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title: "瑜伽師地論 · 1項 敘邪執"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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宿作因論者，猶如有一，若沙門、若婆羅門，起如是見，立如是論，廣說如經。

> 宿業因縁論を唱える者とは、例えばある沙門や婆羅門がこのような見解を起こし、このような論を立てることを言います。詳しくは経典にある通りです。

凡諸世間所有士夫補特伽羅所受者，謂現所受苦。皆由宿作為因者，謂由宿惡為因。由勤精進吐舊業故者，謂由現法極自苦行。現在新業由不作因之所害故者，謂諸不善業。如是於後不復有漏者，謂一向是善性故，說後無漏。由無漏故業盡者，謂諸惡業。由業盡故苦盡者，謂宿因所作及現法方便所招苦惱。由苦盡故得證苦邊者，謂證餘生相續苦盡。謂無繫外道作如是計。

> 世の中のすべての人々が受けている苦しみは、現在現れている苦しみである。 これは、過去の行いが原因である、つまり過去の悪い行いが原因であるとされる。 「勤めて精進して古い業を吐き出す」とは、現世で極度の苦行を行うことである。 「現在の新しい業は、原因を作らないことによって害される」とは、不善の業のことである。 このようにして、後に煩悩の汚れ（漏）がなくなるのは、ひたすら善なる性質であるからであり、後に煩悩の汚れがないと説かれる。 煩悩の汚れがないために業が尽きるとは、諸々の悪業のことである。 業が尽きるために苦しみが尽きるとは、過去の原因によって作られたものと、現世での方便によって招かれた苦悩のことである。 苦しみが尽きるために苦しみの果てを証得するとは、残りの生にわたる苦しみの連続が尽きることを証得するという意味である。 これは、束縛から解き放たれたと主張する外道（ニガンタ派）がこのように考えているのである。

問：何因緣故，彼諸外道起如是見，立如是論？

> 問：どのような理由で、あの外道たちはこのような見解を起こし、このような論を立てるのでしょうか？

答：由教及理故。教如前說。理者，猶如有一，為性尋思，為性觀察，廣說如前。

> 答え：教えと理の二つによるからである。教えについては前に述べた通りである。理とは、例えばある人が、物事をよく考え、観察する性質を持つことなど、広く前に説かれた通りである。

由見現法士夫作用不決定故。

> 理由は、現世における人間の働きが決定的ではないからである。

所以者何？彼見世間雖具正方便，而招於苦；雖具邪方便、而致於樂。

> なぜかというと、世の中には正しい方法を用いても苦しみを招き、誤った方法を用いても楽を得ることがあるからです。

彼如是思：若由現法士夫作用為彼因者，彼應顛倒。由彼所見非顛倒故，是故彼皆以宿作為因。

> 彼はこう考える。「もし現在の人の働きが原因であるならば、それらは誤った見方に基づくはずだ。しかし彼らが見ているものは誤りではない。だからこそ、すべては過去の行いによって生じているのだ。」

由此理故，彼起如是見，立如是論。

> この理によって、彼はこのような見解を生じ、このような論を立てた。