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title: "瑜伽師地論 · 2項 破執"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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應審問彼：汝何所欲？為無障緣而有障礙？為有障緣耶？若無障緣者，無障礙緣而有障礙，不應道理。

> あなたに問います。あなたが望むのは、障害となる縁がないのに障害があるということですか？ それとも、障害となる縁があるのですか？ もし障害となる縁がないのに障害があるというなら、それは道理に合いません。

若有障緣者，屬果之因何故不障？同是有故，不應道理。

> たとえ妨げる縁があっても、果報の原因はなぜ妨げられないのか。どちらも同じ存在である以上、道理に合わない。

譬如黑闇障瓫中水，亦能障瓫。

> 例えば、暗闇が瓶の中の水を覆い隠すように、瓶そのものも覆い隠すことができる。

若言障緣亦障因者，亦應顯因，俱被障故。而言但顯因中先有果性，不顯因者，不應道理。

> もし「さまたげとなる条件が原因もさまたげる」と言うなら、同じように結果も明らかにされるべきです。なぜなら両方ともさまたげられるからです。しかし、「原因の中にすでに結果の性質があることだけを示し、原因そのものを示さない」というのは道理に合いません。

復應問彼：為有性是障緣？為果性耶？若有性是障緣者，是即有性常不顯了，不應道理。因亦是有，何不為障？

> さらに彼に問うべきである。「『有るという性質』が妨げとなるのか？それとも『結果としての性質』か？もし『有るという性質』が妨げとなるならば、その『有るという性質』は常に明らかにならないことになり、道理に合わない。原因もまた『有る』のだから、なぜ妨げとならないのか？」

若言果性是障緣者，是則一法亦因亦果，如芽是種子果，是莖等因，是即一法亦顯不顯，不應道理。

> 果性がさまたげの原因であると言うなら、一つの法が同時に因にも果にもなることになります。例えば、芽は種子の果であり、茎などの因でもあるように、一つの法が現れたり現れなかったりするのは道理に合いません。

又今問汝，隨汝意答。本法與顯為異不異？若不異者，法應常顯，顯已復顯，不應道理。

> さて、汝に問う。汝の考えに従って答えよ。 この根本の法（ダルマ）と、顕れたもの（顕）とは、異なるのか、異ならないのか。 もし異ならないのであれば、法は常に顕れていなければならない。すでに顕れたものが再び顕れるというのは、道理に合わない。

若言異者，彼顯為無因耶？為有因耶？

> もし「異なる」というなら、それは原因なく生じるのか、それとも原因があるのか。

若言無因，無因而顯，不應道理。

> もし「原因がない」と言い、原因なくして物事が現れるとするなら、それは道理に合わない。

若有因者，果性可顯，非是因性，以不顯因能顯於果，不應道理。

> もし原因があるならば、結果としての性質は明らかになり得るのです。しかし、それは原因そのものの性質によるのではありません。なぜなら、原因が自らを明らかにせずに結果を明らかにするということは、道理に合わないからです。

如是無障緣故，有障緣故，有相故，果相故，顯不異故，顯異故，不應道理。

> このように、妨げとなる因縁がないことや、妨げとなる因縁があること、特徴があること、結果としての特徴があること、異ならないことが明らかであること、異なることが明らかであることなどは、論理的に道理にかなっていません。

是故汝言：若法性無，是即無相，若法性有，是即有相。

> だから、あなたが「もし法の本性が無であるなら、それは無相であり、もし法の本性が有であるなら、それは有相である」と言うのは、そういうことです。

性若是無，不可顯了，性若是有，方可顯了者；不應道理。

> もし「本性」というものが「無い」のであれば、それを明らかにすることはできません。もし「有る」のであれば、初めて明らかにできるはずです――という考えは、道理にかなっていません。

我今當說：雖復是有，不可取相。謂或有遠故，雖有而不可取。

> では、今からお話ししましょう。「存在しているとしても、その形に固執してはいけない」と。例えば、遠くにあるものは、確かに存在していても、そのまま捉えることはできないのです。

又由四種障因障故，而不可取。復由極微細故，而不可取。

> さらに、四つの障害となる因によって妨げられているため、捉えることができません。 また、非常に微細であるため、捉えることもできないのです。

或由心散亂故，而不可取。

> あるいは心が散乱しているために、捉えることができない。

或由根損壞故，而不可取。

> あるいは、感覚器官が損なわれているために、捉えることができない場合もある。

或由未得彼相應智故，而不可取。

> あるいは、その対応する智慧を得ていないために、捉えることができないのである。

如因果顯了論不應道理，當知聲相論者亦不應理。

> 因果関係が明らかであるという論は道理にかなわない。同様に、音声の形相に関する論もまた、道理にかなわないと知るべきである。

此中差別者，外聲論師起如是見，立如是論：聲相常住，無生無滅；然由宣吐方得顯了。

> ここでの違いについて、外部の声論師たちは次のような見解を立て、議論を構築しています。「音声の本質は常住であり、生じることも滅することもない。しかし、発声することによって初めて顕現するのである」と。