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title: "雜阿含經 · 107"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
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### （一〇七）

> （一〇七）

如是我聞：

> このように私は聞きました。

一時，佛住婆祇國設首婆羅山鹿野深林中。

> ある時、仏はバキ国のセッシュバラ山の鹿野深林におられた。

爾時，有那拘羅長者，百二十歲，年耆根熟，羸劣苦病，而欲覲見世尊及先所宗重知識比丘，來詣佛所，稽首佛足，退坐一面，白佛言：「世尊！我年衰老，羸劣苦病，自力勉勵，覲見世尊及先所宗重知識比丘，唯願世尊為我說法，令我長夜安樂！」

> その時、ナークロ家長という百二十歳の老人がおりました。 年をとり、体は衰え、病に苦しみ弱っていましたが、どうしても世尊と、以前から敬愛する修行僧たちに会いたいと願い、仏のもとを訪れました。 彼は仏の足に頭を下げて礼をし、席につくとこう申し上げました。 「世尊よ、私はもう年老い、体は衰えて病に苦しんでおります。 それでも自分を励まし、どうにかここまで参り、世尊と、昔から敬愛する修行僧たちにお目にかかることができました。 どうか世尊が私のために教えを示してください。 どうか、この私が、生涯安らかに過ごせますように。」

爾時，世尊告那拘羅長者：「善哉！長者！汝實年老根熟，羸劣苦患，而能自力覲見如來并餘宗重知識比丘。長者當知，於苦患身，常當修學不苦患心。」

> その時、世尊は那拘羅長者に告げられた。 「素晴らしいことです、長者よ。あなたは確かに年老いて、体力も衰え、苦しみや病を抱えているのに、自らの力で如来のもとを訪れ、また他の尊い師匠や知識ある修行僧たちにも会いに来られました。長者よ、知っておきなさい。苦しみのあるこの身体を抱えながらも、いつも『苦しみのない心』を修め学ぶべきなのです。」

爾時，世尊為那拘羅長者示、教、照、喜，默然而住。

> その時、世尊は那拘羅長者（ナクラ長老）に教えを示し、導き、悟りを与え、喜ばせた後、静かにしておられた。

那拘羅長者聞佛所說，歡喜隨喜，禮佛而去。

> 那拘羅の長者は、仏の教えを聞いて歓喜し、共に喜びを捧げ、仏に礼をして去っていった。

時，尊者舍利弗去世尊不遠，坐一樹下。那拘羅長者往詣尊者舍利弗所，稽首禮足，退坐一面。時，尊者舍利弗問長者言：「汝今諸根和悅，貌色鮮明，於世尊所得聞深法耶？」

> ある時、尊き舎利弗は世尊からほど遠くない場所で、一本の木の下に座っていました。そこへ那拘羅長者が尊き舎利弗のもとを訪れ、頭を地につけてその足に礼拝し、その後、傍らに退いて座りました。すると、尊き舎利弗は長者に尋ねました。「今、あなたの五根は和らぎ喜びに満ち、その顔色も生き生きと輝いています。世尊から深い教えをお聞きになったのですか？」

那拘羅長者白舍利弗：「今日世尊為我說法，示、教、照、喜，以甘露法，灌我身心，是故我今諸根和悅，顏貌鮮明。」

> 那拘羅長者が舎利弗に申し上げました。「本日、世尊は私に説法してくださいました。甘露の法をもって、教えを示し、導き、喜びを与え、私の心身に注ぎ入れてくださいました。それゆえ、今、私の諸根は和らぎ、顔色はさわやかで明るいのです。」

尊者舍利弗問長者言：「世尊為汝說何等法，示、教、照、喜，甘露潤澤？」

> 舎利弗尊者が長者に尋ねました。「世尊はあなたにどのような教えをお説きになりましたか？示し、教え、照らし、喜ばせ、甘露の潤いをもたらすような教えとは？」

那拘羅長者白舍利弗：「我向詣世尊所，白世尊言：『我年衰老，羸劣苦患，自力而來，覲見世尊及所宗重知識比丘。』佛告我言：『善哉！長者！汝實衰老，羸劣苦患，而能自力詣我及見先所宗重比丘。汝今於此苦患之身，常當修學不苦患心。』

> 那拘羅長者が舎利弗に申し上げました。「私は先日、世尊のもとへお伺いし、こう申し上げました。『私は年老いて衰え、やつれ苦しみ悩んでおります。それでも自分の力で世尊と、私が尊敬する旧知の修行者のもとを訪ねて参りました。』すると、仏様は私にこうおっしゃいました。『よく来られました。長者よ。あなたは確かに年老いて衰え、やつれ苦しみ悩んでおられますが、それでも自分の力で私のもとを訪れ、また以前から大切に思っていた修行者に会いに来られました。今、あなたはこの苦しみ悩みの多い体において、常に“苦しみ悩みのない心”を身につけるよう学びなさい。』」

「世尊為我說如是法，示、教、照、喜，甘露潤澤。」

> 世尊は私のためにこのような法を説き、示し、教え、照らし、喜ばせ、甘露のように潤してくださった。

尊者舍利弗問長者言：「汝向何不重問世尊：『云何苦患身、苦患心？云何苦患身、不苦患心？』」

> 舎利弗尊者が長者に問いかけました。「あなたはなぜ、あの時、世尊にこのように重ねてお尋ねにならなかったのですか。『どのようにして、体には苦しみがありながら、心には苦しみがないのでしょうか。また、どのようにして、体にも心にも苦しみがあるのでしょうか。』と。」

長者答言：「我以是義故，來詣尊者，唯願為我略說法要。」

> 長者が答えました。「その意味を伺いたく、ただいま尊者を訪ねました。どうか私のために、簡潔に法の大事をお話しください。」

尊者舍利弗語長者言：「善哉！長者！汝今諦聽！當為汝說。愚癡無聞凡夫於色集、色滅、色患、色味、色離不如實知；不如實知故，愛樂於色，言色是我、是我所，而取攝受。彼色若壞、若異，心識隨轉，惱苦生；惱苦生已，恐怖、障閡、顧念、憂苦、結戀。於受、想、行、識亦復如是。是名身心苦患。

> 尊き舎利弗は長者にこう語りました。「善きかな、長者よ。さあ、よく聞きなさい。あなたのために説きましょう。 無知で教えを聞いたことのない凡夫は、色（物質的な形態）の集まり、色の消滅、色における苦しみ、色の味わい（執着）、そして色からの離脱について、ありのままに知りません。 ありのままに知らないがゆえに、色を愛し楽しみ、『色は我である、我がものである』と言って、それに執着し我が物とします。 その色が壊れたり、変わったりすると、心の認識（心識）はそれに伴って動き、悩みや苦しみが生じます。 悩みや苦しみが生じると、恐怖、妨げ、思い煩い、憂い、苦しみ、執着が生じます。 感受（受）や、想念（想）、心の働き（行）、認識（識）についても、全く同じです。 これを『身心の苦しみと煩い』と言います。」

「云何身苦患、心不苦患？多聞聖弟子於色集、色滅、色味、色患、色離如實知；如實知已，不生愛樂，見色是我、是我所，彼色若變、若異，心不隨轉惱苦生；心不隨轉惱苦生已，得不恐怖、障礙、顧念、結戀。受、想、行、識亦復如是。是名身苦患、心不苦患。」

> 「どのようにして身体に苦しみがあっても、心には苦しみが生じないのか。よく学んだ聖なる弟子は、物質（色）の集まり、物質の消滅、物質の味わい、物質の危険、物質からの離脱について、あるがままに知る。あるがままに知ったならば、それに愛着したり楽しんだりせず、物質を『私』や『私のもの』とは見ない。その物質が変化したり異なったものになっても、心はそれに引きずられて悩みや苦しみを生じさせない。心が悩みや苦しみを生じさせなければ、恐れ、妨げ、思い煩い、執着することがなくなる。感受（受）、想念（想）、意志（行）、認識（識）についても同様である。これを『身体に苦しみはあるが、心には苦しみがない』というのである。」

尊者舍利弗說是法時，那拘羅長者得法眼淨。爾時，那拘羅長者見法、得法、知法、入法，度諸狐疑，不由於他，於正法中，心得無畏。從座起，整衣服，恭敬合掌，白尊者舍利弗：「我已超、已度，我今歸依佛、法、僧寶，為優婆塞，證知我，我今盡壽歸依三寶。」

> 尊者の舎利弗がこの教えを説かれたとき、那拘羅長者は法の眼を清らかに見開きました。 そのとき、那拘羅長者は法を観じ、法を得、法を知り、法に入り、あらゆる疑いを超え、他に依ることなく、正しい教えにおいて心に畏れなくなりました。 彼は座を立ち、衣を整え、敬って手を合わせ、尊者舎利弗に申し上げました。 「私はすでに超え、渡りました。今、私は仏・法・僧の宝に帰依し、在家の信者となります。どうか私を証しください。私はこの生涯、三宝に帰依いたします。」

爾時，那拘羅長者聞尊者舍利弗所說，歡喜隨喜，作禮而去。

> その時、ナクロ長者（那拘羅長者）は、尊者・舎利弗の説法を聞いて大いに喜び、感謝の意を表し、敬礼して立ち去りました。