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title: "雜阿含經 · 293"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
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### （二九三）

> （二九三）

如是我聞：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛住王舍城迦蘭陀竹園。

> ある時、お釈迦様は王舎城の迦蘭陀竹園におられました。

爾時，世尊告異比丘：「我已度疑，離於猶豫，拔邪見刺，不復退轉。心無所著故，何處有我為彼比丘說法？為彼比丘說賢聖出世空相應緣起隨順法，所謂有是故是事有，是事有故是事起。所謂緣無明行，緣行識，緣識名色，緣名色六入處，緣六入處觸，緣觸受，緣受愛，緣愛取，緣取有，緣有生，緣生老、死、憂、悲、惱、苦。如是如是純大苦聚集，乃至如是純大苦聚滅。

> その時、世尊は一人の比丘に告げられた。 「私はすでに疑いを超え、迷いを離れ、邪見のとげを抜き、もはや退転することはない。心に執着するものが何もないゆえに、どこに『私』があるというのだろうか。 私はその比丘のために法を説く。すなわち、聖なる者が世に現れて説く、空と相応する縁起の法を順を追って説くのである。 それはつまり、『これがあるゆえに、あれがあり、あれがあるゆえに、これが生じる』ということだ。 無明を縁として行があり、行を縁として識があり、識を縁として名色があり、名色を縁として六入処があり、六入処を縁として触があり、触を縁として受があり、受を縁として愛があり、愛を縁として取があり、取を縁として有があり、有を縁として生があり、生を縁として老・死・憂い・悲しみ・悩み・苦しみがある。 このようにして、まさにこのようにして、純粋なる大きな苦しみの集まりが起こるのである。そしてまた、このようにして、純粋なる大きな苦しみの集まりが滅するのである。」

「如是說法，而彼比丘猶有疑惑猶豫，先不得得想、不獲獲想、不證證想，今聞法已，心生憂苦、悔恨、矇沒、障礙。所以者何？此甚深處，所謂緣起，倍復甚深難見，所謂一切取離、愛盡、無欲、寂滅、涅槃；如此二法，謂有為、無為，有為者若生、若住、若異、若滅，無為者不生、不住、不異、不滅，是名比丘諸行苦寂滅涅槃。因集故苦集，因滅故苦滅，斷諸逕路，滅於相續，相續滅，是名苦邊。比丘！彼何所滅？謂有餘苦，彼若滅、止、清涼、息、沒，所謂一切取滅、愛盡、無欲、寂滅、涅槃。」

> このように説法しても、なおその比丘には疑いと迷いがあり、以前は得られなかったものを得たという思い、得られなかったものを獲得したという思い、悟らなかったものを悟ったという思いがなく、今この法を聞いて、心に憂いと苦しみ、後悔と恨み、暗く覆われた気持ち、妨げが生じる。それはなぜか。この甚深なる境地、すなわち縁起というものは、さらに倍も深く見がたいものであり、一切の執着を離れ、愛が尽き、欲望がなく、静寂に帰し、涅槃に至ることである。この二つの法、すなわち有為と無為について、有為とは生じ、とどまり、変化し、滅びるものであり、無為とは生じず、とどまらず、変化せず、滅びないものである。これを比丘よ、諸行の苦が静寂し滅びて涅槃に至ることという。因が集まるゆえに苦が集まり、因が滅するゆえに苦が滅する。すべての道筋を断ち、相続するものを滅ぼし、相続が滅びることが、苦の終わりである。比丘よ、何が滅びるのか。すなわち残る苦が滅びるのである。それが滅び、止み、清涼となり、静まり、消え去ること、すなわち一切の執着が滅び、愛が尽き、欲望がなく、静寂に帰し、涅槃に至ることである。

佛說此經已，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> お釈迦様がこのお経をお説きになると、比丘たちはその教えを聞き、喜びをもって実践いたしました。