---
title: "大寶積經 · 1"
description: "大宝积经是唐代高僧菩提流志翻译的一部重要佛教经典，属于大乘佛教宝积部核心典籍。该经汇集了早期大乘佛教的多部经典，形成于公元2-4世纪，内容涵盖菩萨修行、般若智慧、净土思想等大乘教义。菩提流志奉唐玄宗之命于8世纪完成汉译，共120卷，系统阐述了大乘佛教的修行次第与解脱之道。作为大乘佛教的重要集成经典，大宝积经在中国佛教史上具有崇高地位，对汉传佛教各宗派尤其是华严宗、净土宗的发展产生深远影响，是研究大乘佛教思想体系的关键文献。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8xmx6y14wul4044lirhys8"
---

### 善臂菩薩會第二十六之一

> 善臂菩薩会 第二十六の一

如是我聞：

> 私はこのように聞きました。

一時佛在王舍城迦蘭陀竹園。爾時有菩薩摩訶薩善男子名曰善臂，來至佛所頭面禮佛足，禮已却坐一面。

> ある時、お釈迦さまは王舎城の迦蘭陀竹園におられました。その時、善臂という名の菩薩であり善男子である方が、お釈迦さまのもとへ参り、頭を地につけて仏足を礼拝しました。礼拝を終えると、少し離れた所に坐りました。

爾時世尊告善臂菩薩言：「善男子！是六波羅蜜，菩薩常當具足。何等六？檀波羅蜜、尸波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禪波羅蜜、般若波羅蜜。善男子！是六波羅蜜，菩薩常當具足。

> その時、世尊は善臂菩薩に告げられました。 「善男子よ、菩薩は常にこの六波羅蜜を具えなければならない。どの六つか。布施波羅蜜、持戒波羅蜜、忍辱波羅蜜、精進波羅蜜、禅定波羅蜜、智慧波羅蜜である。善男子よ、菩薩は常にこの六波羅蜜を具えなければならない。」

「善臂！云何菩薩具足行檀波羅蜜？善臂！菩薩於諸聚落，正命求財非邪命求，隨順不逆，不困逼眾生。以求財物而行布施，非為恭敬供養名稱等故而行布施，非羞畏故、非果報故、非生天故、非諛諂故。於持戒毀戒不起毀譽，或是所識或非所識，而於其中以平等心供養恭敬尊重讚歎。亦於持戒毀戒，若親不親、所識不識、若怨非怨，恒以深重敬愛信樂。是菩薩隨其所有常應惠施，有少施少、有多施多、有麁施麁、有細施細、有妙施妙、有不妙施不妙。若以上饌甘饌飲食價直十萬持用施人，或分一錢為十六分持一分用施，其心歡喜，等無差別。善男子！是菩薩於諸乞食者，須食施食，為具足一切智力故。須飲施飲，為斷眾生渴愛力故。須衣施衣，為得無上慚愧衣故。須乘施乘，為得菩薩乘佛乘故。須香施香，為得正覺持戒香故。須華施華，為得如來七覺花故。須末香者施以末香，為得除滅一切眾生不善香故。須塗香者施以塗香，為得無缺戒香身故。須蓋施蓋，為斷眾生煩惱火故。須革簁者施以革簁，為受無量智慧樂故。須床施床，為令眾生得釋梵聖床快樂力故。須坐處者施以坐處，為坐菩提樹下諸魔結使不能壞亂其坐處故。須舍施舍，為令眾生得覆護處無所怖畏得無我力故。以好園觀奉施佛僧，為得無上寂靜禪定力故。持妙供具種種莊嚴施諸佛塔廟，為得三十二相八十種好大丈夫力故。若於佛塔及闇道中然燈施明，為得無量佛眼明故。以種種伎樂供養三寶，為得無量天耳故。以衣鉢施，為得無上端嚴持戒故。以扇澡盥持用施人，為令眾生得涼清淨故。以紙筆墨及高座施，為得無上大智慧故。施病者藥，為除眾生結使病故。以地施他，為令眾生得三乘分甘露界故。造塔形像，為令眾生聽正法故。所有之物速以施人，為得神通捷疾力故。布施清淨，為於無上道中不留難故。常施不絕，為得無斷辯才力故。隨意布施，為令眾生得大悲故。不逼人求財持用布施，為令諸魔外道不能壞亂，自然得成無上道故。菩薩布施，應如上所說而行惠施。若菩薩欲作如上施者，或自無財當生心施，欲得開示無量無邊一切眾生。有力無力如上布施，是我善行、我是妙勝、是我寶物，能令一切世間眾生所有快樂悉得成就，所謂得和合樂。能捨一切無有狐疑，諸所有願悉皆成就得安樂行。若諸世間所有眾生悕望欲得所須之物，我當滿足與之，珍寶金銀衣服錢財猶如山積，飲食之具如大巨海無量無邊。是菩薩於晝夜各三時中，以己所作財施法施所得果報，願與一切眾生共之。令過去未來現在一切有行眾生，生妙國界及出世樂。是人雖作如是布施，終不悕望求其果報。開示如是方便，為化眾生入於善法。

> 「善きかな、善臂よ。菩薩はどのようにして布施波羅蜜を具足して行うのでしょうか。善臂よ、菩薩は諸々の集落において、正しい方法で財を求め、邪な方法で求めることはありません。人々に順じて逆らわず、衆生を困窮させ逼迫することはありません。財物を求めて布施を行うのは、恭敬供養や名声などのためではなく、恥ずかしさや畏れのためでもなく、果報のためでもなく、天に生まれるためでもなく、へつらいやお世辞のためでもありません。戒を持っている者も戒を破っている者も、毀ったり誉めたりすることなく、あるいは知っている者でも知らない者でも、その中にあって平等の心で供養し、恭敬し、尊重し、讃歎します。また、戒を持っている者も破っている者も、親しい者でも親しくない者でも、知っている者でも知らない者でも、怨みある者でも怨みない者でも、常に深く重んじて敬愛し、信楽します。この菩薩は、その所有するものに応じて常に施しを行うべきであり、少なければ少ないものを施し、多ければ多いものを施し、粗ければ粗いものを施し、細かければ細かいものを施し、妙であれば妙なるものを施し、妙でなければ妙でないものを施します。もし上等な美食や甘い飲食で、価値十万のものを持って人に施しても、あるいは一銭を十六分に分けてその一分を持って施しても、その心の歓喜は等しく差別がありません。善男子よ、この菩薩は諸々の乞食者に対して、食を求める者には食を施し、一切の智力を具足するためです。飲み物を求める者には飲み物を施し、衆生の渇愛の力を断つためです。衣を求める者には衣を施し、無上の慚愧の衣を得るためです。乗り物を求める者には乗り物を施し、菩薩乗・仏乗を得るためです。香を求める者には香を施し、正覚の持戒の香を得るためです。花を求める者には花を施し、如来の七覚の花を得るためです。抹香を求める者には抹香を施し、一切衆生の不善の香を除滅するためです。塗香を求める者には塗香を施し、欠けることのない戒香の身を得るためです。傘蓋を求める者には傘蓋を施し、衆生の煩悩の火を断つためです。革簁（かわざる）を求める者には革簁を施し、無量の智慧の楽を受けるためです。寝床を求める者には寝床を施し、衆生をして帝釈天や梵天の聖なる寝床の快樂の力を得させるためです。座る場所を求める者には座る場所を施し、菩提樹の下に坐して諸魔の結使がその座る場所を壊し乱すことができないようにするためです。家屋を求める者には家屋を施し、衆生をして覆護の処を得させ、怖畏することなく無我の力を得させるためです。良い園観を仏と僧に奉施し、無上の寂静禅定の力を得るためです。妙なる供具や種々の荘厳を持って諸仏の塔廟に施し、三十二相八十種好の大丈夫の力を得るためです。もし仏塔や暗い道中で灯をともして明かりを施せば、無量の仏眼の明を得るためです。種々の伎楽を持って三宝を供養すれば、無量の天耳を得るためです。衣と鉢を施せば、無上の端厳なる持戒を得るためです。扇や澡盥（そうかん）を持って人に施せば、衆生をして涼しく清浄を得させるためです。紙・筆・墨や高座を施せば、無上の大智慧を得るためです。病者に薬を施せば、衆生の結使の病を除くためです。土地を他に施せば、衆生をして三乗の分け前である甘露の界を得させるためです。塔や形像を造れば、衆生をして正法を聴かせるためです。所有するものは速やかに人に施し、神通の敏捷な力を得るためです。布施を清浄にすれば、無上の道中に留難を残さないためです。常に施しを絶やさなければ、断えることのない弁才の力を得るためです。意のままに布施すれば、衆生をして大悲を得させるためです。人を逼迫して財を求め、それを持って布施するのでなければ、諸魔や外道が壊し乱すことができず、自然に無上の道を成就するためです。菩薩の布施は、上に説いたように行って施すべきです。もし菩薩が上のような施しを行おうとするならば、あるいは自ら財がなくても心に施しを生じ、無量無辺の一切衆生に開示したいと願うべきです。力があってもなくても、上のように布施することは、私の善い行いであり、私の妙なる勝れたものであり、私の宝物であり、一切の世間の衆生の所有する快樂を悉く成就させることができ、いわゆる和合の楽を得させます。一切を捨てて狐疑なく、諸々の所有する願いを悉く成就させて安楽の行を得させます。もし諸々の世間のすべての衆生が望み欲して求める所須の物があれば、私は満足して与えよう、珍宝・金銀・衣服・銭財は山のように積み、飲食の具は大いなる巨海のように無量無辺であると。この菩薩は昼夜に各三時の中で、自らが行った財施・法施の所得する果報を、一切の衆生と共にせんと願います。過去・未来・現在の一切の行ある衆生をして、妙なる国界および出世の楽を生ぜしめます。この人はこのような布施を行っても、終にその果報を求めて望むことはありません。このような方便を開示するのは、衆生を化して善法に入らせるためです。」

「是菩薩布施時，願令一切眾生得度得解脫，為得一切智具足一切佛法故。若布施布施已，亦願眾生得度得解脫，為得一切智具足一切佛法故。如此布施，若無有力不能學之、不能捨財。是菩薩應如是思惟：『我今當勤加精進，時時漸漸斷除慳貪悋惜之垢。我當勤加精進，時時漸漸學捨財施與，常令我施心增長廣大，乃至生有終不懈怠心常歡喜。』如是菩薩發菩提心、念菩提心、修菩提心、悕望菩提、願求菩提，是名菩薩無量阿僧祇大施大捨大出。何以故？如是布施於諸施中最勝第一。令我未來之世於一切世間所有眾生中，雨法雨、雨甘露雨，施法雨、施甘露雨，出法雨、出甘露雨。

> 菩薩が布施を行う時、こう願います。 「すべての衆生が救われ、解脱を得られますように。 一切智を成就し、すべての仏法を具足するために」 布施を施し終えた後も、同じく願います。 「すべての衆生が救われ、解脱を得られますように。 一切智を成就し、すべての仏法を具足するために」 このような布施を、もし力が足りず学べない、あるいは財を捨てられないならば、 菩薩はこのように思うべきです。 「私は今、精進に励み、少しずつ、時を追って、 貪り惜しむ心の汚れを断ち切ろう。 私は精進に励み、少しずつ、時を追って、 財を捨てて施すことを学ぼう。 常に私の施しの心を増やし広げ、 この命が続く限り怠ることなく、心は常に喜びに満ちていよう」 このように菩薩は、菩提心を発し、菩提心を念じ、菩提心を修め、 菩提を望み、菩提を願い求めるのです。 これを菩薩の無量阿僧祇の大施、大捨、大出と言います。 なぜなら、このような布施は、あらゆる施しの中で最も勝れ、第一だからです。 これによって、私は未来の世において、すべての世間のあらゆる衆生の中で、 法の雨を降らせ、甘露の雨を降らせ、 法の雨を施し、甘露の雨を施し、 法の雨を湧き出させ、甘露の雨を湧き出させることができるのです。

「善臂！菩薩摩訶薩如是行施，不以為難、以為喜樂，速疾具足檀波羅蜜。善男子！菩薩不能自以身體支節施於乞者，若自割、若教他割。何以故？若成是業，令彼乞者於大地獄受無量罪故。菩薩摩訶薩不應自惜身體支節。所以者何？欲令乞者遠離廣大不善業故。若有乞士來從菩薩乞索所須，是時菩薩若自無財，不應強逼父母妻子眷屬親戚奴婢取其財物，令其貧匱持以施人。何以故？菩薩摩訶薩欲於一切眾生中行平等慈心故。若菩薩摩訶薩不逼父母妻子眷屬親戚奴婢財物持用惠施，菩薩爾時於眾生中得慈悲心。善男子！菩薩不應於他眾生有慳悋心，以逼他眾生取財惠施，諸佛世尊所不讚歎，何況自割支節施於他人。是名菩薩具足檀波羅蜜。

> 善きかな、菩薩摩訶薩はこのように布施を行い、難事とは思わず、喜びと楽しみとし、速やかに檀波羅蜜を具足するのです。善男子よ、菩薩は自らの身体や四肢を乞う者に施すべきではありません。自ら切り取ることも、他に切らせることもしてはなりません。なぜなら、もしそのような業を成せば、その乞う者に大地獄で無量の罪を受けることになるからです。菩薩摩訶薩は自らの身体や四肢を惜しむべきではありません。どうしてでしょうか。乞う者に広大な不善業から遠ざからせるためです。もし乞う者が菩薩のもとに来て、必要なものを乞うたとき、菩薩に財がなければ、父母や妻子、眷属、親戚、奴婢から無理に財物を奪い取り、彼らを貧窮させて施すべきではありません。なぜなら、菩薩摩訶薩は一切の衆生に対して平等の慈心を行おうとするからです。もし菩薩摩訶薩が父母や妻子、眷属、親戚、奴婢から財物を強いて取り、施しに用いなければ、菩薩はその時、衆生に対して慈悲心を得るのです。善男子よ、菩薩は他の衆生に対して慳貪の心を持つべきではなく、他の衆生から財を強いて取り施すことは、諸仏世尊も称賛されません。ましてや自らの四肢を切り取って他人に施すことなど、なおさらです。これを菩薩が檀波羅蜜を具足するというのです。

「善臂！云何菩薩摩訶薩具足尸波羅蜜？善臂！是菩薩於一切眾生，乃至盡形，自不殺生、教他不殺、願不殺生。自不偷盜、教人不偷盜、願不偷盜。自不邪婬、教人不邪婬、願不邪婬。自不妄語、教人不妄語、願不妄語。乃至盡形，自不飲酒、教人不飲酒、願不飲酒。是菩薩於此五戒中常堅持專念，不緩不缺勤加精進。如是恐怖他人、繫縛囚執鞭杖刑戮，於此事中永斷遠離，及兩舌、惡口、妄語、綺語亦復如是。是菩薩如是思惟：『我應於一切眾生生愛念心，猶如父母愛念一子。若我父母以種種苦事弓箭刀杖加害於我，我於是中終不生報。我於一切眾生應如父母愛念一子。』譬如父母妻子別離既久，一旦相見其心歡喜踊躍無量。如是菩薩見一切眾生，其心歡喜亦復如是。是菩薩持不殺戒，欲令眾生得住無學不殺戒故。是菩薩持不盜戒，欲令眾生得住無學不盜戒故。是菩薩持不邪婬戒，欲令眾生得住無學不婬戒故。是菩薩持不妄語戒，欲令眾生得住無學實語戒故。是菩薩持不飲酒戒，欲令眾生得住無學不飲酒戒故。是菩薩持不恐怖戒，為得成就金剛定故。是菩薩持不繫縛戒，欲令一切眾生斷結使縛故。是菩薩持不囚執戒，欲令眾生出五道故。是菩薩持不鞭杖戒，為欲遠離諸魔結使留難得法定故。是菩薩持不刑戮戒，為令身口意得不護業故。是菩薩持不兩舌戒，為得不壞和合眾故。是菩薩持不惡口戒，為得五種梵音聲故。是菩薩持不綺語戒，為得發言說法無障礙故。是菩薩持求畏死眾生戒，欲令一切眾生脫生老病死憂愁悲惱恐怖斷故。是菩薩愛護他物不令漏失戒，為得無上菩提覺定故。有他眾生婦女妻子或被拘錄，爾時菩薩於中救脫，為得不缺法定故。是菩薩若勸他令放，為得心自在故。是菩薩若自放或勸他令放，為坐菩提樹下破壞一切魔結使故。是菩薩若見繫獄眾生，若自放若勸他令放，為得心自在無障礙故。是菩薩若見眾生當得鞭杖，若自放若勸他令放，為得四無所畏故。是菩薩若見眾生當被刑戮，若自放若勸他令放，為得四種法身故。是菩薩持不誑戒，為坐菩提樹下師子座處，一切魔結使不能留難，得法定故。是菩薩善和鬪諍專生歡喜，為得不壞大聖眾故。是菩薩持愛語戒，欲令一切眾生耳聞好語心得歡喜樂故。是菩薩隨愛語說，欲令言不虛故。是菩薩持讀佛文詞戒，為得聖人威德成就大眾故。是菩薩受持於三時中五體歸命一切世間在在處處過去未來現在無量無邊諸佛法僧菩薩戒，為得菩提樹下師子座處不可破壞，專住信精進念定慧，得法定故。是菩薩受持於三時中掃灑遶塔戒，為得具足一切佛法故。是菩薩持讚法戒，為得轉於無上法輪故。是菩薩持讚僧戒，為得大眾圍遶故。是菩薩持三時歸依三寶戒，欲令一切眾生得無上歸依故。是菩薩受持於三時中願使一切世間常有佛法僧菩薩不空者戒，為得無上菩提樂故。是菩薩受持於三時中勸請一切諸佛一切說法戒，為得十住雨法雨故。是菩薩受持於三時中懺悔諸罪捨出諸惡穢污戒，為得斷滅一切愛習氣故。是菩薩受持於三時中和合一切善根戒，為令一切波羅蜜滿足故。是菩薩受持於三時中念一切世間在在處處過去未來現在諸佛聲聞緣覺聖眾菩薩下至六趣眾生所有善根願戒，為得無上菩提資用故。是菩薩受持於三時中願求菩提戒，為得無上菩提正決定故。是菩薩於三時中受持一切善根無上道戒，為得畢定如來力無所畏故。是菩薩受持供給父母師長戒，為得無勝法定故。是菩薩若見恐畏貧窮之人，受持不恐怖供施戒，為得無破壞難論方便故。是菩薩受持救護縣官盜賊水火戒，為得諸力波羅蜜故。是菩薩若見佛緣覺聲聞菩薩神足變化隨而持戒，為得無上神足力故。是菩薩受持護他心身口意業戒，為得如來無量知他心力故。是菩薩若見放逸失念者，所謂失現在未來三乘義者，願起念持不失故。是菩薩持聽法集法說法戒，為得具足四無礙辯故。是菩薩持一切身口意業善根攝受奉行，欲令一切眾生得度得解脫，為得一切智具足一切佛法故。如是善根，願為一切眾生受行，為令眾生得解脫、得一切智，具足一切佛法故。如是持戒不缺不破不荒。若無力勢能修學者，是菩薩應如是思惟：『今我當勤加精進，時時漸漸遠離殺害諸不善法。我復倍加精進，時時漸漸善學持戒令增長滿足，乃至生有終不懈怠、不生憂愁。』善臂！如是菩薩摩訶薩發起菩提心、念菩提心、修菩提道、悕望菩提、願求菩提，是名無量無邊持戒善根。何以故？如此持戒，一切善戒中最勝第一。受持是戒，欲令一切世間所有眾生發起無漏戒、發起無學戒，生無漏戒、生無學戒。善臂！如是菩薩摩訶薩於此持戒，不以為難、以為喜樂，速疾具足尸波羅蜜。

> 善き腕よ。菩薩摩訶薩がどのようにして尸波羅蜜（戒律の完成）を具足するのかを説こう。 善き腕よ。この菩薩は、一切の衆生に対して、命ある限り、自ら殺生せず、他に殺生を教えず、殺生を願わない。自ら盗まず、他に盗みを教えず、盗みを願わない。自ら邪淫せず、他に邪淫を教えず、邪淫を願わない。自ら妄語を言わず、他に妄語を教えず、妄語を願わない。命ある限り、自ら酒を飲まず、他に酒を飲むことを教えず、酒を飲むことを願わない。この菩薩は、この五戒において常に堅持し、専心に念じ、緩むことなく、欠けることなく、勤めて精進を加える。 このように、他人を恐怖させたり、縛り囚えたり、鞭打ち刑罰を加えたりすることを、永遠に断ち遠ざける。また、両舌、悪口、妄語、綺語についても同様である。 この菩薩はこのように思惟する。『私は一切の衆生に対して、慈愛の心を抱くべきである。ちょうど父母が一人の子を慈しむように。たとえ私の父母が、様々な苦しみ、弓矢や刀杖をもって私を害したとしても、私はそれに対して決して報復の心を起こさない。私は一切の衆生に対して、父母が一人の子を慈しむようであらねばならない。』 譬えば、父母や妻子が長く別れた後、一度に再会すれば、その心は喜び躍り、量り知れないほどである。このように、菩薩が一切の衆生を見るとき、その心の喜びもまた同様である。 この菩薩は不殺戒を持ち、衆生が無学（煩悩を断じ尽くした境地）の不殺戒に安住できるようにと願う。この菩薩は不盗戒を持ち、衆生が無学の不盗戒に安住できるようにと願う。この菩薩は不邪淫戒を持ち、衆生が無学の不淫戒に安住できるようにと願う。この菩薩は不妄語戒を持ち、衆生が無学の実語戒に安住できるようにと願う。この菩薩は不飲酒戒を持ち、衆生が無学の不飲酒戒に安住できるようにと願う。 この菩薩は不恐怖戒を持ち、金剛の定（揺るぎない禅定）を得んがためである。この菩薩は不縛戒を持ち、一切の衆生が結使（煩悩の束縛）の縛を断つことができるようにと願う。この菩薩は不囚執戒を持ち、衆生が五道（輪廻の世界）から出られるようにと願う。この菩薩は不鞭杖戒を持ち、諸魔の結使の留難（妨害）を遠ざけ、法の定を得んがためである。この菩薩は不刑戮戒を持ち、身口意の護らねばならぬ業（行為）から離れることができるようにと願う。この菩薩は不両舌戒を持ち、和合した僧伽を壊さずに済むようにと願う。この菩薩は不悪口戒を持ち、五種の梵音（清浄な声）を得んがためである。この菩薩は不綺語戒を持ち、発言や説法に障礙がないようにと願う。 この菩薩は、死を恐れる衆生を求め救う戒を持ち、一切の衆生が生老病死の憂愁悲悩恐怖から断ち離れ、解脱できるようにと願う。この菩薩は、他者の物を愛護して漏失させない戒を持ち、無上の菩提覚定を得んがためである。他の衆生の婦女や妻子が捕らえられたとき、この菩薩はその中にあって救い出し、法の定に欠けることなからんがためである。この菩薩がもし他を勧めて放免させれば、心の自在を得んがためである。この菩薩がもし自ら放免し、または他を勧めて放免させれば、菩提樹の下に坐して一切の魔の結使を破壊せんがためである。この菩薩がもし獄に繋がれた衆生を見て、自ら放免し、または他を勧めて放免させれば、心の自在と障礙なきを得んがためである。この菩薩がもし鞭打たれんとする衆生を見て、自ら放免し、または他を勧めて放免させれば、四無所畏を得んがためである。この菩薩がもし刑戮されんとする衆生を見て、自ら放免し、または他を勧めて放免させれば、四種の法身を得んがためである。 この菩薩は不誑戒を持ち、菩提樹の下の師子座に坐して、一切の魔の結使が留難することができず、法の定を得んがためである。この菩薩は闘諍を善く和らげ、専ら歓喜を生ぜしめ、大聖衆（偉大な僧伽）を壊さずに済むようにと願う。この菩薩は愛語戒を持ち、一切の衆生が耳に良い言葉を聞き、心に歓喜と楽しみを得られるようにと願う。この菩薩は愛語に随って説き、言葉が虚しくならぬようにと願う。この菩薩は仏の文詞を読誦する戒を持ち、聖人の威徳を成就し、大衆を得んがためである。 この菩薩は、三時（朝昼晩）の中において、五体を地に投じて帰命し、一切の世間の在在処処にいる過去未来現在の無量無辺の諸仏・法・僧・菩薩に対する戒を受持する。それは、菩提樹の下の師子座の処が壊されることなく、専ら信・精進・念・定・慧に住し、法の定を得んがためである。この菩薩は、三時の中において塔を掃洒し、繞る戒を受持する。それは、一切の仏法を具足せんがためである。この菩薩は法を讃える戒を持ち、無上の法輪を転ぜんがためである。この菩薩は僧を讃える戒を持ち、大衆に囲繞せられんがためである。この菩薩は三時に三宝に帰依する戒を持ち、一切の衆生が無上の帰依を得られるようにと願う。この菩薩は、三時の中において、一切の世間に常に仏・法・僧・菩薩が空しくならぬようにと願う戒を受持する。それは、無上の菩提の楽しみを得んがためである。 この菩薩は、三時の中において、一切の諸仏、一切の説法を勧請する戒を受持する。それは、十住（菩薩の十地）の法雨を降らせんがためである。この菩薩は、三時の中において、諸々の罪を懺悔し、諸々の悪しき穢污を捨て出す戒を受持する。それは、一切の愛の習気を断滅せんがためである。この菩薩は、三時の中において、一切の善根を和合する戒を受持する。それは、一切の波羅蜜を満足せしめんがためである。この菩薩は、三時の中において、一切の世間の在在処処にいる過去未来現在の諸仏・声聞・縁覚・聖衆・菩薩から下は六趣の衆生に至るまでの、所有する善根を念じ願う戒を受持する。それは、無上の菩提の資用（材料・糧）を得んがためである。この菩薩は、三時の中において菩提を願い求める戒を受持する。それは、無上の菩提の正しい決定を得んがためである。この菩薩は、三時の中において一切の善根の無上道の戒を受持する。それは、必ず如来の十力・四無所畏を得んがためである。 この菩薩は父母師長を供給する戒を受持する。それは、無勝（比類なき）の法の定を得んがためである。この菩薩がもし恐怖し貧窮する人を見れば、恐怖させずに供施する戒を受持する。それは、壊されることなき難論（議論に窮しない）の方便を得んがためである。この菩薩は、県官・盗賊・水火から救護する戒を受持する。それは、諸力波羅蜜を得んがためである。この菩薩がもし仏・縁覚・声聞・菩薩の神足変化を見れば、それに随って戒を持する。それは、無上の神足力を得んがためである。この菩薩は、他者の心身口意の業を護る戒を受持する。それは、如来の無量の他心力を知り得んがためである。この菩薩がもし放逸して失念する者を見れば、すなわち現在未来の三乗の義を失う者を見れば、念を起こして持し失わぬようにと願う。この菩薩は法を聴き、法を集め、法を説く戒を持ち、四無礙辯を具足せんがためである。 この菩薩は、一切の身口意の業の善根を摂受し奉行し、一切の衆生が度され解脱を得られるようにと願い、一切智を具足し一切の仏法を得んがためである。このような善根を、一切の衆生のために受けて行い、衆生が解脱を得、一切智を得、一切の仏法を具足するようにと願う。このように戒を持ち、欠けることなく、破れることなく、荒むことなくする。 もし力勢なくして修学することができなければ、この菩薩はこのように思惟すべきである。『今、私は勤めて精進を加え、時々刻々と、殺害などの不善の法を遠ざけていこう。私はさらに倍加して精進し、時々刻々と、善く戒を持って学び、それを増長させ満足させ、命ある限り懈怠することなく、憂愁を生じさせないようにしよう。』 善き腕よ。このように菩薩摩訶薩が菩提心を発起し、菩提心を念じ、菩提道を修め、菩提を希求し、菩提を願い求めることを、無量無辺の持戒善根と名づける。なぜならば、このような持戒は、一切の善い戒の中で最も勝れた第一のものだからである。この戒を受持するのは、一切の世間のすべての衆生が無漏の戒を発起し、無学の戒を発起し、無漏の戒を生じ、無学の戒を生じるようにと願うからである。 善き腕よ。このように菩薩摩訶薩は、この持戒を難事と思わず、喜びと楽しみとし、速やかに尸波羅蜜を具足するのである。

「善臂！云何菩薩摩訶薩具足羼提波羅蜜？是菩薩若自眷屬若他眾生來奪菩薩命者，菩薩爾時於此事中，終不生於瞋報之心。或有他人來奪菩薩財物乃至妻子，若說兩舌惡口妄言綺語，若有恐怖繫縛囚執鞭杖刑戮，以種種苦加於菩薩。菩薩爾時亦復不生還報之心。若奪命根及一切物乃至妻子，若說兩舌惡口妄言綺語、恐怖繫縛囚執鞭杖刑戮，是菩薩思惟如是諸事，是我惡行不善業報自作自受，或過去世，或現在世，若先作已今受果報。我今云何於自果報而瞋於他？復次善臂！菩薩如是思惟：『若有他人奪我命根及諸財物乃至妻子，若說兩舌惡口妄言綺語，若有恐怖繫縛囚執鞭杖刑戮，我於此中不應瞋害加他繫縛冤家。何以故？我今現世受少苦惱尚不愛憙不可適意，云何生瞋加害於他，於當來世受諸罪報，無量無邊百千萬億苦惱甚多，不喜不愛不可適意諸果報也。』

> 善き腕よ、いかにして菩薩摩訶薩は羼提波羅蜜を具足するのか。この菩薩は、もし自らの眷属や他の衆生が菩薩の命を奪おうとしても、菩薩はこの事において、決して怒りの報いの心を生じない。あるいは他の者が菩薩の財物、さらには妻子までも奪おうとし、もし両舌・悪口・妄言・綺語を語り、もし恐怖・縛り・囚われ・鞭打ち・刑罰・殺害など、さまざまな苦しみを菩薩に加えようとしても、菩薩はその時、やはり返して報いる心を生じない。もし命の根元や一切の物、さらには妻子を奪われ、もし両舌・悪口・妄言・綺語を語られ、恐怖・縛り・囚われ・鞭打ち・刑罰・殺害を受けても、この菩薩はこうした諸々の事柄を思惟する。これらは私の悪しき行い、不善な業の報いであり、自ら作り自ら受けているのだ。あるいは過去世に、あるいは現在世に、もし先に作った業があれば、今その果報を受けているのである。私はどうして自らの果報に対して、他者に怒りを抱くことがあろうか。 さらに、善き腕よ、菩薩はこのように思惟する。もし他の者が私の命の根元や諸々の財物、さらには妻子を奪い、もし両舌・悪口・妄言・綺語を語り、もし恐怖・縛り・囚われ・鞭打ち・刑罰・殺害を加えようとしても、私はこの中で、彼らに怒りや害を加え、縛り、怨みを抱くべきではない。なぜなら、私は今の現世でわずかな苦悩を受けるだけでさえ、喜び愛することもできず、心に適うこともない。どうして怒りを生じて他者に害を加え、未来世において諸々の罪の報いを受け、無量無辺、百千万億の苦悩が甚だ多く、喜びも愛しみもできず、心に適わない諸々の果報を受けることがあろうか。

「復次善臂！菩薩如是思惟：『有命根故斷截命根，有財物故剋奪財物，有妻子故奪其妻子，有耳根故聞兩舌惡口妄言綺語，有此身故有恐怖繫縛囚執鞭杖刑戮。今我自受命根耳根身受苦入，云何以瞋加害於他？』復次善臂！菩薩摩訶薩如是思惟：『眼根即是地大、即是自物、即是法界、即是自性。濕性水、熱性火、動性風，即是己物、即是法界、即是自性。如是一切命，即是壞法、滅法、盡法。如是一切諸根，是苦法、是苦觸法、是受苦法。一切身即是苦法、是苦觸法、是受苦法，即是己物、即是法界、即是己性。我今此命，即是壞法、滅法、盡法、苦法，此六根即是苦觸法、即是惡觸觸。我今云何自於此命壞法滅法盡法，而生瞋恚侵害於他、繫縛冤家？何以故？即是己物、即是法界、即是自性。』復次善臂！菩薩摩訶薩如是思惟：『內眼耳鼻舌身意，非我非我所；外眼耳鼻舌身意，亦非我非我所。云何明智之人，於此六根非我非我所中莊嚴愛著，生於瞋恚加害他人？』復次善臂！菩薩摩訶薩如是思惟：『人中苦少、餓鬼苦多，畜生中苦轉復增多，地獄苦惱無量無邊不可計倍。人中少苦尚不欲受，何況於未來世中受三惡道無量苦惱？是故我今不應生瞋加害於他。』復次善臂！菩薩摩訶薩如是思惟：『我今若能利益一人，尚不應瞋、加害於他、繫縛冤家。何況我當以甚深法義利益一切世間無量眾生發大莊嚴，大莊嚴已得受記別趣於大乘而得具足無上佛法。是佛法中，不應不忍侵害於他、憎嫉鬪訟，此中應行忍辱利益於他，善和鬪訟不懷嫉妬。』善臂！若有善男子善女人乃至阿鼻地獄受諸苦痛，於冤家許尚不應生瞋加害侵毀，何況人中受少苦惱當生瞋害於他？是善男子善女人為他所瞋，罵詈訶責、誹謗輕毀、稱揚惡名，如是諸惡悉應忍之，起慈悲心純淨無垢，欲得如來心故。是菩薩受諸鞭杖恐怖繫縛囚執，於此事中悉應忍之起慈悲心，為於一念中間破一切無明闇障㲉故。是菩薩受行忍辱慈悲心，欲令一切眾生斷愛恚故。若割耳時亦行忍辱起慈悲心，欲令一切眾生聞法信故。若割鼻時亦行忍辱起慈悲心，為受端嚴無上持戒香故。若截足時亦行忍辱起慈悲心，為得如來四神足故。若截手時亦行忍辱起慈悲心，為欲攝取一切眾生得寂靜故。若分解支節時亦行忍辱起慈悲心，為令具足六波羅蜜故。若挑眼時亦行忍辱起慈悲心，為得慧眼故。若斬首時亦行忍辱起慈悲心，為得如來一切智首故。是菩薩如是忍辱趣向思惟，願令一切眾生得度得解脫，為得一切智具足一切佛法故。如是忍辱。我今趣向思惟已，願令一切眾生得度得解脫，為得一切智具足佛法故。如是忍辱，不破不缺不荒，若無力勢不能學者，是時菩薩應如是思惟：『我今當勤加精進，時時漸漸遠離斷滅不忍之法。今我勤加精進，時時漸漸勤學忍辱，令此忍辱增廣具足，乃至生有終不懈怠不生憂愁。』如是菩薩摩訶薩發菩提心、念菩提心、修菩提心，悕望菩提、願求菩提，是菩薩發起正行如是等無量無邊阿僧祇善忍，欲令一切世間所有眾生，發起無漏忍辱、發起無學忍辱，生無漏忍辱、生無學忍辱。善臂！如是菩薩摩訶薩行於忍辱，不以為難、以為喜樂，速疾具足羼提波羅蜜。

> さらに善き腕よ、菩薩はこのように思惟する。 「命があるからこそ命を断ち切り、財物があるからこそ財物を奪い取り、妻子があるからこそ妻子を奪い、耳があるからこそ二舌・悪口・妄言・綺語を聞き、この身があるからこそ恐怖・縛り・囚われ・鞭打ち・刑罰がある。 今、私は自ら命と耳と身を受け、苦しみを感じているのに、どうして怒りをもって他者を害することができようか」 さらに善き腕よ、菩薩摩訶薩はこのように思惟する。 「眼根は地大であり、自らのものであり、法界であり、自性である。 湿潤性は水であり、熱性は火であり、動性は風であり、これらは自らのものであり、法界であり、自性である。 このように一切の命は、壊れる法であり、滅びる法であり、尽きる法である。 このように一切の諸根は、苦の法であり、苦に触れる法であり、苦を受ける法である。 一切の身は苦の法であり、苦に触れる法であり、苦を受ける法であり、自らのものであり、法界であり、自性である。 今、私のこの命は、壊れる法であり、滅びる法であり、尽きる法であり、苦の法である。 この六根は、苦に触れる法であり、悪しき触れである。 私はどうして、自らのこの壊れ滅び尽きる命に怒りを生じ、他者を害し、怨みを縛ることができようか。 なぜなら、それは自らのものであり、法界であり、自性であるからだ」 さらに善き腕よ、菩薩摩訶薩はこのように思惟する。 「内なる眼・耳・鼻・舌・身・意は、我でもなく我のものでもない。 外なる眼・耳・鼻・舌・身・意も、我でもなく我のものでもない。 どうして明智なる人が、この六根が我でもなく我のものでもないものに執着し、愛着し、怒りを生じて他者を害することができようか」 さらに善き腕よ、菩薩摩訶薩はこのように思惟する。 「人間界の苦は少なく、餓鬼の苦は多く、畜生の苦はさらに多く、地獄の苦悩は無量無辺で計り知れない倍である。 人間の少ない苦ですら受けたいとは思わないのに、まして未来世において三悪道の無量の苦悩を受けることがあろうか。 それゆえ、私は今、怒りを生じて他者を害してはならない」 さらに善き腕よ、菩薩摩訶薩はこのように思惟する。 「私は今、たとえ一人を利益することができたとしても、怒って他者を害し、怨みを縛ってはならない。 まして、私は深遠な法義をもって一切世間の無量の衆生を利益し、大いなる荘厳を発し、大いなる荘厳を得て授記を受け、大乗に向かい、無上の仏法を具足しようとしている。 この仏法の中では、他者を害し、憎み嫉み争うことを許さず、忍辱を行い他者を利益し、争いを和らげ嫉妬を抱かないべきである」 善き腕よ、もし善男子・善女人がたとえ阿鼻地獄で諸々の苦痛を受けても、怨みに対して怒りを生じ害し侵すべきではない。 まして人間界でわずかな苦悩を受けて、怒りを生じて他者を害することがあろうか。 この善男子・善女人は他者から怒られ、罵られ、責められ、誹謗され、軽んじられ、悪名を立てられても、このような諸々の悪をすべて忍び、慈悲の心を起こし、純粋で汚れなく、如来の心を得ようとする。 この菩薩は諸々の鞭打ち・恐怖・縛り・囚われを受けても、このようなことすべてを忍び、慈悲の心を起こす。 一瞬の間に一切の無明の暗闇の殻を破るためである。 この菩薩は忍辱と慈悲の心を行じ、一切の衆生が愛と怒りを断つことを願う。 耳を切られる時も忍辱を行い慈悲の心を起こし、一切の衆生が法を聞き信じることを願う。 鼻を切られる時も忍辱を行い慈悲の心を起こし、端正で無上の持戒の香りを受けるためである。 足を切られる時も忍辱を行い慈悲の心を起こし、如来の四神足を得るためである。 手を切られる時も忍辱を行い慈悲の心を起こし、一切の衆生を摂取し寂静を得るためである。 四肢を分解される時も忍辱を行い慈悲の心を起こし、六波羅蜜を具足するためである。 目をえぐられる時も忍辱を行い慈悲の心を起こし、慧眼を得るためである。 首を斬られる時も忍辱を行い慈悲の心を起こし、如来の一切智の首を得るためである。 この菩薩はこのように忍辱に向かって思惟し、一切の衆生が度され解脱することを願い、一切智を得て一切の仏法を具足するためである。 このように忍辱する。 私は今、向かって思惟し終え、一切の衆生が度され解脱することを願い、一切智を得て仏法を具足するためである。 このように忍辱は、破られず、欠けず、荒れ果てない。 もし力がなく学ぶことができないなら、その時、菩薩はこのように思惟すべきである。 「私は今、勤めて精進を加え、時々に少しずつ不忍の法を遠ざけ断滅させる。 今、私は勤めて精進を加え、時々に少しずつ忍辱を学び、この忍辱を増やし広げ具足させ、生がある限り怠らず憂いを生じないようにする」と。 このように菩薩摩訶薩は菩提心を発し、菩提心を念じ、菩提心を修め、菩提を望み、菩提を願い求める。 この菩薩は正しい行いを起こし、このような無量無辺の阿僧祇の善き忍辱を行い、一切世間のすべての衆生が、無漏の忍辱を起こし、無学の忍辱を起こし、無漏の忍辱を生じ、無学の忍辱を生じることを願う。 善き腕よ、このように菩薩摩訶薩は忍辱を行じ、難事と思わず喜びとし、速やかに羼提波羅蜜を具足する。

「善臂！云何菩薩摩訶薩具足毘梨耶波羅蜜？善臂！是菩薩應如是思惟：『今此十方，一一方面有無量世界，一一世界有無量無邊眾生集聚，無有邊際。我今當發莊嚴，令此眾生得大利益亦令得樂。復次觀知無量眾生利益快樂所緣之法故、發起善根法故，我於無量晝夜，若心放逸、或生餘念、若睡眠時，常念念中增益福德，於一一念中發起無量無邊善根菩提資用。我今當知一一念中發起增益無量善根故，成阿耨多羅三藐三菩提則不為難。今我以此緣故，我見菩薩甚為易得，是故欲得無上道者，乃至盡形不應懈怠。』復次善臂！菩薩摩訶薩如是思惟：『若菩薩於無量無邊世界眾生中，能令一世界眾生得離一切諸苦者，我尚於一一念中發起增益無量善根，何況乃令無量無邊世界眾生遠離斷除生老病死、恩愛別離、冤憎集會、三惡道苦。』復次善臂！菩薩摩訶薩如是思惟：『若菩薩摩訶薩於一念中，欲令無量無邊世界所有眾生遠離斷除一切諸苦者，此菩薩亦於一念之中得發起增益無量善根，況當欲令未來無量無邊阿僧祇劫，無量無邊世界眾生遠離斷除生老病死、恩愛別離、冤憎集會、三惡道苦。』復次善臂！菩薩摩訶薩應如是思惟：『若有人欲得聲聞緣覺法，是人尚得於一一念中發起增益無量無邊善根，何況有善男子善女人欲成就具足佛法無量無邊威德力勢者。善男子善女人四因四緣四境界，於晝夜中若心放逸、或生餘念、若睡眠時，於一一念中修集四無量無邊善根，發起增益菩提資用。我今當知，一一念中發起增益四無量善根，成阿耨多羅三藐三菩提則不為難。以是緣故，我見菩提甚為易得。是故欲得菩提道者，乃至盡形不應懈怠。譬如四大海，若南若北若上若下易得邊際，如是四無量善根大海，菩提資用難得其邊。我今何故不於一一念中發起增益四無量善根大海菩提資用？是故欲成無上道者，乃至盡形不應懈怠。』復次善臂！菩薩摩訶薩如是思惟：『若有師子狐狼、鷲鵲烏鳥、蚊虻蠅蚤，如是等類尚得無上道已，況我今者生於人中而應懈怠？是故欲成無上道者，乃至盡形不應懈怠。』復次善臂！菩薩摩訶薩如是思惟：『乃至百人千人猶尚得成無上道已，而我今者獨不得成。況復十方如恒河沙等現在未來諸佛世尊，已成當成，是故我今乃至盡形不應懈怠。』是菩薩復應如是思惟：『若有法是佛所說、若聲聞說、若菩薩說，乃至狂愚人為佛故說，所謂檀波羅蜜、尸波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禪波羅蜜、般若波羅蜜。是菩薩為具足佛法，欲成無上道、欲得一切智，於此法中勤加精進如救頭然，學持通利，思惟分別為他解說，智慧精進一心思惟。』是菩薩若一切眾生有說法之處，乃至刀杖之難，要至其所聽其所說。或有眾生修樂報業，若現世樂、若後世樂，菩薩爾時即以善法妙義如法佐助，於此善法亦復勤加精進。是菩薩自以己身施於眾生，令得自在。譬如四大，一切眾生於中自在隨所須用。菩薩摩訶薩以身施人令他自在，亦復如是。智慧精進乃至刀杖之難，常於佛法僧中，及諸師長、羸老病苦、貧窮無護，增益供養恭敬，使令勤加精進如救頭然。隨眾生心，布施、愛語、利益、同事，隨所攝之，欲得聲聞乘者，調伏安置於聲聞乘；欲得緣覺乘者，調伏安置於緣覺乘；欲得菩薩乘者，調伏安置於菩薩乘；智慧精進如救頭然。是菩薩為善法故、六波羅蜜因緣故，不計寒熱飢渴、蚊虻毒螫、風飄日曝、惡觸誹謗罵詈，種種苦惱疲極睡眠，於此事中乃至盡形終不憶念，智慧精進如救頭然，乃至刀杖之難亦不懈怠。是菩薩為無上道因緣故，能受種種苦，所謂阿修羅、人、三惡道苦，不以為難，智慧精進如救頭然。是菩薩牢強精進意勇堅固，欲出於世成佛無上精進之力。是菩薩欲得毘梨耶波羅蜜、趣向毘梨耶波羅蜜，願令眾生得度得解脫故，為得一切智具足一切佛法故。我今趣向毘梨耶波羅蜜已，願令眾生得度得解脫故，為得知一切智具足一切佛法故，如是精進，不破不缺不荒。若無力勢不能具足學者，是菩薩如是思惟：『我今當勤加精進，時時漸漸斷除懈怠嬾惰。復當勤加精進，時時漸漸善學精進，令此精進增廣具足，乃至生有終不懈怠不生憂愁。』如是菩薩發起菩提心、念菩提心，修菩提心、悕望菩提，是名無量無邊阿僧祇善精進波羅蜜。何以故？如是精進，於餘善法精進中最勝第一。欲令一切世間在在處處所有眾生，發起無漏精進、發起無學精進，生無漏精進、生無學精進。善臂！如是菩薩摩訶薩行於精進，不以為難、以為喜樂，速疾具足毘梨耶波羅蜜。

> 「善き臂よ、菩薩摩訶薩が如何にして精進波羅蜜を具足するかについて述べよう。善き臂よ、菩薩はこのように考えるべきである。『今、十方のあらゆる方角には無量の世界があり、それぞれの世界には無量無辺の衆生が集まっている。その数は際限がない。私は今、これらの衆生が大いなる利益と安楽を得られるよう、自らを荘厽し、発心しよう。さらに、無量の衆生が利益と安楽を得るための縁となる法を観じ、善根の法を起こすゆえに、私は無量の昼夜において、もし心が放逸したり、余念が生じたり、眠っている時でさえ、常に一瞬一瞬の念の中で福徳を増し、一瞬一瞬の念の中で無量無辺の善根と菩提の資糧を起こす。私は今、一瞬一瞬の念の中で無量の善根を起こし増すゆえに、阿耨多羅三藐三菩提を成じることは難しくないと知る。今、私はこの縁故によって、菩薩の道は甚だ得やすいと見る。それゆえ、無上の道を得ようとする者は、命ある限り懈怠してはならない。』 さらに善き臂よ、菩薩摩訶薩はこのように考える。『もし菩薩が無量無辺の世界の衆生の中にあって、一つの世界の衆生を一切の苦から離れさせることができるならば、私はなお一瞬一瞬の念の中で無量の善根を起こし増すであろう。ましてや、無量無辺の世界の衆生を生老病死、愛する者との別離、怨み憎む者との出会い、三悪道の苦から遠く離れ断ち除かせることなど、なおさらである。』 さらに善き臂よ、菩薩摩訶薩はこのように考える。『もし菩薩摩訶薩が一瞬の念の中で、無量無辺の世界のすべての衆生を一切の苦から遠く離れ断ち除かせようと欲するならば、この菩薩もまた一瞬の念の中で無量の善根を起こし増すことができる。ましてや、未来の無量無辺の阿僧祇劫にわたって、無量無辺の世界の衆生を生老病死、愛する者との別離、怨み憎む者との出会い、三悪道の苦から遠く離れ断ち除かせようと欲することなど、なおさらである。』 さらに善き臂よ、菩薩摩訶薩はこのように考えるべきである。『もし人が声聞や縁覚の法を得ようとするならば、その人はなお一瞬一瞬の念の中で無量無辺の善根を起こし増すことができる。ましてや、善男子・善女人が仏法の無量無辺の威徳力勢を成就具足しようと欲するならば、なおさらである。善男子・善女人は四つの因、四つの縁、四つの境界によって、昼夜の中で心が放逸したり、余念が生じたり、眠っている時でさえ、一瞬一瞬の念の中で四つの無量無辺の善根を修集し、菩提の資糧を起こし増す。私は今、一瞬一瞬の念の中で四つの無量の善根を起こし増すゆえに、阿耨多羅三藐三菩提を成じることは難しくないと知る。この縁故によって、私は菩提が甚だ得やすいと見る。それゆえ、菩提の道を得ようとする者は、命ある限り懈怠してはならない。譬えば四大海は、南であれ北であれ上であれ下であれ、その果てを得るのは易しい。しかし、この四無量の善根の大海、菩提の資糧は、その果てを得るのは難しい。私はどうして一瞬一瞬の念の中で、四無量の善根の大海、菩提の資糧を起こし増さないことがあろうか。それゆえ、無上の道を成じようとする者は、命ある限り懈怠してはならない。』 さらに善き臂よ、菩薩摩訶薩はこのように考える。『もし獅子や狐狼、鷲や烏、蚊や虻、蠅や蚤のような類いでさえ、無上の道を得ることができるならば、ましてや私は今、人間に生まれて懈怠すべきであろうか。それゆえ、無上の道を成じようとする者は、命ある限り懈怠してはならない。』 さらに善き臂よ、菩薩摩訶薩はこのように考える。『百人、千人でさえなお無上の道を成じることができるならば、どうして私ひとりが成じることができないことがあろうか。ましてや、十方の恒河の砂の数ほどの現在未来の諸仏世尊が、既に成じ、また成じようとしている。それゆえ、私は今、命ある限り懈怠してはならない。』 この菩薩はさらにこのように考えるべきである。『もし仏の説かれた法、あるいは声聞の説く法、菩薩の説く法、あるいは狂愚の人が仏のために説く法、すなわち布施波羅蜜、持戒波羅蜜、忍辱波羅蜜、精進波羅蜜、禅定波羅蜜、智慧波羅蜜がある。この菩薩は仏法を具足し、無上の道を成じ、一切智を得ようとして、この法の中で勤めて精進し、頭が燃えるのを救うかのように、学び持ち、通達し、思惟分別し、他に解き説き、智慧をもって精進し、一心思惟する。』 この菩薩は、もし一切の衆生に説法する所があれば、たとえ刀杖の難があっても、必ずその所に至り、その説く所を聴く。あるいは衆生が楽報の業を修め、現世の楽や後世の楽を求めるならば、菩薩はその時、善法の妙義をもって如法に佐け助け、この善法に対してもまた勤めて精進する。この菩薩は自らの身を衆生に施し、彼らが自在を得られるようにする。譬えば四大のように、一切の衆生はその中で自在に、必要なものを用いる。菩薩摩訶薩が身を人に施し、他をして自在ならしめるのも、またこのようである。智慧をもって精進し、たとえ刀杖の難があっても、常に仏・法・僧の中において、および諸々の師長、弱き者、病める者、貧しく護る者のない者に対し、供養恭敬を増し、頭が燃えるのを救うかのように勤めて精進させる。衆生の心に随って、布施、愛語、利行、同事を行い、随って摂め取る。声聞乗を得ようとする者には、調伏して声聞乗に安置し、縁覚乗を得ようとする者には、調伏して縁覚乗に安置し、菩薩乗を得ようとする者には、調伏して菩薩乗に安置し、智慧をもって精進し、頭が燃えるのを救うかのようである。 この菩薩は善法のゆえに、六波羅蜜の因縁のゆえに、寒さや暑さ、飢えや渇き、蚊や虻の毒や刺し、風に吹かれ日に曝され、悪しき触れ、誹謗や罵詈、種々の苦悩や疲れ、睡眠を顧みず、この事において命ある限り終に思い起こすことなく、智慧をもって精進し、頭が燃えるのを救うかのようであり、たとえ刀杖の難があっても懈怠しない。この菩薩は無上の道の因縁のゆえに、種々の苦、すなわち阿修羅、人間、三悪道の苦を受けることができ、難しきことと思わず、智慧をもって精進し、頭が燃えるのを救うかのようである。 この菩薩は堅固な精進の意をもち、勇猛で堅固であり、世に出でて仏の無上の精進の力を成じようと欲する。この菩薩は精進波羅蜜を得ようと欲し、精進波羅蜜に向かい、衆生が度され解脱を得ることを願い、一切智を得て一切の仏法を具足することを願う。『私は今、精進波羅蜜に向かい、衆生が度され解脱を得ることを願い、一切智を得て一切の仏法を具足することを願う。このように精進し、破らず、欠けず、荒らさない。もし力勢がなく、具足して学ぶことができないならば、この菩薩はこのように考える。『私は今、勤めて精進し、時々次第に懈怠と怠惰を断ち除こう。さらに勤めて精進し、時々次第に善く精進を学び、この精進を増し広げ具足させ、命のある限り懈怠せず憂い悲しまないようにしよう。』このように菩薩は菩提心を起こし、菩提心を念じ、菩提心を修め、菩提を願い求める。これを無量無辺の阿僧祇の善き精進波羅蜜という。なぜなら、このような精進は、他の善法の精進の中で最も勝れた第一のものだからである。一切の世間のあらゆる所にいるすべての衆生が、無漏の精進を起こし、無学の精進を起こし、無漏の精進を生じ、無学の精進を生じることを願う。善き臂よ、このように菩薩摩訶薩は精進を行じ、難しきことと思わず、喜びと楽しみとし、速やかに精進波羅蜜を具足するのである。」

## 大寶積經卷第九十三

> 大宝积经卷第九十三