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title: "雜阿含經 · 104"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8xhkxc0ptzl404vp5sw2r7"
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### （一〇四）

> （一〇四）

如是我聞：

> このように私はお聞きしました。

一時，佛住舍衛國祇樹給孤獨園。

> 一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園に住したまえり。

爾時，有比丘名焰摩迦，起惡邪見，作如是言：「如我解佛所說法，漏盡阿羅漢身壞命終更無所有。」

> その時、焰摩迦（えんまか）という名の比丘が、誤った見解を抱いて、次のように言いました。「私が仏の教えを理解したところによると、煩悩を滅尽した阿羅漢は、身体が朽ちて命が終わった後には、何も存在しなくなる。」

時，有眾多比丘聞彼所說，往詣其所，語焰摩迦比丘言：「汝實作是說：『如我解佛所說法，漏盡阿羅漢身壞命終更無所有』耶？」

> その時、多くの比丘たちが彼の言葉を聞いて、彼のもとへと赴き、焰摩迦比丘にこう尋ねました。「あなたは確かにこう言ったのですか——『私が仏の説かれた法を理解する限り、煩悩を尽くした阿羅漢は身体が壊れ命が終わった後には、もはや何も存在しない』と。」

答言：「實爾。諸尊！」

> 「その通りです、皆さま。」

時，諸比丘語焰摩迦：「勿謗世尊！謗世尊者不善，世尊不作是說，汝當盡捨此惡邪見。」

> そのとき、比丘たちは焰摩迦に言った。「世尊を誹謗してはなりません。世尊を誹謗することは善いことではありません。世尊はそのような説き方はされていません。あなたはこの邪悪な見解を完全に捨て去りなさい。」

諸比丘說此語時，焰摩迦比丘猶執惡邪見，作如是言：「諸尊！唯此真實，異則虛妄。」如是三說。

> 比丘たちがこれらの言葉を述べても、焰摩迦比丘は依然として誤った邪見に執着し、こう言った。「尊者たちよ、これのみが真実であり、他は虚偽である。」このように三度述べた。

時，諸比丘不能調伏焰摩迦比丘，即便捨去，往詣尊者舍利弗所，語尊者舍利弗言：「尊者！當知彼焰摩迦比丘起如是惡邪見言：『我解知佛所說法，漏盡阿羅漢身壞命終更無所有。』我等聞彼所說已，故往問焰摩迦比丘：『汝實作如是知見耶？』彼答我言：『諸尊！實爾，異則愚說。』我即語言：『汝勿謗世尊！世尊不作此語，汝當捨此惡邪見。』再三諫彼，猶不捨惡邪見，是故我今詣尊者所，唯願尊者，當令焰摩迦比丘息惡邪見，憐愍彼故！」

> そのとき、比丘たちは焰摩迦比丘を調伏することができず、そのまま彼のもとを去り、尊者舎利弗のもとへ向かった。そして尊者舎利弗にこう語った。「尊者、お知りください。あの焰摩迦比丘は、このような悪しき邪見を抱いております。『私は仏の説かれた法を理解した。汚れを尽くした阿羅漢は、身体が壊れ命が終われば、もはや何も存在しないのである』と。私たちはその言葉を聞き、焰摩迦比丘のもとへ行き尋ねました。『あなたは本当にそのような見解を持っているのか？』すると彼は答えました。『諸尊者、その通りです。異なるならばそれは愚かな話です』そこで私は言いました。『あなたは世尊を誹謗してはなりません。世尊はそのようなことはおっしゃっていない。あなたはこの悪しき邪見を捨てなさい』と。再三にわたり諭しましたが、彼はなお悪しき邪見を捨てませんでした。それゆえ、私たちは今、尊者のもとへ参ったのです。何卒、尊者におかれましては、焰摩迦比丘が悪しき邪見をやめるよう、彼を哀れんでお導きくださいませ。」

舍利弗言：「如是，我當令彼息惡邪見。」

> 舎利弗が言った。「その通りです。私は彼らに誤った悪しき見解を捨てさせるようにしましょう。」

時，眾多比丘聞舍利弗語，歡喜隨喜，而還本處。

> その時、多くの比丘たちは舎利弗の言葉を聞き、喜び、その教えに従ってから、それぞれの場所へと戻って行きました。

爾時，尊者舍利弗晨朝著衣持鉢，入舍衛城乞食。食已，出城，還精舍舉衣鉢已，往詣焰摩迦比丘所。時，焰摩迦比丘遙見尊者舍利弗來，即為敷座洗足，安停脚机奉迎，為執衣鉢，請令就座。

> ある日の朝、尊者舎利弗は衣を身にまとい、鉢を持って、舎衛城に托鉢に出かけました。 托鉢を終えると、舎利弗は町を出て精舎に戻り、衣と鉢を片づけてから、焰摩迦という修行僧のもとを訪ねました。 その時、焰摩迦は遠くから尊者舎利弗が来るのを見て、すぐに座を用意し、足を洗うための水と足置き台を整えて迎え、舎利弗の衣と鉢を受け取り、座るように勧めました。

尊者舍利弗就座、洗足已，語焰摩迦比丘：「汝實作如是語：『我解知世尊所說法，漏盡阿羅漢身壞命終無所有』耶？」

> 舎利弗尊者が座につき、足を洗ってから、焰摩迦比丘に言いました。 「あなたは本当にこう言ったのですか——『私は世尊の説かれた法を理解した。煩悩を尽くした阿羅漢は、身体が壊れ命が終われば、何も存在しなくなる』と。」

焰摩迦比丘白舍利弗言：「實爾，尊者舍利弗！」

> 焰摩迦比丘が舎利弗に申し上げた。「その通りです、尊者舎利弗よ。」

舍利弗言：「我今問汝，隨意答我。云何，焰摩迦！色為常耶？為非常耶？」

> 舎利弗が言った：「今、あなたに尋ねます。心のままに答えてください。どう思いますか、焰摩迦よ。色（物質的存在）は常に変わらないものですか？それとも、常に変わらないものではないのですか？」

答言：「尊者舍利弗！無常。」

> 答えて言う：「尊き舎利弗よ、無常であります。」

復問：「若無常者，是苦不？」

> また問う：「もし無常であるならば、それは苦しみなのか？」

答言：「是苦。」

> 答えて言う：「これは苦しみです。」

復問：「若無常、苦，是變易法，多聞聖弟子寧於中見我、異我、相在不？」

> 答えて問う：「もし無常であり、苦しみであるならば、それは変化し移りゆく性質のものです。そのようなものの中に、よく学んだ聖なる弟子たちが、永遠の自己や自己とは別のもの、あるいは相互に関係するものを見出すことがあるでしょうか？」

答言：「不也，尊者舍利弗！」

> 答えました：「いいえ、尊者舎利弗よ。」

「受、想、行、識亦復如是。」復問：「云何，焰摩迦！色是如來耶？」

> 「感受、概念、意志、認識もまた同じだ。」 さらに問う。「それでは、焰摩迦よ、色（物質的なもの）が如来であると言えるのか？」

答言：「不也，尊者舍利弗！」

> 答えました：「いいえ、尊者舎利弗よ。」

「受、想、行、識是如來耶？」

> 「感受、概念、意志、認識というものは、如来なのでしょうか？」

答言：「不也，尊者舍利弗！」

> 答えました：「いいえ、尊者舎利弗よ。」

復問：「云何，焰摩迦！異色有如來耶？異受、想、行、識有如來耶？」

> また尋ねた。「ヤマカよ、色とは異なる如来が存在するのか？受・想・行・識とは異なる如来が存在するのか？」

答言：「不也，尊者舍利弗！」

> 答えました：「いいえ、尊者舎利弗よ。」

復問：「色中有如來耶？受、想、行、識中有如來耶？」

> また問う。「色（物質的なもの）の中に如来はいらっしゃいますか。受・想・行・識（心の働き）の中に如来はいらっしゃいますか。」

答言：「不也，尊者舍利弗！」

> 答えました：「いいえ、尊者舎利弗よ。」

復問：「如來中有色耶？如來中有受、想、行、識耶？」

> さらに問う。「如来の中に、色というものがあるのでしょうか？如来の中に、受・想・行・識はあるのでしょうか？」

答言：「不也，尊者舍利弗！」

> 答えました：「いいえ、尊者舎利弗よ。」

復問：「非色、受、想、行、識有如來耶？」

> また問う：「色、受、想、行、識ではないものに如来は存在するのでしょうか？」

答言：「不也，尊者舍利弗！」

> 答えました：「いいえ、尊者舎利弗よ。」

「如是，焰摩迦！如來見法真實、如住，無所得、無所施設，汝云何言：『我解知世尊所說，漏盡阿羅漢身壞命終無所有。』為時說耶？」

> 「こうだ、焰摩迦よ。如来は法を真実のままに見、ありのままに住し、得るものもなく、仮に設けることもない。それなのに、あなたはどうして『私は世尊の教えを理解した。煩悩を尽くした阿羅漢は、身体が壊れ命が終われば、何もないのである』と言い、時節にかなった説き方をするのか？」

答言：「不也，尊者舍利弗！」

> 答えました：「いいえ、尊者舎利弗よ。」

復問：「焰摩迦！先言：『我解知世尊所說，漏盡阿羅漢身壞命終無所有。』云何今復言非耶？」

> (焰摩迦に問う)「あなたは先に『私は世尊の教えを理解した。煩悩を尽くした阿羅漢は、体が滅び命が終われば、何も存在しない』と言いました。今、なぜそれを否定するのですか？」

焰摩迦比丘言：「尊者舍利弗！我先不解、無明故，作如是惡邪見說，聞尊者舍利弗說已，不解、無明，一切悉斷。」

> 焰摩迦比丘が言った。「尊き舎利弗よ、私は以前、無明ゆえに理解しておらず、このような邪見を述べてしまいました。しかし、尊き舎利弗の説法を聞いてからは、その無知も迷いも全て断ち切られました。」

復問：「焰摩迦！若復問：『比丘！如先惡邪見所說，今何所知見一切悉得遠離？』汝當云何答？」

> また尋ねた。「焰摩迦よ。もし『比丘よ、かつて語った誤った邪見について、今何を知り、何を見て、そのすべてから遠離したのか』と問われたら、あなたはどう答えるのか。」

焰摩迦答言：「尊者舍利弗！若有來問者，我當如是答：『漏盡阿羅漢色無常，無常者是苦，苦者寂靜、清涼、永沒。受、想、行、識亦復如是。』有來問者，作如是答。」

> 焰摩迦が答えました。「尊者舎利弗よ、もし誰かが質問してきたなら、私はこう答えましょう。『煩悩を尽くした阿羅漢は、色（物質的なもの）が無常であり、無常であるからこそ苦しみですが、その苦しみは寂静であり、清涼であり、永遠に滅び去るものです。受・想・行・識もまた同じです。』と。質問があれば、そのように答えます。」

舍利弗言：「善哉！善哉！焰摩迦比丘！汝應如是答。所以者何？漏盡阿羅漢色無常，無常者是苦，若無常、苦者，是生滅法。受、想、行、識亦復如是。」

> 舎利弗が言った。「善いかな、善いかな、焰摩迦比丘よ。あなたはそのように答えるべきである。なぜなら、煩悩を尽くした阿羅漢にとって、色（物質的なもの）は無常であり、無常なるものは苦であり、その無常で苦なるものは、生じ消滅する法だからである。受（感覚）、想（表象）、行（意志）、識（認識）についてもまた、同様である。」

尊者舍利弗說是法時，焰摩迦比丘遠塵離垢，得法眼淨。

> 舎利弗尊者がこの法を説いた時、焰摩迦比丘は塵や汚れから遠く離れ、清らかな法の眼を得たのである。

尊者舍利弗語焰摩迦比丘：「今當說譬，夫智者以譬得解。如長者、長者子大富多財，廣求僕從，善守護財物。時，有怨家惡人，詐來親附，為作僕從，常伺其便，晚眠早起，侍息左右，謹敬其事，遜其言辭，令主意悅，作親友想、子想，極信不疑，不自防護，然後手執利刀，以斷其命。焰摩迦比丘！於意云何？彼惡怨家，為長者親友，非為初始方便，害心常伺其便，至其終耶？而彼長者，不能覺知，至今受害。」

> 舎利弗尊者は焰摩迦比丘に語りました。「今、譬えをもって説明しましょう。智者は譬えによって理解するものです。 例えば、長者や長者の子が大変裕福で多くの財産を持ち、大勢の召使いを集め、財産をしっかりと守っていたとします。 そこに、怨みを持つ悪人がいて、偽って近づき、召使いとなり、常にその隙をうかがい、夜遅くに休み朝早く起き、身の回りに仕えて、仕事を謹んで行い、言葉遣いを丁寧にし、主人の心を喜ばせました。主人は彼を親友のように思い、まるで自分の子のように考え、深く信頼して疑わず、自らを守ることもありませんでした。その隙に、悪人は鋭い刀を手に取り、主人の命を断ち切りました。 焰摩迦比丘よ、あなたはどう思いますか。その悪い怨敵は、初めから方便をもって親友を装い、害を加えようと心に隙をうかがい、ついにはその目的を遂げたわけですね。しかし、その長者はそれに気づかず、ついに害を受けてしまったのです。」

答言：「實爾。尊者！」

> 答えはこうです。「その通りです、尊者（そんじゃ）。」

舍利弗語焰摩迦比丘：「於意云何？彼長者本知彼人詐親欲害，善自防護，不受害耶？」

> 舎利弗が焰摩迦比丘に問うた。「あなたの考えはどうですか。あの長者は、その人が偽りの親しさで害そうとしていることをもともと知っていて、十分に身を守り、害を受けなかったのではないでしょうか。」

答言：「如是，尊者舍利弗！」

> 答えていわく、「その通りです、尊者舎利弗！」

「如是，焰摩迦比丘！愚癡無聞凡夫於五受陰作常想、安隱想、不病想、我想、我所想，於此五受陰保持護惜，終為此五受陰怨家所害。如彼長者，為詐親怨家所害而不覺知。焰摩迦！多聞聖弟子於此五受陰，觀察如病、如癰、如刺、如殺，無常、苦、空、非我、非我所，於此五受陰不著、不受、不受故不著，不著故自覺涅槃：『我生已盡，梵行已立，所作已作，自知不受後有。』」

> 「そういうことなのです、焰摩迦よ。無知な凡夫は、この五つの執着の対象（五受陰）に対して、常住である、安らかである、病気しない、我である、我のものである、という思いを抱き、それらを大切に守り惜しみます。しかし、結局はこの五つの執着の対象という怨みの家来に伤つけられてしまうのです。それはあたかも、あの長者が、味方のふりをした怨みの家来に害されながら、それに気づかなかったのと同じです。 焰摩迦よ。よく学んだ聖なる弟子は、この五つの執着の対象を、病のごとく、腫れ物のごとく、棘のごとく、殺すもののごとく観じ、無常であり、苦であり、空であり、我ではなく、我が物ではないと観じます。そして、これらの五つの執着の対象に執着せず、受け取らず、受け取らないからこそ執着せず、執着しないからこそ、自ら悟りを体得します。 『私は生を尽くした。清らかな行いは既に完成した。為すべきことは為し終えた。もはや再び迷いの世界に生まれ変わることはない』と自ら知るのです。」

尊者舍利弗說是法時，焰摩迦比丘不起諸漏，心得解脫，尊者舍利弗為焰摩迦比丘說法，示、教、照、喜已，從座起去。

> 舎利弗尊者がこの教えを説いたとき、焰摩迦比丘は煩悩のもれなく起こすことなく、心に解脱を得ました。 舎利弗尊者は、焰摩迦比丘のために教えを示し、教え導き、照らし、喜ばせたのち、座から立ち上がって去って行かれました。