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title: "瑜伽師地論 · 後序"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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### 後序

> 後序

中書令臣許敬宗製

> 中書令 許敬宗 撰

原夫三才成位，爰彰開闢之端；六羽為君，猶昧尊卑之序。訊餘軌於襄陸，淪胥靡徵；考陳跡於懷英，寂寥無紀。暨乎黃軒振武，玄頊疏功；帝道盛於唐虞，王業著於殷夏。葳蕤玉冊，照耀金圖；茂範曾芬，詳諸歷選。然則基神襲聖，衍慶摛和；軼三代而孤標，掩百王而逈秀。我大唐皇帝。無得而稱矣！斷鼇初載，萬有於是宅心；飛龍在辰，六幽於是仰德。偃洪流而恢地絡，練清氣而緝天維。散服韜戈，扇無為之道；移澆反璞，弘不言之化。悠悠庶類，叶夢於華胥；蠢蠢懷生，遂性於仁壽。大禮大樂，包曲臺而掩宣榭；宏謨宏典，澄璧水而藻環林。瑞露禎雲，翊紫空而表貺；祥鱗慶翼，繞丹禁而呈符。歲精所記之州，咸為疆埸；暄谷所謨之縣，並入隄封。廣闢轅宮，被文軌於殊俗；還開姬弈，均正朔於王會。大業成矣！大化清矣！於是遊心羽陵，寓情延閣，總萬篋於天縱，資一貫於生知；洞照神襟，深窮性道。俯同小伎，則絢發三辰；降習微毫，則妙逾八體。居域中之大寶，畢天下之能事。雖則甲夜觀書，見稱優洽；華旦成曲，獨擅風猷。仰挍鴻徽，豈可同年而語矣！有玄奘法師者，胎彰辯慧，躡身子之高蹤；生稟神奇。嗣摩什之芳軌。爰初束髮，即事抽簪；逈出蓋纏，深悟空假。研求四諦，嗟謬旨於真宗；鑽仰一乘，鑒訛文於實相。遂迺發弘誓願，起大悲心；思拯迷途，親尋正教。幸屬時康道泰，遠安邇肅，裂裳裹足，直趣迦維，闡皇澤於遐方，徵釋教於前域。越葱嶺之外，猶跬步而忘遠；遵竹園之左，譬親受而何殊。訪道周遊十有七載，經途所亘百有餘國。異方之語，資一音而並貫；未譯之經，罄五財而畢寫。若誦若閱，喻青蓮之受持；半句半偈，隨白馬而俱返。以貞觀十九年，持如來肉舍利一百五十粒、佛像七軀、三藏聖教要文凡六百五十七部，二月六日還至長安，奉勅於弘福寺安置，令所司供給，召諸名僧二十一人學通內外者，共譯持來三藏梵本；至二十一年五月十五日，肇譯瑜伽師地論。論梵本四萬頌，頌三十二字，凡有五分，宗明十七地義。三藏法師玄奘，敬執梵文譯為唐語；弘福寺沙門靈會、靈雋、智開、知仁，會昌寺沙門玄度，瑤臺寺沙門道卓，大總持寺沙門道觀，清禪寺沙門明覺，烝義筆受；弘福寺沙門玄謨，證梵語；大總持寺沙門玄應，正字；大總持寺沙門道洪，實際寺沙門明琰，寶昌寺沙門法祥，羅漢寺沙門惠貴，弘福寺沙門文備，蒲州栖巖寺沙門神泰，廓州法講寺沙門道深，詳證大義。本地分中，五識身相應地、意地、有尋有伺地、無尋唯伺地、無尋無伺地，凡十七卷，普光寺沙門道智，受旨證文；三摩呬多地、非三摩呬多地、有心無心地、聞所成地、思所成地、修所成地，凡十卷，蒲州普救寺沙門行友，受旨證文；聲聞地初、瑜伽種姓地盡第二瑜伽處，凡九卷，玄法寺沙門玄賾，受旨證文；聲聞地第三瑜伽處盡獨覺地，凡五卷，汴州真諦寺沙門玄忠，受旨證文；菩薩地、有餘依地、無餘依地，凡十六卷。簡州福眾寺沙門靖邁，受旨證文；攝決擇分，凡三十卷，大總持寺沙門辯機，受旨證文；攝異門分、攝釋分，凡四卷，普光寺沙門處衡，受旨證文；攝事分，十六卷，弘福寺沙門明濬，受旨證文銀青光祿大夫行太子左庶子高陽縣開國男臣許敬宗奉詔監閱，至二十二年五月十五日。絕筆，總成一百卷。佛滅度後，彌勒菩薩自覩史多天宮。降于中印度阿瑜他國，為無著菩薩之所說也。斯固法門極地，該三藏之遺文；如來後心暢五乘之奧旨。玄宗微妙不可思議，僧徒並戒行圓深，道業貞固。欣承嘉召，得奉高人，各罄幽心，共稟新義。隨畢奏上，有感宸衷；爰降殊恩，親裁鴻序。情超繫象，理絕名言。皇太子分耀黃離，纘基青陸，北搖傳樂，仰金聲而竊愧；東明御辯，瞻玉裕而多慚。九載勤經，漢儲斯陋；一朝成賦，魏兩韜英。既睹天文，頂戴無已；爰抽祕藻，讚歎功德。紆二聖之仙詞，闡三藏之幽鍵。載揚佛日，式導玄津，開夏景於蓮華，法流逾潔；泛春光於貝葉，道樹增輝。冀夫聖藻長懸，與天地而無極；真如廣被，隨塵沙而不窮。凡厥含靈，知所歸矣！

> そもそも天・地・人の三才が定まって、初めて天地開闢の端緒が明らかとなった。しかし、六羽の鳥を君主とするような時代にあっては、なお貴賤の秩序は明らかではなかった。昔の軌跡を古（いにしえ）の陸に尋ねても、次第に失われて証拠はなく、古の英傑の遺跡を調べても、静まり返って記録は残っていない。やがて黄帝（こうてい）が武勇を奮い、顓頊（せんぎょく）が功績を施し、尭（ぎょう）・舜（しゅん）の時代に帝道が盛んとなり、殷（いん）・夏（か）の世に王業が顕著となった。玉の書簡は美しく輝き、金の図録は燦然と照り輝き、立派な規範は豊かに薫り、歴代の選び抜かれた治世に詳らかである。 しかしながら、神のごとき基盤を受け継ぎ聖なる業を襲い、慶びを広げ調和を施し、三代を超えてひと際抜きん出て、百王を覆って遙かに秀でたのが、我が大唐の皇帝である。もはや言葉で称えることすらできない。天地創造の初めより、万物は心を寄せ、龍が天に昇る時節には、六合の幽遠な地もその徳を仰いだ。大いなる流れをせき止めて地の脈を開き、清らかな気を練って天の網を整えた。武具を包み、戈をしまい、無為の道を扇ぎ、浅薄な風俗を改めて純朴に帰し、不言の教化を弘めた。悠悠たる民は、華胥の国での夢に叶い、愚かなる生きとし生けるものも、仁寿の境地にその性を全うした。大礼・大楽は、曲台の儒者たちや宣榭の古えの儀式を包み込み、宏大な謀りごとや典範は、璧水の池を澄まし環林の庭を飾りたてた。瑞雲や吉祥の露は、紫微の空を飾ってめぐみを示し、幸いの鱗や翼あるものは、禁中を繞って瑞兆を現した。歳星の記す州はことごとく領土となり、日が長く暖かい谷の県もすべて境域に含まれた。轅宮を広く開いて、文化と車軌を異俗にまで施し、さらに周公・姫氏の時代を開き、暦法と正朔を王の会同にまで均しくした。大いなる事業は成った。大いなる教化は清らかである。 そこで心を羽陵の典籍に遊ばせ、情を延閣の蔵書に託し、天のごとき叡智によって万巻の書を総覧し、生得の知によって一貫の道理を身につけられた。神のごとき襟懷を照らし尽くし、性と道を深く窮められた。低く小技に同じて、三辰（日・月・星）の輝きを放ち、微細な筆をもってすれば、八体の書を超える妙を極められた。天下の大宝に在って、天下のすべてのわざを尽くされた。たとえ夜も更けて書を観覧し、その博覧ぶりが称賛され、明け方に詩文を完成させて、独自に風雅を示したとしても、この大いなる徳を仰ぎ比べれば、同じ年に語ることなどできようか。 ここに玄奘（げんじょう）法師という方がおられる。胎内のときから弁才と智慧を顕し、身子（舎利弗）の高き跡を踏み、生まれながらに神なる性質を持ち、鳩摩羅什（くまらじゅう）の芳き軌跡を継がれた。若くして髪を束ねるや、すぐに簪を抜いて出家し、世俗の煩わしさを超越し、空と仮を深く悟られた。四諦を研鑽し、真宗における誤った宗旨を嘆き、一乗を仰ぎ求めて、実相における誤った文字を鑑みられた。そこでついに広大な誓願を発し、大悲の心を起こし、迷いの道を救わんとして、自ら正しい教えを尋ねられた。幸いにも時は平穏で道は泰らか、遠きも安らかに近きも粛々としていたので、衣を裂き足を包んで、まっすぐに迦維（カピラヴァストゥ）へと向かい、遠方にて皇帝の恵みを明らかにし、先の地域で仏教を求められた。葱嶺（パミール高原）の彼方も、わずか一歩のごとく遠さを忘れ、竹林精舎のほとりに従えば、あたかも直接教えを受けるのと何ら変わらなかった。教えを尋ねて周遊すること十七年、旅路の及ぶところ百余国。異国の言葉も、一つの音声をもってすべて通じ、未訳の経典も、五つの財をもって尽く書き写された。誦するも閲するも、青蓮華のごとく受持し、半句・半偈も、白馬と共にことごとく持ち帰られた。 貞観十九年、如来の肉舎利一百五十粒、仏像七躯、三蔵聖教の要文あわせて六百五十七部を携え、二月六日に長安に帰還された。勅命により弘福寺に安置され、役所に命じて供給せしめ、内外の学に通じた名僧二十一人を召し、ともに持ち帰った三蔵の梵本を翻訳させられた。二十一年五月十五日にはじめて『瑜伽師地論（ゆがしじろん）』の翻訳に着手された。この論の梵本は四万頌、一頌は三十二字、全部で五分あり、宗として十七地の義を明らかにするものである。三蔵法師玄奘は謹んで梵文を敬い、唐の言葉に翻訳した。弘福寺の沙門霊会・霊雋・智開・知仁、会昌寺の沙門玄度、瑤台寺の沙門道卓、大総持寺の沙門道観、清禅寺の沙門明覚が筆受し、弘福寺の沙門玄謨が梵語を証し、大総持寺の沙門玄応が文字を正し、大総持寺の沙門道洪、実際寺の沙門明琰、宝昌寺の沙門法祥、羅漢寺の沙門恵貴、弘福寺の沙門文備、蒲州棲巌寺の沙門神泰、廓州法講寺の沙門道深が大義を詳証した。本地分の中の、五識身相応地・意地・有尋有伺地・無尋唯伺地・無尋無伺地、あわせて十七巻は、普光寺の沙門道智が旨を受けて文を証した。三摩呬多地・非三摩呬多地・有心無心地・聞所成地・思所成地・修所成地、あわせて十巻は、蒲州普救寺の沙門行友が旨を受けて文を証した。声聞地の初めから瑜伽種姓地を終え第二瑜伽処に至るまで、九巻は、玄法寺の沙門玄賾が旨を受けて文を証した。声聞地の第三瑜伽処から独覚地に至るまで、五巻は、汴州真諦寺の沙門玄忠が旨を受けて文を証した。菩薩地・有余依地・無余依地、あわせて十六巻は、簡州福衆寺の沙門靖邁が旨を受けて文を証した。摂決択分、三十巻は、大総持寺の沙門弁機が旨を受けて文を証した。摂異門分・摂釈分、四巻は、普光寺の沙門処衡が旨を受けて文を証した。摂事分、十六巻は、弘福寺の沙門明浚が旨を受けて文を証した。銀青光禄大夫行太子左庶子高陽県開国男の臣許敬宗が詔を受け監閲し、二十二年五月十五日に筆を絶ち、総じて一百巻となった。 仏が入滅された後、弥勒菩薩が兜率天宮より中インドの阿瑜他国に降り、無著菩薩のために説かれたものである。まさにこれこそ法門の極地であり、三蔵の遺文を包括し、如来の後心が五乗の奥旨を暢達されたものである。玄旨は微細にして不可思議であり、僧徒はみな戒行円満にして深く、道業は貞正にして固い。喜んでよき召命を受け、高き人に供奉し、それぞれ心の奥を尽くし、共に新しい義を学んだ。翻訳が終わるごとに奏上すると、皇帝の心に深く感じ入るところがあり、特別な恩恵を施して、みずから大序をしたためられた。その心は形象を超え、理は言葉を絶している。 皇太子は、東宮の位を輝かせて、青陸に基を継ぎ、北の瑶は伝楽を聞き、黄金のような声を仰いで密かに愧じ、東の明は御弁を振るって、玉のような裕を瞻て多く恥じ入られた。九年の間勤めて経書を学んでも、漢の皇太子の質素さはこれを陋しとし、一朝にして賦を完成させれば、魏の曹丕・曹植の英華も隠れてしまう。すでに天子の文を拝見し、頂戴してやまなかった。そこで、秘められた美しい詞を繰り出し、功徳を讚嘆された。二聖の神仙の詞をめぐらせ、三蔵の幽玄な鍵を開き、仏の日を載せて盛んにし、玄津（仏教の道）を導かれた。夏の光景を蓮華に開き、法の流れはますます清らかとなり、春の光を貝葉に泛かべて、道の樹は輝きを増した。願わくば、聖なる文章が長く懸かり、天地とともにかぎりなく、真如が広く覆い、塵砂とともに尽きることなく、すべての生きとし生けるものの悟りのよりどころとなることを。

## 瑜伽師地論卷第一

> 瑜伽師地論　巻第一