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title: "雜阿含經 · 292"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
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### （二九二）

> （二九二）

如是我聞：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛住王舍城迦蘭陀竹園。

> ある時、お釈迦さまは王舎城の迦蘭陀竹園におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「云何思量觀察正盡苦，究竟苦邊？時，思量眾生所有眾苦，種種差別，此諸苦何因、何集、何生、何觸？思量取因、取集、取生、取觸。若彼取滅無餘，眾苦則滅，彼所乘苦滅道跡如實知，修行彼向次法，是名比丘向正盡苦，究竟苦邊，所謂取滅。

> その時、世尊は比丘たちに告げられた。「苦を正しく滅し尽くし、苦の果てに至るとは、どのように思惟し観察することか。その時、あらゆる衆生のさまざまな苦しみを思惟する。これらの苦しみは何が原因で、何が集まり、何から生じ、何に触れて起こるのか。執着が原因であり、執着が集まり、執着から生じ、執着に触れて起こると思惟する。もしその執着が残らず滅びるならば、衆苦もまた滅びる。その苦を滅ぼす道筋をありのままに知り、その教えに従って修行を進めること、これを比丘が苦を正しく滅し尽くし、苦の果てに至る道という。すなわち、執着の滅びである。」

「復次，比丘思量觀察正盡苦，究竟苦邊。時，思量彼取何因、何集、何生、何觸？思量彼取愛因、愛集、愛生、愛觸。彼愛永滅無餘，取亦隨滅，彼所乘取滅道跡如實知，修習彼向次法，是名比丘向正盡苦，究竟苦邊，所謂愛滅。

> また、比丘は、苦を正しく終わらせ、苦の果てに至ることを思惟し、観察する。その時、彼は思惟する。その執着は、何を因とし、何を集め、何から生じ、何に触れるのか？彼は思惟する。その執着は、愛を因とし、愛を集め、愛から生じ、愛に触れる。その愛が永遠に滅び、残ることなく、執着もまたそれに従って滅びる。彼が乗るべき執着の滅びへの道筋をありのままに知り、その方向へ向かう法を修習する。これを比丘が苦を正しく終わらせ、苦の果てに至ることを向かうという。すなわち、愛の滅びである。

「復次，比丘思量觀察正盡苦，究竟苦邊。則思量彼愛何因、何集、何生、何觸？知彼愛受因、受集、受生、受觸。彼受永滅無餘，則愛滅，彼所乘愛滅道跡如實知，修習彼向次法，是名比丘向正盡苦，究竟苦邊，所謂受滅。

> また、比丘は、苦を正しく終わらせ、苦の果てに至ることを思惟し観察する。それゆえ、その愛は何が原因で、何によって集まり、何から生じ、何に触発されるのかを思惟する。その愛は受が原因であり、受によって集まり、受から生じ、受に触発されることを知る。その受が永遠に滅びて残ることがなければ、愛も滅びる。その愛を滅ぼす道筋をありのままに知り、それに向かって順序立てて修行する。これを比丘が苦を正しく終わらせ、苦の果てに至る、すなわち受の滅びに向かうというのである。

「復次，比丘思量觀察正盡苦，究竟苦邊。時，思量彼受何因、何集、何生、何觸？知彼受觸因、觸集、觸生、觸緣。彼觸永滅無餘，則受滅，彼所乘觸滅道跡如實知，修習彼向次法，是名比丘向正盡苦，究竟苦邊。

> また、比丘は、苦を正しく終わらせ、苦の果てを究極的に見極めることを思量し観察する。その時、彼はその感受が何を因とし、何を集め、何によって生じ、何に触れて起こるのかを思量する。彼はその感受が触れを因とし、触れを集め、触れによって生じ、触れを縁として起こることを知る。その触れが永遠に滅びて余すところなく消えれば、感受もまた滅びる。彼が乗じている触れが滅びる道筋をありのままに知り、その方向に向かって次第に法を修習する。これを比丘が苦を正しく終わらせ、苦の果てを究極的に見極める方向に向かうというのである。

「復次，比丘思量觀察正盡苦，究竟苦邊。時，思量彼觸何因、何集、何生、何觸？當知彼觸六入處因、六入處集、六入處生、六入處觸。彼六入處滅無餘，則觸滅，彼所乘六入處滅道跡如實知，修習彼向次法，是名比丘向正盡苦，究竟苦邊。

> さらに、比丘は、苦を正しく滅ぼし、苦の果てに至ることを思惟し観察する。その時、その触（感覚）は何を因とし、何を集（原因の集積）とし、何から生じ、何によって触れるのかを思惟する。その触は六入処（六つの感覚の領域）を因とし、六入処を集とし、六入処から生じ、六入処によって触れると知るべきである。その六入処が滅びて余すところがなければ、触も滅びる。その六入処を滅ぼす道の跡をありのままに知り、その道に向かって順次に修行する。これを比丘が苦を正しく滅ぼし、苦の果てに至ることを目指すというのである。

「復次，比丘思量觀察正盡苦，究竟苦邊。時，思量彼六入處何因、何集、何生、何觸？知彼六入處名色因、名色集、名色生、名色觸。名色永滅無餘，則六入處滅，彼所乘名色滅道跡如實知，修習彼向次法，是名比丘向正盡苦，究竟苦邊，所謂名色滅。

> また、比丘は、苦を正しく終わらせ、苦の果てに至ることを思量し観察する。その時、彼は六入処が何によって生じ、何によって集まり、何によって生まれ、何によって触れられるのかを思量する。そして、六入処は名色によって生じ、名色によって集まり、名色によって生まれ、名色によって触れられることを知る。名色が完全に滅びて残ることがなくなれば、六入処も滅びる。彼が行う名色を滅ぼす道の跡をありのままに知り、その方向に向かって修行を積む。これが比丘が苦を正しく終わらせ、苦の果てに至る方向に向かうことであり、それは名色を滅ぼすことである。

「復次，比丘思量正盡苦，究竟苦邊。時，思量名色何因、何集、何生、何觸，知彼名色識因、識集、識生、識觸。彼識滅無餘，則名色滅，彼所乘識滅道跡如實知，修習彼向次法，是名比丘向正盡苦，究竟苦邊，所謂識滅。

> また、比丘は正しく苦を尽くし、苦の果てに至ることを思惟する。その時、名と色は何を因とし、何によって集まり、何によって生じ、何によって触れるのかを思惟する。それら名と色は識を因とし、識によって集まり、識によって生じ、識によって触れることを知る。その識が滅びて余りなく、すなわち名と色も滅びる。その乗り物である識が滅びる道筋をありのままに知り、その方向に向かって順次に法を修習する。これを比丘が正しく苦を尽くし、苦の果てに至る方向に向かう、すなわち識の滅びであるという。

「復次，比丘思量觀察正盡苦，究竟苦邊。時，思量彼識何因、何集、何生、何觸？知彼識行因、行集、行生、行觸，作諸福行，善識生，作諸不福不善行，不善識生；作無所有行，無所有識生，是為彼識行因、行集、行生、行觸。彼行滅無餘，則識滅，彼所乘行滅道跡如實知，修習彼向次法，是名比丘向正盡苦，究竟苦邊，所謂行滅。

> また、比丘は、苦を正しく滅ぼし尽くし、苦の果てに至ることを思惟し観察する。その時、彼はその識が何を因とし、何を集起とし、何から生じ、何に触れて起こるのかを思惟する。彼は知るのである、その識は行を因とし、行を集起とし、行から生じ、行に触れて起こることを。福ある行をなせば善き識が生じ、福なき不善の行をなせば不善の識が生じ、無所有の行をなせば無所有の識が生ずる。これがその識の行を因とし、行を集起とし、行から生じ、行に触れることである。その行が余すところなく滅びれば、識もまた滅びる。彼は、行を滅ぼす道の跡をありのままに知り、それに向かう順序ある法を修習する。これを比丘が苦を正しく滅ぼし尽くし、苦の果てに至ることを目指す、すなわち行の滅びを目指すというのである。

「復次，比丘思量觀察正盡苦，究竟苦邊。時，思量彼行何因、何集、何生、何觸？知彼行無明因、無明集、無明生、無明觸。彼福行無明緣，非福行亦無明緣，非福不福行亦無明緣。

> また、比丘は、苦を正しく滅ぼし、苦の究極の果てに至ることを思惟し観察する。その時、彼はその行（行為）が何を因とし、何を集起とし、何によって生じ、何に触れて起こるのかを思惟する。彼はその行が無明を因とし、無明を集起とし、無明によって生じ、無明に触れて起こることを知る。彼の福行（善い行為）も無明を縁として起こり、非福行（悪い行為）も無明を縁として起こり、非福不福行（善でも悪でもない行為）も無明を縁として起こるのである。

「是故當知，彼行無明因、無明集、無明生、無明觸。彼無明永滅無餘，則行滅，彼所乘無明滅道跡如實知，修習彼向次法，是名比丘向正盡苦，究竟苦邊，所謂無明滅。」

> それゆえに知るべきである、その行いは無明を因とし、無明を集め、無明より生じ、無明に触れるものであると。その無明が永遠に滅び、残ることなく尽きれば、行いもまた滅びる。彼が乗り越えるべき無明を滅ぼす道の跡をありのままに知り、その方向へ向かう順序ある教えを修め習う。これを比丘が正しく苦を尽くし、ついに苦の果てに至る方向に向かうという。すなわち、無明が滅びることをいうのである。

佛告比丘：「於意云何？若不樂無明而生明，復緣彼無明作福行、非福行、無所有行不？」

> 仏は比丘たちに仰せになった。「どう思うか？もし無明を喜ばず、明を生じるならば、さらにその無明に縁って福行・非福行・無所有行を行うだろうか？」

比丘白佛：「不也，世尊！所以者何？多聞聖弟子不樂無明而生明，無明滅則行滅，行滅則識滅，如是乃至生、老、病、死、憂、悲、惱、苦滅，如是如是純大苦聚滅。」

> 比丘は仏に申し上げました。「いいえ、世尊、違います。なぜなら、よく学んだ聖なる弟子は無明を喜ばず、智慧を生じるからです。無明が滅すれば行が滅し、行が滅すれば識が滅します。こうして、生、老、病、死、憂い、悲しみ、悩み、苦しみが滅し、このようにして純粋な大きな苦の集まりが滅びるからです。」

佛言：「善哉！善哉！比丘！我亦如是說，汝亦知此。於彼彼法起彼彼法，生彼彼法，滅彼彼法，滅、止、清涼、息、沒。若多聞聖弟子無明離欲而生明，身分齊受所覺，身分齊受所覺時如實知；若壽分齊受所覺，壽分齊受所覺時如實知；身壞時壽命欲盡，於此諸受一切所覺滅盡無餘。譬如力士取新熟瓦器，乘熱置地，須臾散壞，熱勢悉滅。如是，比丘無明離欲而生明，身分齊受所覺如實知，壽分齊受所覺如實知，身壞命終，一切受所覺悉滅無餘。」

> 仏は言われた。「善きかな、善きかな、比丘よ。私もまたこのように説き、あなたもまたこれを知っている。それぞれの法に応じて、それぞれの法が起こり、それぞれの法が生じ、それぞれの法が滅する。滅し、止み、清らかに冷え、静まり、消え去る。もし多くの教えを聞いた聖なる弟子が、無明を離れ欲望を断って明を生じさせたならば、身体の限りにおいて感じられるすべての感覚を、身体の限りにおいて感じられる時にありのままに知る。寿命の限りにおいて感じられるすべての感覚を、寿命の限りにおいて感じられる時にありのままに知る。身体が壊れ、寿命が尽きようとする時、これらのすべての感覚は滅び尽きて何も残らない。ちょうど力士が新しく焼き上がった陶器を、熱いうちに地面に置けば、たちまちに崩れ散り、熱の勢いはすべて消え去るように。このように、比丘よ、無明を離れ欲望を断って明を生じさせたならば、身体の限りにおいて感じられる感覚をありのままに知り、寿命の限りにおいて感じられる感覚をありのままに知り、身体が壊れ命が終わるとき、すべての感覚は滅び尽きて何も残らないのである。」

佛說此經已，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> お釈迦様はこの経を説き終えられました。比丘たちはお釈迦様の教えを聞き、喜んで実践いたしました。