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title: "瑜伽師地論 · 2項 正破"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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應審問彼：汝何所欲？去來二相與現在相為一為異？

> くり返し問いなさい。「あなたの考えはどうか。過去・現在・未来の三つの相は、一つなのか、それとも別々なのか」と。

若言相一，立三世相，不應道理。

> 「相が一つである」と言いながら、三世（過去・現在・未来）にわたって相があると説くのは、道理に合いません。

若相異者，性相實有，不應道理。

> もし性質が異なるなら、その性質や形相が実在するというのは道理に合いません。

又汝應說自意所欲？墮三世法、為是常相？為無常相？若常相者，墮在三世，不應道理。

> さらに、あなたは自分の考えを述べなさい。三世に落ちる法は、常住の相なのでしょうか、それとも無常の相なのでしょうか。もし常住の相であるならば、三世に落ちるというのは道理に合いません。

若無常相，於三世中恒是實有，不應道理。

> もし無常の相が三世にわたって常に実在するならば、道理に合いません。

又今問汝，隨汝意答。為計未來法來至現在世耶？為彼死已，於此生耶？為即住未來為緣，生現在耶？為本無業，今有業耶？為本相不圓滿，今相圓滿耶？為本異相，今異相耶？為於未來有現在分耶？

> さあ、今あなたに問う。あなたの心に従って答えなさい。 未来のものが、今この現在の世界にやって来るのか。 それとも、それが滅びてから、今ここに生まれるのか。 それとも、未来に留まったまま縁となり、現在のものが生まれるのか。 もともと業が無くて、今になって生じるのか。 もともと相が完全でなく、今、完全になるのか。 もともと異なる相で、今、異なる相になるのか。 未来の中に、すでに現在の部分があるのか。

若即未來法來至現在者，此便有方所；復與現在應無差別；復應是常；不應道理。

> もし未来の法が現在に至るのなら、それには場所があることになる。また、それは現在の法と区別がなくなる。さらに、それは常住であることになる。これらの理由から、その考えは道理に適わない。

若言未來死已現在生者，是即未來不生於今；現在世法本無今生；又未來未生而言死沒；不應道理。

> もし「未来に死んだものが、現在に生まれる」と言うならば、それは未来が現在に生まれないということであり、現在の世の法（現象）は本来、現在に新たに生まれることがない。また、まだ生じていない未来のものを「死没した」と言うのは、道理として成り立たない。

若言法住未來，以彼為緣生現在者，彼應是常；又應本無今生，非未來法生；不應道理。

> もし「法は未来に存在し、それを縁として現在のものが生じる」と言うならば、その未来の法は常なるものであるはずです。また、本来なかったものが現在に生じることになり、未来の法から生じるのではありません。これは道理にかなっていません。

若本無業用，今有業用，是則本無今有，便有如前所說過失，不應道理。

> もし本来作用がなかったものが、今になって作用を持つようになったとすれば、それは本来なかったものが今あるようになるということであり、先に述べたような過ち（無から有が生じるという不合理）が生じることになり、道理にかなわない。

又汝何所欲？此業用與彼本法為有異相？為無異相？

> あなたの考えをお聞かせください。この「業用」（はたらき）と、それのもととなる「本法」（本体）は、異なる性質を持つものですか？それとも同じ性質を持つものですか？

若有異相，此業用相未來無故，不應道理。

> もし異なった相があるなら、この業の作用の相は未来には存在しないため、道理に合わない。

若無異相，本無業用，今有業用，不應道理。

> もし異なる相がなく、本来は作用もないのに、今になって作用があるとすることは、道理に合わない。

如無業用有此過失，如是相圓滿、異相、未來分相應知亦爾。

> もし作用がないということで、このような過失があるならば、「相が円満である」「異なる相」「未来の部分」についても、同様に理解すべきである。

此中差別者，復有自性雜亂過失故，不應道理。

> ここでの違いですが、「自性の混乱」という過失がさらに加わるため、道理にかなっていません。

如未來向現在如是，現在往過去，如其所應過失應知。謂即如前所計諸因緣及所說破道理。

> 未来から現在へ、そして現在から過去へと向かうのも、同じように考えるべきである。それぞれの場合に応じて、同じ過ちがあると知らねばならない。すなわち、先に述べた様々な因縁や、その誤りを指摘した道理が、ここにも当てはまるのである。

如是自相故，共相故，來故，死故，為緣生故，業故，相圓滿故，相異故，未來有分故，說過去未來體實有論，不應道理。

> このように、自己の本質（自相）や共通の本質（共相）があるから、過去から未来へと続くから、死ぬから、縁によって生まれるから、業があるから、相が完全だから、相が異なるから、未来に部分があるからという理由で、「過去と未来は実体として存在する」と論じるのは、道理にかなっていません。

如是說已，復有難言：若過去、未來是無，云何緣無而有覺轉？若言緣無而有覺轉者，云何不有違教過失？如說：一切有者，謂十二處。

> こう言われた後、さらに次のような反論がありました。「もし過去と未来が存在しないのであれば、どうして『無いもの』を対象として認識が生じるのでしょうか？もし『無いもの』を対象として認識が生じるのなら、なぜ教えに反する過ちがないと言えるのでしょうか？例えば『一切有るものとは、十二処のことである』と説かれています。」

我今問汝，隨汝意答。世間取無之覺為起耶？為不起耶？

> さあ、あなたに尋ねます。あなたの思うままに答えなさい。 この世において、「無い」という認識は生じるでしょうか？ 生じないでしょうか？

若不起者，能取無我、兔角、石女兒等覺皆應是無，此不應理。

> もしも「起（起こるもの）」が存在しないのであれば、「無我」や「兎の角」「石の娘」などの概念的な認識もすべて無いことになるが、これは道理に合わない。

又薄伽梵說：我諸無諂聲聞，如我所說正修行時，若有知有，若無知無。此不應道理。

> また、尊き師はこう説かれました。「私の偽りのない声聞たちは、私が説く通りに正しく修行するとき、あるものをあると知り、ないものをないと知る。」しかし、これは道理にかなっていません。

若言起者，汝意云何？此取無覺，為作有行？為作無行？

> もし「生じる」と言うなら、あなたはどう考えますか？この「執着」には自覚がなく、それに基づく行動があるのですか？それとも無意識の行動なのですか？

若作有行，取無之覺而作有行，不應道理。

> もし「有る行（修行や努力）をして、無いものを執り求め、そのような有る行のままに“得た”と感じる」ならば、それは道理にかなわない。

若作無行者，汝何所欲？此無行覺，為緣有事轉？為緣無事轉？

> もし「あるがままの認識」が存在しないとするならば、あなたはどう考えますか？その「無行の覚醒」は、存在するものに基づいて生じるのでしょうか、それとも存在しないものに基づいて生じるのでしょうか？

若緣有事轉者，無行之覺緣有事轉，不應道理。

> もし何らかの対象（事）に基づいて心が動くのであれば、その動きのない覚り（無行の覚）が対象に基づいて動くことになり、道理に合いません。

若緣無事轉者，無緣無覺，不應道理。

> もし縁（えん）が事（こと）もなく変わってしまうならば、縁に基づく覚りもなくなり、それは道理に合いません。

又雖說一切有者，謂十二處；然於有法密意說有有相，於無法密意說有無相。

> さらに「すべてのものがある」と説く場合、それは十二処（じゅうにしょ）を指しています。しかし、「存在するもの」については、存在する形態があると密かに説き、「存在しないもの」については、存在しない形態があると密かに説いているのです。

所以者何？若有相法能持有相，若無相法能持無相；是故俱名為法，俱名為有。

> なぜかというと、形あるものは形あるものを支え、形のないものは形のないものを支えるからです。したがって、それらはどちらも「法」と呼ばれ、どちらも「存在」と呼ばれるのです。

若異此者，諸修行者唯知於有，不知於無；應非無間觀所知法，不應道理。

> これと異なるならば、修行者たちは「ある」ことだけを知り、「ない」ことを知らないことになります。そうだとすれば、彼らが途切れることなく（無間）認識の対象を観察するということは、道理に合いません。

又雖說言有過去業；由此業故，諸有情受有損害受、無損害受。此亦依彼習氣，密意假說為有。

> また、「過去の業がある」と説かれていますが、その業によって、生きとし生けるものは損害のある感覚や損害のない感覚を受けます。これもまた、その潜在的な習気に基づいて、密意（深い意図）をもって仮に存在すると説かれているのです。

謂於諸行中，曾有淨不淨業若生若滅。由此因緣，彼行勝異相續而轉，是名習氣。由此相續所攝習氣故，愛不愛果生。

> 諸々の行（現象）の中に、かつて清らかな行いや清らかでない行いが生じたり滅したりしたことがあります。この原因によって、それらの行に優れた違いが生じ、心の流れの中に受け継がれていくのです。これを習気（習慣的な潜在力）と呼びます。この心の流れに含まれる習気によって、好ましい結果と好ましくない結果が生まれるのです。

是故於我無過，而汝不應道理。

> だからといって、私に落ち度があるわけではありません。あなたの言い分こそ道理に合いません。

復雖說言有過去色、有未來色、有現在色，如是乃至識亦爾者，此亦依三種行相密意故說。

> 過去の色があるとか、未来の色がある、現在の色があると言っても、さらには認識についても同様に述べるとしても、これらは三種類の作用の様相に基づいた、意図を含んだ表現である。

謂因相、自相、果相。依彼因相，密意說有未來；依彼自相，密意說有現在；依彼果相，密意說有過去，是故無過。

> 因、自、果の相があります。<note>因相によって未来があると密意で説き、自相によって現在があると密意で説き、果相によって過去があると密意で説きます。だから過ちはないのです。</note>

又不應說過去、未來是實有相。

> また、過去や未来は実在の姿であると説くべきではありません。

何以故？應知未來有十二種相故。一、因所顯相，二、體未生相，三、待眾緣相，四、已生種類相，五、可生法相，六、不可生法相，七、未生雜染相，八、未生清淨相，九、應可求相，十、不應求相，十一、應觀察相，十二、不應觀察相。

> なぜかと言えば、未来には十二の特徴があると知るべきだからです。第一に、原因によって示される特徴。第二に、本体がまだ生じていない特徴。第三に、様々な条件を待つ特徴。第四に、すでに生じた種類の特徴。第五に、生じうる法の特徴。第六に、生じえない法の特徴。第七に、まだ生じていない煩悩の特徴。第八に、まだ生じていない清らかな特徴。第九に、求めるべき特徴。第十に、求めるべきでない特徴。第十一に、観察すべき特徴。第十二に、観察すべきでない特徴。

當知現在亦有十二種相。一、果所顯相，二、體已生相，三、眾緣會相，四、已生種類相，五、一剎那相，六、不復生法相，七、現雜染相，八、現清淨相，九、可憙樂相，十、不可憙樂相，十一、應觀察相，十二、不應觀察相。

> 現在にもまた十二の様相があると知るべきです。 一、結果として現れる様相 二、すでに生じた本体の様相 三、さまざまな条件が集まった様相 四、すでに生じた種類の様相 五、一瞬の刹那の様相 六、再び生じることのない法の様相 七、今まさに煩わされている様相 八、今まさに清らかである様相 九、喜ばしい様相 十、喜ばしくない様相 十一、観察すべき様相 十二、観察すべきでない様相

當知過去亦有十二種相。一、已度因相，二、已度緣相，三、已度果相，四、體已壞相，五、已滅種類相，六、不復生法相，七、靜息雜染相，八、靜息清淨相，九、應顧戀處相，十、不應顧戀處相，十一、應觀察相，十二、不應觀察相。

> 過去にもまた十二の相があると知るべきです。 一、すでに因（原因）の相を超えたもの、 二、すでに縁（条件）の相を超えたもの、 三、すでに果（結果）の相を超えたもの、 四、本体がすでに壊れた相、 五、すでに滅した種類の相、 六、再び生じることがない法（現象）の相、 七、煩わしさ（雑染）が静まった相、 八、清らかさ（清浄）が静まった相、 九、執着すべき場所の相、 十、執着すべきでない場所の相、 十一、観察すべき相、 十二、観察すべきでない相。