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title: "瑜伽師地論 · 2"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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## 瑜伽師地論卷第二

> 瑜伽師地論 第二巻

彌勒菩薩說

> 弥勒菩薩の教え

三藏法師玄奘奉　詔譯

> 三蔵法師玄奘奉詔訳

### 本地分中意地第二之二

> 第二地 意地 第二之二

復次，此一切種子識，若般涅槃法者，一切種子皆悉具足。不般涅槃法者，便闕三種菩提種子。隨所生處，自體之中，餘體種子皆悉隨逐。

> さらに、このすべての種となる識（阿頼耶識）について、涅槃に入る性質を持つ者の場合、すべての種が完全にそろっている。涅槃に入らない性質の者には、三つの悟りの種が欠けている。そして、生まれる場所に応じて、その存在そのものの中に、他の存在の種もすべて付き従って存在している。

是故欲界自體中，亦有色、無色界一切種子。如是色界自體中，亦有欲、無色界一切種子。無色界自體中，亦有欲、色界一切種子。

> だから、欲の世界（欲界）の存在には、形ある世界（色界）や形なき世界（無色界）のすべての種も含まれている。 同じように、色界の存在には、欲界や無色界のすべての種が含まれている。 また、無色界の存在にも、欲界や色界のすべての種が含まれている。

又羯羅藍漸增長時，名之與色平等增長，俱漸廣大。如是增長，乃至依止圓滿應知。此中由地界故，依止造色漸漸增廣。由水界故，攝持不散。由火界故，成熟堅鞕。由無潤故，由風界故，分別肢節各安其所。

> さらに羯羅藍（受精卵）が徐々に成長する時、名（心）と色（物質）は平等に成長し、共に徐々に広がっていく。このように成長して、基盤が完成するまで続くことを知るべきである。この中で、地の要素によって依りどころとなる物質は次第に増え広がる。水の要素によってまとめられ散らない。火の要素によって固く成熟する。潤いがないことによって、風の要素によって手足や部分がそれぞれその場所に定められる。

又一切種子識，於生自體雖有淨不淨業因，然唯樂著戲論為最勝因。於生族姓、色力、壽量、資具等果，即淨不淨業為最勝因。

> さらに、あらゆる種子を含む認識は、自己の存在を生み出すにあたり、清らかな業因もあれば清らかでない業因もあるが、それ以上に戯論（虚妄な分別）に執着することが最も大きな因となる。一方、生まれる家系や容貌、体力、寿命、財産などの結果に関しては、清らかな業と清らかでない業が最も大きな因となる。

又諸凡夫，於自體上計我、我所，及起我慢。一切聖者，觀唯是苦。

> また、凡夫は自分の体に「私」や「私のもの」という考えを執着し、我慢を起こす。しかし、すべての聖者は、これをただ苦しみであると観じる。

又處胎分中，有自性受，不苦不樂，依識增長。唯此性受，異熟所攝。餘一切受，或異熟所生，或境界緣生。又苦受、樂受，或於一時從緣現起，或時不起。

> また、胎内にある間の感受の区分には、自性の受があり、苦でも楽でもなく、識に依って成長する。この自性の受のみが異熟に含まれる。それ以外のすべての受は、異熟から生じるか、または外界の対象との縁によって生じる。さらに、苦受と楽受は、ある時は縁によって現れ起き、またある時は現れないこともある。

又種子體，無始時來相續不絕。性雖無始有之，然由淨不淨業差別熏發，望數數取異熟果，說彼為新。若果已生，說此種子為已受果。由此道理，生死流轉相續不絕，乃至未般涅槃。又諸種子未與果者，或順生受，或順後受。雖經百千劫，從自種子一切自體復圓滿生。

> また、種子の本体は、無始の昔から絶えることなく続いてきています。その性質は、始まりなく存在するものではありますが、清らかな業と清らかでない業の違いによって熏発され、繰り返し様々な異熟の果を受けることを指して、「新しい」と説かれます。もし果がすでに生じたならば、その種子は「すでに果を受けた」と言われます。この道理によって、生死の流転は絶えることなく続き、涅槃に至るまでは続くのです。 また、まだ果を与えていない諸々の種子は、あるいは次の生で果を受けるもの、あるいはさらに後の生で果を受けるものがあります。たとえ百千劫（aeons）を経ても、それぞれの種子から、すべての自らの身体が再び円満に生じるのです。

雖餘果生要由自種，若至壽量盡邊，爾時此種名已受果。所餘自體種子未與果故，不名已受果。又諸種子，即於此身中應受異熟，緣差不受。順不定受攝故。然此種子亦唯住此位。是故一一自體中，皆有一切自體種子。

> 他の結果が生じるとしても、それらは必ず自らの種（原因）によるものです。寿命が尽きる時、その種はすでに結果を受けたものとされます。残された自己存在の種子はまだ結果をもたらしていないため、「すでに結果を受けた」とは呼びません。 また、すべての種子は、この身体の中で異熟（結果）を受けるべきものですが、縁（条件）が不足しているため受けられないことがあります。これは、結果が確定しない不定の業に含まれるからです。しかし、この種子もまた、この状態に留まっているのです。 したがって、個々の自己存在の中には、すべての自己存在の種子が備わっています。

若於一處有染欲，即說一切處有染欲。若於一處得離欲，即說於一切處得離欲。

> もし一つの場所に執着の欲望があれば、あらゆる場所に執着の欲望があると言えます。もし一つの場所でその欲望から離れることができれば、あらゆる場所で離れることができると言えるのです。

又於諸自體中所有種子，若煩惱品所攝，名為麁重，亦名隨眠。若異熟品所攝，及餘無記品所攝，唯名麁重，不名隨眠。若信等善法品所攝種子，不名麁重，亦非隨眠。何以故？由此法生時，所依自體唯有堪能，非不堪能。是故一切所依自體，麁重所隨故，麁重所生故，麁重自性故，諸佛如來安立為苦，所謂由行苦故。

> また、あらゆる心身（自體）の中にある種子について、煩悩の領域に属するものは「粗重」と呼ばれ、また「随眠」とも呼ばれる。異熟（業の結果としての存在）の領域に属するものや、その他の無記（善悪無記）の領域に属するものは、「粗重」とは呼ばれるが、「随眠」とは呼ばれない。信仰などの善なる法の領域に属する種子は、「粗重」とも呼ばれず、「随眠」でもない。なぜならば、この法が生じるとき、そのよりどころとなる心身は、ただ堪能であるのみで、堪能でないことはないからである。したがって、あらゆるよりどころとなる心身は、粗重が伴うこと、粗重から生じること、粗重を本性とすることから、諸仏如来によって苦と定められている。すなわち、行苦によってである。

又諸種子，乃有多種差別之名。所謂名界、名種姓，名自性，名因，名薩迦耶，名戲論，名阿賴耶，名取，名苦，名薩迦耶見所依止處，名我慢所依止處。如是等類，差別應知。

> また、種子（しゅじ）には多くの異なる名前があります。例えば、<界>（境界）、<種姓>（性質の種類）、<自性>（本来の性質）、<因>（原因）、<薩迦耶>（身体への執着）、<戲論>（無駄な概念） 、<阿賴耶>（根本的な心）、<取>（執着）、<苦>（苦しみ）、<薩迦耶見>（身体を実体視する誤った見解）の基盤、<我慢>（自我へのこだわり）の基盤などと呼ばれます。このように様々な名称があることを理解すべきです。

又般涅槃時，已得轉依諸淨行者，轉捨一切染污法種子所依。於一切善、無記法種子，轉令緣闕，轉得內緣自在。

> また、般涅槃（完全な悟り）に達した時、すでに転依（心の基盤の転換）を成就した清らかな修行者たちは、すべての煩悩の種が宿る基盤を完全に捨て去ります。そして、善なる法や無記（善悪どちらでもない）の法の種についても、それを生み出す縁（条件）を断ち切り、内なる縁を自在に得るのです。

又於胎中，經三十八七日，此之胎藏，一切支分皆悉具足。從此已後、復經四日方乃出生。如薄伽梵於入胎經廣說。此說極滿足者，或經九月、或復過此。若唯經八月，此名圓滿，非極圓滿。若經七月、六月，不名圓滿，或復缺減。

> また、胎内において三十八週七日の期間を経て、この胎児のすべての部分が完全に備わります。その後、さらに四日を経て出生します。これは、世尊が『入胎経』で詳しく述べられた通りです。この、いわゆる「極めて満ち足りた」状態とは、九ヶ月あるいはそれ以上を経た場合を指します。もし八ヶ月のみで生まれた場合、これは「円満」であっても「極めて円満」とは言えません。もし七ヶ月や六ヶ月であれば、「円満」とも言えず、欠けたところがあるとされます。

又此胎藏六處位中，由母所食生麁津味而得資長。於羯羅藍等微細位中，由微細津味資長應知。

> さらに、この胎内の六処（目・耳・鼻・舌・身・意）の位置においては、母が食べた食物から生じる粗い栄養分によって成長します。羯羅藍（受精後の初期段階）などの微細な段階では、微細な栄養分によって成長すると知るべきです。

復次，此之胎藏，八位差別。何等為八？謂羯羅藍位、遏部曇位、閉尸位、鍵南位、鉢羅賒佉位、髮毛爪位、根位、形位。若已結凝，箭內仍稀，名羯羅藍。若表裏如酪，未至肉位，名遏部曇。若已成肉，仍極柔軟，名閉尸。若已堅厚，稍堪摩觸，名為鍵南。即此肉摶增長，支分相現，名鉢羅賒佉。從此以後，髮毛爪現，即名此位。從此以後，眼等根生，名為根位。從此以後，彼所依處分明顯現，名為形位。

> また、この胎内には八つの段階がある。その八つとは何か。羯羅藍（けつばん）の位、遏部曇（あぶどん）の位、閉尸（へいし）の位、鍵南（けんなん）の位、鉢羅賒佉（はらしゃこ）の位、髪毛爪（はつもうそう）の位、根（こん）の位、形（ぎょう）の位である。 凝り固まっているが、まだ内部が薄いものを羯羅藍という。 内外ともに酪（らく）のようで、まだ肉の状態に至らないものを遏部曇という。 すでに肉となっているが、非常に柔らかいものを閉尸という。 すでに厚く固まり、少し触れることができるものを鍵南という。 この肉の塊が成長し、手足などの部分が現れるものを鉢羅賒佉という。 これ以降、髪や毛、爪が現れるので、この位という。 これ以降、眼などの感覚器官が生じるので、根の位という。 これ以降、それらの器官のよりどころとなる姿がはっきり現れるので、形の位という。

又於胎藏中，或由先業力，或由其母不避不平等力所生隨順風故，令此胎藏或髮、或色、或皮及餘支分變異而生。

> また、胎内においては、過去の業（カルマ）の力によって、あるいは母親が不適切な行動を避けなかったことによる力によって生じる「随順風」のために、この胎児の髪、肌の色、皮膚、その他の体の部分が変化して生まれてくることがある。

髮變異生者，謂由先世所作能感此惡不善業，及由其母多習灰鹽等味若飲、若食，令此胎藏髮毛稀尠。

> 髪の異変により生まれる者とは、前世でこの不善の業（悪い行い）を感じ取る行いをしたことと、その母親が灰や塩などの味を多く摂る飲食物を常に摂ったことにより、この胎児の髪の毛がまばらで少なくなることをいう。

色變異生者，謂由先業因，如前說，及由其母習近煖熱現在緣故，令彼胎藏黑黯色生。又母習近極寒室等，令彼胎藏極白色生。又由其母多噉熱食，令彼胎藏極赤色生。

> 色が変わって生まれてくることについて説明します。これは、まず前世の業（カルマ）による原因があります。それに加えて、母親が暑い環境に近づくことによって、胎児の色が黒っぽくなることがあります。また、母親が非常に寒い部屋などにいることで、胎児の色が非常に白くなることがあります。さらに、母親が熱い食べ物を多く摂ることによって、胎児の色が非常に赤くなることがあります。

皮變異生者，謂由宿業因，如前說，及由其母多習婬欲現在緣故，令彼胎藏或癬、疥、癩等惡皮而生。

> 皮が異常に生まれるとは、前世の業の因（前述の通り）や、母親が過度に淫欲にふけるという現在の縁によって、その胎内で、皮膚に癬（たむし）、疥癬（ひぜん）、ハンセン病などの荒れた皮膚として生まれることをいう。

支分變異生者，謂由先業因，如前說，及由其母多習馳走、跳躑威儀，及不避不平等現在緣故，令彼胎藏諸根支分缺減而生。

> 支分変異生とは、過去の業（カルマ）という原因によって、前に説明したように、また母親が走る、跳ぶといった動作をよく行ったり、不自然で調和のとれない生活習慣などの現在の縁によって、胎児の体の各部が欠けたり不充分な状態で生まれてくることです。

又彼胎藏，若當為女，於母左脇，倚脊向腹而住。若當為男，於母右脇，倚腹向脊而住。

> また、胎内において、もし女児であるならば、母の左脇に寄り、背を母の背に向け、腹を母の腹に向けて住む。もし男児であるならば、母の右脇に寄り、腹を母の腹に向け、背を母の背に向けて住む。

又此胎藏極成滿時，其母不堪持此重胎，內風便發，生大苦惱。

> さらに、この胎内が十分に成長し満ちた時、その母はこの重い胎を支えきれなくなり、体内の風が発して大きな苦しみが生じる。

又此胎藏業報所發生分風起，令頭向下、足便向上，胎衣纏裹而趣產門。其正出時，胎衣遂裂，分之兩腋。出產門時，名正生位。生後漸次觸生分觸，所謂眼觸乃至意觸。次復隨墮施設事中，所謂隨學世事言說。次復耽著家室，謂長大種類故，諸根成就故。次造諸業，謂起世間工巧業處。次復受用境界，所謂色等若可愛、不可愛。受此苦樂，謂由先業因，或由現在緣。隨緣所牽，或往五趣，或向涅槃。

> この胎内という業報によって生じる身心の働きにより、風の力が起こって頭を下に向け、足を上に向けさせ、胎衣に包まれて産道へと向かう。そして実際に出てくる時、胎衣は破れて両脇に分かれる。産道を出る時を「正しく生まれる位」という。生まれた後は、次第に触れるという分別（触）が生じる。すなわち、眼による触れから意による触れに至るまでである。続いて、さまざまな世間の習慣に落ち着いていく。すなわち、世間の言葉や行いを学んでいく。次には家庭に執着する。それは成長して種類が大きくなり、諸々の感覚器官が成熟したからである。次に様々な業を起こす。すなわち、世間の工芸や仕事の領域を始める。次に、美しいものや醜いものといった対象（色など）を享受する。この苦楽を受けるのは、過去の業による因か、あるいは現在の縁による。これらの縁に引き寄せられて、あるいは五つの生存領域（五趣）に向かい、あるいは涅槃へと向かうのである。

又諸有情，隨於如是有情類中自體生時，彼有情類於此有情作四種緣。謂種子所引故，食所資養故，隨逐守護故，隨學造作身語業故。初謂父母精血所引。

> また、あらゆる生きとし生けるものは、このような生き物の種類の中で自らの体が生まれるとき、その生き物の種類に対して四つの縁（条件）をもたらします。すなわち、種子によって引き寄せられること、食物によって養われること、付き従い守られること、そして身と語の業（行い）を学んで作り出すことです。最初の縁とは、父母の精血によって引き寄せられることを指します。

次彼生已，知其所欲，方求飲食而用資長。次常隨逐，專志守護，不令起作非時之行及不平等行。次令習學世俗言說等事。由長大種類故，諸根成就故，此復於餘，此復於餘。

> 生まれた後は、その子の欲するものを知り、飲食物を求めて育てていく。次に、常にそばに付き添い、一心に守り、時節に合わない行いや、偏った行いをさせないようにする。さらに、世俗の言葉や行いなどを学ばせる。こうして成長し、諸々の感覚器官が成熟するにつれて、その子は他の人々に対して、また他の事柄についても、次第に自立していくのである。

如是展轉，諸有情類無始時來受苦受樂，未曾獲得出苦樂法，乃至諸佛未證菩提。若從他聞音，及內正思惟，由如是故，方得漏盡。如是句義甚為難悟。謂我無有若分、若誰、若事，我亦都非若分、若誰、若事。

> このようにして、あらゆる生きとし生けるものは、遠い昔から限りなく苦しみと楽しみを繰り返してきましたが、苦しみから解放される本当の方法を得ることはなく、仏陀たちが悟りを開くまでに至りませんでした。 他の人から教えを聞き、自ら正しく考えることによって、ようやく煩悩の尽きる境地に達することができるのです。 この教えの意味は、非常に理解しがたいものです。 すなわち、「私」には、部分もなければ、特定の誰かもなく、何かの行為もないということ。そして「私」というものは、まったく部分でもなく、誰かでもなく、何かの行為でもない、ということなのです。

如是略說內分死生已。

> 以上、内分の死と生について、かいつまんで説き終わりました。

云何外分若壞若成？謂由諸有情所作能感成壞業故。

> どのように、外なる世界は壊れ、また成るのでしょうか。それは、様々な生き物たちが、世界の壊れや成りを引き起こす行い（業）をなすからです。

若有能感壞業現前，爾時便有外壞緣起，由彼外分皆悉散壞，非如內分由壽量盡。何以故？由一切外分所有麁色，四大所成，恒相續住，非如內分。又感成器世間業，此業決定能引劫住，不增不減。若有情數，時無決定。所以者何？由彼造作種種業故，或過一劫，或復減少乃至一歲。

> もしも業によって外界が壊れる原因が現れれば、そのときに外部の壊れる縁起が生じます。その外部の部分はすべて散り壊れていきますが、内部の部分のように寿命によって尽きるわけではありません。なぜなら、外部の粗い物質はすべて四大から成り、常に連続して存在しているからです。内部の部分とは異なります。 また、器世界を形成する業があります。この業は劫の期間が続くことを決定づけ、増えも減りもしません。しかし、有情の数に関しては、時間は決まっていません。それはなぜかと言うと、有情は様々な業を造るからであり、一劫を越えることもあれば、減って一年にまで至ることもあるからです。

又彼壞劫。由三種災。一者、火災，能壞世間，從無間獄乃至梵世。二者、水災，能壞一切，乃至第二靜慮。三者、風災，能壞一切、乃至第三靜慮。第四靜慮無災能壞。由彼諸天身與宮殿俱生俱沒故，更無能壞因緣法故。復有三災之頂。謂第二靜慮、第三靜慮、第四靜慮。

> また、この世界が壊れる劫には、三種類の災いがある。 第一に、火災が世界を壊す。無間地獄から梵天の世界に至るまでを焼き尽くす。 第二に、水災が全てを壊す。第二静慮の世界に至るまでを浸し滅ぼす。 第三に、風災が全てを壊す。第三静慮の世界に至るまでを吹き散らす。 第四静慮の世界は、どの災いによっても壊されることがない。 なぜなら、そこに住む天人の身体と宮殿が共に生まれ、共に滅するからである。 また、それらを壊す原因となる因縁の法が存在しないからである。 さらに、三つの災いの頂点がある。 すなわち、第二静慮、第三静慮、第四静慮の世界がそれである。

又此世間二十中劫壞，二十中劫壞已空，二十中劫成，二十中劫成已住；如是八十中劫，假立為一大劫數。又梵世間壽量一劫，此最後壞，亦最初成。當知此劫異相建立。謂梵眾天，二十中劫合為一劫，即依此劫施設壽量。

> この世の間で、20中劫が壊れ、20中劫が壊れて空になり、20中劫が生じ、20中劫が生じてから留まります。このように80中劫をもって、ひとつの大劫と仮に定めます。 また、梵世間の寿命は一劫であり、これが最後に壊れ、また最初に生じます。この劫は異なる様相によって成立すると知るべきです。すなわち、梵衆天では20中劫を合わせて一劫とし、その劫に基づいて寿命の長さを定めています。

梵前益天，四十中劫合為一劫，即依此劫施設壽量。若大梵天，六十中劫合為一劫，即依此劫施設壽量。

> 梵前益天では、四十の中劫（中ぐらいの時間の単位）を合わせて一つの劫とし、その劫に基づいて寿命の長さが定められています。また、大梵天では、六十の中劫を合わせて一つの劫とし、その劫に基づいて寿命の長さが定められています。

云何火災能壞世間？

> では、どのようにして火の災いがこの世を滅ぼすのでしょうか。

謂有如是時，世間有情壽量無限。從此漸減，乃至壽量經八萬歲。彼復受行不善法故，壽量轉減，乃至十歲。彼復獲得厭離之心，受行善法，由此因緣，壽量漸增，乃至八萬。如是壽量一減一增，合成一中劫。

> ある時代には、世の中の生きとし生けるものの寿命は限りなく長かった。しかしそこから徐々に減り続け、ついには寿命が八万歳になった。さらに人々が不善の行いを重ねたために、寿命は減り続けて一万歳となった。しかし人々が再び厭離の心を得て善を行ったことにより、寿命は再び少しずつ増え、八万歳にまで至った。このように、寿命が一度減り、一度増えることをもって、一つの「中劫」とする。

又此中劫，復有三種小災出現。謂儉、病、刀。儉災者，所謂人壽三十歲時，方始建立。當爾之時，精妙飲食不可復得，唯煎煮朽骨共為讌會。若遇得一粒稻、麥、粟、稗等子，重若末尼，藏置箱篋而守護之。

> また、この中劫には、三種類の小さな災いが現れます。すなわち、飢饉・疫病・戦争です。 飢饉の災いについて言えば、人々の寿命が三十歳になったときに初めて起こります。その時代になると、すぐれた食べ物はもう手に入らず、朽ちた骨を煮て、それを宴会の料理とします。もし一粒の米や麦、粟、ひえなどを見つければ、それをまるで宝石のように大切に扱い、箱や櫃にしまい込んで守るのです。

彼諸有情多無氣勢，蹎僵在地不復能起。由此飢儉，有情之類亡沒殆盡。此之儉災經七年七月七日七夜，方乃得過。

> その多くの生きとし生けるものは、ほとんど力がなく、地面に倒れて再び起き上がることもできません。この飢饉によって、生き物たちはほとんど死に絶えてしまいます。この飢饉の災いは、七年七か月七昼夜を経て、ようやく過ぎ去るのです。

彼諸有情復共聚集，起下厭離。由此因緣，壽不退減，儉災遂息。

> それらの生きとし生けるものたちは再び集まり、少しずつ厭う気持ちを起こすようになりました。この因縁によって寿命は減ることがなくなり、飢饉の災いもついに収まりました。

又若人壽二十歲時，本起厭患今乃退捨。爾時多有疫氣、障癘、災橫、熱惱相續而生。彼諸有情遇此諸病，多悉殞沒。如是病災經七月七日七夜，方乃得過。

> また、人の寿命が二十歳の時には、かつて抱いていた厭世の心が退き捨てられてしまいます。その時には疫病や障り、災害、苦熱が次々と生じます。これらの病に遭った衆生の多くは命を落とします。このような病の災いは七ヶ月と七日の七夜を経て、ようやく過ぎ去るのです。

彼諸有情復共聚集，起中厭離。由此因緣，壽量無減，病災乃息。

> その者たちは再び共に集まり、心に中程度の厭離を起こした。この因縁によって、寿命は減ることがなくなり、病の災いも静まったのである。

又人壽十歲時，本起厭患今還退捨。爾時有情展轉相見，各起猛利殺害之心。由此因緣，隨執草木及以瓦石，皆成最極銳利刀劍，更相殘害，死喪略盡。如是刀災極經七日，方乃得過。

> また、人の寿命がわずか十歳となった時代には、かつて抱いていた厭世の思いもすっかり消え失せてしまいます。その時、人々は互いに顔を合わせるごとに、激しい殺意を抱くようになります。この因縁によって、手にする草や木、瓦や石さえも、すべて極めて鋭い刀剣と化し、互いに傷つけ合い命を落とす者が絶えません。このような刀の災いは、七日間続いてようやく過ぎ去るのです。

爾時有情復有三種最極衰損。謂壽量衰損、依止衰損、資具衰損。壽量衰損者，所謂壽量極至十歲。依止衰損者，謂其身量極至一搩，或復一握。資具衰損者，爾時有情唯以粟稗為食中第一，以髮毼為衣中第一，以鐵為莊嚴中第一。五種上味悉皆隱沒，所謂酥、蜜、油、鹽等味，及甘蔗變味。

> その時、生きとし生けるものには、さらに三つの最も甚だしい衰えがありました。すなわち、寿命の衰え、身体の衰え、暮らしの道具の衰えです。 寿命の衰えとは、寿命がせいぜい十年までに縮んでしまうことです。 身体の衰えとは、身長が一つの手幅、あるいは一握りほどにまで小さくなってしまうことです。 暮らしの道具の衰えとは、その時代の生き物にとって、穀物の一種であるあわやひえが最も優れた食べ物となり、粗い毛織物が最も優れた衣服となり、鉄が最も優れた装飾品となることです。そして、酥、蜜、油、塩などの味わいや、サトウキビから作られる甘味といった、五つの優れた味わいは、すべて姿を消してしまいます。

爾時有情展轉聚集，起上厭離，不復退減。

> その時、人々は互いに集まり合い、深い厭離（現世への執着を離れる心）を起こし、再び退くことなく減少することもなかった。

又能棄捨損減壽量惡不善法，受行增長壽量善法，由此因緣，壽量、色力、富樂、自在皆漸增長，乃至壽量經八萬歲。

> さらに、自らの寿命を縮める悪しき不善の行いを捨て、寿命を延ばす善い行いを受け入れて実践すれば、その因縁によって、寿命、体力、富、安楽、そして自在の力は徐々に増大し、ついには寿命は八万歳にまで達する。

如是二十減、二十增，合四十增減，便出住劫。

> このように二十回の減少と二十回の増加、合わせて四十回の増減を経て、住劫が終わります。

於最後增已，爾時那落迦有情唯沒不生。如是漸漸乃至沒盡，當知說名那落迦世間壞。如那落迦壞，傍生、餓鬼壞亦如是。

> 最後まで満たされたその時、地獄の有情はただ沈むのみで、新たに生まれることはありません。こうして次第に尽きるまで沈みゆくことを、地獄の世間が壊れたと説かれます。地獄の壊れ方と同じように、畜生や餓鬼の壊れ方もまた同じです。

爾時人中隨一有情，自然法爾所得第二靜慮。其餘有情展轉隨學，亦復如是。皆此沒已，生極淨光天眾同分中。當知爾時說名人世間壞。

> その時、人々の中のある一人の者が、自ずと法の力によって第二禅定（第二静慮）を得ました。他の人々も、次々とそれに倣い学び、同じように悟りを得ました。そして、皆がこの世を去った後、極めて清らかな光の天（極浄光天）という同じ世界に生まれました。この時をもって、人の世は壊れたと言われます。

如人趣既爾，天趣亦然。當於此時，五趣世間居住之處無一有情可得，所有資具亦不可得。非唯資具不可復得，爾時天雨亦不可得。由無雨故，大地所有藥草叢林皆悉枯槁。復由無雨之所攝故，令此日輪熱勢增大。又諸有情能感壞劫業增上力故，及依六種所燒事故，復有六日輪漸次而現。彼諸日輪望舊日輪所有熱勢，踰前四倍。既成七已，熱遂增七。

> 人がそのような状態にあるなら、天界の者たちもまた同じです。その時、五つの生存領域の住まう場所には、一人の有情も存在せず、所有する道具や資材も得られなくなります。道具や資材だけでなく、その時には雨さえも降らなくなります。雨が降らないことにより、大地のすべての薬草や樹木の林は枯れ果ててしまいます。さらに、雨が降らないことで、太陽の熱力は増大します。また、有情たちが世界の崩壊を引き起こす業の力を増大させること、および六種の焼かれる物による力によって、さらに六つの太陽が次々と現れます。これらの太陽は以前の太陽と比べて、その熱力が四倍も増します。こうして七つの太陽が揃うと、熱は七倍に増大します。

云何名為六所燒事？一、小大溝坑，由第二日輪之所枯竭；二、小河大河，由第三日輪之所枯竭；三、無熱大池、由第四日輪之所枯竭；四者、大海，由第五日輪及第六一分之所枯竭；五、蘇迷盧山及以大地，體堅實故，由第六一分及第七日輪之所燒然。即此火焰為風所鼓，展轉熾盛、極至梵世。

> 六つの焼かれるものとは何か。第一に、大小の溝や穴は第二の太陽によって干上がる。第二に、小川や大河は第三の太陽によって干上がる。第三に、無熱悩の大池は第四の太陽によって干上がる。第四に、大海は第五の太陽と第六の太陽の一部によって干上がる。第五に、須弥山と大地は、その本体が堅固であるため、第六の太陽の一部と第七の太陽によって焼かれる。そして、この炎は風にあおられて次第に燃え広がり、梵天の世界にまで達する。

又如是等，略為三事。一、水所生事、謂藥草等，由初所槁；二、即水事、由五所涸；三、恒相續住體堅實事，由二所燒。

> また、これらのようなものは、大まかに三つの要素に分けられます。第一に、水によって生じるもの（薬草などが、最初の原因によって枯れること）、第二に、水そのもの（第五の原因によって干上がること）、第三に、常に連続して存在し、本体が堅固であるもの（第二の原因によって焼かれること）。

如是世界皆悉燒已，乃至灰墨及與餘影皆不可得，廣說如經。從此名為器世間已壞。滿足二十中劫。如是壞已，復二十中劫住。

> そのように世界がすべて焼け尽くされたなら、塵や灰や影さえも、もはやどこにも見つからなくなります。これについては経典に詳しく説かれています。この状態を「器世間が壊れた」といいます。この壊れる期間が二十中劫続きます。このように壊れた後には、さらに二十中劫の間、その状態が続きます。

云何水災？謂過七火災已，於第二靜慮中，有俱生水界起，壞器世間，如水消鹽。此之水界與器世間一時俱沒。如是沒已，復二十中劫住。

> 水の大災害とはどのようなものか。七回の火災が過ぎ去った後、第二禅定の境地において、共に生じる水の要素が現れ、器の世界（物質世界）を壊滅させる。それはまるで水が塩を溶かすように、この水の要素は器の世界とともに一瞬にして消え去る。このようにして消え去った後、再び二十の中劫の間、世界は留まる。

云何風災？謂七水災過已，復七火災；從此無間，於第三靜慮中有俱生風界起，壞器世間，如風乾支節、復能消盡。此之風界與器世間一時俱沒。所以者何？現見有一由風界發，乃令其骨皆悉消盡。從此壞已，復二十中劫住。

> 風の大災害とは何か？それは、七回の水による大災害が過ぎ去り、さらに七回の火による大災害が終わった後、その直後に、第三禅定の境地の中に、生まれながらの風の要素が起こり、器の世界（物質的な宇宙）を壊してしまうことを言います。まるで風が関節を乾かして、さらに完全に消し去ってしまうかのようです。この風の要素は、器の世界と共に、すべて同時に消え去ってしまいます。なぜなら、現実に、風の要素が起こることで、骨までもがすべて消え尽きてしまうのを見ることがあるからです。このようにして壊れた後、再び二十の中劫の間、世界は留まります。

如是略說世間已壞。

> このように、世間がすでに壊れてしまったことを簡単に説明しました。

云何世間成？謂過如是二十中劫已，一切有情業增上力故，世間復成。爾時最初於虛空中，第三靜慮器世間成。如第三靜慮，第二及初亦復如是。爾時第三災頂有諸有情由壽盡故，業盡故，福盡故，從彼沒已，生第三靜慮。餘一切處，漸次亦爾。復從第二災頂生第二靜慮。餘一切處，應知亦爾。復從第一災頂，有一有情由壽等盡故，從彼沒已，生初靜慮梵世界中，為最大梵。由獨一故、而懷不悅。便有希望：今當云何令餘有情亦來生此。當發心時，諸餘有情由壽等盡故，從第二靜慮沒已，生初靜慮彼同分中。

> さて、どのようにして世界は形成されるのでしょうか。このように二十の中劫が過ぎ去ると、すべての生きとし生けるものの業の力によって、世界は再び形成されます。その時、最初に虚空のうちに、第三禅定の世界が物質的な器世間として現れます。第三禅定の世界と同様に、第二禅定、第一禅定の世界もまた、同じようにして形成されます。 その時、第三の災いの頂点にあった生きとし生けるものたちは、寿命が尽き、業が尽き、福徳が尽きたことにより、その世界から没して、第三禅定の世界に生まれます。それ以外のすべての場所も、順を追って同じようになります。 次に、第二の災いの頂点から、第二禅定の世界に生まれます。それ以外のすべての場所についても、同じように知るべきです。 さらに、第一の災いの頂点から、ある一つの生きとし生けるものが、寿命などが尽きたことにより、その世界から没して、初禅定の梵世界に生まれ、そこでの最も偉大な梵となります。独りぼっちであるために心は満ち足りず、「今、どうすれば他の生きとし生けるものたちも、ここに生まれてくるだろうか」と希望を抱きます。その心を起こした時、他の生きとし生けるものたちは、寿命などが尽きたことにより、第二禅定の世界から没して、初禅定の同じ仲間の世界に生まれます。

如是下三靜慮器及有情世間成已。

> このようにして、下の三つの静慮天の器と、有情の世界が完成したのである。

於虛空中，欲界四天宮殿漸成。當知彼諸虛空宮殿皆如化出。又諸有情，從極淨光天眾同分沒，而來生此諸宮殿中。餘如前說。

> 虚空の中で、欲界の四つの天の宮殿が徐々に形をなし始めました。これらの虚空にある宮殿は、すべて幻のように現れたものだと知るべきです。また、極めて清らかな光の天の仲間から命を終え、この宮殿に生まれ来る有情たちがいます。その他の詳細は、前に述べた通りです。

自此以後，有大風輪，量等三千大千世界，從下而起，與彼世界作所依持，為欲安立無有宮殿諸有情類。此大風輪有二種相。謂仰周布及傍側布，由此持水令不散墜。

> その後、大風の輪が起こりました。その大きさは三千大千世界と同じであり、下から湧き上がって、その世界を支える基盤となりました。これは、まだ宮殿を持たない生きとし生けるものたちを安住させるためです。この大風の輪には二つの特徴があります。すなわち、上に向かって広がる様相と、横に広がる様相です。これによって水を支え、散り落ちることを防ぎます。

次由彼業增上力故，於虛空界金藏雲興。從此降雨，注風輪上。次復起風，鼓水令堅，此即名為金性地輪。上堪水雨之所激注，下為風颷之所衝薄。此地成已，即由彼業增上力故，空中復起諸界藏雲，又從彼雲降種種雨。然其雨水，乃依金性地輪而住。

> 次に、その業（カルマ）の力によって、虚空に金の雲が現れます。この雲から雨が降り、風輪の上に注がれます。さらに風が起こり、水を動かして固めます。これを「金性地輪」と呼びます。上は雨水の激しい注ぎに耐え、下は風の強い吹き付けに耐えます。この地ができた後、再び業の力により、空中にさまざまな界の雲が起こり、それらから様々な雨が降ります。しかし、その雨水は金性地輪の上に留まります。

次復風起，鼓水令堅。

> また、風が起こって水を固くします。

即由此風力所引故，諸有清淨第一最勝精妙性者，成蘇迷盧山。

> その風力に導かれることで、清らかで最も勝れ、精妙な性質を持つものたちが、須弥山を形成する。

此山成已，四寶為體。所謂金、銀、頗胝、琉璃。若中品性者，成七金山。謂持雙山、毘那矺迦山、馬耳山、善見山、朅達洛迦山、持軸山、尼民達羅山。如是諸山，其峯布列，各由形狀差別為名，繞蘇迷盧次第而住。蘇迷盧量，高八萬踰繕那，廣亦如之，下入水際、量亦復爾。又持雙山，等彼之半。從此次第，餘六金山其量漸減，各等其半。

> この山が完成すると、その本体は四種の宝でできている。すなわち、金、銀、水晶、瑠璃である。中程度の性質のものは、七つの金山を形成する。すなわち、持双山、毘那矺迦山、馬耳山、善見山、朅達洛迦山、持軸山、尼民達羅山である。これらの山々は、その峰がそれぞれ並び立ち、それぞれの形状の違いによって名付けられ、須弥山の周りを順に囲んで存在している。須弥山の大きさは、高さが八万由旬、幅も同じく八万由旬であり、水面下に至るまでの深さもまた同様である。また、持双山はその半分の大きさである。この次から順に、残りの六つの金山は次第にその大きさが減少し、それぞれ前の山の半分となる。

若下品性者，於蘇迷盧四邊七金山外，成四大洲及八中洲，并輪圍山。此山輪圍四洲而住，量等尼民達羅之半。

> もし性質が下の者が、須弥山（スメル）の四方にある七つの金山の外側に、四大陸と八つの中大陸、そして鉄囲山を形成する。この山は四つの大陸をぐるりと囲んでおり、その大きさは尼民達羅（ニミンダラ）山の半分と等しい。

復成非天宮殿，此宮在蘇迷盧下，依水而居。

> 復成せざる非天の宮殿、この宮殿は須弥山の麓にあり、水に依って住まう。

復成大雪山及無熱池周圍崖岸。

> また、大雪（ゆき）の山（やま）と、熱（ねつ）なき池（いけ）のほとりの崖（がけ）や岸（きし）をも作りました。

次成最下八大那洛迦處，諸大那洛迦，及獨一那洛迦、寒那洛迦、近邊那洛迦。

> 次に、最も下の八つの大奈落、すなわち各大奈落、以及び独一奈落、寒奈落、近辺奈落の境処について述べる。

復成一分鬼、傍生處。

> 一つの部分が鬼や畜生の世界に生まれ変わります。

四大洲者，謂南贍部洲、東毘提訶洲、西瞿陀尼洲、北拘盧洲。其贍部洲，形如車箱；毘提訶洲，形如半月；瞿陀尼洲，其形圓滿；北拘盧洲，其形四方。贍部洲量，六千五百踰繕那；毘提訶洲量，七千踰繕那；瞿陀尼洲量，七千五百踰繕那；拘盧洲量，八千踰繕那。又七金山，其間有水、具八支德，名為內海。

> 四大洲とは、南の贍部洲、東の毘提訶洲、西の瞿陀尼洲、北の拘盧洲を指します。 贍部洲の形は車の箱のようであり、毘提訶洲は半月の形、瞿陀尼洲は丸く、北の拘盧洲は四角い形をしています。 贍部洲の広さは六千五百由旬、毘提訶洲は七千由旬、瞿陀尼洲は七千五百由旬、拘盧洲は八千由旬です。 また、七つの金山があり、その間には水が存在し、八つの優れた性質を備えています。これを内海と呼びます。

復成諸龍宮。有八大龍，並經劫住。謂持地龍王、歡喜近喜龍王、馬騾龍王、目支隣陀龍王、意猛龍王、持國龍王、大黑龍王、黳羅葉龍王。是諸龍王，由帝釋力，數與非天共相戰諍。其諸龍眾類有四種。謂卵生、胎生、濕生、化生。妙翅鳥中，四類亦爾。復有餘水，在內海外，故名外海。

> さらに、多くの龍の宮殿がある。そこには八匹の大龍が住み、長い劫の間を過ごしている。それぞれ、持地龍王、歓喜近喜龍王、馬騾龍王、目支隣陀龍王、意猛龍王、持国龍王、大黒龍王、黳羅葉龍王という名である。これらの龍王たちは、帝釈天の力によって、しばしば非天（アスラ）と戦い争う。龍の仲間には、卵生、胎生、湿生、化生の四種類がある。また、妙翅鳥（ガルダ）にも、同じく四種類がいる。さらに、内海の外側にも水があるので、それを外海と呼ぶ。

又依蘇迷盧根，有四重級。從蘇迷盧初級，傍出一萬六千踰繕那量。即從此量，半半漸減，如其次第，餘級應知。有堅手神住最初級，血手神住第二級，常醉神住第三級，持鬘神住第四級。蘇迷盧頂四隅之上有四大峯，各高五百踰繕那量。有諸藥叉，謂金剛手止住其中。

> 須弥山の根元には、四つの段階がある。 須弥山の第一段からは、一万六千由旬の幅が横に広がっている。 この幅を基準に、次の段階へ行くごとに半分ずつ狭くなっていく。残りの段階も、この順序に従って同じように考えればよい。 第一段には堅手神（かたきてのかみ）が住み、 第二段には血手神（ちのてのかみ）が住み、 第三段には常に酔う神が住み、 第四段には持鬘神（花の飾りを持つ神）が住んでいる。 須弥山の頂上の四隅には、四つの大きな峰がある。それぞれの高さは五百由旬である。 そこには、金剛手（こんごうしゅ）などの薬叉（やしゃ）神たちが住んでいる。

又持雙山，於其四面有四王都。東南西北隨其次第，謂持國、增長、醜目、多聞四大天王之所居止。諸餘金山，是彼四王村邑部落。又近雪山，有大金崖，名非天脅，其量縱廣五十踰繕那，善住龍王常所居鎮，又天帝釋時來遊幸。此中有樹，名曰善住，多羅樹行，七重圍繞。復有大池，名漫陀吉尼，五百小池以為眷屬。善住大龍與五百牝象前後圍繞，遊戲其池，隨欲變現，便入此池，採蓮花根以供所食。即於此側，有無熱大池，其量深廣各五十踰繕那；微細金沙遍布其底，八支德水彌滿其中，形色殊妙，端嚴憙見。從此派流為四大河。一名殑伽，二名信度，三名私多，四名縛芻。

> また、双山の四方には、四天王の都がある。東南西北の順に、持国天、増長天、醜目天、多聞天の四大天王が住んでいる。その他の金山は、それら四天王の村や部落である。 さらに雪山の近くには、非天脅という名の大きな金の崖がある。その大きさは縦横五十ヨージャナであり、善住龍王が常に守り住んでいる。また、帝釈天が時々遊びに訪れる。この中には、善住という名の木があり、多羅樹が七重に囲んでいる。さらに漫陀吉尼という大きな池があり、五百の小さな池がその眷属として従っている。 善住大龍は五百の雌象を前後に従え、その池で遊び、思いのままに姿を変えて池に入り、蓮の根を取って食べ物とする。この池のすぐそばには、無熱大池がある。その深さと広さは、それぞれ五十ヨージャナである。細かい金の砂がその底一面に敷き詰められ、八つの功徳を持つ水が満ちている。その形や色は殊に美しく、端正で見る者を喜ばせる。この池から流れ出て、四大河となる。一つをガンジス川、二つをシンドゥ川、三つをシーター川、四つをヴァックシュ川という。

復次，於蘇迷盧頂處中，建立帝釋天宮，縱廣十千踰繕那量。所餘之處，是彼諸天村邑聚落。其山四面，對四大洲，四寶所成。謂對贍部洲，琉璃為面；對毘提訶，白銀為面；對瞿陀尼，黃金為面；對拘盧洲，頗胝為面。又贍部洲，循其邊際，有輪王路，真金所成，如四大王天有情膝量，沒住大海。若輪王出世，如彼膝量海水減焉。又無熱池南有一大樹，名為贍部，是故此洲從彼得名。次於此北、有設拉末梨大樹叢林，四生種類妙翅諸鳥栖集其中。此四大洲各二中洲以為眷屬。復有一洲，羅剎所住。

> 次に、須弥山（スメール）の頂上、中ほどには、帝釈天（たいしゃくてん）の宮殿が建てられています。その広さは、縦横それぞれ一万ヨージャナ（古代インドの距離単位）もあります。残りの場所は、かの天人の村々や集落となっています。この山の四方は、四大洲（四大陸）に対応し、四種の宝でできています。すなわち、贍部洲（せんぶしゅう、南の大陸）に対面する面は瑠璃（るり）、毘提訶洲（びだいかしゅう、東の大陸）には銀、瞿陀尼洲（くだにしゅう、西の大陸）には金、拘盧洲（くるしゅう、北の大陸）には玻璃（はり）でできています。 また、贍部洲の端に沿って、転輪聖王（てんりんじょうおう）の道があり、これは純金でできています。これは四大王天（四天王の天界）の生き物たちの膝丈ほどの高さにあたり、大海に沈んでいます。もし転輪聖王がこの世に現れると、その膝丈ほど海の水が減ります。 さらに、無熱悩池（むねつのういけ、アノータッタ池）の南には、大きな一本の木があり、その名を贍部（せんぶ）といいます。このため、この洲もその名を取りました。この木の北には、ある樹木の大群生地「設拉末梨の叢林」があり、四つの生れ方（卵生・胎生・湿生・化生）の種々の妙翅鳥（みょうちょう、ガルダ）がその中に集まり住んでいます。 これらの四大洲には、それぞれ二つずつの中洲が属しています。また別に、羅刹（らせつ

如是器世間成已，有諸有情從極淨光天眾同分沒，來生此中。

> このようにして物質的な世界が成立した後、多くの生命ある者たちが、最も清らかな光の天界の仲間から姿を消し、この世界に生まれ来ました。

餘如前說。此皆由彼感劫初業。此業第一，最勝微妙，欲界所攝；唯於此時此業感果，非於餘時。

> 残りは前述の通りです。これらはすべて、劫の初めに感じ取られる業によるものです。この業は第一であり、最も優れ、微妙で、欲界に含まれます。ただこの時にのみ、この業が結果をもたらし、他の時においてそうではありません。

爾時有情名劫初者。又彼有色從意所生。如是一切，如經廣說。彼於爾時，未有家宅及諸聚落。一切大地面皆平正。

> その昔、劫初（ごうしょ）と呼ばれる生きとし生けるものたちがいました。彼らは色かたちを備え、心の思いから生まれました。これらすべてについては、経典に詳しく説かれている通りです。当時は、家や村といった住まいはまだ存在せず、大地はどこまでも平らかに広がっていました。

自此以後，由諸有情福業力故，有地味生。如是漸次，地餅、林藤，不種粳稻，自然出現，無糠無𥝖。次有粳稻，有𥝖有糠。次復處處粳稻叢生，於是有情方現攝受。

> その後、生きとし生けるものたちの福徳の力によって、大地に地味が生じました。やがて次第に、地餅や林藤が現れ、種をまかずとも粳米が実り、しかも籾殻や糠のない状態で自然に現れるようになりました。その後、籾殻や糠のある粳米が現れ、さらに至る所に粳米が群生するようになり、その時、生きとし生けるものたちは初めてそれらを採取し、所有するようになりました。

次由受用味等資緣，有情之類惡色便起，光明遂滅。其多食者惡色逾增，身極沈重。此諸有情互相輕毀，惡法現行。由此因緣，所有味等漸沒於地。如經廣說。復從此緣，諸有情類更相顧眄，便起愛染。次由能感男女業故，一分有情男根生起，一分有情女根生起。遞相陵犯，起諸邪行，遂為他人之所訶呰，方造室宅以自隱蔽。復由攝受粳稻因故，遂於其地復起攝受。

> 次に、味わいなどの享受する縁によって、有情たちの中には悪い色が生じ、光明が消えていった。多く食べる者は悪い色がさらに増し、身体は極めて重くなった。これらの有情たちは互いに軽蔑し合い、悪法が現れ行われた。この因縁によって、味わいなどのものは次第に地の中に没していった。経典に詳しく説かれている通りである。 さらにこの縁によって、有情たちは互いに見つめ合い、愛執の心を生じさせた。次に、男女の業を感じる因縁によって、一部の有情には男根が生じ、一部の有情には女根が生じた。互いに陵辱し合い、様々な邪行を起こし、他人から非難されるようになった。そこで家屋を造って自らを隠すようになった。さらに、粳米を受容する因縁によって、その土地に対して執着が生じるようになった。

由此緣已，更相爭奪，不與取法從此而生。即由此緣立司契者，彼最初王名大等意。如是便有剎帝利眾、婆羅門眾、吠舍眾、戍陀羅眾出現世間。漸次因緣，如經廣說。又彼依止光明既滅，世間便有大黑闇生，日月星宿漸漸而起。其日輪量五十一踰繕那。當知月輪其量減一。日輪以火頗胝所成，月輪以水頗胝所成。此二輪中，月輪行速及與不定。又彼日輪，恒於二洲俱時作明，復於二洲俱時作闇。謂於一日中，於一日出，於一夜半，於一日沒。又一切所有日月星宿，歷蘇迷盧處半而行，與持雙山高下量等。又復日行時有遠近，若遠蘇迷盧，立為寒分；若近蘇迷盧，立為熱分。即由此故，沒有遲速。又此月輪，於上稍欹，便見半月。由彼餘分障其近分，遂令不見。如如漸側，如是如是漸現圓滿；若於黑分如如漸低，如是如是漸現虧減。由大海中有魚鼈等影現月輪，故於其內有黑相現。諸星宿中，其量大者十八拘盧舍量，中者十拘盧舍量，最小者四拘盧舍量。

> このような因縁から、互いに奪い合い、与えられていないものを取る行為が生じたのです。この因縁により、契約を司る者が立てられ、最初の王は「マハーサンマタ」（大等意）と名付けられました。こうして、クシャトリヤ（王族）、バラモン（僧侶）、ヴァイシャ（庶民）、シュードラ（隷民）の四つの階級が世に現れました。その次第は、経典に詳しく説かれている通りです。 また、彼らの依りどころであった光明が消えた後、世界に大きな闇が生じ、日月星辰が徐々に現れました。その日輪の大きさは五十一由旬です。月輪はそれより一由旬小さいと知るべきです。日輪は火のガラスでできており、月輪は水のガラスでできています。この二つの輪のうち、月輪の運行は速く、かつ不規則です。 また、その日輪は常に二つの洲を同時に照らし、同時に二つの洲を暗くします。すなわち、一日のうちに、一つの洲に日が昇り、一つの洲では夜半となり、一つの洲では日が沈むのです。 また、日月星辰はすべて、須弥山の中腹を巡り、持双山と高さが同じです。 さらに、太陽の運行には遠近があります。須弥山から遠いときは寒季となり、近いときは熱季となります。このことにより、運行の遅速が生じます。 また、この月輪が上方に傾くと半月が見えます。残りの部分がその近くを覆うため、見えなくなるのです。徐々に傾くにつれて、徐々に満ちて見えます。黒分（月の欠ける期間）に徐々に低くなると、徐々に欠けて見えます。大海の中に魚や亀などの影が月輪に映るため、その内側に黒い模様が現れます。 星宿の中で、大きいものは十八拘盧舎、中くらいのものは十拘盧舎、最も小さいものは四拘盧舎の大きさです。

復次，於世間四姓生已，方乃發起順愛不愛五趣受業。從此以後，隨一有情由感雜染增上業故，生那洛迦中作靜息王。從此無間，有那洛迦卒，猶如化生，及種種苦具，謂銅鐵等那洛迦火起。然後隨業有情於此受生，及生餘趣。

> さらに、世間の四つの身分が生まれた後に、好き嫌いのある五つの世界に導く業が生じる。その後のある有情は、汚れた増上業の力によって、地獄に生まれ、静息王となる。その後、間を置かずに、地獄の獄卒が、まるで化身のように現れ、銅や鉄など様々な苦しみの道具と共に、地獄の火が起こる。そして、有情はその業に従い、ここに生まれ、また他の世界に生まれる。

如是百拘胝四大洲，百拘胝蘇迷盧，百拘胝六欲天，百拘胝梵世間，三千大千世界俱成俱壞。即此世界有其三種。一、小千界，謂千日月乃至梵世，總攝為一。二、中千界，謂千小千。三、大千界，謂千中千。合此名為三千大千世界。如是四方上下無邊無際三千世界，正壞正成。猶如天雨，注如車軸，無間無斷，其水連注，墮諸方分。如是世界遍諸方分，無邊無際，正壞正成。即此三千大千世界名一佛土。如來於中現成正覺，於無邊世界施作佛事。

> このように、百倶胝の四大洲、百倶胝の須弥山、百倶胝の六欲天、百倶胝の梵世間、すなわち三千大千世界は、すべて同時に生成され、すべて同時に壊滅します。 この世界には三つの種類があります。 第一に、小千世界（しょうせんせかい）。すなわち、千の日月から梵世に至るまでを総合して一つとします。 第二に、中千世界（ちゅうせんせかい）。すなわち、千の小千世界を一つとします。 第三に、大千世界（だいせんせかい）。すなわち、千の中千世界を一つとします。 これらを合わせて、三千大千世界と名づけます。 このように、東西南北・上下のあらゆる方向に、限りなく広がる三千世界が、正に壊れつつあり、正に成りつつあります。 ちょうど、雨が車軸のように激しく降り注ぎ、絶え間なく水が連なって方々に落ちていくように、世界もまた、あらゆる方角に遍く、限りなく広がっており、正に壊れつつあり、正に成りつつあるのです。 この三千大千世界を、一仏の仏土（ぶっど）と名づけます。 如来はその世界において正覚（しょうがく）を現し、果てしない世界で仏の教えを広めるのです。

如是安立世界成已，於中五趣可得，謂那洛迦、傍生、餓鬼、人、天。

> こうして世界が成立すると、その中には五つの生存領域がある。すなわち、地獄、畜生、餓鬼、人間、天界である。

及四生可得，謂卵生、胎生、濕生、化生。復有六種依持。

> そして、四つの生まれ方がある。すなわち、卵生・胎生・湿生・化生である。さらに、六つのよりどころがある。

復有十種時分，謂時、年、月、半月、日、夜、剎那、怛剎那、臘縛、目呼剌多。

> さらに、十種類の時間の区分があります。すなわち、時、年、月、半月、日、夜、刹那、怛刹那、臘縛、目呼剌多です。

復有七攝受事。

> また、七つの摂受の事柄がある。

復有十種身資具。

> さらに、十種類の身体のための必需品がある。

復有十種受欲者，此如中阿笈摩說。復有八數隨行。

> また、十種の欲望を受ける者たちがいる。これは『中阿含経』に説かれている通りである。さらに、八つの随行するものがある。

復有八世法，謂得、不得、若譽、若毀、稱、譏、苦、樂。

> また、八つの世間的な事柄があります。それは、得ること、失うこと、誉められること、貶されること、賞賛されること、中傷されること、苦しみ、楽しみです。

復有三品，謂怨、親、中。復有三種世事。

> また、三つの種類があります。それは「怨み」「親しみ」「どちらでもない」です。さらに、三つの世間のことがらがあります。

復有三種語言。復有二十二種發憤。

> また、三種類の言葉があります。さらに二十二種類の奮起（意欲を奮い立たせること）があります。

復有六十二種有情之類。又有八位。復有四種入胎。

> さらに、六十二種類の生きとし生けるものが存在します。また、八つの境地があり、さらに四つの胎内への入り方があります。

復有四種威儀。復有六種活命。

> さらに四つの威儀があります。さらに六つの生計の方法があります。

復有六種守護。復有七種苦。復有七種慢。

> 六つの守るべきものがあります。 七つの苦しみがあります。 七つの慢心があります。

復有七種憍。復有四種言說。復有眾多言說句。

> さらに七つの驕りがある。さらに四つの語り方がある。さらに多くの語りの句がある。

云何那落迦趣？謂種果所攝那洛迦諸蘊，及順那洛迦受業。如那洛迦趣如是，傍生、餓鬼、人、天、如其所應盡當知。

> 問う、地獄の世界とは何か。それは、その報いとして地獄に生まれ変わる原因となる業によってもたらされた、地獄の生きとし生けるものたちの心と身体の集まり、そして、地獄に生まれ変わる原因となる行いのことをいう。地獄の世界についてそうであるならば、畜生、餓鬼、人間、天人の世界も、それぞれに当てはまることを理解すべきである。

云何卵生？謂諸有情破㲉而出。彼復云何？如鵞、雁、孔雀、鸚鵡、舍利鳥等。

> 卵生とは何か。それは、有情が殻を破って生まれることである。具体的には、ガチョウ、雁、孔雀、鸚鵡、九官鳥などがこれにあたる。

云何胎生？謂諸有情胎所纏裹，剖胎而出。彼復云何？如象、馬、牛、驢等。

> 胎生とは何でしょうか？それは、胎内で包まれて育ち、そこから出て生まれてくる有情（生きとし生けるもの）を指します。具体的には、例えばゾウ、ウマ、ウシ、ロバなどがこれにあたります。

云何濕生？謂諸有情隨因一種濕氣而生。彼復云何？如蟲、蝎、飛蛾等。

> 湿生とは何か。それは、生き物が湿気によって生まれることである。具体的には、虫やサソリ、蛾などがそれにあたる。

云何化生？謂諸有情業增上故，具足六處而生，或復不具。彼復云何？如天、那洛迦全，及人、鬼、傍生一分。

> 問う、化生とは何か。それは、有情たちの業の力によって、六つの感覚器官（六処）を備えて生まれること、あるいは備えずに生まれることをいう。さらに具体的に言えば、天界の衆生や地獄の衆生のすべて、そして人間・餓鬼・畜生の一部がこれに該当する。

云何六種依持？一、建立依持，謂最下風輪及水輪、地輪。令諸有情不墜下故起，是名依持。二、藏覆依持，謂屋宇等。為諸有情離流漏等所損故起，是名依持。彼屋宇等略有三種。或由造作，或不由造作，或宮殿化起。三、豐稔依持，為諸有情段食故起，是名依持。四、安隱依持，為諸有情離刀仗等所害故起，是名依持。五、日月依持，為諸有情見色故起，是名依持。六、食依持，謂四食。一、段食，二、觸食，三、意思食，四、識食。為諸有情任持身故起，是名依持。

> 六種類の「依持（よりどころ）」とは何か。第一に、世界を支える依持。すなわち、最下層の風輪、そして水輪、地輪である。これらは、生きとし生けるものが下方に落ちないようにするために生じる。これを依持という。第二に、覆い隠す依持。すなわち、家屋などである。これらは、生きとし生けるものが雨漏りなどの損害から離れるために生じる。これを依持という。その家屋などには、おおまかに三つの種類がある。すなわち、人が作ったもの、人が作らず自然に生じたもの、あるいは宮殿が神通力で出現したものである。第三に、豊かに実らせる依持。これは、生きとし生けるものが食事を得るために生じる。これを依持という。第四に、安らかで穏やかな依持。これは、生きとし生けるものが刀や杖などの害から離れるために生じる。これを依持という。第五に、太陽と月の依持。これは、生きとし生けるものが色を見るために生じる。これを依持という。第六に、食べ物の依持。すなわち、四種の食である。第一に段食（かたまりの食物）、第二に触食（接触による食物）、第三に意思食（意志による食物）、第四に識食（識別による食物）である。これらは、生きとし生けるものが身体を持ち続けるために生じる。これを依持という。

云何七種攝受事？一、自父母事，二、妻子事，三、奴婢僕使事，四、朋友官僚兄弟眷屬事，五、田宅邸肆事，六、福業事及方便作業事，七、庫藏事。

> 七つの執着の対象とは何か。第一に、自分自身と父母に関する事柄。第二に、妻や子に関する事柄。第三に、召使や使用人に関する事柄。第四に、友人、役人、兄弟、親族に関する事柄。第五に、田畑や家屋、店舗に関する事柄。第六に、善行や仕事の手段に関する事柄。第七に、倉庫や財産に関する事柄である。

云何十種身資具？一、食，二、飲，三、乘，四、衣，五、莊嚴具，六、歌笑舞樂，七、香鬘塗末，八、什物之具，九、照明，十、男女受行。

> 十種の身体を支える資具とは何か。 一つ目は食べ物、二つ目は飲み物、三つ目は乗り物、四つ目は衣服、五つ目は装身具、六つ目は歌や笑い、舞、楽器、七つ目は香や花輪、塗り香、粉末の香、八つ目は日用品や雑具、九つ目は明かり、十つ目は男女の交わりである。

云何八數隨行？謂諸世間數數隨所行事。一、蔽覆事，二、瑩飾身事，三、威儀易奪事，四、飲食事，五、睡眠事，六、交會事，七、屬彼勤劬事，八、屬彼言說事。

> 八つの随行（付き従う行為）とは何か。それは、世の人々が繰り返し行う事柄である。第一に、覆い隠すこと、第二に、身を飾り整えること、第三に、威儀を変えてしまうこと、第四に、飲食すること、第五に、眠ること、第六に、交合すること、第七に、他の人のために労すること、第八に、他の人に従って話すことである。

云何三種世事？一、語言談論，更相慶慰事；二、嫁娶賓主，更相飲噉事；三、於起作種種事中，更相營助事。

> 『三つの世俗の営み』とは何か。 第一に、言葉による会話や、互いに祝い慰め合うこと。 第二に、結婚や客をもてなす際に、互いに飲食を共にすること。 第三に、様々な仕事を行う際に、互いに助け合うこと。

云何三種語言？謂有法語言、無法語言，及餘語言。有法語言者，謂宣說厭捨，離諸纏蓋趣可愛樂等。廣說如經。無法語言者，謂染污心說飲食等。餘語言者，謂無記心所起言說。

> 三つの種類の言葉とは何か。すなわち、有法の言葉、無法の言葉、そしてその他の言葉である。有法の言葉とは、厭離や捨離を説き、心のわずらわしさや覆いから離れ、愛着すべき境地へ向かうことを教える言葉である。詳しくは経典に説かれる通りである。無法の言葉とは、汚れた心によって、飲食などの世俗的なことを語る言葉である。その他の言葉とは、善悪どちらでもない心によって発せられる言葉のことである。

云何二十二種發憤？一、偽斗，二、偽稱，三、偽函，四、邪業方便，五、拒鬪，六、輕調，七、違反，八、諍訟，九、罵詈，十、忿怒，十一、訶責，十二、迫脅，十三、捶打，十四、殺害，十五、繫縛，十六、禁閉，十七、割截，十八、驅擯，十九、諂曲，二十、矯誑，二十一、陷逗，二十二、妄語。

> 二十二種の執着とは何か。一、偽りの秤、二、偽りの分銅、三、偽りの枡、四、不正な生業、五、争いを仕掛けること、六、軽んじて嘲ること、七、背くこと、八、言い争うこと、九、ののしること、十、怒ること、十一、叱り責めること、十二、脅すこと、十三、打ち叩くこと、十四、殺すこと、十五、縛ること、十六、閉じ込めること、十七、切り裂くこと、十八、追い払うこと、十九、こびへつらうこと、二十、偽ること、二十一、はめようとすること、二十二、嘘をつくこと。

云何六十二種有情之類？一、那洛迦，二、傍生，三、鬼，四、天，五、人，六、剎帝利，七、婆羅門，八、吠舍，九、戍陀羅，十、女，十一、男，十二、非男非女，十三、劣，十四、中，十五、妙，十六、在家，十七、出家，十八、苦行，十九、非苦行，二十、律儀，二十一、不律儀，二十二、非律儀非不律儀，二十三、離欲，二十四、未離欲，二十五、邪性聚定，二十六、正性聚定，二十七、不定聚定，二十八、苾芻，二十九、苾芻尼，三十、正學，三十一、勤策男，三十二、勤策女，三十三、近事男，三十四、近事女，三十五、習斷者，三十六、習誦者，三十七、淨施人，三十八、宿長，三十九、中年，四十、少年，四十一、軌範師，四十二、親教師，四十三、共住弟子及近住弟子，四十四、賓客，四十五、營僧事者，四十六、貪利養恭敬者，四十七、厭捨者，四十八、多聞者，四十九、大福智者，五十、法隨法行者，五十一、持經者，五十二、持律者，五十三、持論者，五十四、異生，五十五、見諦，五十六、有學，五十七、無學，五十八、聲聞，五十九、獨覺，六十、菩薩，六十一、如來，六十二、轉輪王。此轉輪王復有四種。或王一洲，或二三四。王一洲者，有鐵輪應；王二洲者，有銅輪應；王三洲者，有銀輪應；王四洲者，有金輪應。

> 六十二種類の有情とは何か。 一、地獄の者、二、畜生、三、餓鬼、四、天、五、人、六、刹帝利（武士階級）、七、婆羅門（司祭階級）、八、ヴァイシャ（平民）、九、シュードラ（奴隷階級）、十、女性、十一、男性、十二、中性、十三、劣った者、十四、中くらいの者、十五、優れた者、十六、在家、十七、出家、十八、苦行を行う者、十九、苦行を行わない者、二十、戒律を守る者、二十一、戒律を破る者、二十二、どちらでもない者、二十三、欲を離れた者、二十四、欲を離れていない者、二十五、邪定聚（必ず悪道に落ちる群）、二十六、正定聚（必ず悟りを得る群）、二十七、不定聚（どちらとも定まらない群）、二十八、比丘（男性僧）、二十九、比丘尼（女性僧）、三十、式叉摩那（学法女）、三十一、沙弥（見習い僧・男）、三十二、沙弥尼（見習い僧・女）、三十三、優婆塞（在家信者・男）、三十四、優婆夷（在家信者・女）、三十五、断修行に励む者、三十六、読誦に励む者、三十七、浄施を行う者、三十八、長老、三十九、中年、四十、少年、四十一、軌範師（阿闍梨）、四十二、親教師（和尚）、四十三、同室の弟子および近しく住む弟子、四十四、賓客（訪れる僧）、四十五、僧の世話をする者、四十六、利養や尊敬を求める者、四十七、俗世を厭い捨てる者、四十八、多聞（広く学んだ者）、四十九、大いなる福徳と智慧を持つ者、五十、法に従い法を実践する者、五十一、経典を暗誦する者、五十二、律を暗誦する者、五十三、論を暗誦する者、五十四、凡夫、五十五、真理を見た者、五十六、有学（修行中の聖者）、五十七、無学（完成した聖者）、五十八、声聞、五十九、独覚、六十、菩薩、六十一、如来、六十二、転輪聖王。 この転輪聖王にはさらに四種類がある。すなわち、一つの洲を統治する者、あるいは二つ、三つ、四つの洲を統治する者である。 一つの洲を統治する王には鉄の輪宝が現れ、二つの洲を統治する王には銅の輪宝が現れ、三つの洲を統治する王には銀の輪宝が現れ、四つの洲を統治する王には金の輪宝が現れる。

云何八位？謂處胎位、出生位、嬰孩位、童子位、少年位、中年位、老年位、耄熟位。處胎位者，謂羯羅藍等。出生位者，謂從此後乃至耄熟。嬰孩位者，謂乃至未能遊行嬉戲。童子位者，謂能為彼事。少年位者，謂能受用欲塵，乃至三十。中年位者，謂從此位乃至五十。老年位者，謂從此位乃至七十。從此以上，名耄熟位。

> 八つの段階とは何か。それは、胎内にいる時期、生まれた時期、幼児の時期、少年の時期、青年の時期、中年の時期、老年の時期、そして極老の時期である。 胎内にいる時期とは、受精卵などの状態を指す。 生まれた時期とは、その後の、極老に至るまでの全期間を指す。 幼児の時期とは、自分で歩き回ったり遊んだりできない時期を指す。 少年の時期とは、自分でいろいろなことができるようになる時期を指す。 青年の時期とは、五感の楽しみを十分に味わうことができる時期で、おおよそ三十歳までを指す。 中年の時期とは、それ以降、五十歳までを指す。 老年の時期とは、それ以降、七十歳までを指す。 それ以上の年齢を、極老の時期と呼ぶ。

云何四種入胎？一、正知而入，不正知住出；二、正知入住，不正知而出；三、俱能正知；四、俱不正知。初謂輪王，二謂獨覺，三謂菩薩，四謂所餘有情。

> はい、四種類の胎内への入り方があります。 第一に、入る時は正しく知覚しているが、留まっている間と出る時は正しく知覚しないもの。 第二に、入る時と留まっている間は正しく知覚しているが、出る時は正しく知覚しないもの。 第三に、入る時、留まっている間、出る時のすべてにおいて正しく知覚するもの。 第四に、すべてにおいて正しく知覚しないもの。 第一は転輪聖王、第二は独覚、第三は菩薩、第四はそれ以外の有情です。

云何六種活命？一、營農，二、商賈，三、牧牛，四、事王，五、習學書算計數及印，六、習學所餘工巧業處。

> 六つの正しい生き方を説明しましょう。第一に農業、第二に商売、第三に牧畜、第四に王に仕えること、第五に読み書きや算術、計算、印章に関する技術を学ぶこと、第六にその他の手工芸の技術を学ぶことです。

云何六種守護？謂象軍、馬軍、車軍、步軍、藏力、友力。

> 六つの守護とは何か。それは象軍、馬軍、車軍、歩兵軍、財の力、友の力である。

云何七種苦？謂生苦、老苦、病苦、死苦、怨憎會苦、愛別離苦、求不得苦。

> 七つの苦しみとは何か。それは、生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病む苦しみ、死ぬ苦しみ、嫌な者と出会う苦しみ、愛する者と別れる苦しみ、求めても得られない苦しみである。

云何七種慢？謂慢、過慢、慢過慢、我慢、增上慢、卑慢、邪慢。

> 七つの慢（慢・過慢・慢過慢・我慢・増上慢・卑慢・邪慢）

云何七種憍？謂無病憍、少年憍、長壽憍、族姓憍、色力憍、富貴憍、多聞憍。

> では、七種類の慢（おごり）とは何でしょうか。それは、病気がないことへの慢、若さへの慢、長寿への慢、家柄への慢、容姿や体力への慢、富や地位への慢、そして多くの知識があることへの慢、これら七つです。

云何四種言說？謂依見、聞、覺、知所有言說。依見言說者，謂依眼故，現見外色，由此因緣，為他宣說，是名依見言說。依聞言說者，謂從他聞，由此因緣，為他宣說，是名依聞言說。依覺言說者，謂不見不聞，但自思惟、稱量、觀察，由此因緣，為他宣說，是名依覺言說。依知言說者，謂各別於內、所受、所證、所觸、所得，由此因緣，為他宣說，是名依知言說。

> 四つの話し方とは何でしょうか。それは、「見る」「聞く」「感じる」「知る」に基づく話し方です。 「見る」に基づく話し方とは、目によって外の色や形を直接見て、その因縁によって他の人に説き明かすことです。これを「見るに基づく話し方」といいます。 「聞く」に基づく話し方とは、他の人から聞いたことを、その因縁によって他の人に説き明かすことです。これを「聞くに基づく話し方」といいます。 「感じる」に基づく話し方とは、見たり聞いたりしたわけではなく、自分自身で考え、推し量り、観察したことを、その因縁によって他の人に説き明かすことです。これを「感じるに基づく話し方」といいます。 「知る」に基づく話し方とは、それぞれが内側で受け止め、証得し、触れ、得たことを、その因縁によって他の人に説き明かすことです。これを「知るに基づく話し方」といいます。

云何眾多言說句？謂即此亦名釋詞句，亦名戲論句，亦名攝義句，如是等類，眾多差別。

> 多くの「言説の句」とは何か。それは、すなわち「解釈を施すことばの句」とも呼ばれ、「虚妄の分別を巡らせることばの句」とも、「内容をまとめることばの句」とも呼ばれる。このように、多くの異なる種類があるのである。

又諸字母能攝諸義，當知亦名眾多言說句。

> また、様々なアルファベットが多くの意味を包含していることから、これらは「多くの言葉の文句」とも呼ばれると知るべきです。

彼復云何？所謂地、根、境、法、補特伽羅、自性、差別、作用、自、他、有、無、問、答、取、與、正性、邪性句。

> また、何をさすのか。それは地・根・境・法・補特伽羅（生きとし生けるもの）・自性（本来の性質）・差別・作用・自・他・有・無・問・答・取・与・正性・邪性の句である。

又有聽制、功德、過失、得、不得、毀、譽、苦、樂、稱、譏、堅妙、智退、沈、量、助伴、示現、教導、讚勵、慶慰句。

> さらに、戒律、功徳、過失、得る、得ない、非難、称賛、苦、楽、賞賛、嘲笑、堅固・微妙、智慧の退転、沈鬱、限度、善友、示現、教導、讃嘆・励まし、慶祝・慰めの句がある。

又有七言論句，此即七例句。謂補盧沙、補盧衫、補盧崽拏、補盧沙耶、補盧沙䫂、補盧殺娑、補盧鎩，如是等。

> また、七つの語形変化（格変化）を持つ単語があります。これを「七例句」と呼びます。すなわち、puruṣa（主格）、puruṣam（対格）、puruṣeṇa（具格）、puruṣāya（与格）、puruṣāt（奪格）、puruṣasya（属格）、puruṣe（処格）というものです。これらがその例です。

復有施設、教勅、標相、靜息、表了、軌則、安立、積集、決定、配屬、驚駭、初、中、後句。族姓等、立宗、言說、成辦、受用、尋求、守護、羞恥、憐愍、堪忍、怖畏、簡擇句。

> 「施設」「教勅」「標相」「静息」「表了」「軌則」「安立」「積集」「決定」「配属」「驚駭」の句、および「初」「中」「後」の句がある。 さらに「族姓」などの「立宗」「言説」「成弁」「受用」「尋求」「守護」「羞恥」「憐愍」「堪忍」「怖畏」「簡択」の句がある。

又有父母妻子等，一切所攝資具，應當廣說。及生老等，乃至所求不得、愁歎、少年、無病、長壽、愛會、怨離、所欲隨應、若不隨應，往來、顧視、若屈若申、行住坐臥、警悟、語默、解睡、解勞句。

> また、父母や妻子など、すべてのものに属する生活の道具について詳しく説くべきである。そして、生・老・病・死などの苦しみ、さらには求めても得られない苦しみ、嘆き悲しむこと、若さ、無病、長寿、愛する者と会うこと、憎む者と別れること、欲するものが思い通りになること、ならぬこと、行き来すること、見回すこと、体を曲げ伸ばしすること、歩く・立つ・座る・寝ること、目覚めること、話すこと、黙ること、眠りから覚めること、疲れを癒すことなどについての文句がある。

又有飲噉、咀味、串習、不串習、放逸、不放逸、廣略、增減、尋伺、煩惱、隨煩惱、戲論、離戲論、力劣、所成、能成、流轉、定異、相應、勢速、次第、時、方、數、和合、不和合、相似、不相似句。

> さらに、以下のようなものがあります。 飲み食いすること、味わうこと、繰り返し身につけること、身につけないこと、気ままに任せること、気ままに任せないこと、詳しく述べること、簡潔に述べること、増やすこと、減らすこと、探し求めること、悩み、細かな悩み、無益な分別、分別を離れること、力が弱いこと、作り上げられたもの、作り上げるもの、流れ巡ること、定まった違い、対応すること、速やかな勢い、順序、時、方角、数、調和、不調和、似ていること、似ていないこと、という句です。

又有雜糅、共有、現見、不現見、隱顯句。

> また、混ざり合い、共通、現に見える、現に見えない、隠れている、顕れている、といった言葉がある。

又有能作、所作、法律、世事、資產、真妄、利益、非利益、骨體、疑慮、驚怪句。

> また、「なす主体」と「なされる行為」、「法則」と「世俗の事柄」、「財産」と「真実・虚偽」、「利益」と「不利益」、「骨格」と「疑い・驚き・怪しみ」の句がある。

又有怯弱、無畏、顯了、不顯了、殺害、繫縛、禁閉、割截、驅擯句。

> また、臆病、恐れなし、明らか、隠されている、殺す、縛る、閉じ込める、切り刻む、追い払う、という句があります。

又有罵詈、忿怒、捶打、迫脅、訶責、燒爛、燥暑、摧伏、渾濁、聖教隨逐比度句。

> また、罵り、怒り、殴る、脅す、責める、焼く、暑さに悩ませる、打ち負かす、濁らせるという教えが、聖なる教えに従って比べられる言葉がある。

## 瑜伽師地論卷第二

> 瑜伽師地論 第二巻