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title: "雜阿含經 · 820"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8xi5u80vgyl404vjrheli2"
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### （八二〇）

如是我聞：

> このように私はお聞きしました。

一時，佛住舍衛國祇樹給孤獨園。

> 一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園に住したまえり。

爾時，世尊告諸比丘……如上說。差別者：「何等為增上戒學？謂比丘重於戒，戒增上，不重於定，定不增上，不重於慧，慧不增上；於彼彼分細微戒，犯則隨悔。所以者何？我不說彼不堪能，若彼戒隨順梵行、饒益梵行、久住梵行，如是比丘戒堅固、戒師常住、戒常隨順生，受持而學。如是知、如是見，斷三結，謂身見、戒取、疑。斷此三結，得須陀洹，不墮惡趣法，決定正趣三菩提，七有天人往生，究竟苦邊，是名學增上戒。

> その時、世尊は比丘たちに告げられた…（前述の通り）。その違いを述べよう。 「では、戒をさらに高める学びとは何か。それは、比丘が戒を重んじ、戒をさらに高めることである。しかし、定を重んじず、定をさらに高めず、慧を重んじず、慧をさらに高めない。そして、それぞれの細かな戒について、もし違反すれば、すぐに悔いるのである。なぜなら、私は、その者がそれをする力がないとは言わないからだ。もし、その戒が清らかな行いに従い、清らかな行いを益し、清らかな行いを長く続けるものであるならば、そのように、比丘は戒に堅固であり、戒を師として常に保ち、戒に常に従いながら生まれ、それを受け持って学ぶのである。 このように知り、このように見て、三つの結び目を断つ。すなわち、自己という見解、戒や儀式への執着、疑惑である。この三つの結び目を断つことにより、預流果（須陀洹）を得る。悪い境涯に堕ちることはなく、確かに悟りへと正しく向かい、七度、天と人の間に生まれ変わることを経て、ついに苦しみの終わりに至る。これを、戒をさらに高める学びという。」

「何等為增上意學？是比丘重於戒，戒增上，重於定，定增上，不重於慧，慧不增上；於彼彼分細微戒，乃至受持學戒。如是知、如是見，斷於五下分結，謂身見、戒取、疑、貪欲、瞋恚。斷此五下分結，受生般涅槃，阿那含，不還此世，是名增上意學。

> 「向上の意の学びとは何か？それは、ある比丘が戒を重んじ、戒に向上し、禅定を重んじ、禅定に向上するが、智慧を重んじず、智慧に向上しない。そして、様々な細かい戒律についても、学びの戒を受けて守り続ける。このように知り、このように見て、五つの下位の束縛（五下分結）を断ち切る。すなわち、身見（自己への執着）、戒取（戒律への固執）、疑（迷い）、貪欲（むさぼり）、瞋恚（怒り）である。この五つの下位の束縛を断ち切り、生を受けて般涅槃に入る者、阿那含（不還果）となり、この世に還ってこない。これを向上の意の学びと呼ぶ。」

「何等為增上慧學？是比丘重於戒，戒增上，重於定，定增上，重於慧，慧增上。彼如是知、如是見，欲有漏心解脫、有有漏心解脫、無明有漏心解脫，解脫知見：『我生已盡，梵行已立，所作已作，自知不受後有。』是名增上慧學。」

> 「では、もっと高い智慧の学びとは何でしょうか。それは、出家者が戒を尊重し、戒をより高め、定を尊重し、定をより高め、智慧を尊重し、智慧をより高めることです。そのように知り、そのように見るとき、欲望の煩悩から心が解き放たれ、存在への執着の煩悩から心が解き放たれ、無知の煩悩から心が解き放たれます。そして、『私は生を尽くした。清らかな行いは完成した。なすべきことはなされた。もはや再生を受けることはない』と悟りの知恵が現れます。これが、もっと高い智慧の学びと呼ばれるものです。」

佛說此經已，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。