---
title: "大寶積經 · 28 勤授長者會"
description: "大宝积经是唐代高僧菩提流志翻译的一部重要佛教经典，属于大乘佛教宝积部核心典籍。该经汇集了早期大乘佛教的多部经典，形成于公元2-4世纪，内容涵盖菩萨修行、般若智慧、净土思想等大乘教义。菩提流志奉唐玄宗之命于8世纪完成汉译，共120卷，系统阐述了大乘佛教的修行次第与解脱之道。作为大乘佛教的重要集成经典，大宝积经在中国佛教史上具有崇高地位，对汉传佛教各宗派尤其是华严宗、净土宗的发展产生深远影响，是研究大乘佛教思想体系的关键文献。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8xmzpp14zsl404ucy3dt0e"
---

## 大寶積經卷第九十六

> 大宝积経 第九十六巻

大唐三藏法師菩提流志奉詔譯

> 大唐三蔵法師菩提流志奉詔訳

### 勤授長者會第二十八

> 長者会第二十八

如是我聞：

> 私はこのように聞きました。

一時佛在舍衛國祇樹給孤獨園，與大比丘眾千二百五十人俱，皆是阿羅漢，諸漏已盡，無復煩惱得上調伏，猶如大龍，所作已辦，棄諸重擔，逮得己利，盡諸有結。正智解脫心得自在，最上應供，眾所知識。唯有阿難，猶在學地。其名曰：阿若憍陳如、摩訶迦葉、摩訶迦旃延、摩訶阿濕波、舍利弗、大目乾連、摩訶劫賓那、摩訶拘絺羅、摩訶梵頗、羅睺羅、難陀，如是等而為上首。復有菩薩摩訶薩五百人俱，皆得三昧及陀羅尼。

> ある時、お釈迦様は舎衛国の祇園精舎におられました。そこには千二百五十人の大比丘（偉大な修行僧）たちが集まっていました。彼らは皆、阿羅漢（悟りを開いた聖者）であり、煩悩の漏れは尽き、もはや迷いの心はなく、完全に調御されていました。それはまるで偉大な龍のようです。彼らはすべきことを成し遂げ、重い荷を捨て、自らの利益を得、すべての束縛を断ち切りました。正しい智慧によって解脱し、心は自在であり、最も尊い供養を受けるにふさわしく、人々に広く知られていました。ただ阿難だけは、まだ学びの段階にありました。 その名は次の通りです：阿若憍陳如、摩訶迦葉、摩訶迦旃延、摩訶阿濕波、舎利弗、大目乾連、摩訶劫賓那、摩訶拘絺羅、摩訶梵頗、羅睺羅、難陀。このような方々が上首としておられました。 さらに、菩薩摩訶薩（偉大な菩薩）五百人も集まっていました。彼らは皆、三昧（深い禅定）と陀羅尼（真言を保つ力）を得ていました。

爾時舍衛大城有一長者名勇猛授，富有財寶倉庫盈溢，金銀琉璃、車𤦲馬碯、珊瑚虎珀、摩尼真珠、象馬牛羊、奴婢僕使商估等類，一切眾多。時勇猛授與五百長者遊讌聚會，作是議言：「諸仁者！佛出世難，人身難得，時亦難遇，於佛法中以信出家是事亦難，成比丘性亦復甚難，如法修行是亦為難，知恩報恩少恩不忘是人難得，能於佛法生信樂心是人難得，信樂成就是事復難，莊嚴佛法是事亦難，解脫生死倍復為難。我等為於聲聞辟支佛乘而求滅度，為當發趣最上佛乘。」咸復唱言：「我等寧於無上佛道而趣涅槃。」作是議已，前後圍遶出舍衛城向祇陀林，詣如來所頂禮佛足，右遶三匝却坐一面。

> その時、舎衛大城に勇猛授という名の長者がいました。彼は財宝に富み、倉庫は満ち溢れ、金銀瑠璃、車𤦲瑪瑙、珊瑚琥珀、摩尼真珠、象馬牛羊、奴婢僕使、商人など、あらゆるものが数多くありました。 ある時、勇猛授は五百人の長者たちと遊宴の集いを開き、このように話し合いました。 「皆さん、仏が世に現れることは稀であり、人間として生まれることも難しく、正しい時機に遇うことも容易ではありません。仏法の中で信仰をもって出家することもまた難しく、比丘としての性質を備えることも同様に難しい。法に従って修行することも難しく、恩を知り恩に報い、わずかな恩も忘れない人は得がたい。仏法に対して信楽の心を生じさせる人は得がたく、その信楽を成就することはさらに難しい。仏法を荘厳することも難しく、生死から解脱することはなおさら難しいことです。 我々は声聞や辟支仏の乗り物によって滅度を求めるべきか、それとも最上の仏乗に向かって発心すべきでしょうか。」 一同は声を揃えて言いました。 「我々はむしろ無上の仏道によって涅槃に至りたい。」 このように話し合った後、彼らは前後を囲んで舎衛城を出て、祇陀林に向かい、如来のもとに赴きました。そして仏足を頂礼し、右に三度回ってから一方に座りました。

爾時世尊知而故問，告長者言：「汝等何緣今來我所？」

> その時、世尊はご存知でありながら、わざと尋ねられ、長者に告げられた。「あなた方は、どうして今、私のところに来たのですか？」

時勇猛授與五百長者從座而起，偏袒右肩右膝著地，合掌向佛白言：「世尊！我等諸人同時集會作是議言：『佛世難遇，人身難得，乃至解脫生死倍復為難。我等為於聲聞辟支佛乘而求滅度，為當發趣最上佛乘。』咸作是言：『我等寧於無上佛道而趣涅槃。』由此議故，今詣如來、應、正等覺。世尊！菩薩摩訶薩志求阿耨多羅三藐三菩提者，應云何學？應云何住？云何修行？」

> その時、勇猛授と五百人の長者たちは座から立ち上がり、右肩をあらわにし、右膝を地につけ、手を合わせて仏に向かって申し上げました。 「世尊よ、私たち一同は集まってこのように話し合いました。 『仏の世に出会うことは難く、人間として生まれることも得難く、まして生死の束縛から解脱することはさらに難しい。 私たちは声聞や縁覚の乗り物によって滅度を求めるべきか、それとも最上の仏の乗り物に向かって進むべきか』と。 そして皆、こう言いました。 『私たちはどうか無上の仏道によって涅槃に至りたい』と。 この話し合いのゆえに、今、如来・応供・正等覚のもとに参りました。 世尊よ、菩薩摩訶薩が阿耨多羅三藐三菩提を志し求めるならば、どのように学ぶべきでしょうか。 どのように住すべきでしょうか。 どのように修行すべきでしょうか。」

佛言：「善哉善哉！汝等發趣阿耨多羅三藐三菩提，來詣我所。應當諦聽，善思念之。如諸菩薩應學、應住、應所修行，當為汝說。」時諸長者受教而聽。

> 仏は言われた。「善きかな、善きかな。あなたがたは阿耨多羅三藐三菩提を求め、私のもとに来てくれた。よく聞き、心に留めて考えなさい。諸菩薩が学ぶべきこと、住むべきこと、修行すべきことを、あなたがたのために説こう。」すると、長者たちは教えを受け、耳を傾けた。

佛告長者：「菩薩摩訶薩於阿耨多羅三藐三菩提勝志樂者，當於一切眾生起大悲心，應廣修行，應勤熏習。是故菩薩於身命財及以妻子、倉庫舍宅、飲食衣服、車乘臥具、花鬘塗香、一切樂具，應無所著。何以故？以諸眾生執著於身而生惡業，由惡業故墮地獄中。若於眾生起大悲心，於身命財則不執著，便生善趣。是故菩薩摩訶薩於阿耨多羅三藐三菩提勝志樂者，於諸眾生起慈悲已，應修大捨而不求報，不求報者應住戒律，三戒清淨應具忍辱，能忍諸惡應起精進不惜身命，應修一心安住禪定，應修智慧善巧方便，應於我人眾生壽命皆悉捨離。為眾生故，應行布施護持淨戒。為眾生故，應修忍辱發起精進。為眾生故，應入禪定修習智慧善巧方便。」

> 仏陀は長者に告げられた： 「菩薩摩訶薩が阿耨多羅三藐三菩提（無上正等覚）に対する優れた志と願いを持つならば、あらゆる衆生に対して大悲の心を起こし、広く修行を行い、勤めて修練を積むべきである。それゆえ、菩薩は自らの身体、寿命、財産、また妻子、倉庫や家屋、飲食や衣服、車や寝具、花飾りや塗香、あらゆる楽しみの道具に対しても、執着すべきではない。なぜなら、衆生は身体に執着して悪業を生じ、その悪業によって地獄に堕ちるからである。もし衆生に対して大悲の心を起こすならば、身体、寿命、財産に執着せず、善趣（良い生まれ）に生まれることができる。それゆえ、菩薩摩訶薩が阿耨多羅三藐三菩提に対する優れた志と願いを持つならば、衆生に対して慈悲を起こした後、大いなる施しを修め、報いを求めず、報いを求めない者は戒律を保ち、三つの戒を清浄にし、忍辱を具え、あらゆる悪を耐え忍び、精進を起こして身命を惜しまず、一心を修めて禅定に安住し、智慧と善巧方便を修め、我・人・衆生・寿命のすべてを捨て離れるべきである。衆生のために、布施を行い、清浄な戒を護持すべきである。衆生のために、忍辱を修め、精進を起こすべきである。衆生のために、禅定に入り、智慧と善巧方便を修習すべきである。」

時諸長者復白佛言：「世尊！我等於身及彼妻子一切財寶資生之具，心常愛惜。世尊！菩薩摩訶薩云何觀察，於身命財能無貪悋？」

> その時、諸々の長者たちは再び仏に申し上げました。「世尊よ、私たちは自分の身体や妻子、あらゆる財宝や生活の道具に対して、常に愛着し大切に思っております。世尊よ、菩薩摩訶薩はどのように観察すれば、自身の命や財産に執着することなく、惜しむ心を捨てることができるのでしょうか。」

爾時世尊告長者言：「善男子！菩薩摩訶薩於阿耨多羅三藐三菩提勝志樂者，應觀此身無量過患，微塵積集生住異滅，念念遷流九漏瘡門，猶如毒蛇所住窟穴，其中無主如空聚落，畢竟破壞如坏瓦瓶，惡露盈溢猶如穢器，受諸不淨猶如圊廁，不可觸動猶如惡瘡，貪美為患如雜毒食，不識恩德如未生怨，欺誤於人如惡知識，癡愛為害如友獼猴，斷智慧命猶如殺者，奪諸善法猶如劫賊，常求人便猶如怨讎，無有慈心猶如魁膾，難可承事如暴惡人，如箭著身觸之則痛，如朽腐舍常務修治，如老弱乘難可駈策，如毒蛇篋不可附近，如逆旅館疲苦所集，如孤獨舍無所攝屬，如獄卒伺害，如王者憂國，如邊城警畏，如惡國多災，如破器難持，如祠火無厭，如陽焰虛誑，如幻化惑人，如析芭蕉中無堅實，如水聚沫不可執持，如水上泡速起速滅，如河岸樹臨危動搖，如駛河流終歸死海。」

> その時、世尊は長者に告げられた。 「善男子よ、菩薩摩訶薩が阿耨多羅三藐三菩提に対する勝れた志と楽しみを持つ者は、この身を観ずるべきである。 無量の過患があり、微塵の積み重ねによって生じ、住み、異なり、滅する。 念々に移り変わり、九つの漏れ出す瘡の門のようであり、毒蛇の住む洞穴のようである。 その中に主なく、空き家の集落のようであり、畢竟して壊れるのは、壊れた瓦の瓶のようである。 悪露が満ち溢れるのは、穢れた器のようであり、諸々の不浄を受けるのは、便所のようである。 触れるべからざるは、悪い瘡のようであり、美味を貪るは禍となるのは、毒の混じった食物のようである。 恩徳を知らないのは、未だ生まれざる怨みのようであり、人を欺き誤らせるのは、悪い知識のようである。 愚かな愛着が害となるのは、猿の友のようであり、智慧の命を断つのは、殺す者のようである。 諸々の善い法を奪うのは、強盗のようであり、常に人の隙を求めるのは、怨敵のようである。 慈しみの心がないのは、死刑執行人のようであり、仕え難いのは、暴悪な人のようである。 矢が身に刺さり、触れると痛むようであり、朽ちた腐った家屋のように、常に修復を務める。 老いて弱った乗り物のように、駆り立て難く、毒蛇の箱のように、近づくべからず。 旅館の逆のように、疲れと苦しみが集まり、孤独な家屋のように、帰属するものがない。 獄卒が害を伺うようであり、王が国を憂うるようであり、辺境の城が警戒し畏れるようである。 悪い国が災い多いようであり、壊れた器が保ち難いようであり、祠の火が飽くことを知らないようである。 陽炎が虚しく欺くようであり、幻化が人を惑わすようであり、芭蕉を裂けば中に堅実なものがないようである。 水の泡の集まりのように、執持すべからず、水の上の泡のように、速く起こり速く滅する。 河岸の木が危うく揺らぐようであり、速い河の流れが終に死の海に帰するようである。」

復告長者：「次觀此身前後因緣，初從欲愛和合而生，為長養故咽於摶食，至於生藏痰陰消之。次至黃藏將欲熟時，則變為酢。次至風藏風分汁滓，各別流行成大小便，汁變為血、血變為肉，肉處生脂、脂處為骨、骨中生髓，如是身緣前後不淨。若諸菩薩作是觀時，復應思惟，如此身者三百六十骨聚所成，如朽壞舍。諸節支持，以四細脈周匝彌布，五百分肉猶若泥塗，六脈相繫、五百筋纏、七百細脈以為編絡，十六麁脈鉤帶相連，有二肉繩長三尋半於內纏結，十六腸胃繞生熟藏，二十五氣脈猶如窓隙，一百七關穴如破碎器，八萬毛孔如亂草覆，五根七竅不淨盈滿，七重皮裹六味長養，猶如祠火吞受無厭。如是之身，一切臭穢自性潰爛，誰當於此愛重憍慢？唯應觀察，如借他器、猶車運載、但為養育，至菩提故。」

> さらに長者に告げました。「次にこの身体の前後の因縁を観察しましょう。最初は欲愛の和合によって生まれ、成長するために固形の食物を飲み込み、生蔵（胃）で痰や陰気によって消化されます。次に黄蔵（小腸）に至り熟成されるとき、酸味に変わります。さらに風蔵（大腸）に至ると、風の作用で汁と滓が分かれ、それぞれ流れて大小便となり、汁は血に変わり、血は肉に変わり、肉のところに脂肪が生じ、脂肪のところが骨となり、骨の中に髄が生じます。このように身体の因縁は前後ともに清らかではありません。もし菩薩たちがこのように観察するとき、さらに次のように思惟すべきです。この身体は三百六十の骨の集まりによって成り立っており、朽ちた家のようです。諸々の関節が支えとなり、四本の細い脈が周りに広く分布し、五百分の肉は泥を塗ったかのようで、六本の脈が互いに繋がり、五百の筋が絡みつき、七百の細脈が網の目のように張り巡らされ、十六の太い脈が鉤のように連なり、二本の肉の縄が三尋半の長さで内側に絡みつき、十六の腸胃が生蔵と熟蔵を巡り、二十五の気脈は窓の隙間のようで、百七の関節の穴は壊れた器のようであり、八万の毛穴は乱れた草で覆われたようで、五根と七つの穴は不浄で満ちあふれ、七重の皮に包まれ六つの味によって養われ、まるで祠の火が飽くことなく受け入れるかのようです。このような身体は、一切が臭く穢れ、自性として腐敗するものであり、誰がこれに愛着し、驕り高ぶることができるでしょうか。ただ観察すべきは、借り物の器のように、車で運ばれるように、ただ菩提を目指して養われるためであるということです。」

爾時世尊而說偈言：

> その時、世尊は偈を説かれた。

「是身眾穢器， 猶如貯糞瓶，凡夫無智慧， 恃色生憍慢。鼻中洟恒流， 口氣常臭穢，眼眵蟲遍身， 誰當生淨想？如人執持炭， 磨瑩欲令白，假使至盡時， 體色終無變。設欲淨其身， 傾河以自洗，身盡莫能淨， 其事亦如是。」

> この身は汚れの器、まるで糞尿を貯めた瓶のよう。 凡夫は智慧なく、外見に頼って慢心を起こす。 鼻水は絶えず流れ、口の息は常に臭く穢れ、 目やには全身に虫が這うようで、誰が清浄と思えようか。 炭を握りしめ、磨いて白くしようとする人がいても、 磨き尽くしたところで、その色は決して変わらない。 たとえ大河の水を浴びて身を清めようとしても、 身が尽きるまで洗っても清らかにはならぬ、その道理は同じこと。

於時世尊說此偈已，復告五百諸長者言：「若諸菩薩發勝志樂趣於阿耨多羅三藐三菩提者，應觀此身四十四種。何等名為四十四種？一者此身可厭性無和合故，二者此身臭穢膿血常流故，三者是身不堅畢竟敗壞故，四者是身羸弱支節相持故，五者是身不淨穢惡流溢故，六者是身如幻誑惑凡愚故，七者是身瘡門九處常流故，八者是身火然欲火盛故，九者是身為火瞋火猛故，十者是身遍然癡火遍故，十一者是身盲冥貪瞋癡故，十二者是身墮網愛網覆故，十三者是身瘡聚瘡遍滿故，十四者是身不安四百四病故，十五者諸蟲住處八萬戶蟲故，十六者是身無常畢竟歸死故，十七者是身頑癡於法無知故，十八者猶如瓦器生住壞故，十九者是身逼迫多憂惱故，二十者無有救護必壞滅故，二十一者是身險惡諂誑難知故，二十二者如無底坑諸欲難滿故，二十三者如火受薪貪色無厭故，二十四者身無厭足貪受五欲故，二十五者如被捶打隨損害故，二十六者是身不定盛衰增減故，二十七者身隨心轉不正思惟故，二十八者身不知恩必棄塚間故，二十九者身為他食狐狼所噉故，三十者身如機關筋骨相持故，三十一者身不可觀膿血糞穢故，三十二者身不自由依飲食生故，三十三者身妄纏裹終敗壞故，三十四者身為惡友多逆害故，三十五者身為殺者自殘害故，三十六者身為苦器苦所逼故，三十七者身為苦聚五蘊生故，三十八者身為無主眾緣生故，三十九者是身無命離男女相故，四十者是身為空應觀蘊界處故，四十一者是身虛妄如夢中故，四十二者是身不實如幻化故，四十三者身為幻惑如陽焰故，四十四者身為欺誑如影像故。是為四十四種。菩薩作是觀時，所有身命愛欲執著，妻子舍宅飲食衣服、車乘香鬘一切樂具，皆悉厭離無所顧戀，速能成就六波羅蜜疾得阿耨多羅三藐三菩提。」

> 時に世尊はこの偈を説き終えられ、さらに五百人の長者たちに告げられた。「もし菩薩が勝れた志を起こし、阿耨多羅三藐三菩提に向かおうとするならば、この身を四十四の観点から観察すべきである。どのようなものが四十四か。 一に、この身は厭うべきものであり、和合する実体がないから。 二に、この身は臭く穢れ、膿と血が常に流れているから。 三に、この身は堅固ではなく、必ず敗壊するから。 四に、この身は弱く、四肢や関節が互いに支え合っているだけだから。 五に、この身は不浄であり、穢悪なものが流れ出るから。 六に、この身は幻のようであり、凡夫を欺くから。 七に、この身は九つの瘡門があり、常に流れ出るから。 八に、この身は火のように燃え、欲の火が盛んであるから。 九に、この身は火のようであり、瞋りの火が激しいから。 十に、この身は遍く燃え、愚痴の火が遍く行き渡っているから。 十一に、この身は盲いており、貪り・瞋り・愚痴があるから。 十二に、この身は網に堕ち、愛の網に覆われているから。 十三に、この身は瘡の集まりであり、瘡が満ちているから。 十四に、この身は安らかではなく、四百四の病があるから。 十五に、諸虫の住処であり、八万戸の虫がいるから。 十六に、この身は無常であり、必ず死に帰するから。 十七に、この身は頑なで愚かであり、法を知らないから。 十八に、瓦器のようであり、生じ、住し、壊れるから。 十九に、この身は逼迫し、多くの憂いや悩みがあるから。 二十に、救護するものなく、必ず壊滅するから。 二十一に、この身は険悪であり、諂いや欺きが多くて知り難いから。 二十二に、底なしの穴のようであり、諸欲は満たし難いから。 二十三に、薪を受ける火のようであり、色を貪って飽くことがないから。 二十四に、この身は飽くことを知らず、五欲を貪って受けるから。 二十五に、打たれるように、損害に従うから。 二十六に、この身は定まらず、盛衰や増減があるから。 二十七に、身は心に従って転じ、正しく思惟しないから。 二十八に、身は恩を知らず、必ず塚間に棄てられるから。 二十九に、身は他に食われ、狐や狼に噛まれるから。 三十に、身は機関のようであり、筋骨が互いに支え合っているから。 三十一に、身は観るに堪えず、膿血や糞尿の穢れがあるから。 三十二に、身は自由ではなく、飲食に依って生じるから。 三十三に、身は妄りに纏い包まれ、終には敗壊するから。 三十四に、身は悪友であり、多くの逆害があるから。 三十五に、身は殺す者であり、自らを残害するから。 三十六に、身は苦の器であり、苦に逼迫されるから。 三十七に、身は苦の集まりであり、五蘊から生じるから。 三十八に、身は主なく、衆縁によって生じるから。 三十九に、この身には命がなく、男女の相を離れているから。 四十に、この身は空であり、蘊・界・処を観ずべきだから。 四十一に、この身は虚妄であり、夢の中のようだから。 四十二に、この身は実体がなく、幻化のようだから。 四十三に、身は幻惑であり、陽炎のようだから。 四十四に、身は欺きであり、影像のようだから。 これが四十四種である。菩薩がこのように観察する時、すべての身体や命への愛欲や執着、妻子や家屋、飲食や衣服、車乗や香華など一切の楽しみの具に対して、ことごとく厭離し、顧みることも恋い慕うこともなくなる。そして速やかに六波羅蜜を成就し、疾く阿耨多羅三藐三菩提を得ることができるのである。」

爾時世尊而說偈言：

> その時、世尊は偈を説かれました。

「善得人身甚為難， 莫為此身造眾惡，畢竟塚間餧狐狼， 勿為惡見生貪愛。凡愚迷惑癡狂故， 由愛此身造諸業，此身亦復不知恩， 晝夜唯增眾苦緣。機關動轉常疲困， 洟唾便利恒充滿，飢渴寒熱相煎迫， 何有智者愛此身？此身無厭如大坑， 徒能長養眾怨害，由此身故常作惡， 於無量劫受諸苦。應念定死修勝福， 正信生於佛法中，飲食衣服及塗香， 長養此身來已久。誰能執持令不壞， 應知無益勿耽迷，牟尼世尊難可遇， 無量劫中時出現。當於佛法生淨信。 惡道可畏勿隨行，設令壽命千億歲， 猶懼無常生厭離，何況須臾不可保， 為彼沈淪惡趣中？或有惡友來相勸， 人身難得今已得，多求財寶受娛樂， 及此盛年恣嬉遊。何有求財而樂者？ 設得守護猶勤苦。如此愚人徒妄言， 是故智者應觀察。財物如幻亦如夢， 愚癡眾生被誑惑，剎那時得剎那失， 何有智者生愛心？譬如幻師幻化事， 乾闥婆城種種色，財寶如是誑凡愚， 於虛妄中何有實？種種苦惱求財利， 水火王賊常侵奪，由此能為眾苦因， 何有智者生愛樂？有諸常懷貪愛者， 馳逐財利無厭時，能於父母無慈心， 乃至親屬生怨害。言語善順心乖違， 造作種種欺誑緣，或學邪論邪呪等， 誇衒伎藝如婬女。或復諂誑現柔和， 或復剛強示威猛，如是無量眾惡業， 莫不皆由財利生。珊瑚金玉摩尼珠， 是物本來如泡沫，不能了知如幻化， 為此虛誑墜三塗。彌勒世尊出現時， 一生次當補我處，國界黃金而布地， 是等為從何所來？劫盡世間悉燒壞， 須彌河海盡燋枯，畢竟磨滅歸虛空， 而此寶物何從去？種種惡業求財物， 養育妻子謂歡娛，臨命終時苦逼身， 妻子無能相救者。於彼三塗怖畏中， 不見妻子及親識，車馬財寶屬他人， 受苦誰能共分者？父母兄弟及妻子， 朋友僮僕并珍財，死去無一來相親， 唯有黑業常隨逐。智人終不為親愛， 作諸惡業入阿鼻，唯除業盡方得出， 親屬無有能代者。閻羅使者唯考業， 不問親緣及友朋，汝得人身不捨惡， 極苦今應甘忍受。閻羅常告彼罪人， 無有少罪我能加，汝自作罪今自來， 業報自招無代者。父母妻子無能救， 唯當勤修出離因，是故應捨枷鏁業， 善知遠離求安樂，於家妻子應生怖， 恒依佛教正修行，在家熾然為苦本， 猶如炎鑪甚可畏。身心燋熱鎮燒燃， 誰有智者生貪著？愛樂修行諸佛教， 無所營求為快樂。愚闇凡夫不覺知， 家為苦本橫貪愛，於彼皮筋骨肉中， 迷惑妄生夫婦想，不能了知如幻化， 凡夫於此生貪著。智者能知此過患， 世間欲樂皆捐棄，樂法當如求藥想， 應速捨離居家縛。」

> 「人間に生まれることは、まことに難しいことです。 この身のために、多くの悪を造ってはなりません。 結局は塚の間に捨てられ、狐や狼の餌となるのです。 悪い見解によって貪り愛着を生じてはなりません。 凡夫は迷い、愚かで狂っているがゆえに、 この身を愛するあまり、さまざまな悪業を造ります。 この身さえも恩を知らず、 昼夜ただ苦しみの因を増やすばかりです。 関節が動き、常に疲れ困り、 涙や唾、大小便で満ちています。 飢えや渇き、寒さや暑さにせめられ、 どうして賢者がこの身を愛することがありましょうか。 この身は飽くことを知らない大きな穴のようで、 ただ怨みや害を育てるだけです。 この身ゆえに常に悪を造り、 無量の劫にわたってさまざまな苦しみを受けるのです。 必ず死ぬことを思い、すぐれた福を修め、 正しい信心を仏法の中に生じさせなさい。 飲食や衣服、塗香などで、 この身を長く養ってきたのは久しいことです。 誰がこの身を壊れないよう保てるでしょうか。 無益であると知り、耽溺してはなりません。 牟尼世尊（釈尊）にはなかなか遇えず、 無量劫の間に時折出現されるのです。 仏法に清らかな信心を生じさせなさい。 悪道は恐ろしい、それに従ってはなりません。 たとえ寿命が千億歳あったとしても、 無常を恐れ、厭離の心を起こすべきです。 ましてや一瞬たりとも保証のない命を、 悪趣に沈めるために使ってよいものでしょうか。 あるいは悪い友が勧めてくるかもしれません。 『人身は得難いが、今すでに得たのだ。 多く財宝を求め、楽しみを受け、 この盛んな年頃に思いのままに遊び楽しめ』と。 どうして財を求めて楽しむ者がいるでしょうか。 たとえ得て守ったとしても、なお苦労するのです。 このような愚か者は無駄なことを言うだけです。 だからこそ、賢者はよく観察すべきです。 財物は幻のようであり、夢のようです。 愚かな衆生は欺かれ惑わされ、 一瞬で得ては一瞬で失います。 どうして賢者が愛着の心を起こすことがありましょうか。 幻術師が幻化する事柄や、 乾闥婆城（蜃気楼）のさまざまな色のように、 財宝はこのように凡夫を欺きます。 虚妄の中に、何が実在するというのでしょうか。 さまざまな苦悩をして財利を求めても、 水害、火災、王（権力者）、賊に常に奪われます。 これによって多くの苦しみの原因となるのです。 どうして賢者が愛楽することがありましょうか。 常に貪愛を抱いている者たちは、 財利を追い求めて飽くことを知りません。 父母に対して慈しみの心がなくなり、 親族にさえ怨みや害を生じさせます。 言葉は穏やかでも心は裏腹で、 さまざまな欺瞞の縁を造り出します。 あるいは邪論や邪呪などを学び、 淫女のように技芸を誇示します。 あるいはまた諂い欺いて柔和を装い、 あるいはまた剛強を示して威猛を現します。 このような無量の悪業は、 すべて財利によって生じないものはありません。 珊瑚、金、玉、摩尼珠、 これらの物は本来、泡のようです。 幻化のごとくであると悟ることができず、 この虚妄に欺かれて三塗（三悪道）に堕ちるのです。 弥勒世尊が出現される時、 一生の後に次に私（釈尊）の処を補う方です。 その国界は黄金で地を敷き詰めます。 これらのものは、いったいどこから来るのでしょうか。 劫が尽きれば世間はすべて焼け壊れ、 須弥山や河や海も尽く焦げ枯れます。 結局は磨り減って虚空に帰するのです。 そしてこれらの宝物はどこへ行くのでしょうか。 さまざまな悪業をして財物を求め、 妻子を養い育てて楽しみとします。 臨命終時に苦しみが身を逼れば、 妻子には救う力はありません。 あの三塗の怖れ畏れる中では、 妻子や親しい者を見ることはできません。 車馬や財宝は他人のものとなり、 苦しみを誰が共に分かち合ってくれるでしょうか。 父母、兄弟、妻子、 友人、僮僕、そして珍しい財宝。 死んでしまえば、一つとして親しく寄り添うものはなく、 ただ黒業（悪業）だけが常に付き従うのです。 賢者は決して親愛のためとて、 阿鼻地獄に入るような悪業を造りません。 ただ業が尽きて初めて出ることができるのであって、 親族には代わってくれる者はいないのです。 閻魔の使者はただ業を問うだけで、 親族や友人のことは問いません。 『あなたは人身を得ながら悪を捨てず、 今、この極苦を甘んじて受け忍ぶべきです』 閻魔は常にその罪人に告げます。 『私が加えることのできる小さな罪もない。 あなたが自ら造った罪が、今、自ら来たのである。 業報は自ら招くもので、代わる者はいない』と。 父母や妻子には救う力がありません。 ただ勤めて出離の因を修めるべきです。 だから枷や鎖のような業を捨て、 安楽を求めて遠離することをよく知りなさい。 家や妻子に対しては怖れを生じ、 常に仏の教えに依って正しく修行しなさい。 在家は燃え盛る苦しみの根本であり、 炎の炉のように、まことに恐ろしいものです。 身心は焦がれ熱し、常に焼き燃えています。 どうして賢者が貪着を生じることがありましょうか。 諸仏の教えを愛楽して修行し、 何も営み求めないことが快樂です。 愚かで暗い凡夫は気づかず、 家が苦の根本であるのにむやみに貪愛します。 あの皮、筋、骨、肉の中に、 迷い妄りに夫婦の想いを生じます。 幻化のごとくであると悟ることができず、 凡夫はこれに貪着を生じるのです。 賢者はこの過患を知ることができ、 世間の欲楽をすべて捨て去ります。 法を楽むことは薬を求める想いのごとく、 速やかに居家の縛りから離れるべきです。」

爾時五百長者聞此法已得無生忍，歡喜踊躍而說偈言：

> その時、五百人の長者たちはこの教えを聞き終えると、無生忍を得て、喜び踊りながら次の偈を唱えた。

「慶哉獲大利， 諸利中最上，我等於佛法， 皆生欣樂心。發趣於菩提， 利樂眾生類，以善而養命， 覺慧自安心。憐愍諸眾生， 願當成佛道，我等皆已發， 無上菩提心。金色相莊嚴， 照明於世界，樂菩提心者， 當得如來身。大心菩提心， 諸心中最上，解脫一切縛， 具足諸功德。少福諸眾生， 於此無欣樂，不觀生死過， 不樂菩提心。菩提心功德， 若有色方分，周遍虛空界， 無能容受者？恒河沙數等， 諸佛剎土中，假使布珍寶， 供養於諸佛。有能一合掌， 迴向菩提心，其福過於彼， 邊際不可得。非唯供養福， 餘福亦復然，如是菩提心， 最勝仙所說。菩提心最勝， 如阿伽陀藥，能除一切病， 與一切安樂。我見諸眾生， 三火所熱惱，智者無量劫， 勤苦常修習。如醫王勇猛， 具足菩提行，救拔眾生苦， 永離諸憂惱。於一切生處， 終不捨是心，勤修諸行願， 勇猛求佛法。我等得善利， 我等心欣樂，今遇釋師子， 當得如來身。」

> 幸いなことよ、大きな利益を得た。 諸々の利益の中で最も勝れたものを。 我らは仏法に対して、 皆、喜び楽しむ心を生じた。 菩提に向かって発心し、 衆生の類を利益し楽しませる。 善をもって命を養い、 覚慧をもって自ら心を安んじる。 諸々の衆生を憐れみ、 願わくは仏道を成じたい。 我らは皆、すでに発した。 無上なる菩提心を。 金色の相で荘厳され、 世界を照らし明るくする。 菩提心を楽しむ者は、 如来の身を得るであろう。 大いなる心、菩提心は、 諸々の心の中で最も勝れたもの。 一切の束縛から解脱し、 諸々の功徳を具足する。 福の少ない諸々の衆生は、 これに対して喜び楽しまず、 生死の過ちを観ず、 菩提心を楽しまない。 菩提心の功徳は、 もし色や形があったならば、 虚空界に遍く満ちて、 受け容れることのできる者はあるだろうか？ 恒河の砂の数ほどの、 諸々の仏の国土の中で、 仮に珍宝を布施して、 諸仏に供養したとしても、 一たび合掌して、 菩提心に廻向する者がいれば、 その福はそれに勝り、 その限りを知ることができない。 ただ供養の福のみならず、 他の福もまた同様である。 このような菩提心は、 最勝の仙（仏）によって説かれた。 菩提心は最も勝れ、 阿伽陀薬の如く、 一切の病を除き、 一切に安楽を与える。 我は諸々の衆生を見る。 三つの火によって熱悩されるのを。 智者は無量劫の間、 勤苦して常に修習する。 医王のように勇猛で、 菩提行を具足し、 衆生の苦を救い抜き、 永く諸々の憂い悩みを離れる。 一切の生まれ処において、 終にこの心を捨てず、 諸々の行願を勤修し、 勇猛に仏法を求める。 我らは善き利を得た。 我らの心は喜び楽しむ。 今、釈迦の師子（仏）に遇い、 如来の身を得るであろう。

爾時世尊即便微笑，從其面門放種種光，青黃赤白紅紫頗黎，照於無量無邊世界，乃至梵世日月威光皆悉隱蔽，還遶三匝從佛頂入。爾時尊者阿難即從座起，偏袒右肩右膝著地，合掌向佛白言：「世尊！有何因緣現此微笑？如佛所現，非無因緣。」即於佛前而說偈言：

> その時、世尊はほほえみを浮かべられました。その額からさまざまな光が放たれ、青、黄、赤、白、紅、紫、水晶のように輝き、無量無辺の世界を照らしました。梵天界に至るまで、太陽や月の光さえもかき消され、光は三度巡って仏の頂から消えていきました。 すると尊者アーナンダは座から立ち上がり、右肩をあらわにし、右膝を地につけ、手を合わせて仏に申し上げました。 「世尊よ、どうしてこのようなほほえみをお見せになるのですか。仏のお姿には、何か意味があるはずです」 そして仏の前で偈を唱えました。

「諸佛最上之導師， 不以無因現微笑，哀愍世間利益者， 願說所為之因緣。貧乏眾生無法財， 應說最上大乘施，能作世間盲冥眼， 願說微笑之因緣。」

> 諸仏の最上の導師よ、 無縁に微笑みを浮かべることはありません。 世を哀れみ、利益を与える方よ、 その微笑みの縁を説いてください。 貧しく法の財なき衆生のために、 最上の大乗の布施を説き示してください。 世の盲目の者たちの眼となって、 その微笑みの縁を説いてください。

於時世尊告阿難曰：「汝見此五百長者今於我所發阿耨多羅三藐三菩提心不？」

> そのとき、世尊は阿難に告げて言われた。「あなたは、今ここで私のもとで、無上の悟りを求める心を起こした五百人の長者たちを見なさい。」

阿難白言：「唯然已見。」

> 阿難が申し上げました。「はい、すでに見ました。」

佛告阿難：「此五百長者，已於往昔百千億那由他諸佛所，承事供養種諸善根，今聞是法得無生忍。此諸長者，從是已後不生惡趣，於人天中常受快樂。復於來世彌勒佛所，供養恭敬尊重讚歎。及賢劫中一切諸佛，悉皆承事恭敬供養，於諸佛所聽聞正法，受持讀誦為他廣說。過二十五劫，各於諸佛剎中成無上菩提，皆同一字號勝蓮花藏如來、應、正等覺。」

> 仏は阿難に告げられた。「この五百人の長者たちは、すでに過去において、百千億那由他もの諸仏のもとで、供養やご奉仕をし、さまざまな善根を積んできた。そして今、この教えを聞いて無生法忍を得たのだ。この長者たちは、これ以降、悪い世界に生まれることはなく、人間や天人の世界で常に幸せに過ごすであろう。さらに未来には、弥勒仏のもとで供養し、敬い、讃嘆するであろう。また、賢劫の中のすべての諸仏にも、みなご奉仕し、敬い、供養するであろう。諸仏のもとで正しい法を聞き、それを心に留め、読み誦し、他の人のために広く説くであろう。二十五劫を過ぎた後、それぞれが諸仏の世界で無上の悟りを成就し、みな同じ『勝蓮花蔵如来・応・正等覚』という名を持つであろう。」

爾時尊者阿難白佛言：「世尊！希有世尊！希有善逝！當何名此廣大法門？云何奉持？」

> そこで尊者アーナンダが仏陀に申し上げました。「世尊よ、まれなることです、世尊よ。まれなることです、善逝よ。この広大な教えの門を、どのように名づけ、どのように受持すべきでしょうか。」

佛告阿難：「是法門名『菩薩瑜伽師地』，亦名『勇猛授長者所問』，如是名號汝當受持。」

> 仏は阿難に告げられた。「この教えの門は『菩薩のヨガ行者の境地』という名であり、また『勇猛なる長者の問いに授けたもの』という名でもある。これらの名を、あなたはしっかりと心に留めなさい。」

佛說此經已，尊者阿難及諸比丘，五百長者、諸菩薩眾，天、人、阿修羅等，聞佛所說，皆大歡喜，信受奉行。

> お釈迦さまがこの教えをお説きになると、尊者のアーナンダや多くの修行僧たち、五百人の長者たち、多くの菩薩たち、天人、人間、アスラなどの衆生は、お釈迦さまの説かれたことを聞いて、皆大いに喜び、その教えを心から信じて受け入れ、実践しました。

## 大寶積經卷第九十六

> 大宝积经 第九十六卷