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title: "雜阿含經 · 287"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
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### （二八七）

> （二八七）

如是我聞：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛住舍衛國祇樹給孤獨園。

> ある時、お釈迦様は舎衛国の祇園精舎におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「我憶宿命未成正覺時，獨一靜處，專精禪思，作是念：『何法有故老死有？何法緣故老死有？』即正思惟，生如實無間等，生有故老死有，生緣故老死有。如是有、取、愛、受、觸、六入處、名色。何法有故名色有？何法緣故名色有？即正思惟，如實無間等生，識有故名色有，識緣故有名色有。我作是思惟時，齊識而還不能過彼，謂緣識名色，緣名色六入處，緣六入處觸，緣觸受，緣受愛，緣愛取，緣取有，緣有生，緣生老、病、死、憂、悲、惱、苦。如是如是純大苦聚集。

> その時、世尊は比丘たちに告げられた。「私はさとりを開く前のことを思い起こす。一人で静かな場所にいて、ひたすら禅定に励み、このように考えた。『どのような法があるから老死があるのか。どのような縁によって老死があるのか』と。そこで正しく思惟し、ありのままの智慧が生じた。生があるから老死があり、生を縁として老死があるのだ。同様に、有があり、取があり、愛があり、受があり、触があり、六入処があり、名色がある。では、どのような法があるから名色があるのか。どのような縁によって名色があるのか。正しく思惟し、ありのままの智慧が生じた。識があるから名色があり、識を縁として名色があるのだ。このように思惟しているとき、識までさかのぼり、それ以上は進めなかった。すなわち、識を縁として名色があり、名色を縁として六入処があり、六入処を縁として触があり、触を縁として受があり、受を縁として愛があり、愛を縁として取があり、取を縁として有があり、有を縁として生があり、生を縁として老・病・死・憂・悲・悩み・苦しみがある。このようにして、まさに純粋な大きな苦しみの集まりが生じるのである。」

「我時作是念：『何法無故則老死無？何法滅故老死滅？』即正思惟，生如實無間等，生無故老死無，生滅故老死滅，如是生、有、取、愛、受、觸、六入處、名色、識、行……」廣說。

> その時、私はこう考えました。「何がなければ老死はなくなるのか？ 何が滅びれば老死は滅びるのか？」と。そこで正しく思惟し、ありのままの智慧が生じました。生がなければ老死はなく、生が滅びれば老死は滅びる。同様に、有、取、愛、受、触、六入処、名色、識、行……（と続く）。

「我復作是思惟：『何法無故行無？何法滅故行滅？』即正思惟，如實無間等，無明無故行無，無明滅故行滅，行滅故識滅，識滅故名色滅，名色滅故六入處滅，六入處滅故觸滅，觸滅故受滅，受滅故愛滅，愛滅故取滅，取滅故有滅，有滅故生滅，生滅故老、病、死、憂、悲、惱、苦滅，如是如是純大苦聚滅。

> 私はさらにこのように考えました。 「何が無くなれば、行が無くなるのか？何が滅すれば、行が滅するのか？」 そして正しく思惟し、ありのままに観察したところ、無明が無くなれば行が無くなり、無明が滅すれば行が滅するのでした。行が滅すれば識が滅し、識が滅すれば名色が滅し、名色が滅すれば六入処が滅し、六入処が滅すれば触が滅し、触が滅すれば受が滅し、受が滅すれば愛が滅し、愛が滅すれば取が滅し、取が滅すれば有が滅し、有が滅すれば生が滅し、生が滅すれば老・病・死・憂い・悲しみ・悩み・苦しみが滅します。このようにして、純粋な大きな苦しみの集まりが滅するのです。

「我時作是念：『我得古仙人道、古仙人逕、古仙人道跡，古仙人從此跡去，我今隨去。』譬如有人遊於曠野，披荒覓路，忽遇故道古人行處，彼則隨行，漸漸前進，見故城邑、故王宮殿、園觀浴池、林木清淨。彼作是念：『我今當往白王令知。』即往白王：『大王當知，我遊曠野，披荒求路，忽見故道古人行處，我即隨行；我隨行已，見故城邑、故王宮殿、園觀浴池、林流清淨，大王可往居止其中。』王即往彼，止住其中，豐樂安隱，人民熾盛。

> その時、私はこう考えました。 「私は、古の仙人たちの道、古の仙人たちの通った道筋、古の仙人たちの足跡を得た。古の仙人たちはこの道筋を通って行った。私は今、それに従って行こう。」 たとえば、ある人が荒野をさまよい、荒れ地をかき分けて道を探していると、ふと、昔の道、昔の人が通った道筋を見つけたとします。その人はその道に従って歩み、少しずつ進んでいくうちに、昔の町、昔の王の宮殿、庭園や浴場、清らかな林や池を見つけます。その人はこう考えます。 「私は今、王様にこのことを知らせに行こう。」 そして王様のもとに行き、こう言います。 「王様、お聞きください。私は荒野をさまよい、荒れ地をかき分けて道を探していました。すると、ふと、昔の道、昔の人が通った道筋を見つけたのです。私はその道に従って歩みました。歩んでいくうちに、昔の町、昔の王の宮殿、庭園や浴場、清らかな林や池を見つけました。王様、どうかそこにお移りになって、お住まいください。」 王様はそこへ行き、住まわれました。そして、豊かで楽しく安らかに暮らし、人々も栄えました。

「今我如是，得古仙人道、古仙人逕、古仙人跡，古仙人去處，我得隨去，謂八聖道，正見、正志、正語、正業、正命、正方便、正念、正定。我從彼道見老病死、老病死集、老病死滅、老病死滅道跡，見生、有、取、愛、受、觸、六入處、名色、識、行、行集、行滅、行滅道跡。我於此法自知自覺，成等正覺，為比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷，及餘外道沙門、婆羅門、在家、出家，彼諸四眾聞法正向、信樂，知法善，梵行增廣，多所饒益，開示顯發。」

> 今、私はこのようにして、古の仙人の道、古の仙人の道筋、古の仙人の足跡、古の仙人の去り行くところを得た。私はそれに従って行くことができる。それは八つの聖なる道、すなわち正しい見解、正しい意志、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい気づき、正しい集中である。 私はその道を通して、老いと病と死、それらの原因、それらの滅び、それらの滅びに至る道筋を見た。また、生、存在、執着、愛着、感受、接触、六つの感覚の領域、名と形、識別作用、形成作用、それらの原因、それらの滅び、それらの滅びに至る道筋を見た。 私はこの法について自ら知り、自ら悟り、完全な目覚めを成就した。比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、そして他の外道の修行者、バラモン、在家者、出家者たちに、この法を説いた。彼ら四衆は法を聞き、正しい方向に向かい、信じ喜び、法の善さを知り、清らかな行いが増し広がり、多くの利益を得て、明らかに示され開かれたのである。

佛說此經已，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> お釈迦様がこのお経を説き終えられると、比丘たちはその教えを聞き、喜びをもって実践に移しました。