消えていく道とは何か。それは八つの正しい道——正しい見解、正しい考え、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい気づき、正しい心の統一——である。これを「身体としての自己が消えていく道」と呼ぶ。以上が、「身体としての自己」、その発生、その消滅、そしてその消滅へと至る道について説かれるべき内容である。

佛說是經已，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏がこの経を説き終えると、比丘たちは皆、仏の教えを聞いて喜び、その教えの通りに実践しました。

餘如是說。差別者：「當知有身，當知斷有身集，當知證有身滅，當知修斷有身道跡。」

> このように私は説かれました。その違いを詳しく言えば、次の通りです。「身体のある状態（有身）を知るべきであり、身体のある状態の原因（有身集）を断つべきであり、身体のある状態の消滅（有身滅）を体得すべきであり、身体のある状態を断つための道筋（有身道跡）を修めるべきである。」

佛說此經已，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> お釈迦さまがこのお経をお説きになると、比丘たちは皆、その教えを聞いて大いに喜び、深く心に刻んで実践しました。

如當說，有及當知，亦如是說。又復差別者：「比丘知有身，斷有身集，證有身滅，修斷有身道，是名比丘斷愛欲縛諸結等法，修無間等，究竟苦邊。」

> たとえばこう説かれています。「存在するもの」と知るべきであり、そのように説かれています。さらに別の教えとしてこうあります。「比丘は、存在するものの集まり（身体的存在）をあるがままに知り、その集まりの生起を断ち、その集まりの消滅を証し、その集まりを滅する道を修する。これを比丘が愛欲や束縛や結び目などの諸法を断ち切り、無間等（直観的な洞察）を修め、苦の果てを究めるというのである。」

又復差別者：「是名比丘究竟邊際，究竟離垢，究竟梵行，純淨上士。」

> さらに別の分類として、次のように説かれています。「この者は、比丘として究竟の果てに達し、究竟の汚れを離れ、究竟の清らかな行いを完成し、純粋で清らかな最上の修行者である。」

又復差別者：「是名比丘阿羅漢盡諸有漏，所作已作，已捨重擔，逮得己利，盡諸有結，正智心解脫。」

> さらに、その違いについて述べましょう。 「この修行者（比丘）は、煩わしさの元となるもろもろの汚れ（有漏）をすべて尽くし、なすべきことを成し遂げました。重い荷を下ろし、自らの真の利益を alcan え、あらゆる束縛（結）を断ち切り、正しい智慧によって心が完全に解放された者（阿羅漢）と呼ばれます。」

又復差別者：「是名比丘斷關、度塹，超越境界，脫諸防邏，建聖法幢。」

> また別の区別としては、「これを比丘の関所を断ち、堀を渡り、境界を超え、すべての見張りを脱し、聖なる法の幢を建てる者という」と説かれている。

又復差別者：「云何斷關？謂斷五下分結。云何度塹？謂度無明深塹。云何超越境界？謂究竟無始生死。云何脫諸防邏？謂有愛盡。云何建聖法幢？謂我慢盡。」

> さらに、違いについて説明しよう。「関所を断つとは何か？それは五つの下位の束縛（五下分結）を断つことである。堀を渡るとは何か？無明という深い堀を渡ることである。境界を超えるとは何か？始まりなき生死の迷いを完全に超えることである。見張りを逃れるとは何か？存在への渇愛が尽きることである。聖者の法の旗を立てるとは何か？我執の慢心が尽きることである。」

又復差別者：「是名比丘斷五枝，成六枝，守護一，依四種，棄捨諸諦，離諸求，淨諸覺，身行息，心善解脫，慧善解脫，純一立梵行，無上士。」

> さらに、その違いについて説くならば、「このように比丘は五つの枝を断ち、六つの枝を成就し、一つを守護し、四つの依処に従い、諸々の真理への執着を捨て、諸々の求めを離れ、諸々の覚りを清め、身体の営みを静め、心の善き解脱と智慧の善き解脱を得て、清らかで唯一の梵行を確立し、無上の者となる。」

其道有三種 實覺亦三種有身四種說 羅漢有六種

> 道には三つの種類があり、悟りにも三つの種類があります。 身体に関する教えは四種類あり、阿羅漢には六つの種類があります。