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title: "雜阿含經 · 123"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
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### （一二三）

> (123)

如是我聞：

> このように私はお聞きしました。

一時，佛住摩拘羅山。

> ある時、仏陀は摩拘羅山に滞在しておられました。

時，有侍者比丘名曰羅陀，往詣佛所，稽首禮足，退坐一面，白佛言：「善哉！世尊！為我略說法要，我聞法已，我當獨一靜處，專心思惟，不放逸住：『所以族姓子剃除鬚髮，身著染衣，正信非家，出家學道，增加精進，修諸梵行，見法自知作證：「我生已盡，梵行已立，所作已作，自知不受後有。」』」

> その時、侍者の比丘で羅陀（らだ）という名の者が、仏のもとへ赴き、頭を仏の足に接して礼拝し、退いて一方に座り、こう申し上げました。「尊き方よ、どうか私のために簡潔に法の要点をお示しください。私はその法を聞いた後、一人静かな場所で心を集中して考え、怠ることなく過ごします。そして、『良家の子が髭や髪を剃り、染めた衣をまとい、正しい信仰によって家を離れ、出家して修行の道に入り、精進を増し、清らかな行いを全て修め、法を見て自ら悟りを得るのです。「私は生を尽くし、清らかな行いを成就し、為すべきことを為し、もはや再び迷いの世界に生まれることはない」と』と、自ら証する者となりたいのです。」

爾時，世尊告羅陀曰：「善哉！羅陀！能於佛前問如是義。諦聽，善思，當為汝說。羅陀！當知有身、有身集、有身滅、有身滅道跡。何等為有身？謂五受陰——色受陰，受、想、行、識受陰。云何有身集？謂當來有愛，貪、喜俱，於彼彼愛樂，是名有身集。云何有身滅？謂當有愛，喜、貪俱，彼彼愛樂無餘斷、捨、吐、盡、離欲、寂、沒，是名有身盡。云何有身滅道跡？謂八正道——正見、正志、正語、正業、正命、正方便、正念、正定，是名有身滅道跡。有身當知，有身集當斷，有身滅當證，有身滅道跡當修。羅陀！若多聞聖弟子於有身若知、若斷，有身集若知、若斷，有身滅若知、若證，有身滅道跡若知、若修已，羅陀！名斷愛離愛，轉結，止慢無間等，究竟苦邊。」

> その時、世尊はローダに告げられた。「善きかな、ローダよ。よくも私の前でこのような意味を問うた。よく聞き、よく考えなさい。今、あなたのため説こう。 ローダよ、知るべきである。身体（有身）があり、身体の集まりがあり、身体の消滅があり、身体の消滅に至る道がある。 では、身体とは何か。それは五つの執着の集まり（五取蘊）である。すなわち、色の執着の集まり、受・想・行・識の執着の集まりである。 では、身体の集まりとは何か。それは未来への執着（愛）であり、それに伴う貪りと喜びであり、あれこれと愛着すること、これを身体の集まりという。 では、身体の消滅とは何か。それは未来への執着と、それに伴う喜びと貪りが、あらゆる愛着から余すところなく断ち切られ、捨てられ、吐き出され、尽き果て、欲を離れ、静まり、消え去ること、これを身体の消滅という。 では、身体の消滅に至る道とは何か。それは八つの正しい道（八正道）である。正しい見解、正しい思惟、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい念、正しい定、これを身体の消滅に至る道という。 身体を知るべきであり、身体の集まりは断つべきであり、身体の消滅は証すべきであり、身体の消滅に至る道は修めるべきである。 ローダよ、もしもよく学んだ聖なる弟子が、身体について知り、断じ、身体の集まりについて知り、断じ、身体の消滅について知り、証し、身体の消滅に至る道について知り、修めたならば、ローダよ、その人は執着を断ち、愛欲を離れ、束縛を解き、慢心を止め、無間等（無間の解脱）に至り、苦しみの果てを極める、と名づけられるのである。」

羅陀比丘聞佛所說，歡喜奉行。從坐起，作禮而去。世尊如是教授已，羅陀比丘獨一靜處，專精思惟。所以善男子剃除鬚髮，著染色衣，正信非家，出家學道，增益精進，修諸梵行，見法自知作證：「我生已盡，梵行已立，所作已作，自知不受後有。」成阿羅漢，心善解脫。

佛說此經已，羅陀比丘聞佛所說，歡喜奉行。