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title: "雜阿含經 · 289"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
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### （二八九）

> （二八九）

如是我聞：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛住王舍城迦蘭陀竹園。

> ある時、お釈迦様は王舎城の迦蘭陀竹園におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「愚癡無聞凡夫於四大身厭患、離欲、背捨而非識。所以者何？見四大身有增、有減、有取、有捨，而於心、意、識，愚癡無聞凡夫不能生厭、離欲、解脫。所以者何？彼長夜於此保惜繫我，若得、若取，言：『是我、我所、相在。』是故愚癡無聞凡夫不能於彼生厭、離欲、背捨。愚癡無聞凡夫寧於四大身繫我、我所，不可於識繫我、我所。所以者何？四大色身或見十年住，二十、三十，乃至百年，若善消息或復小過。彼心、意、識日夜時刻，須臾轉變，異生、異滅。猶如獼猴遊林樹間，須臾處處，攀捉枝條，放一取一。彼心、意、識亦復如是，異生、異滅。

> その時、世尊は比丘たちに告げられた。 「無知で教えを聞かない凡夫は、四大からなる身体については、嫌悪し、離れ、捨て去ることができる。しかし、心・意・識についてはそうではない。なぜか。四大からなる身体には、増えたり減ったり、取ったり捨てたりする様子が見えるからだ。しかし、心・意・識については、無知で教えを聞かない凡夫は、嫌悪し、離れ、解脱する心を起こすことができない。なぜか。彼らは長い間、これ（心・意・識）を『私のもの』として大切にし、執着し、『これは私だ、私のものだ、私の中にある』と言い続けてきたからである。だから、無知な凡夫は、それ（心・意・識）に対して嫌悪し、離れ、捨て去ることができないのだ。 無知で教えを聞かない凡夫は、四大からなる身体に『私』『私のもの』と執着するよりも、むしろ、心・意・識に『私』『私のもの』と執着することを選ぶだろう。なぜか。四大からなる色身は、十年、二十年、三十年、あるいは百年と、うまく保たれれば、あるいはそれ以上も住み続けることがある。しかし、彼らの心・意・識は、昼も夜も、刻一刻と、瞬く間に変化し、次々と生じては滅していく。まるで林や樹間を遊ぶ猿が、あちこちへと移り、枝をつかんでは放し、別の枝を取るかのようだ。彼らの心・意・識もまた、それと同じように、次々と生じては滅していくのである。」

「多聞聖弟子於諸緣起善思惟觀察，所謂樂觸緣生樂受，樂受覺時，如實知樂受覺；彼樂觸滅，樂觸因緣生受亦滅、止、清涼、息、沒。如樂受，苦觸、喜觸、憂觸、捨觸因緣生捨受，捨受覺時，如實知捨受覺；彼捨觸滅，彼捨觸因緣生捨受亦滅、止、清涼、息、沒。彼如是思惟：『此受觸生、觸樂、觸縛，彼彼觸樂故，彼彼受樂，彼彼觸樂滅，彼彼受樂亦滅、止、清涼、息、沒。』如是，多聞聖弟子於色生厭，於受、想、行、識生厭，厭故不樂，不樂故解脫，解脫知見：『我生已盡，梵行已立，所作已作，自知不受後有。』」

> 多聞の聖なる弟子は、縁起についてよく考え、観察します。 つまり、楽しい触れ合いから楽しい感覚が生じることを知り、楽しい感覚を感じているときには、そのまま楽しい感覚を感じていると知ります。 その楽しい触れ合いが滅びると、楽しい触れ合いが原因で生じた感覚もまた滅び、止み、清らかになり、静まり、消え去ります。 楽しい感覚についてだけでなく、苦しい触れ合い、喜ばしい触れ合い、憂いの触れ合い、平静な触れ合いから生じる平静な感覚についても同じです。 平静な感覚を感じているときには、そのまま平静な感覚を感じていると知ります。 その平静な触れ合いが滅びると、平静な触れ合いが原因で生じた感覚もまた滅び、止み、清らかになり、静まり、消え去ります。 このように思惟します： 「この感覚は触れ合いから生じ、触れ合いによって楽しみとなり、触れ合いに縛られる。 さまざまな触れ合いが楽しみであるから、さまざまな感覚が楽しみとなる。 さまざまな触れ合いの楽しみが滅びると、さまざまな感覚の楽しみもまた滅び、止み、清らかになり、静まり、消え去る。」 このようにして、多聞の聖なる弟子は、色（物質）に対して厭離の心を起こし、感覚、認識、形成作用、識別作用に対しても厭離の心を起こします。 厭離するから楽しみを見出さず、楽しみを見出さないから解脱します。 解脱して知見を得ます： 「わたしの生は尽きた。清らかな行いは確立した。なすべきことは為し終えた。もはや後に生を受けることはないと自ら知る。」

佛說此經已，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏がこの経を説き終えられると、諸々の比丘たちは仏の説かれたことを聞き、歓喜して教えを奉じ行った。