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title: "雜阿含經 · 110"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8xhkxc0pu5l4049c6n3e4l"
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### （一一〇）

> （一一〇）

如是我聞：

> このように私は聞きました。

一時，佛住毘舍離獼猴池側。毘舍離國有尼揵子，聰慧明哲，善解諸論，有聰明慢。所廣集諸論，妙智入微，為眾說法，超諸論師，每作是念：「諸沙門、婆羅門無敵我者，乃至如來亦能共論。諸論師輩，聞我名者，頭額津腋下汗，毛孔流水；我論議風，能偃草折樹，摧破金石，伏諸龍象，何況人間諸論師輩，能當我者！」

> ある時、仏は毘舎離の猿の池のほとりに滞在されていた。毘舎離の国にニガンタという者がいた。彼は聡明で智慧があり、あらゆる学問に通じ、その知恵に慢心を抱いていた。広く様々な論を集め、微細な智慧によってその核心を極め、人々に説法を行い、あらゆる論師を凌駕していた。彼は常にこう思っていた。「どの修行者やバラモンも私に敵う者はいない。たとえ如来であっても、共に論じ合うことができるだろう。論師たちは、私の名を聞くだけで、頭や額、脇の下に汗をかき、毛穴から水が流れ出るだろう。私の議論の風は、草を伏せ、木を折り、金や石さえも打ち砕き、あらゆる龍や象すら屈服させる。ましてや、世の中の論師たちが、どうして私に対抗できるというのか！」

時，有比丘名阿濕波誓，晨朝著衣持鉢，威儀詳序，端視平涉，入城乞食。爾時，薩遮尼揵子，有少緣事，詣諸聚落，從城門出，遙見比丘阿濕波誓，即詣其所，問言：「沙門瞿曇為諸弟子云何說法？以何等法教諸弟子，令其修習？」

> その時、アシュヴァジットという名の比丘が、早朝に衣を着け、鉢を持ち、威儀を整え、視線を定めて平らかに歩み、街に入って托鉢を行っていた。そこへ、サッチャ・ニガンタの子が少し用事があって村々へ向かう途中、城門から出ると遠くに比丘アシュヴァジットを見つけ、すぐにそのもとへ行き、尋ねた。「沙門ゴータマは弟子たちにどのように説法しているのか？どのような教えをもって弟子たちに教え、修行させているのか？」

阿濕波誓言：「火種居士！世尊如是說法教諸弟子，令隨修學。言：『諸比丘！於色當觀無我，受、想、行、識當觀無我。此五受陰勤方便觀，如病、如癰、如刺、如殺，無常、苦、空、非我。』」

> 阿湿波は言いました。「火種居士よ、世尊はこのように弟子たちに教えを説き、それに従って学ばせています。すなわち、『比丘たちよ、色（物質的なもの）には自己（永遠不変の実体）はないと観察しなさい。受（感覚）、想（知覚）、行（意志）、識（認識）にも自己はないと観察しなさい。これらの五つの執着のまとまり（五蘊）を、熱心に方便を用いて観察しなさい。それらを、病気のように、腫れ物のように、刺のように、殺す者のように、無常であり、苦しみであり、空であり、自己ではないと観察しなさい』と説かれています。」

薩遮尼揵子聞此語，心不喜，作是言：「阿濕波誓！汝必誤聽，沙門瞿曇終不作是說。若沙門瞿曇作是說者，則是邪見，我當詣彼難詰令止。」

> サッチャーニグランタの子はこれを聞いて、心が喜ばず、こう言った。「アシュヴァジットよ、お前は必ず聞き間違えている。沙門ゴータマがそのようなことを言うはずがない。もし沙門ゴータマがそのようなことを言ったのなら、それは邪見である。私が彼のところへ行き、問い詰めてやめるよう言おう。」

爾時，薩遮尼犍子往詣聚落，諸離車等集會之處，語諸離車言：「我今日見沙門瞿曇第一弟子，名阿濕波誓，薄共論議，若如其所說者，我當詣彼沙門瞿曇，與共論議，進却迴轉，必隨我意。

> その時、サキャ・ニガンダ（裸形の行者）は村へと向かい、リッチャヴィの人々が集まっているところへ行き、こう言った。「私は今日、沙門ゴータマ（釈尊）の第一の弟子であるアシュヴァジット（阿湿波誓）という者に会った。彼とほんの少し議論を交わしたが、もし彼の言う通りならば、私はあの沙門ゴータマのところへ行き、彼と議論を重ね、進み引き、巡り巡って、必ずや私の意のままに動かしてやろう。」

「譬如士夫刈拔茇草，手執其莖，空中抖擻，除諸亂穢；我亦如是，與沙門瞿曇論議難詰，執其要領，進却迴轉，隨其所欲，去其邪說。

> 譬えば、ある人が草を刈り取り、その茎を手に持って、空中で振るい落とし、全ての汚れを除くように、私もまた沙門ゴータマと問答し論じ合い、その要点を捉え、自在に進み引き、あるいは巡らせて、望むままに邪説を打ち払うでしょう。

「如沽酒家執其酒囊，壓取清醇，去其糟滓；我亦如是，詣沙門瞿曇論議難詰，進却迴轉，取其清真，去諸邪說。

> ちょうど酒屋が酒袋を押さえて清らかな酒だけを絞り出し、糟（かす）を取り除くように、私もまた同じように、沙門ゴータマのもとへ行き、議論や問答を交わしながら、進んだり戻ったりしつつ、真実の教えだけを受け取り、邪な説をすべて退けよう。

「如織席師，以席盛諸穢物，欲市賣時，以水洗澤，去諸臭穢；我亦如是，詣沙門瞿曇所，與共論議，進却迴轉，執其綱領，去諸穢說。

> まるで、筵を編む職人が、筵にいろいろな汚れ物を載せて、市場で売ろうとするとき、水で洗って臭いや汚れを取り去るように、私もまた同様に、沙門ゴータマのもとへ行き、一緒に議論を交わし、あれこれと問答を重ねた末に、その教えの要点を掴み、汚れた説を取り除いたのです。

「譬如王家調象之師，牽大醉象，入深水中，洗其身體、四支、耳、鼻，周遍沐浴，去諸麁穢；我亦如是，詣沙門瞿曇所，論議難詰，進却迴轉，隨意自在，執其要領，去諸穢說。汝諸離車，亦應共往觀其得失。」

> 例えば、王様が象使いに命じて大きな酔った象を深い水の中に連れて行かせ、その体や四本の足、耳、鼻を隅々まで洗い清め、あらゆる汚れを取り除かせるように、私もまた、沙門（修行者）ゴータマのところへ行き、議論を挑み、問い詰め、自在に立ち回り、その要諦を掴んで、誤った説をすべて取り除いてみせましょう。皆さん、離車（リッチャヴィ）の方々も、ぜひご一緒に来て、その成り行きをご覧ください。

中有離車作如是言：「若薩遮尼犍子能與沙門瞿曇共論議者，無有是處。」

> 離車の中のある者がこう言った。「もしサキャ・ニガンタ（サッカ・ニガンタ）が沙門ゴータマと論じ合うことができるならば、そんなことはありえない。」

復有說言：「薩遮尼犍子聰慧利根，能共論議。」

> また、ある人は言いました。「サキャ・ニガンタの子は聡明で鋭い知性を持ち、議論ができる人物だ。」と。

時有五百離車與薩遮尼犍子共詣佛所，為論議故。

> ある時、五百人の離車族の人々が、サチャ・ニガンタと共に、議論のために仏のもとへ参りました。

爾時，世尊於大林中，坐一樹下，住於天住。時，有眾多比丘出房外林中經行，遙見薩遮尼犍子來，漸漸詣諸比丘所，問諸比丘言：「沙門瞿曇住在何所？」

> その時、世尊は大いなる林の中で、一本の木の下に坐って、天の住（静かな安らぎ）に留まっておられました。 さて、大勢の比丘たちが部屋の外の林の中を歩行しつつありました。遠くからサキャ・ニガンタの子が来るのを見て、次第に彼は比丘たちのところに近づき、こう尋ねました。 「沙門ゴータマは、今どこに住んでおられますか？」

比丘答言：「在大林中，依一樹下，住於天住。」

> 比丘が答えた。「大きな林の中の一本の木の下で、天の住まい（天住）に暮らしています。」

薩遮尼犍子即詣佛所，恭敬問訊，於一面坐。諸離車長者亦詣佛所，有恭敬者，有合掌問訊者，問訊已，於一面住。

> サッチャ・ニガンタ（※註：原文の音写語）は、すぐに仏のもとへ向かい、敬ってあいさつをしてから、片隅に座りました。 そして、離車の長者たちも仏のもとに参りました。中には敬う者、合掌してあいさつする者もおり、あいさつを終えると、片隅に立ち止まりました。

時，薩遮尼犍子白佛言：「我聞瞿曇作如是說法，作如是教授諸弟子——教諸弟子於色觀察無我，受、想、行、識觀察無我，此五受陰勤方便觀察，如病、如癰、如刺、如殺，無常、苦、空、非我。——為是瞿曇有如是教，為是傳者毀瞿曇耶？如說說耶？不如說說耶？如法說耶？法次法說耶？無有異忍來相難詰，令墮負處耶？」

> そこで、サチヤ・ニガンタ（薩遮尼犍子）が仏に申し上げました。「私は、あなた（瞿曇）がこのような教えを説き、このように弟子たちを指導しておられると聞きました。すなわち、『色について、我（永遠不変の自己）ではないと観察せよ』と教え、『受・想・行・識について、我ではないと観察せよ』と教え、『この五つの執着の対象（五取陰）については、常に注意深く、病気のように、できもののように、とげのように、殺すもののように、無常であり、苦しみであり、空であり、我ならざるものとして観察せよ』と教授していると。これは本当にあなたがそのように教えられたことであり、あるいは、伝えた者があなたを誤って伝えたのでしょうか？教えられた通りに語っているのか、それとも教えられた通りではないのでしょうか？法に従って語っているのか、それとも法の正しい順序に従っているのでしょうか？他に異論を唱えて邪魔をしたり、あなたを論破して敗北させようとする者はいないのでしょうか？」

佛告薩遮尼犍子：「如汝所聞，彼如說說、如法說、法次法說，非為謗毀，亦無難問令墮負處。所以者何？我實為諸弟子如是說法，我實常教諸弟子，令隨順法教，令觀色無我。受、想、行、識無我，觀此五受陰如病，如癰、如刺、如殺，無常、苦、空、非我。」

> 仏は薩遮尼犍子に告げられた。「あなたが聞いた通り、私はそのように説き、法の通りに説き、法の順序に従って説いている。それは謗りや毀損ではなく、問答によって敗北させることもない。なぜなら、私は実際に弟子たちにこのように法を説き、実際に常に弟子たちを教え、法の教えに従わせ、色が無我であることを観察させているからである。受・想・行・識も無我であり、この五つの執着の集まりを病のようなもの、腫れ物のようなもの、刺のようなもの、殺すようなもの、無常・苦・空・非我であると観察させているのである。」

薩遮尼犍子白佛言：「瞿曇！我今當說譬。」

> サッチャ・ニガンタ（薩遮尼犍子）が仏陀に申し上げました。「ゴータマよ、今、比喩をもってお話ししましょう。」

佛告薩遮尼犍子：「宜知是時。」

> 仏は薩遮尼犍子に告げられました。「今こそ、その時であると知りなさい。」

「譬如世間一切所作皆依於地。如是色是我人，善惡從生；受、想、行、識是我人，善惡從生。又復譬如人界、神界、藥草、樹木，皆依於地而得生長；如是色是我人，受、想、行、識是我人。」

> 例えば、世の中で行われるすべてのことは、大地に依って成り立っています。それと同じように、この「色」というものが自分の本体であり、そこから善や悪が生まれます。「受」「想」「行」「識」もまた自分の本体であり、そこから善や悪が生まれるのです。さらに、人間界や神々の世界、薬草や木々も、すべて大地に依って成長します。それと同じように、「色」が自分の本体であり、「受」「想」「行」「識」も自分の本体なのです。

佛告火種居士：「汝言色是我人，受、想、行、識是我人耶？」

> 仏は火種居士に告げられました。「あなたは『色（物質的なもの）が私であり、人間である』と言いますか。また、受（感覚）、想（知覚）、行（意志）、識（認識）が私であり、人間であると言うのですか。」

答言：「如是，瞿曇！色是我人，受、想、行、識是我人。此等諸眾悉作是說。」

> 答えました。「その通りです、ゴータマよ。色は我（永遠の自己）であり、受・想・行・識も我であると。これらすべての人々がそう説いています。」

佛告火種居士：「且立汝論本，用引眾人為？」

> 仏が火種居士に告げられた。「まずは、あなた自身の論の根本を立てなさい。他人を引き合いに出すのは余計なことだ。」

薩遮尼犍子白佛言：「色實是我人。」

> 薩遮尼犍子が仏に申し上げました。「色（物質的なもの）こそが真の自己です。」

佛告火種居士：「我今問汝，隨意答我。譬如國王，於自國土有罪過者，若殺、若縛、若擯、若鞭、斷絕手足；若有功者，賜其象馬、車乘、城邑、財寶，悉能爾不？」

> 仏が火種居士に告げられました。「さあ、あなたに尋ねます。思うままに答えなさい。たとえば、王様が自分の国の中で罪を犯した者を、殺したり、縛ったり、追放したり、鞭打ったり、手足を切断したりする。また、功績のあった者には、象や馬、車や乗り物、城や町、財宝を与える。こうしたことが、王様に行えるかどうか？」

答言：「能爾。瞿曇！」

> 答えました。「できます、ゴータマよ。」

佛告火種居士：「凡是主者，悉得自在不？」

> 仏は火種居士に告げられた。「すべての主（あるじ）は、思いのままにできるものなのだろうか。」

答言：「如是，瞿曇！」

> 答えていう、「その通りです、ゴータマ様。」

佛告火種居士：「汝言色是我，受、想、行、識即是我，得隨意自在，令彼如是，不令如是耶？」

> 仏は火種居士に告げられた。「あなたは、『色は我（永遠の自己）であり、受・想・行・識もまた我であり、思いのままに自在に振る舞い、それをこうさせたり、こうさせなかったりできる』と言うのですか？」

時，薩遮尼犍子默然而住。

> そのとき、サチャーニキルタは沈黙したまま、何も語らなかった。

佛告火種居士：「速說！速說！何故默然？」

> 仏は火種居士に告げられた。「早く言いなさい、早く言いなさい。なぜ黙っているのですか？」

如是再三，薩遮尼犍子猶故默然。

> このように三度にわたり促されても、サキャ尼犍子はやはり沈黙したままだった。

時，有金剛力士鬼神持金剛杵，猛火熾然，在虛空中臨薩遮尼犍子頭上，作是言：「世尊再三問，汝何故不答？我當以金剛杵碎破汝頭，令作七分。」

> その時、金剛力士の鬼神が金剛杵を手にし、猛烈な炎を燃え上がらせながら、虚空に立ってサッチャ・ニガンダ（薩遮尼犍子）の頭上に臨み、こう言いました。「世尊が三度も問うているのに、なぜ答えないのか。私はこの金剛杵でお前の頭を打ち砕き、七つに割ってしまうぞ。」

佛神力故，唯令薩遮尼犍子見金剛神，餘眾不見。薩遮尼犍子得大恐怖，白佛言：「不爾。瞿曇！」

> 仏の神通力によって、サキャ・ニグルンタ（薩遮尼犍子）だけが金剛神を見ることができ、他の人々には見えませんでした。サキャ・ニグルンタは大いに恐怖し、仏に申し上げました：「そうではありません、ゴータマ様！」

佛告薩遮尼犍子：「徐徐思惟，然後解說。汝先於眾中說色是我，受、想、行、識是我，而今言不？前後相違。汝先常說言：『色是我，受、想、行、識是我。』火種居士！我今問汝，色為常耶？為無常耶？」

> 仏はサキャ・ニガンタの子に告げられました。「ゆっくり考えてから、答えるがよい。あなたは先に、集まりの中で『色は私である。受・想・行・識は私である』と言ったが、今はそうではないと言うのか。前後で矛盾しているぞ。あなたは以前、こう言い続けていたではないか。『色は私であり、受・想・行・識は私である』と。火を祀る者よ、今あなたに尋ねる。色は常住であるか、それとも無常であるか。」

答言：「無常。瞿曇！」

> お答えします。「それは無常です、ゴータマよ。」

復問：「無常者，是苦耶？」

> また問う：「無常であるものは、苦しみなのでしょうか？」

答言：「是苦。瞿曇！」

> 答え：「それは苦しみです。ゴータマさま。」

復問：「無常、苦者，是變易法，多聞聖弟子寧於中見我、異我、相在不？」

> 問い：無常で苦しみであるものは変化する性質のものです。では、多くを聞いた聖なる弟子は、その中に「私」や「私のもの」、あるいは「相互に存在するもの」を見ることがあるでしょうか。

答曰：「不也，瞿曇！」

> 答え：「いいえ、ゴータマよ。」

受、想、行、識亦如是說。

> 受（感受）、想（認識）、行（意志）、識（判断）についても、同じように説かれている。

佛告火種居士：「汝好思而後說。」

> 仏は火種居士に告げられた。「あなたはよく考えてから、話しなさい。」

復問火種居士：「若於色未離貪、未離欲、未離念、未離愛、未離渴，彼色若變、若異，當生憂、悲、惱、苦不？」

> さらに火種居士に問われた。「もし物質的な形（色）に対して、執着を離れておらず、欲を離れておらず、心の思いを離れておらず、愛着を離れておらず、渇愛を離れていないならば、その形が変化したり、異なったりしたとき、憂い、悲しみ、悩み、苦しみが生じるのではないか？」

答曰：「如是，瞿曇！」

> 答え： 「その通りです、ゴータマよ。」

受、想、行、識亦如是說。

> 受（感受）、想（認識）、行（意志）、識（判断）についても、同じように説かれている。

復問：「火種居士！於色離貪、離欲、離念、離愛、離渴，彼色若變、若異，則不生憂、悲、惱、苦耶？」

> また問いかけました。「火種居士よ！色に対して、貪りを離れ、欲を離れ、思いを離れ、愛着を離れ、渇きを離れるならば、その色がもし変化し、異なったとしても、憂い、悲しみ、悩み、苦しみは生じないのではないでしょうか？」

答曰：「如是。瞿曇！如實無異。」

> 答えはこうだ。「その通りです、ゴータマよ。真実に、少しの違いもありません。」

受、想、行、識亦如是說。

> 受（感受）、想（認識）、行（意志）、識（判断）についても、同じように説かれている。

「火種居士！譬如士夫身嬰眾苦，常與苦俱，彼苦不斷不捨，當得樂不？」

> 「火種居士よ、例えば人が体に多くの苦しみを抱え、常に苦しみと共に生きているとしましょう。その苦しみが断たれず、捨てられないならば、その人が楽を得ることができるでしょうか？」

答言：「不也，瞿曇！」

> 答えて言う、「いいえ、ゴータマよ。」

「如是，火種居士！身嬰眾苦，常與苦俱，彼苦不斷、不捨，不得樂也。火種居士！譬如士夫持斧入山，求堅實材。見芭蕉樹洪大𦟛直，即斷其根葉，剽剝其皮，乃至窮盡，都無堅實。火種居士！汝亦如是，自立論端。我今善求真實之義，都無堅實，如芭蕉樹也，而於此眾中敢有所說。我不見沙門、婆羅門中，所知、所見能與如來、應、等正覺所知、所見共論議，不摧伏者。而便自說：『我論議風，偃草折樹，能破金石，調伏龍象，要能令彼額津腋汗，毛孔水流。』汝今自論己義而不自立，先所誇說能伏彼相，今盡自取，而不能動如來一毛。」

> 「その通りです、火種居士よ。身に多くの苦を抱え、常に苦と共にある者は、その苦を断ち切らず、捨て去らなければ、安楽を得ることはできません。火種居士よ、たとえば、ある人が斧を持って山に入り、堅い材木を探すとしましょう。バショウの木が大きくて真っ直ぐに伸びているのを見つけ、その根と葉を切り落とし、皮を剥いていき、最後まで剥いても、どこにも堅い部分はありません。火種居士よ、あなたもまた同じです。自らの論を立てながら、今私が真理の意味をしっかりと探求してみると、バショウの木のように、どこにも確かなものはありません。それなのに、この集まりの中でよくもまあ語ったものです。私は、修行者やバラモンの中で、如来、応供、正等覚者の知るところ、見るところと論議して打ち負かされない者を見たことがありません。それなのにあなたは自ら言いました『私の論議の勢いは、草をなぎ倒し、木を折り、金や石をも砕き、龍や象をも調伏し、相手の額に汗をにじませ、脇の下に汗を流させ、毛穴から水を出させる』と。今、あなたは自分の論を語りながら、それを確立することもできず、以前に誇って言った『相手を打ち負かす』という様相は、すべて自らが受けることとなり、如来の毛一本さえも動かすことができません。」

爾時，世尊於大眾中，被欝多羅僧，現胸而示：「汝等試看，能動如來一毛以不？」

> その時、世尊は大勢の集まりの中で、上衣をまとい、胸を開いて示された。「あなたがたは、かねてから見なさい。如来の毛一本でも動かすことができるかどうかを。」

爾時，薩遮尼犍子默然低頭，慚愧失色。爾時，眾中有一離車，名突目佉，從座起，整衣服，合掌白佛言：「世尊！聽我說譬。」

> その時、サキャ・ニグンタ（薩遮尼犍子）は黙ってうつむき、恥ずかしさで顔色を失っていました。すると、会衆の中にひとりの離車族の人で、突目佉（とつもくこ）という名の者が立ち上がり、衣を整えて合掌し、仏に申し上げました。「世尊よ、私にたとえ話をさせてください。」

佛告突目佉：「宜知是時。」

> 仏はトゥムカに告げられた。「その時を知るがよい。」

突目佉白佛言：「世尊！譬如有人執持斗斛，於大聚穀中，取二三斛，今此薩遮尼犍子亦復如是。世尊！譬如長者巨富多財，忽有罪過，一切財物悉入王家，薩遮尼犍子亦復如是。所有才辯悉為如來之所攝受。

> 突目佉が仏に申し上げました。「世尊よ、例えばある人が斗や枡を持って、大きな穀物の山から二、三枡を取り出すようなものです。今このサキャ・ニグルンタもまた同じです。世尊よ、例えば長者（資産家）が大きな富を持っていながら、突然罪を犯して、すべての財産が王家に没収されるようなものです。サキャ・ニグルンタもまた同じです。彼のすべての弁才は、如来によってことごとく取り入れられてしまいました。」

「譬如城邑聚落邊有大水，男女大小悉入水戲，取水中蟹，截斷其足，置於陸地，以無足故，不能還復入於大水。薩遮尼犍子亦復如是。諸有才辯悉為如來之所斷截，終不復敢重詣如來命敵論議。」

> 例えば、ある町や村のそばに大きな川があったとします。老若男女みんながその川に入って遊び、水の中のカニをつかまえます。そして、そのカニの足を全部切り落として陸の上に置くのです。すると、足がないために、カニは再び大きな川の中へ戻ることができません。 サキャ・ニガンタ（サーキャ・ニグランタ）も、まったく同じです。彼が持っていたあらゆる弁論の才や知恵は、如来（仏陀）によってことごとく断ち切られてしまいました。そのため、彼は二度と再び如来のもとに立ち向かい、議論を挑もうとはしなくなったのです。

爾時，薩遮尼犍子忿怒熾盛，罵唾突目佉離車言：「汝麁疏物！不審諦何為其鳴？吾自與沙門瞿曇論，何豫汝事？」

> そのとき、サキャ・ニガンタは激しい怒りに燃え、唾を吐きかけ、目を怒らせてリッチャヴィたちに罵った。「お前たちのような粗雑な者どもが、よくも分別もなく騒ぎ立てるとは！われが自ら沙門ゴータマと論じるのに、お前たちに何の関係があるというのか。」

薩遮尼犍子呵罵突目佉已，復白佛言：「置彼凡輩鄙賤之說，我今別有所問。」

> サッチャニグンダが突然罵り終えて、再び仏に申し上げた。「あのような凡庸で卑しい話はさておき、今、私は別のことをお尋ねしたいのです。」

佛告薩遮尼犍子：「恣汝所問，當隨問答。」

> 仏が薩遮尼犍子に告げられた。「好きなだけ質問しなさい。その質問に応じて、答えましょう。」

「云何？瞿曇！為弟子說法，令離疑惑？」

> 「瞿曇（ゴータマ）よ、あなたは弟子たちにどのように教えを説き、迷いや疑いから解放されるのですか？」

佛告火種居士：「我為諸弟子說諸所有色，若過去、若未來、若現在，若內、若外，若麁、若細，若好、若醜，若遠、若近，彼一切如實觀察非我、非異我、不相在；受、想、行、識亦復如是。彼學必見跡不斷壞，堪任成就，厭離知見，守甘露門，雖非一切悉得究竟，且向涅槃。如是弟子從我教法，得離疑惑。」

> 仏は火種居士に告げられた。「私は弟子たちにこう説いている。あらゆる色（物質的現象）について、それが過去のものであれ、未来のものであれ、現在のものであれ、内なるものであれ、外なるものであれ、粗いものであれ、細かいものであれ、美しいものであれ、醜いものであれ、遠くにあるものであれ、近くにあるものであれ、それらすべてをあるがままに観察し、これらは自己ではない、自己とは別のものでもない、互いに内に存在するものでもないと見極めよ。受・想・行・識についても同様である。 そのように学ぶ者は、必ず聖なる道の跡を見出し、それが絶えることなく、修行を成就し、厭離の智慧を得て、甘露の門を守りながら、たとえ全てが究極の境地に達していなくとも、涅槃へと向かうのである。このようにして、私の教えに従う弟子たちは、疑惑から解脱するのである。」

復問：「瞿曇！復云何教諸弟子，於佛法得盡諸漏、無漏，心解脫、慧解脫，現法自知作證：『我生已盡，梵行已立，所作已作，自知不受後有。』？」

> 問いかけた。「ゴータマよ、あなたはどのように弟子たちに教え、仏法において一切の煩悩を尽くし、煩悩のない心の解脱と智慧の解脱を得させ、この世において自ら知り、証悟させているのですか。『我が生は尽きた。清らかな行いは完成された。なすべきことはなされた。もはや後の生存はないと自ら知る』と。」

佛告火種居士：「正以此法，諸所有色，若過去、若未來、若現在，若內、若外，若麁、若細，若好、若醜，若遠、若近，彼一切如實知非我、非異我、不相在；受、想、行、識亦復如是。彼於爾時成就三種無上——智無上、解脫無上、解脫知見無上。成就三種無上已，於大師所恭敬、尊重、供養如佛。世尊覺一切法，即以此法調伏弟子，令得安隱、令得無畏、調伏寂靜、究竟涅槃。世尊為涅槃故，為弟子說法。火種居士！我諸弟子於此法中，得盡諸漏，得心解脫，得慧解脫，於現法中自知作證：『我生已盡，梵行已立，所作已作，自知不受後有。』」

> 仏は火種居士に告げられた。「まさにこの法によって、あらゆる色（物質的なもの）について、過去のものも、未来のものも、現在のものも、内なるものも、外なるものも、粗いものも、細かいものも、美しいものも、醜いものも、遠いものも、近いものも、それらすべてをあるがままに知り、『これは私ではない、私と異なるものではない、私の中にそれがあるのでもなく、それの中に私があるのでもない』と悟るのです。感受、想念、意志、認識についても同様です。 そのとき彼は三つの最高のものを成就します――知恵の最高、解脱の最高、解脱の知見の最高です。この三つの最高を成就したならば、大師（ブッダ）のもとで敬い、尊び、供養し、仏そのものを敬うようにします。 世尊はすべての法を覚り、まさにこの法によって弟子たちを調伏し、穏やかな安らぎを得させ、恐れなきを得させ、静かに調えられ、究極の涅槃に至らせます。世尊は涅槃のために、弟子たちに法を説かれるのです。 火種居士よ、私の弟子たちはこの法において、すべての煩悩を尽くし、心の解脱を得、智慧の解脱を得て、現世において自ら知り、證します。『生は尽きた。清らかな行いは完成した。なすべきことはなされた。もはや後の生存を受けることはない』と。」

薩遮尼犍子白佛言：「瞿曇！猶如壯夫，鋒刃亂下，猶可得免；瞿曇論手，難可得脫。如盛毒蛇，猶可得避；曠澤猛火，猶可得避；兇惡醉象，亦可得免；狂餓師子，悉可得免；沙門瞿曇論議手中，難可得脫。非我凡品，輕躁鄙夫，論具不備，以論議故，來詣瞿曇。

> サッチャ・ニガンダ（薩遮尼犍子）が仏陀に申し上げました。「ゴータマよ、まるで屈強な男が刃を振り下ろしても、うまく避ければ逃れられることがある。しかし、ゴータマの議論の手にかかれば、逃れることは難しい。また、猛毒の蛇でも避けることはできよう。広い荒野の猛火も避けられよう。狂暴な酔った象も避けることができよう。飢えた狂った獅子でさえ、避けることはできよう。だが、沙門ゴータマの議論の手から逃れるのは難しい。私は凡庸な者であり、軽率な未熟者で、議論の準備も整わず、議論のためにゴータマのもとへ来たのです。」

「沙門瞿曇！此毘舍離豐樂國土，有遮波梨支提、漆菴羅樹支提、多子支提、瞿曇在拘樓陀支提、婆羅受持支提、捨重擔支提、力士寶冠支提。世尊！當安樂於此毘舍離國，諸天、魔、梵、沙門、婆羅門，及諸世間，於世尊所，常得恭敬、奉事、供養，令此諸天、魔、梵、沙門、婆羅門，長夜安樂。唯願止此，明朝與諸大眾，受我薄食。」

> 「修行者のゴータマよ、このヴェーサーリーは豊かで楽しい国です。ここには、チャーパーラの塔、ニガローダの塔、サーラヴァティーの塔、バフプトラの塔、ゴータマが滞在したグンナディヤの塔、バラモンが守る塔、重荷を下ろした者の塔、力士の宝冠の塔があります。世尊よ、どうかこのヴェーサーリーの国で安らかにお過ごしください。天、魔、梵天、修行者、バラモン、そして世の人々すべてが、世尊に対して常に敬い、仕え、供養するならば、これらの天、魔、梵天、修行者、バラモンは長い夜のように安らかに過ごせるでしょう。どうかここにお留まりいただき、明朝には大衆と共に私の粗末な食事をお受け取りください。」

爾時，世尊默然而許。時，薩遮尼犍子知佛世尊默然受請已，歡喜隨喜，從座起去。

> その時、世尊は黙ってお許しになりました。すると、サッチャーニガンダ（沙門）は、仏世尊が黙って請け入れられたことを知り、喜びに満ちてその場を立ち去りました。

爾時，薩遮尼犍子於彼道中，語諸離車：「我已請沙門瞿曇及諸大眾，供設飯食，汝等人各辦一釜食，送至我所。」

> その時、サキャ・ニルグランタ（サッチャ・ニガンダの子）は道中で、リッチャヴィ（離車）族の人々にこう言った。「私はすでに修行者ゴータマと大勢の方々を招き、食事を用意してあります。皆さんもそれぞれ、一釜ずつの食べ物を用意して、私のもとへ届けてください。」

諸離車各還其家，星夜供辦，晨朝送至薩遮尼犍子所。薩遮尼犍子晨朝灑掃敷座，供辦淨水，遣使詣佛，白言：「時到。」

> 離車族の人々はそれぞれの家に帰り、夜通し準備を整えて、早朝にサッチャ・ニガンタのもとへ届けました。サッチャ・ニガンタは早朝に掃除をし、座席を整え、清らかな水を用意し、使いを仏のもとへ送って、「お時間です」とお伝えしました。

爾時，世尊與諸大眾，著衣持鉢，往薩遮尼犍子所，大眾前坐。薩遮尼犍子自手奉施清淨飲食，充足大眾。食已，洗鉢竟。薩遮尼犍子知佛食竟，洗鉢已，取一卑床於佛前坐。爾時，世尊為薩遮尼犍子說隨喜偈言：

> その時、世尊は大勢の僧侶たちとともに、衣を着け、鉢を持って、サッチャ・ニガンタ（サッチャ・ニガンタの弟子たち）のところへ行き、大衆の前に座られました。サッチャ・ニガンタは自らの手で清らかな飲食を捧げ、大衆を十分に満たしました。食事を終え、鉢を洗った後、サッチャ・ニガンタは仏が食事を終えて鉢を洗われたのを知り、一つ小さな床几を取って仏の前に座りました。その時、世尊はサッチャ・ニガンタのために随喜の偈を説かれました。

「於諸大會中， 奉火為其最；闈陀經典中， 娑毘諦為最；人中王為最， 諸河海為最，諸星月為最， 諸明日為最，十方天人中， 等正覺為最。」

> あらゆる大いなる集まりにおいて、 火を捧げる儀式が最もすぐれている。 ヴェーダの聖典の中では、 サビティの詩句が最もすぐれている。 人々の中では王が最もすぐれ、 川々の中では海が最もすぐれている。 星々の中では月が最もすぐれ、 光るものの中では太陽が最もすぐれている。 そして十方の天と人の世界において、 正しく目覚めたる者（如来）が最もすぐれている。

爾時，世尊為薩遮尼犍子種種說法，示、教、照、喜已，還歸本處。

> その時、世尊はサツヤニガイラの子（薩遮尼犍子）に対して様々な教えを説き、示し、教え、照らし、喜ばせた後、本来の場所へとお帰りになった。

時，諸比丘於彼道中眾共論議：「五百離車各為薩遮尼犍子供辦飲食，彼諸離車於何得福？薩遮尼犍子於何得福？」

> その時、比丘たちは道すがらこう話し合っていた。 「五百人の離車族は、それぞれがサッチャニガンタ（サッチャ・ニガンタ）のために飲食を準備したが、あの離車族たちはどこで功徳を得るのだろうか？ そして、サッチャニガンタはどこで功徳を得るのだろうか？」

爾時，諸比丘還自住處，舉衣鉢，洗足已，至世尊所，頭面禮足，退坐一面，白佛言：「世尊！我等向於路中自共論議，五百離車為薩遮尼犍子供辦飲食，供養世尊、諸大眾。彼諸離車於何得福？薩遮尼犍子於何得福？」

> その時、比丘たちは各自の住まいに戻り、衣と鉢を置き、足を洗ってから、世尊のもとへ赴きました。そして、頭を世尊の足に接して礼拝し、後ろに退いて一方に座り、仏に申し上げました。「世尊よ。私たちは先ほど、道中で互いに話し合っていました。五百人の離車族が、サッチャ・ニガンダ（薩遮尼犍子）のために飲食を準備し、世尊と大いなる僧団に供養しました。あの離車族の人々は、どこで福を得るのでしょうか？また、サッチャ・ニガンダは、どこで福を得るのでしょうか？」

佛告諸比丘：「彼諸離車供辦飲食，為薩遮尼犍子，於薩遮尼犍子所因緣得福，薩遮尼犍子得福佛功德。彼諸離車得施有貪、恚、癡因緣果報，薩遮尼犍子得施無貪、恚、癡因緣果報。」

> 仏は比丘たちに告げられた。「あの離車族の人々は、食事を用意してサッチャ・ニガンタに供えた。サッチャ・ニガンタのために功徳を得たのであり、サッチャ・ニガンタも仏の功徳によって功徳を得たのだ。あの離車族の人々は、貪り・怒り・無知の原因による布施を行ったために、その報いを受ける。しかしサッチャ・ニガンタは、貪り・怒り・無知のない原因による布施を受けたので、その報いを得るのである。」

彼多羅十問 差摩、焰、仙尼阿㝹羅、長者 西、毛端、薩遮

> 差摩、焔、仙尼の章（10の問い） 阿㝹羅と長者、そして西・毛端・薩遮。

## 雜阿含經卷第五

> 雑阿含経 巻第五