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title: "雜阿含經 · 161"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
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### （一六一）

> （一六一）

如是我聞：

> このように私はお聞きしました。

一時，佛住舍衛國祇樹給孤獨園。

> 一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園に住したまえり。

爾時，世尊告諸比丘：「何所有故，何所起？何所繫著，何所見我？令諸眾生作如是見、如是說：『謂七身非作、非作所作，非化、非化所化，不殺、不動、堅實。何等為七？所謂地身、水身、火身、風身、樂、苦、命。此七種身非作、非作所作，非化、非化所化，不殺、不動、堅實、不轉、不變、不相逼迫。若福、若惡、若福惡，若苦、若樂、若苦樂，若士梟、士首，亦不逼迫世間。若命、若身、七身間間容刀往返，亦不害命，於彼無殺、無殺者，無繫、無繫者，無念、無念者，無教、無教者。』？」

> ある時、世尊は比丘たちに告げられた。 「何が存在するゆえに、何が起こるのか。 何に執着し、何を自己と見なすことで、 衆生は次のような見解や言葉を抱くのか。 『七つの身体は作られたものではなく、作られたものによって作られたものでもない。 化現したものではなく、化現したものによって化現したものでもない。 殺されることもなく、動かされることもなく、堅固である。 その七つとは、地の身体、水の身体、火の身体、風の身体、楽、苦、命である。 これらの七つの身体は作られたものではなく、作られたものによって作られたものでもない。 化現したものではなく、化現したものによって化現したものもない。 殺されることも、動かされることもなく、堅固で、変化せず、互いに妨げ合うこともない。 福也好、悪也好、福悪也好、苦也好、楽也好、苦楽也好、 士梟也好、士首也好、いずれも世間を妨げることはない。 命也好、身体也好、七つの身体の間を刀が行き来しても、 命を害することはなく、そこには殺すことも殺す者もなく、 繋ぐことも繋ぐ者もなく、念じることも念じる者もなく、 教えることも教える者もない。』と。」

諸比丘白佛：「世尊是法根、法眼、法依……」如是廣說，次第如上三經。

> 比丘たちは仏に向かってこう言った。「世尊こそが、教えの根本、教えの導き手、教えの拠り所であります……」と広く説かれました。その詳細は、先の三つの経典と同じ順序に従っています。