---
title: "雜阿含經 · 285"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8xhr0k0rgdl404u7rgm124"
---

### （二八五）

> （二八五）

如是我聞：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛住舍衛國祇樹給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国の祇樹給孤独園におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「我憶宿命未成正覺時，獨一靜處，專精禪思，生如是念：『世間難入，所謂若生、若老、若病、若死、若遷、若受生，然諸眾生，生、老、死上及所依不如實知。』

> その時、世尊は比丘たちに告げられた。 「私は悟りを開く前のことを思い起こす。一人静かな場所で、ひたすら禅定に励んでいたとき、このような思いが浮かんだのだ。 『この世は、入りにくいものだ。生まれることも、老いることも、病むことも、死ぬことも、去ることも、生を受け変わることも。それなのに、多くの人々は、生と老いと死、そしてそれらが依存するものについて、ありのままに知らない。』

「我作是念：『何法有故生有？何法緣故生有？』即正思惟，起無間等知，有有故生有，有緣故生有。

> 私はこう思いました。 「何があれば生が存在するのか？ 何を縁として生が存在するのか？」 そこで正しく思惟し、間髪を入れずに知りました。 「有があるからこそ生が存在し、 有を縁として生が存在するのだ」と。

「復思惟：『何法有故有有？何法緣故有有？』即正思惟，如實無間等起知，取有故有有，取緣故有有。

「又作是念：『取復何緣、何法有故取有？何法緣故取有？』即正思惟，如實無間等起知，取法味著、顧念、心縛，愛欲增長；彼愛有故取有，愛故緣取，取緣有，有緣生，生緣老、病、死、憂、悲、惱、苦。如是如是純大苦聚集。

> また、このように思う。『取はまた、何を縁として生じるのか。どのような法があるから取があるのか。どのような法を縁として取があるのか。』と。そこで正しく思惟し、ありのままに間断なく観察して知る。取とは、法の味わいに執着し、顧みて心が縛られ、愛欲が増長することである。その愛があるから取があり、愛を縁として取が生じ、取を縁として有が生じ、有を縁として生が生じ、生を縁として老・病・死・憂・悲・悩み・苦しみが生じる。このようにして、まさにこのように、純粋な大きな苦しみの集まりが起こるのである。

「諸比丘！於意云何？譬如緣膏油及炷，燈明得燒，數增油、炷，彼燈明得久住不？」

> 諸比丘よ、どう思うか？たとえば、油と芯によって灯火が燃え、油と芯を継ぎ足せば、その灯火は長く保つことができるだろうか？

答言：「如是，世尊！」

> 「はい、その通りでございます、世尊よ！」

「如是，諸比丘！於色取味著、顧念、愛縛，增長愛緣故取，取緣有，有緣生，生緣老、病、死、憂、悲、惱、苦。如是如是純大苦聚集。

> このように、比丘たちよ。物質的なものに執着し、味わい、愛着し、愛に縛られると、愛が増大する縁によって執着が生じます。執着があるから存在があり、存在があるから生があり、生があるから老・病・死・憂い・悲しみ・悩み・苦しみがあります。このようにして、純粋な大きな苦しみの集まりが生じるのです。

「我時復作是念：『何法無故無此老、病、死？何法滅故老、病、死滅？』即正思惟，起如實無間等，無生則無老、病、死，生滅故，則老、病、死滅。

> 私はその時、さらにこのように考えました。「何がなければ、この老・病・死はないのか？ 何が滅びれば、老・病・死は滅びるのか？」と。そこで正しく思惟し、ありのままの智慧が次々と生じました。生がなければ、老・病・死はありません。生が滅びるならば、老・病・死もまた滅びるのです。

「復作是念：『何法無故無生？何法滅故生滅？』即正思惟，起如實無間等，有無故生無，有滅故生滅。

> また、このように思う：『何が無いから生じないのか？何が滅するから生が滅するのか？』と。すぐに正しく考え、真実の無間等が起こる。あるものが無いから生じず、あるものが滅するから生が滅する。

「又復思惟：『何法無故有無？何法滅故有滅？』即正思惟，生如實無間等觀，取無故有無，取滅故有滅。

> また、このように思惟した。 「どの法が無いために、『有』が無くなるのか？ どの法が滅するために、『有』が滅するのか？」 そこで正しく思惟し、真実の無間等観を生じた。 「取」が無いために「有」が無くなり、 「取」が滅するために「有」が滅するのだ、と。

「又作是念：『何法無故取無？何法滅故取滅？』即正思惟，生如實無間等觀，所取法無常、生滅、離欲、滅盡、捨離，心不顧念，心不縛著，愛則滅，彼愛滅故取滅，取滅故有滅，有滅故生滅，生滅故老、病、死、憂、悲、惱、苦滅，如是如是純大苦聚滅。

> また、このように思うのです。『どのようなものが無くなれば、執着が無くなるのか。どのようなものが滅すれば、執着が滅するのか』と。そこで正しく思惟し、ありのままの無間等の観を生じます。執着の対象となるものは、無常であり、生滅し、離欲し、滅尽し、捨離されるものであると、心はそれに思いを留めず、心はそれに縛られず、愛が滅します。その愛が滅するゆえに執着が滅し、執着が滅するゆえに存在が滅し、存在が滅するゆえに生が滅し、生が滅するゆえに老・病・死・憂・悲・悩・苦が滅します。このようにして、純粋な大いなる苦の集まりは滅するのです。

「諸比丘！於意云何？譬如油、炷然燈，若不增油治炷，非彼燈明未來不生、盡、磨滅耶？」

> 諸比丘よ、どう思うか。たとえば、油と芯でともる灯りがあるとする。もし油を足さず、芯を整えなければ、その灯りの光は、未来に生じず、尽き果て、消え去るのではないか？

比丘白佛：「如是，世尊！」

> 「はい、世尊、その通りでございます。」と比丘は仏に答えました。

「如是，諸比丘！於所取法觀察無常、生滅、離欲、滅盡、捨離，心不顧念，心不縛著，愛則滅，愛滅則取滅，乃至純大苦聚滅。」

> このように、比丘たちよ。捉えようとするすべてのものごとにおいて、無常を観察し、生滅を観察し、離欲を観察し、滅尽を観察し、捨離を観察するならば、心はそれらに執着せず、心はそれらに縛られない。すると愛は滅び、愛が滅べば取も滅び、こうして純粋なる大いなる苦の集まりは滅び去るのです。

佛說此經已，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏がこの経を説き終えられると、諸比丘は仏の説かれたことを聞き、歓喜してこれを行いました。