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title: "雜阿含經 · 288"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
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### （二八八）

> （二八八）

如是我聞：

> このように私は聞いた。

一時，佛住王舍城迦蘭陀竹園。

> ある時、お釈迦さまは王舎城の迦蘭陀竹園におられました。

爾時，尊者舍利弗、尊者摩訶拘絺羅在耆闍崛山。

> その時、尊者舎利弗と尊者摩訶拘絺羅は耆闍崛山におられました。

爾時，尊者舍利弗晡時從禪覺，詣尊者摩訶拘絺羅，共相問訊慶慰已，於一面坐。語尊者摩訶拘絺羅：「欲有所問，寧有閑暇見答與不？」

> その時、尊者舎利弗は午後の瞑想から覚め、尊者マハーコッティラのもとを訪れ、互いに挨拶と安否を尋ね合った後、傍らに座った。そして尊者マハーコッティラに言った。「お尋ねしたいことがあるのですが、お答えいただけるお時間はございますか？」

尊者摩訶拘絺羅語尊者舍利弗言：「仁者且問，知者當答。」

> 舎利弗よ、どうぞお尋ねください。知る限り、お答えいたします。

尊者舍利弗問尊者摩訶拘絺羅：「云何？尊者摩訶拘絺羅，有老不？」

> 舎利弗尊者は摩訶拘絺羅尊者にお尋ねになりました。「どうでしょう、摩訶拘絺羅尊者、老いはあるのでしょうか？」

答言：「有。」

> お答えになりました。「はい、あります。」

尊者舍利弗復問：「有死不？」

> 舎利弗尊者はさらに尋ねました。「死はあるのでしょうか？」

答言：「有。」

> 「はい、あります。」

復問：「云何？老死自作耶？為他作耶？為自他作耶？為非自非他無因作耶？」

> また尋ねました：「では、老死は自分自身によって作られるのでしょうか？それとも他者によって作られるのでしょうか？あるいは自分と他者の両方によって作られるのでしょうか？それとも自分でも他者でもなく、原因もなく作られるのでしょうか？」

答言：「尊者舍利弗！老死非自作、非他作、非自他作、亦非非自他作無因作，然彼生緣故有老死。」

> 舎利弗様、老いと死は、自分で作ったものでもなく、他人が作ったものでもなく、自分と他人の両方で作ったものでもありません。また、自分でも他人でもなく、原因もなく生じたものでもありません。それらは、生じる縁によって存在するのです。

「如是生、有、取、愛、受、觸、六入處、名色，為自作、為他作、為自他作、為非自他無因作？」

> このように、生、有、取、愛、受、觸、六入処、名色は、自らが作ったものなのか、他者が作ったものなのか、自と他が共に作ったものなのか、あるいは自他でもなく原因もなく生じたものなのか？

答言：「尊者舍利弗！名色非自作、非他作、非自他作、非非自他作無因作，然彼名色緣識生。」

> 舎利弗よ、名色は自ら作るのでもなく、他によって作られるのでもなく、自他によって作られるのでもなく、また自他によらず無因に作られるのでもありません。しかし、その名色は識を縁として生じるのです。

復問：「彼識為自作、為他作、為自他作、為非自非他無因作？」

> さらに尋ねました。「その識は、自分自身によって作られたのか、他者によって作られたのか、自分と他者によって作られたのか、それとも自分でも他者でもなく原因もなく作られたのか？」

答言：「尊者舍利弗！彼識非自作、非他作、非自他作、非非自他作無因作，然彼識緣名色生。」

> お答えします。「尊者舎利弗よ、その識は、自ら作ったものではなく、他によって作られたものでもなく、自と他とが共に作ったものでもなく、自でも他でもなく無因に作られたものでもありません。しかし、その識は名色を縁として生じるのです。」

尊者舍利弗復問：「尊者摩訶拘絺羅！先言名色非自作、非他作、非自他作、非非自他作無因作，然彼名色緣識生，而今復言名色緣識，此義云何？」

> 舎利弗尊者はさらに尋ねました。「尊者マハーコッティラよ、先ほど『名色は自ら作ったものではなく、他によって作られたものでもなく、自他共同で作られたものでもなく、また無因によって作られたものでもない。しかし、その名色は識を縁として生じる』とおっしゃいました。ところが今また『名色は識を縁とする』とおっしゃいます。この意味はどのように理解すればよいのでしょうか？」

尊者摩訶拘絺羅答言：「今當說譬，如智者因譬得解。譬如三蘆立於空地，展轉相依，而得竪立，若去其一，二亦不立，若去其二，一亦不立，展轉相依，而得竪立，識緣名色亦復如是。展轉相依，而得生長。」

> 尊者マハーコッティラは答えました。「今、例えを申し上げましょう。賢い人は例えによって理解を得るものです。たとえば、三本の葦が空地に立っているとします。それらは互いに寄りかかり合い、支え合ってこそ、まっすぐに立つことができます。もし一本を取り除けば、残る二本も立つことはできません。もし二本を取り除けば、残る一本も立つことはできません。互いに寄りかかり合い、支え合ってこそ、まっすぐに立つのです。識が名色を縁とするのも、まさにこの通りです。互いに依存し合い、支え合ってこそ、成長していくのです。」

尊者舍利弗言：「善哉！善哉！尊者摩訶拘絺羅！世尊聲聞中，智慧明達，善調無畏，見甘露法，以甘露法具足身作證者，謂尊者摩訶拘絺羅，乃有如是甚深義辯，種種難問，皆悉能答，如無價寶珠，世所頂戴，我今頂戴尊者摩訶拘絺羅亦復如是。我今於汝所，快得善利，諸餘梵行數詣其所，亦得善利，以彼尊者善說法故。我今以此尊者摩訶拘絺羅所說法故，當以三十種讚歎稱揚隨喜。」

> 舎利弗尊者は言いました。「まことに善きかな、まことに善きかな、尊者マハーコッティラよ。世尊の弟子たちの中で、智慧に明るく達し、よく調御され畏れなく、甘露の法を見、甘露の法を身をもって具足に体得された方は、尊者マハーコッティラこそがそうであります。まさにこのように深遠な意義を弁じ、種々の難問を悉く答えられるとは、譬えば無価の宝珠が世に尊ばれるように、私は今、尊者マハーコッティラを尊び奉ります。私は今、あなたのもとで、速やかに善き利益を得ました。他の修行者たちも、しばしばあなたのもとを訪れ、同じく善き利益を得るでしょう。それは、かの尊者が善く法を説かれるからです。私は今、この尊者マハーコッティラの説かれた法によって、三十種の讃嘆をもって称揚し、随喜いたします。」

尊者摩訶拘絺羅說：「老死厭患、離欲、滅盡，是名法師；說生、有、取、愛、受、觸、六入處、名色、識，厭患、離欲、滅盡，是名法師；若比丘於老死厭患、離欲、滅盡向，是名法師；乃至識厭患、離欲、滅盡向，是名法師；若比丘於老死厭患、離欲、滅盡，不起諸漏，心善解脫，是名法師；乃至識厭患、離欲、滅盡，不起諸漏，心善解脫，是名法師。」

> 尊者マハーコーティラは説きました。 「老死に対して厭離し、離欲し、滅尽することを説く者、これを法師という。 生、有、取、愛、受、触、六入処、名色、識に対して厭離し、離欲し、滅尽することを説く者、これを法師という。 もし比丘が、老死に対して厭離し、離欲し、滅尽へと向かうならば、これを法師という。 識に至るまで、厭離し、離欲し、滅尽へと向かうならば、これを法師という。 もし比丘が、老死に対して厭離し、離欲し、滅尽し、もろもろの漏れを起こさず、心が善く解脱しているならば、これを法師という。 識に至るまで、厭離し、離欲し、滅尽し、もろもろの漏れを起こさず、心が善く解脱しているならば、これを法師という。」

尊者摩訶拘絺羅語尊者舍利弗言：「善哉！善哉！於世尊聲聞中，智慧明達，善調無畏，見甘露法，以甘露法具足身作證者，謂尊者舍利弗，能作如是種種甚深正智之問，猶如世間無價寶珠，人皆頂戴，汝今如是，普為一切諸梵行者之所頂戴、恭敬、奉事。我於今日快得善利，得與尊者共論妙義。」

> 尊者マハーコッティラは尊者舎利弗に言いました。「善きかな、善きかな。世尊の声聞の中にあって、智慧明達し、善く調御され畏れなく、甘露の法を見、甘露の法を具足し身をもって証する者、すなわち尊者舎利弗よ、あなたはこのように種々の甚深なる正智の問いを為すことがおできになる。あたかも世間の無価の宝珠が、人々に頂戴されるがごとく、あなたも今、まさにすべての梵行者たちに広く頂戴され、恭敬され、奉事されている。私は今日、善き利を得ることを快くし、尊者と共に妙なる義を論ずるを得たことを喜ぶ。」

時，二正士更相隨喜，各還所住。

> その時、二人の正士は互いに喜びを分かち合い、それぞれの住処へと帰っていきました。