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title: "雜阿含經 · 103"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8xhkxc0ptyl404sr075qtf"
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### （一〇三）

> （一〇三）

如是我聞：

> このように私はお聞きしました。

一時，有眾多上座比丘住拘舍彌國瞿師羅園。

> ある時、多くの長老の比丘たちが、コーサンビー国のゴーシタ園に滞在していました。

時，有差摩比丘住拘舍彌國跋陀梨園，身得重病。

> その時、差摩比丘はコーサンビー国のバッダリ林に滞在していましたが、重い病に罹っていました。

時，有陀娑比丘為瞻病者。時，陀娑比丘詣諸上座比丘，禮諸上座比丘足，於一面住。

> ある時、看病役を務める陀娑比丘がいました。彼は長老の比丘たちのところへ行き、その足に礼拝してから、片隅に立ちました。

諸上座比丘告陀娑比丘言：「汝往詣差摩比丘所，語言：『諸上座問汝，身小差安隱，苦患不增劇耶？』」

> 諸上座の比丘たちは、陀娑比丘にこう言いました。「あなたは差摩比丘のところへ行き、こう伝えてください。『諸上座があなたに伺います。お身体の具合は少し良くなり、穏やかでいらっしゃいますか。苦しみが悪化したりはしていませんか』と。」

時，陀娑比丘受諸上座比丘教，至差摩比丘所，語差摩比丘言：「諸上座比丘問訊汝，苦患漸差不？眾苦不至增耶？」

> 〔その時〕、尊者ダッサは、長老たちの教えを受け、尊者カーマへと向かい、こう告げました。 「長老方より、あなた様のご様子をお尋ねしております。お苦しみは少しずつ良くなっていますか。様々な苦しみが増すことはありませんか？」

差摩比丘語陀娑比丘言：「我病不差，不安隱身，諸苦轉增無救。譬如多力士夫，取羸劣人，以繩繼頭，兩手急絞，極大苦痛，我今苦痛有過於彼。譬如屠牛，以利刀生割其腹，取其內藏，其牛腹痛當何可堪！我今腹痛甚於彼牛。如二力士捉一劣夫，懸著火上，燒其兩足，我今兩足熱過於彼。」

> 差摩比丘は陀娑比丘に言った。 「私の病は治らず、身は安らかでなく、さまざまな苦しみが募るばかりで、救いの手立てもありません。 たとえば、力強い男が弱った者を捕まえ、その頭に縄をつけて両手で強く絞り上げるような、耐えがたい激しい痛み。 私は今、その苦しみをはるかに超えています。 また、牛を屠る者が鋭い刀で生きたまま腹を裂き内臓を取り出すときの、その牛の耐えがたい腹痛。 私の腹痛は、その牛よりもなお激しいのです。 また、二人の力士が一人の弱い者を捕まえて火の上に吊るし、両足を焼くようなもの。 私の両足の熱さは、それをも超えています。」

時，陀娑比丘還至諸上座所，以差摩比丘所說病狀，具白諸上座。

> その時、陀沙比丘は上座たちのところへ戻り、差摩比丘が語った病状を詳しく上座たちに報告した。

時，諸上座還遣陀娑比丘至差摩比丘所，語差摩比丘言：「世尊所說，有五受陰。何等為五？色受陰，受、想、行、識受陰，汝差摩能少觀察此五受陰非我、非我所耶？」

> 時、長老たちは陀娑比丘を差摩比丘のところに遣わして、こう伝えさせました。「世尊がお説きになった五つの執着の集まりがあります。その五つとは、色の執着の集まり、受・想・行・識の執着の集まりです。差摩よ、あなたはこの五つの執着の集まりを、『これは私ではない、私のものではない』と十分に観察できますか？」

時，陀娑比丘受諸上座比丘教已，往語差摩比丘言：「諸上座語汝，世尊說五受陰，汝少能觀察非我、非我所耶？」

> その時、陀娑比丘は長老たちの教えを受けて、差摩比丘のもとへ行き、こう告げました。「長老たちがあなたに伝えます。世尊は五つの執着の対象（五取蘊）について説かれましたが、あなたはそれを『私ではない』『私のものではない』と少しでも観察できるのですか？」

差摩比丘語陀娑言：「我於彼五受陰能觀察非我、非我所。」

> 差摩比丘は陀娑に言った。「私はその五つの執着の対象（五取蘊）について、それが私ではない、また私のものでもないと、はっきりと観察することができます。」

陀娑比丘還白諸上座：「差摩比丘言：『我於五受陰能觀察非我、非我所。』」

> 陀沙比丘は上座たちに答えました。「差摩比丘はこう言っております。『私は五つの執着の対象について、それが私ではない、私のものではないと観察することができます。』」

諸上座比丘復遣陀娑比丘語差摩比丘言：「汝能於五受陰觀察非我、非我所，如漏盡阿羅漢耶？」

> 諸上座比丘たちは、さらに陀娑比丘を遣わして、差摩比丘に伝えさせました。 「あなたは、五つの執着の対象（五受陰）について、それらが『私』ではなく『私のもの』でもないと観察することができますか？　あたかも煩悩を滅尽した阿羅漢のように。」

時，陀娑比丘受諸上座比丘教，往詣差摩比丘所，語差摩言：「比丘能如是觀五受陰者，如漏盡阿羅漢耶？」

> その時、尊者トーサ（陀娑）は長老たちの教えを受けて、尊者チャンマ（差摩）のところへ赴き、こう尋ねました。 「尊師は、これらの五つの執着の対象をそのように観察することで、煩悩が尽きた阿羅漢と同じ境地に達しておられるのですか？」

差摩比丘語陀娑比丘言：「我觀五受陰非我、非我所，非漏盡阿羅漢也。」

> 差摩比丘が陀娑比丘に言いました。「私は五つの受陰を観察して、それが私でもなく、私の所有でもなく、さらには煩悩を尽くした阿羅漢でもないと理解しています。」

時，陀娑比丘還至諸上座所，白諸上座：「差摩比丘言：『我觀五受陰非我、非我所，而非漏盡阿羅漢也。』」

> その時、陀娑比丘は長老たちのところへ戻り、こう報告した。「差摩比丘がこのように言っています。『私は五取陰が自己でもなく、自己の所有するものでもないと観じています。しかし、まだ煩悩を尽くした阿羅漢ではありません。』」

時，諸上座語陀娑比丘：「汝復還語差摩比丘：『汝言：「我觀五受陰非我、非我所，而非漏盡阿羅漢。」前後相違。』」

> その時、長老たちは陀娑比丘に言いました。「もう一度、差摩比丘のところへ行って、こう伝えなさい。『あなたは「私は五つの執着の集まりを、我でも我のものとも見なさないが、まだ煩悩を尽くした阿羅漢ではない」と言いました。しかし、その言葉には前後で矛盾があります。』」と。

陀娑比丘受諸上座比丘教，往語差摩比丘：「汝言：『我觀五受陰非我、非我所，而非漏盡阿羅漢。』前後相違。」

> 陀沙比丘は、長老たちの教えを受けて、差摩比丘のもとへ行き、こう伝えた。 「あなたは『五つの執着の集まりは、我でもなく、我のものでもないと観じている。しかし、まだ煩悩を尽くした阿羅漢ではない』と言っておられますが、その言葉は前後で矛盾しています。」

差摩比丘語陀娑比丘言：「我於五受陰觀察非我、非我所，而非阿羅漢者，我於我慢、我欲、我使，未斷、未知、未離、未吐。」

> 差摩比丘が陀娑比丘にこう告げました。「私は五つの執着の対象（五取蘊）について、それは『私』ではなく『私のもの』でもないと観察しています。しかし、まだ阿羅漢ではありません。なぜなら、私の中にある『私である』という慢心、『私のもの』という願望、そしてそれらを生み出す煩悩の習気が、まだ完全に断たれておらず、知り尽くされておらず、手放されておらず、吐き出されていないからです。」

陀娑比丘還至諸上座所，白諸上座：「差摩比丘言：『我於五受陰觀察非我、非我所，而非漏盡阿羅漢者，於五受陰我慢、我欲、我使，未斷、未知、未離、未吐。』」

> 陀沙比丘は、長老たちのところへ戻り、告げました。「差摩比丘がこう言っています。『私は五受陰について、それが私でもなく、私のものでもないと観察しています。しかし、私はまだ煩悩を尽くした阿羅漢ではありません。五受陰に対して、我慢、我欲、我使（慢・愛・無明の煩悩）が、まだ断たれておらず、知られておらず、離れておらず、吐き出されていません。』」

諸上座復遣陀娑比丘語差摩比丘言：「汝言有我，於何所有我？為色是我？為我異色？受、想、行、識是我？為我異識耶？」

> 诸上座は再び陀娑比丘を遣わし、差摩比丘に伝えさせた。「あなたは『我がある』と言う。その我は、どこにあるのか。 色（肉体）が我なのか。それとも色とは別のものが我なのか。 受（感受）、想（概念）、行（意志）、識（認識）が我なのか。それともこれらとは別のものが我なのか。」

差摩比丘語陀娑比丘言：「我不言色是我，我異色；受、想、行、識是我，我異識。然於五受陰我慢、我欲、我使，未斷、未知、未離、未吐。」

> 差摩比丘が陀娑比丘に言いました。「私は『色が私である』とか『私が色とは別である』とは言いません。同様に、受・想・行・識についても『それらが私である』とか『私がそれらと別である』とは言いません。しかし、五つの執着の対象（五受陰）に対して、『私である』という思い（我慢）、『私のものだ』という欲（我欲）、『私を駆り立てるもの』（我使）が、まだ断ち切られておらず、まだ完全に知られておらず、まだ離れておらず、まだ吐き出されていないのです。」

差摩比丘語陀娑比丘言：「何煩令汝駈馳往反？汝取杖來，我自扶杖，詣彼上座，願授以杖。」差摩比丘即自扶杖，詣諸上座。

> 差摩比丘が陀娑比丘に言いました。「わざわざあなたに何度も往復させてしまって、すみません。杖を持ってきてください。私はこの杖にすがって上座のところへ参りますから、どうか杖を授けてください。」差摩比丘はすぐに杖にすがって、諸々の上座のもとへ向かいました。

時，諸上座遙見差摩比丘扶杖而來，自為敷座，安停脚机，自往迎接，為持衣鉢，命令就座，共相慰勞。慰勞已，語差摩比丘言：「汝言我慢，何所見我？色是我耶？我異色耶？受、想、行、識是我耶？我異識耶？」

> 時、長老たちは遠くから、杖をついてやってくる差摩比丘を見つけました。自ら座を設け、足置き台を整え、自ら進み出て出迎えました。衣鉢を持ち、座に導き、共に労いの言葉を交わしました。労わり終えると、差摩比丘にこう問いかけました。「あなたは『我慢』と言いましたが、いったい何を『我』と見ているのですか？『色』が『我』なのですか、それとも『我』は『色』とは別のものなのですか？『受』『想』『行』『識』が『我』なのですか、あるいは『我』はそれらとは別のものなのですか？」

差摩比丘白言：「非色是我，非我異色；非受、想、行、識是我，非我異識。然於五受陰我慢、我欲、我使，未斷、未知、未離、未吐。譬如優鉢羅、鉢曇摩、拘牟頭、分陀利華香，為即根香耶？為香異根耶？為莖葉鬚精麤香耶？為香異精麤耶？為等說不？」

> 差摩比丘が言いました。「色が私であるわけではなく、私が色と別であるわけでもありません。受・想・行・識が私であるわけでもなく、私がそれらと別であるわけでもありません。しかし、五つの執着の対象（五取蘊）に対して、我慢（自我へのこだわり）、我欲（自我への欲求）、我使（自我への煩悩の働き）が、まだ断ち切れておらず、まだ知り尽くしておらず、まだ離れておらず、まだ吐き出していません。例えば、青蓮華、赤蓮華、黄蓮華、白蓮華の香りは、根が香りなのでしょうか？それとも根と香りが別なのでしょうか？あるいは、茎・葉・花びら・蕊の精妙な部分や粗い部分が香りなのでしょうか？それとも精妙や粗雑とは別の香りなのでしょうか？どのように説くべきなのでしょうか？」

諸上座答言：「不也，差摩比丘！非優鉢羅、鉢曇摩、拘牟頭、分陀利根即是香、非香異根，亦非莖葉鬚精麤是香，亦非香異精麤也。」

> 多くの修行者たちが答えました。 「いいえ、差摩比丘よ。ウッパラ（青蓮華）、パドマ（紅蓮華）、クムダ（白蓮華）、プンダリーカ（大白蓮華）の根そのものが香りなのではありません。また、香りとは別に根があるのでもありません。同様に、茎や葉、花びら、細かな部分そのものが香りなのでもなく、香りとは別にそれらがあるのでもありません。」

差摩比丘復問：「彼何等香？」

> サーマ比丘がさらに尋ねました。「その香りとは、どのような香りですか？」

上座答言：「是華香。」

> 長老がお答えになった。「それは花の香りです。」

差摩比丘復言：「我亦如是。非色即我，我不離色；非受、想、行識即我，我不離識。然我於五受陰見非我、非我所，而於我慢、我欲、我使，未斷、未知、未離、未吐。諸上座聽我說譬，凡智者，因譬類得解。譬如乳母衣，付浣衣者，以種種灰湯，浣濯塵垢，猶有餘氣，要以種種雜香，薰令消滅。如是，多聞聖弟子雖於五受陰，正觀非我、非我所，然於五受陰我慢、我欲、我使，未斷、未知、未離、未吐，然後於五受陰增進思惟，觀察生滅，此色、此色集、此色滅，此受、想、行、識，此識集、此識滅。於五受陰如是觀生滅已，我慢、我欲、我使，一切悉除，是名真實正觀。」

> 差摩比丘はさらに言いました。「私も同じです。『色が私である』のではなく、『私が色から離れている』のでもありません。同様に、受・想・行・識が私であるのでもなく、私がそれらから離れているのでもありません。しかし、私は五つの執着の対象（五受陰）について、『これは私ではない、私のものではない』と見ています。それでも、私という思い（我慢）、私への執着（我欲）、私を縛る煩悩（我使）が、まだ断たれず、知り尽くされず、離れず、吐き出されていません。 尊者方々、私の譬えを聞いてください。智者であれば、譬えによって理解を得るものです。例えば、乳母の衣を洗濯屋に渡し、様々な灰や湯で塵や汚れを洗い落としても、まだ臭いが残っています。そこで、様々な香を混ぜて薫くことで、ようやくその臭いが消えます。 これと同じように、多くの教えを聞いた聖なる弟子は、五つの執着の対象について、『これは私ではない、私のものではない』と正しく観察しています。しかし、それらに対する我慢、我欲、我使がまだ断たれず、知り尽くされず、離れず、吐き出されていないのです。その後、五つの執着の対象について、さらに観察を深め、生滅を観ます。『これが色、これが色の集まり、これが色の消滅。これが受・想・行・識、これが識の集まり、これが識の消滅』と。 五つの執着の対象について、このように生と滅を観察したならば、我慢、我欲、我使はすべて除かれます。これを真実の正しい観察（正観）と呼びます。」

差摩比丘說此法時，彼諸上座遠塵離垢，得法眼淨。差摩比丘不起諸漏，心得解脫，法喜利故，身病悉除。

> 差摩比丘がこの教えを説いたとき、長老たちは塵や汚れから離れ、清らかな法の眼を得ました。 差摩比丘自身も煩悩が生じることなく、心は解脱を得ました。 その法の喜びの力によって、彼の身体の病はすべて除かれました。

時，諸上座比丘語差摩比丘言：「我聞仁者初所說，已解已樂，況復重聞！所以問者，欲發仁者微妙辯才，非為嬈亂汝，便堪能廣說如來、應、等正覺法。」

> 時、長老たちは差摩比丘に言いました。「私どもは、先程のあなたのお話を伺い、すでに理解し、喜びを得ました。ましてや、再び聞くことができるのはなおさらです。お尋ねしたのは、あなたの素晴らしい弁才を引き出そうとしたためであり、決してあなたを困らせようとしたわけではありません。どうか、如来・応供・正等覚者の教えを広く説いてください。」

時，諸上座聞差摩比丘所說，歡喜奉行。

> その時、長老たちは差摩比丘の説法を聞いて、深く喜び、それを受け入れて実践しました。