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title: "瑜伽師地論 · 7項 增處差別"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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復次，眼有一種。謂能見色。或立二種。謂長養眼、異熟生眼。或立三種。謂肉眼、天眼、慧眼。或立四種。謂有瞚眼、無瞚眼、恒相續眼、不恒相續眼。恒相續者，謂色界眼。或立五種。謂五趣所攝眼。或立六種。謂自相續眼、他相續眼、端嚴眼、醜陋眼、有垢眼、無垢眼、或立七種。謂有識眼、無識眼、強眼、弱眼、善識所依眼、不善識所依眼、無記識所依眼。或立八種。謂依處眼、變化眼、善業異熟生眼、不善業異熟生眼、食所長養眼、睡眠長養眼、梵行長養眼、定所長養眼。或立九種。謂已得眼、未得眼、曾得眼、未曾得眼、得已失眼、應斷眼、不應斷眼、已斷眼、非已斷眼。或立十種者、無。或立十一種。謂過去眼、未來眼、現在眼、內眼、外眼、麁眼、細眼、劣眼、妙眼、遠眼、近眼、如眼如是，耳等亦爾。

> さらに、眼には一つの種類がある。すなわち、色を見ることができるものである。あるいは、二つの種類を立てる。すなわち、育てられた眼と、過去の行いの結果として生まれた眼である。あるいは、三つの種類を立てる。すなわち、肉眼、天眼、慧眼である。あるいは、四つの種類を立てる。すなわち、まばたきのある眼、まばたきのない眼、常に続く眼、常には続かない眼である。常に続く眼とは、色界の眼のことである。あるいは、五つの種類を立てる。すなわち、五つの生存領域に属する眼である。あるいは、六つの種類を立てる。すなわち、自分自身の連続する眼、他人の連続する眼、美しい眼、醜い眼、濁りのある眼、濁りのない眼である。あるいは、七つの種類を立てる。すなわち、識が伴う眼、識が伴わない眼、強い眼、弱い眼、善い識の拠り所となる眼、善くない識の拠り所となる眼、善でも悪でもない識の拠り所となる眼である。あるいは、八つの種類を立てる。すなわち、拠り所となる眼、変化によって生じた眼、善い行いの結果として生まれた眼、悪い行いの結果として生まれた眼、食べ物によって育てられた眼、睡眠によって育てられた眼、清らかな行いによって育てられた眼、瞑想によって育てられた眼である。あるいは、九つの種類を立てる。すなわち、すでに得た眼、まだ得ていない眼、かつて得た眼、まだかつて得たことのない眼、得た後に失った眼、断つべき眼、断つべきでない眼、すでに断った眼、まだ断っていない眼である。あるいは、十の種類を立てることはない。あるいは、十一の種類を立てる。すなわち、過去の眼、未来の眼、現在の眼、内なる眼、外なる眼、粗い眼、細かい眼、劣った眼、優れた眼、遠い眼、近い眼である。眼についてこのようにあるのと同様に、耳などについてもまた同様である。

是中差別者，謂增三、增四。三種耳者，謂肉所纏耳、天耳、審諦耳。四種耳者，謂恒相續耳、不恒相續耳、高聽耳、非高聽耳。

> ここでの「耳」の違いについて説明します。 「三種の耳」とは、肉にまとわれた耳（肉耳）、天の耳（天耳）、そして物事を確かに聞き分ける耳（審諦耳）のことです。 「四種の耳」とは、常に続いて聞こえる耳（恒相続耳）、常に続かず時々聞こえる耳（不恒相続耳）、遠くの音を高く聞き取る耳（高聴耳）、そうでない普通の耳（非高聴耳）のことです。

三種鼻舌者，謂光淨、不光淨、及被損。四種鼻舌者，謂恒相續、不恒相續、有識、無識。

> 3種類の鼻と舌とは、清らかなもの、清らかでないもの、そして損なわれたものの三つです。 4種類の鼻と舌とは、常に続くもの、常に続かないもの、意識を伴うもの、意識を伴わないものの四つです。

三種身者，謂滓穢處、非滓穢處、及一切遍諸根所隨逐故。四種身者，謂恒相續、不恒相續、有自然光、無自然光。

> 三種の身体とは、汚濁した領域、汚濁していない領域、そしてあらゆる感覚器官が随伴する領域のことをいいます。 四種の身体とは、常に連続するもの、常には連続しないもの、自然に光を放つもの、自然に光を放たないもののことです。

或立一種意。謂由識法義故。或立二種。謂墮施設意、不墮施設意。初謂了別名言者意，後謂嬰兒意。又初謂世間意，後謂出世間意。或立三種。謂心、意、識。或立四種。謂善、不善、有覆無記、無覆無記。或立五種。謂五位差別：一、因位，二、果位，三、樂位，四、苦位，五、不苦不樂位。或立六種。謂六識身。或立七種。謂依七識住。

> あるいは、一つの「意」を立てる。すなわち、識が法と義を了別するという意味による。 あるいは、二種を立てる。すなわち、「施設に堕する意」と「施設に堕さない意」である。初めのものは、名言を了別する者の意をいい、後のものは、嬰児の意をいう。また、初めのものは世間の意、後のものは出世間の意である。 あるいは、三種を立てる。すなわち、心・意・識である。 あるいは、四種を立てる。すなわち、善・不善・有覆無記・無覆無記である。 あるいは、五種を立てる。すなわち、五位の差別である。一に因位、二に果位、三に楽位、四に苦位、五に不苦不楽位である。 あるいは、六種を立てる。すなわち、六識身である。 あるいは、七種を立てる。すなわち、七識住による。

或立八種。謂增語觸相應、有對觸相應、依耽嗜、依出離、有愛味、無愛味、世間、出世間。或立九種。謂依九有情居。或立十種者，無。或立十一種，如前說。

> あるいは八種を立てる。すなわち、増語触（言葉の感覚）とそれに対応するもの、有対触（物体との接触）とそれに対応するもの、執着に基づくものと離脱に基づくもの、味わいを好むものと味わいを好まないもの、世間のものと世間を超えたものの八つである。あるいは九種を立てる。これは九つの有情（生きとし生けるもの）の住む場所に基づく。十種を立てることはない。あるいは十一種を立てるが、これは先に述べたとおりである。

或立十二種，即十二心。謂欲界善心、不善心、有覆無記心、無覆無記心。色界有三心，除不善；無色界亦爾。出世間心有二種。謂學及無學。

> あるいは、十二の種類を立てる。すなわち十二の心である。欲界の善心、不善心、有覆無記心、無覆無記心という。色界には三つの心があり、不善を除く。無色界も同じである。出世間の心には二つの種類がある。すなわち有学と無学である。

或立一種色。謂由眼所行義故。或立二種謂內色、外色。或立三種。謂顯色、形色、表色。或立四種。謂有依光明色、無依光明色、正不正光明色、積集住色。或立五種。謂由五趣差別故。或立六種。謂建立所攝色、覆藏所攝色、境界所攝色、有情數色、非有情數色、有見有對色。或立七種。謂由七種攝受事差別故。或立八種。謂依八世雜說：一、地分雜色，二、山雜色，三、園林池沼等雜色，四、宮室雜色，五、業處雜色，六、彩畫雜色，七、鍛業雜色，八、資具雜色。或立九種。謂若過去、若未來、若現在、若麁、若細、若劣、若妙、若遠、若近。或立十種。謂十種資具。

> 色は、次のように様々に分類できます。 1種類：眼で見ることのできるもの（眼所行義）として。 2種類：内なる色（内色）と外なる色（外色）に。 3種類：色そのもの（顕色）、形（形色）、動作の様子（表色）に。 4種類：光に依存する色（有依光明色）、光に依存しない色（無依光明色）、正しい・正しくない光による色（正不正光明色）、積み重なって存在する色（積集住色）に。 5種類：五つの生存領域（五趣）の違いによって。 6種類：認識の基盤となる色（建立所摂色）、覆い隠される色（覆蔵所摂色）、対象となる色（境界所摂色）、有情が数に入る色（有情数色）、有情でないものが数に入る色（非有情数色）、見え、触れられる色（有見有対色）に。 7種類：七つの執着の対象（七種摂受事）の違いによって。 8種類：世間で語られる八つの雑多な色に基づいて。すなわち、①地面の雑色、②山の雑色、③林や池などの雑色、④宮殿の雑色、⑤仕事場の雑色、⑥絵画の雑色、⑦鍛造品の雑色、⑧道具の雑色。 9種類：過去・未来・現在、粗い・細かい、劣る・優れる、遠い・近い、という観点から。 10種類：十種類の生活用具（十種資具）として。

或立一種聲。謂由耳所行義故。或立二種。謂了義聲、不了義聲。或立三種。謂因受大種聲、因不受大種聲、因俱大種聲。或立四種。謂善、不善、有覆無記、無覆無記。或立五種。謂由五趣差別故。或立六種。一、受持讀誦聲，二、請問聲，三、說法聲，四、論議決擇聲，五、展轉言教若犯若出聲，六、喧雜聲。或立七種。謂男聲、女聲、下聲、中聲、上聲、鳥獸等聲、風林叢聲。

> あるいは、一つの「声」を立てる場合もある。耳によって行われる対象であるからである。 あるいは、二つに分ける場合もある。明確な意味を持つ声と、明確でない意味を持つ声である。 あるいは、三つに分ける場合もある。大種（物質の基本要素）によって生じる声、大種によらずに生じる声、その両方によって生じる声である。 あるいは、四つに分ける場合もある。善、不善、有覆無記、無覆無記である。 あるいは、五つに分ける場合もある。五つの生存領域による違いのためである。 あるいは、六つに分ける場合もある。 一、経典を受け持ち読み上げる声、 二、質問をする声、 三、教えを説く声、 四、議論し道理を選び取る声、 五、互いに教えを伝え合い、戒律の違反やその告白に関する声、 六、騒がしい雑音である。 あるいは、七つに分ける場合もある。男性の声、女性の声、低い声、中くらいの声、高い声、鳥や獣などの声、風や林や草むらの音である。

或立八種。謂四聖言聲，四非聖言聲。四非聖言者，一、不見言見、見言不見非聖言；二、不聞言聞、聞言不聞非聖言；三、不覺言覺、覺言不覺非聖言；四、不知言知、知言不知非聖言。四聖言者，一、見言見、不見言不見聖言；二、聞言聞、不聞言不聞聖言；三、覺言覺、不覺言不覺聖言；四、知言知、不知言不知聖言。又有八種。謂四善語業道，四不善語業道。

> ある場合には、八つの種類が立てられる。それは、四つの聖なる言葉と四つの聖ならざる言葉である。四つの聖ならざる言葉とは、第一に見ていないものを見たと言い、見たものを見ていないと言う聖ならざる言葉。第二に聞いていないものを聞いたと言い、聞いたものを聞いていないと言う聖ならざる言葉。第三に感じていないものを感じたと言い、感じたものを感じていないと言う聖ならざる言葉。第四に知っていないものを知っていると言い、知っているものを知っていないと言う聖ならざる言葉である。 四つの聖なる言葉とは、第一に見たものを見たと言い、見ていないものを見ていないと言う聖なる言葉。第二に聞いたものを聞いたと言い、聞いていないものを聞いていないと言う聖なる言葉。第三に感じたものを感じたと言い、感じていないものを感じていないと言う聖なる言葉。第四に知っているものを知っていると言い、知っていないものを知っていないと言う聖なる言葉である。 また、別の八つの種類もある。それは、四つの善なる言葉による行為の道と、四つの不善なる言葉による行為の道である。

或立九種。謂過去、未來、現在，乃至若遠、若近。或立十種。謂五樂所攝聲。此復云何？一、舞俱行聲，二、歌俱行聲，三、絃管俱行聲，四、女俱行聲，五、男俱行聲，六、螺俱行聲，七、腰等鼓俱行聲，八、岡等鼓俱行聲，九、都曇等鼓俱行聲，十、俳叫聲。

> 或は九種を立てる。すなわち、過去・未来・現在、さらには遠きもの・近きものという区別である。 あるいは十種を立てる。それは五つの楽に含まれる声である。これについて詳しく述べると、何が十種か。 一、舞に伴う声、 二、歌に伴う声、 三、弦管に伴う声、 四、女に伴う声、 五、男に伴う声、 六、ほら貝に伴う声、 七、腰鼓などの太鼓に伴う声、 八、岡鼓などの太鼓に伴う声、 九、都曇鼓などの太鼓に伴う声、 十、道化の叫び声である。

或立一種香。謂由鼻所行義故。或立二種。謂內及外。或立三種。謂可意、不可意、及處中香。或立四種。謂四大香。一、沈香，二、窣堵魯迦香，三、龍腦香，四、麝香。或立五種。謂根香、莖香、葉香、花香、果香。或立六種。謂食香、飲香、衣香、莊嚴具香、乘香、宮室香。或立七種。謂皮香、葉香、素泣謎羅香、栴檀香、三辛香、熏香、末香。或立八種。謂俱生香、非俱生香、恒續香、非恒續香、雜香、純香、猛香、非猛香。或立九種。謂過去、未來、現在等，如前說。或立十種。謂女香、男香、一指香、二指香、唾香、洟香、脂髓膿血香、肉香、雜糅香、淤埿香。

> あるいは、香を一種と立てる。鼻によって行われる意味があるからである。 あるいは、二種と立てる。内と外があるからである。 あるいは、三種と立てる。好ましい香、好ましくない香、どちらでもない中位の香があるからである。 あるいは、四種と立てる。四種の大きな香がある。第一に沈香、第二に卒塔婆香（そとうばこう）、第三に竜脳香（りゅうのうこう）、第四に麝香（じゃこう）である。 あるいは、五種と立てる。根の香、茎の香、葉の香、花の香、果実の香があるからである。 あるいは、六種と立てる。食物の香、飲み物の香、衣服の香、装飾品の香、乗り物の香、宮殿や部屋の香があるからである。 あるいは、七種と立てる。皮の香、葉の香、蘇合香（そごうこう）、栴檀香（せんだんこう）、三種の辛い香、燻す香（くんこう）、粉末の香（まっこう）があるからである。 あるいは、八種と立てる。共に生まれる香、共に生まれない香、常に続く香、常に続かない香、混ざった香、純粋な香、強い香、強くない香があるからである。 あるいは、九種と立てる。過去・未来・現在などの香がある。これは前に述べた通りである。 あるいは、十種と立てる。女性の香、男性の香、一本指の香、二本指の香、唾液の香、鼻水の香、脂肪・骨髄・膿・血の香、肉の香、雑多に混ざった香、泥の香がある。

或立一種味。謂由舌所行義故。或立二種。謂內及外。或立三種。謂可意等如前說。或立四種。謂大麥味、粳稻味、小麥味、餘下穀味。或立五種。謂酒飲味、非酒飲味、蔬菜味、林果味、所食味。或立六種。謂甘苦等。或立七種。謂酥味、油味、蜜味、甘蔗變味、乳酪味、鹽味、肉味。或立八種。如香說。或立九種。亦如香說。或立十種。謂可嚼味、可噉味、可甞味、可飲味、可吮味、可爆乾味、充足味、休愈味、盪滌味、常習味。後五謂諸藥味。

> あるいは、一つの味を立てる。舌によって行われる境（領域）だからである。 あるいは、二つを立てる。内と外である。 あるいは、三つを立てる。意にかなうなどの、先に述べた通りである。 あるいは、四つを立てる。大麦の味、うるち米の味、小麦の味、その他の下等な穀物の味である。 あるいは、五つを立てる。酒の飲み物の味、酒ではない飲み物の味、野菜の味、林の果実の味、食べ物の味である。 あるいは、六つを立てる。甘い・苦いなどである。 あるいは、七つを立てる。酥（バター）の味、油の味、蜜の味、甘蔗の加工品の味、乳酪（ヨーグルト）の味、塩の味、肉の味である。 あるいは、八つを立てる。香りの場合と同じである。 あるいは、九つを立てる。これも香りの場合と同じである。 あるいは、十を立てる。噛める味、食べられる味、味わう味、飲める味、吸える味、乾燥させた味、満ち足りる味、治癒する味、洗い清める味、常に慣れ親しむ味である。後の五つは、諸々の薬の味のことである。

或立一種觸。謂由身所行義故。或立二種。如香說。或立三種。謂可意等。或立四種。謂摩觸、搦觸、打觸、揉觸。或立五種。謂五趣差別。又有五種。謂蚊䗈風日蛇蠍等觸。或立六種。謂苦、樂、不苦不樂、俱生、所治攝、能治攝。或立七種。謂堅鞕觸、流濕觸、煖觸、動觸、跳墮觸、摩按觸、身變異觸。謂濕滑等。或立八種。謂手觸觸、塊觸觸、杖觸觸、刀觸觸、冷觸觸、煖觸觸、飢觸觸、渴觸觸。或立九種。如香說。或立十種。謂食觸、飲觸、乘觸、衣觸、莊嚴具觸、床坐觸、机橙臺枕及方座觸、女觸、男觸、彼二相事受用觸。

> あるいは、一つの触（接触）を立てる。それは身によって行われるという意味による。 あるいは、二つを立てる。香の場合と同様である。 あるいは、三つを立てる。意にかなうものなどである。 あるいは、四つを立てる。撫でる触、掴む触、打つ触、揉む触である。 あるいは、五つを立てる。五つの生存世界の違いによる。 さらに五つがある。蚊、あぶ、風、太陽、蛇、さそりなどによる触である。 あるいは、六つを立てる。苦、楽、苦でも楽でもない、それらと共に生じるもの、対治法に含まれるもの、治法に含まれるものである。 あるいは、七つを立てる。固くてかたい触、流れて湿る触、温かい触、動く触、跳ねたり落ちたりする触、撫で押す触、身体の変化による触、つまり湿り気や滑らかさなどである。 あるいは、八つを立てる。手の触れ合う触、石の触れ合う触、杖の触れ合う触、刀の触れ合う触、冷たい触れ合う触、温かい触れ合う触、飢えの触れ合う触、渇きの触れ合う触である。 あるいは、九つを立てる。香の場合と同様である。 あるいは、十を立てる。食べ物の触、飲み物の触、乗り物の触、衣服の触、装飾品の触、寝床や座席の触、机、椅子、台、枕、そして四角い座の触、女性の触、男性の触、それら二つの対象（女性と男性）と関わる受用の触である。

略說法界，若假若實，有八十七法。彼復云何？謂心所有法有五十三，始從作意，乃至尋、伺為後邊。法處所攝色有二種。謂律儀不律儀所攝色、三摩地所行色。不相應行有二十四種，謂得、無想定、滅盡定、無想異熟、命根、眾同分、異生性、生、老、住、無常、名身、句身、文身、流轉、定異、相應、勢速、次第、時、方、數、和合、不和合。無為有八事。謂虛空、非擇滅、擇滅、善、不善、無記法真如、不動、想受滅。如是無為，廣八略六，若六若八，平等平等。

> 法界について簡単に説明すると、仮のものと実のものとを合わせて八十七の法（ダルマ）があります。では、それらはどのようなものかというと、心に属する法（心所有法）は五十三種あり、作意（注意を向けること）から始まり、尋（粗い分別）・伺（細かい分別）で終わります。法処（心の対象）に含まれる色（物質的なもの）は二種あり、それは律儀と不律儀に含まれる色、および三昧（瞑想）の状態で経験される色です。心と対応しないはたらき（不相応行）は二十四種あり、それらは、得、無想定、滅尽定、無想異熟、命根、衆同分、異生性、生、老、住、無常、名身、句身、文身、流転、定異、相応、勢速、次第、時、方、数、和合、不和合です。条件づけられないもの（無為）は八種あり、虚空、非択滅、択滅、善・不善・無記の法の真如、不動、想受滅です。このように、無為は広く説くと八種、簡略に説くと六種とされますが、六種であれ八種であれ、その本質はまったく同じです。

復次，法界或立一種。謂由意所行義。或立二種。謂假所攝法、非假所攝法。或立三種。謂有色、無色、及有為無為。或立四種。謂有色假所攝法、無色心所有所攝法、無色不相應假所攝法、無色無為假非假所攝法。

> さらに、法界（ほっかい）は一つの種類として立てられることもあります。それは、心がはかる対象（意味）として存在するからです。また、二つの種類として立てられることもあります。すなわち、仮に設定された法（かりにそえたほう）と、仮ではない法（かりではないほう）です。三つの種類としては、色のあるもの、色のないもの、そして因果関係のあるもの（有為）とないもの（無為）が挙げられます。四つの種類では、色のあるもので仮に設定された法、色のない心の働き（心所）に含まれる法、色のない心と対応しない仮の法、そして色のない無為で仮か仮でないかのどちらでもない法、と区別されます。

或立五種。謂色、心所法、心不相應行、善、無記無為。

> あるいは五つに立てる。すなわち、色と心所法と心不相応行と善と無記無為である。

或立六種。謂受、想、相應行、不相應行、色、無為。或立七種。謂受、想、思、染污、不染污、色、無為。或立八種。謂善、不善、無記、受、想、行、色、無為。

> あるいは六種を立てる。すなわち、受、想、相应行、不相应行、色、無為である。 あるいは七種を立てる。すなわち、受、想、思、染污、不染污、色、無為である。 あるいは八種を立てる。すなわち、善、不善、無記、受、想、行、色、無為である。

或立九種。謂由過去、未來等差別。或立十種。謂由十種義。一、隨逐生義；二、領所緣義；三、取所緣相義；四、於所緣造作義；五、即彼諸法分位差別義；六、無障礙義；七、常離繫義；八、常非離繫義；九、常無顛倒義；十、苦樂離繫義、非受離繫義及受離繫義。如是若內若外六處所攝法，差別分別有六百六十。

> 九つの種類を挙げることもある。それは過去・未来などによる区別である。また十の種類を挙げることもある。それは十の意味による。第一に、生に随い従う意味。第二に、対象を受容する意味。第三に、対象の相を把握する意味。第四に、対象に対して働きかける意味。第五に、それらの諸法の位の違いの意味。第六に、妨げのない意味。第七に、常に解脱している意味。第八に、常に解脱していない意味。第九に、常に顛倒のない意味。第十に、苦楽からの解脱の意味、受からの非解脱の意味、および受からの解脱の意味。このように、内と外の六つの処に含まれる法の区別は、細かく分けると六百六十となる。