---
title: "雜阿含經 · 290"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8xhr0k0rgil404vqaut9ya"
---

### （二九〇）

> （二九〇）

如是我聞：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛住王舍城迦蘭陀竹園。

> ある時、お釈迦さまは王舎城の迦蘭陀竹園におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「愚癡無聞凡夫於四大色身生厭、離欲、背捨，但非識。所以者何？四大色身現有增減、有取、有捨，若心、若意、若識，彼愚癡無聞凡夫不能於識生厭、離欲、背捨，長夜保惜繫我，若得、若取，言：是我、我所、相在。是故愚癡無聞凡夫不能於彼生厭、離欲、背捨。

> その時、世尊は比丘たちに告げられました。 「無知で教えを聞かない凡夫は、四大からなる色身に対しては、嫌悪し、離欲し、捨て去ることができます。しかし、識に対してはそれができません。なぜでしょうか？四大からなる色身には、増減があり、執着があり、捨て去ることが現に見られるからです。しかし、心であり、意であり、識であるものに対しては、その無知な凡夫は嫌悪し、離欲し、捨て去ることができないのです。長い夜のように、『これが私だ、私のものだ』と、得たり取ったりして、自分自身に縛り付け、大切に抱きしめ続けます。それゆえ、無知で教えを聞かない凡夫は、識に対して嫌悪し、離欲し、捨て去ることができないのです。」

「愚癡無聞凡夫寧於四大色身繫我、我所，不可於識繫我、我所。所以者何？四大色身或見十年住，二十、三十，乃至百年，若善消息或復少過。彼心、意、識日夜時刻，須臾不停，種種轉變，異生、異滅。譬如獼猴遊林樹間，須臾處處，攀捉枝條，放一取一。彼心、意、識亦復如是，種種變易，異生、異滅。

> 愚かで教えを聞かず、真理を知らない凡夫は、地・水・火・風の四大からなるこの肉体に「私」や「私のもの」という執着を抱くことはあっても、心や意識に「私」や「私のもの」という執着を抱くことはない。なぜかというと、四大からなる肉体は、十年、二十年、三十年、あるいは百年と、保たれることもある。養生をすれば、それより少し長く生きることもある。しかし、心や意識は、昼夜を問わず、刻一刻と、ほんのわずかな間も止まることなく、さまざまに変化し、次々と生じては滅していくからだ。たとえば、猿が林や木々の間を遊びまわる様子を思い浮かべてほしい。猿はあっという間にあちこちに移動し、枝をつかんでは放し、別の枝をつかむ。心や意識もまたそれと同じで、さまざまに変化し、次々と生じては滅していくのである。

「多聞聖弟子於諸緣起思惟觀察，所謂樂觸緣生樂受，樂受覺時，如實知樂受覺；彼樂觸滅，樂因緣生樂受亦滅、止、清凉、息、沒。如樂受，苦觸、喜觸、憂觸、捨觸因緣生捨受，捨受覺時，如實知捨受覺；彼捨觸滅，捨觸因緣生捨受亦滅、止、清涼、息、沒。譬如兩木相磨，和合生火；若兩木離散，火亦隨滅。如是諸受緣觸集，觸生觸集，若彼彼觸集故，彼彼受亦集；彼彼觸集滅故，彼彼受集亦滅、止、清涼、息、沒。多聞聖弟子如是觀者，於色解脫，於受、想、行、識解脫，於生、老、病、死、憂、悲、惱、苦解脫，我說彼於苦得解脫。」

> 多聞の聖なる弟子は、縁起について思惟し観察します。 つまり、楽しい触れ合い（楽触）を縁として楽しい感受（楽受）が生じる。 楽しい感受を感じている時、そのままに「楽しい感受を感じている」と知る。 その楽しい触れ合いが滅びると、楽しい感受もまた滅び、止み、清涼となり、静まり、消え去る。 楽しい感受について述べたように、 苦しい触れ合い（苦触）によって苦しい感受（苦受）が、 喜ばしい触れ合い（喜触）によって喜びの感受（喜受）が、 憂いのある触れ合い（憂触）によって憂いの感受（憂受）が、 そして、どちらでもない触れ合い（捨触）を縁として、どちらでもない感受（捨受）が生じる。 どちらでもない感受を感じている時、そのままに「どちらでもない感受を感じている」と知る。 そのどちらでもない触れ合いが滅びると、それによって生じたどちらでもない感受もまた滅び、止み、清涼となり、静まり、消え去る。 たとえば、二本の木が擦れ合い、和合して火が生じる。 もし二本の木が離れれば、火もまたそれに従って消える。 このように、あらゆる感受は触れ合いを縁として集まり、触れ合いによって生じ、触れ合いによって集まる。 もし、ある触れ合いが集まるなら、それに対応する感受もまた集まる。 ある触れ合いの集まりが滅びるなら、それに対応する感受の集まりもまた滅び、止み、清涼となり、静まり、消え去る。 多聞の聖なる弟子がこのように観る時、 色（物質）から解脫し、受（感受）、想（認識）、行（形成作用）、識（識別作用）から解脫し、 生、老、病、死、憂い、悲しみ、

佛說此經已，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏がこの経を説き終えられると、諸々の比丘たちは仏の説かれた教えを聞き、喜びをもって実践に努めました。