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title: "瑜伽師地論 · 2項 煩惱分別"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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煩惱分別者，或立一種。謂由煩惱雜染義故。或分二種。謂見道所斷、修道所斷。或分三種。謂欲繫、色繫、無色繫。或分四種。謂欲繫記無記、色繫無記、無色繫無記。或分五種。謂見苦所斷、見集所斷、見滅所斷、見道所斷、修道所斷。或分六種。謂貪、恚、慢、無明、見、疑。或分七種。謂七種隨眠：一、欲貪隨眠，二、瞋恚隨眠，三、有貪隨眠，四、慢隨眠，五、無明隨眠，六、見隨眠，七、疑隨眠。或分八種。謂貪、恚、慢、無明、疑、見，及二種取。或分九種。謂九結，一、愛結，二、恚結，三、慢結，四、無明結，五、見結，六、取結，七、疑結，八、嫉結，九、慳結。或分十種。一、薩迦耶見，二、邊執見，三、邪見，四、見取，五、戒禁取，六、貪，七、恚，八、慢，九、無明，十、疑。或分一百二十八煩惱。謂即上十煩惱，由迷執十二種諦建立應知。

> 煩惱や分別についての説明。 \*\*あるいは一種と立てられる\*\* それは、煩惱が雑染（けがれ）の意味をもつからである。 \*\*あるいは二種に分けられる\*\* 見道で断たれるものと、修道で断たれるものである。 \*\*あるいは三種に分けられる\*\* 欲界に縛られるもの、色界に縛られるもの、無色界に縛られるものである。 \*\*あるいは四種に分けられる\*\* 欲界における有記・無記、色界における無記、無色界における無記である。 \*\*あるいは五種に分けられる\*\* 苦諦に対する迷いで断たれるもの、集諦に対する迷いで断たれるもの、滅諦に対する迷いで断たれるもの、道諦に対する迷いで断たれるもの、修道で断たれるものである。 \*\*あるいは六種に分けられる\*\* 貪（むさぼり）、恚（いかり）、慢（おごり）、無明（むみょう）、見（邪見）、疑（疑惑）である。 \*\*あるいは七種に分けられる\*\* 七種の随眠（ずいみん）である。 第一に欲貪随眠、第二に瞋恚随眠、第三に有貪随眠、第四に慢随眠、第五に無明随眠、第六に見随眠、第七に疑随眠である。 \*\*あるいは八種に分けられる\*\* 貪、恚、慢、無明、疑、見、および二種の取（とり）である。 \*\*あるいは九種に分けられる\*\* 九結（けつ）である。 第一に愛結、第二に恚結、第三に慢結、第四に無明結、第五に見結、第六に取結、第七に疑結、第八に嫉結、第九に慳結である。 \*\*あるいは十種に分けられる\*\* 第一に薩迦耶見（がけん）、第二に辺執見、第三に邪見、第四に見取、第五に戒禁取、第六に貪、第七に恚、第八に慢、第九に無明、第十に疑である。 \*\*あるいは百二十八の煩惱に分けられる\*\* すなわち、上の十種の煩惱が、十二種の諦（真理）に対する迷いと執着によって立てられることによるものであると知るべきである。

何等名為十二種諦？謂欲界苦諦、集諦，色界苦諦、集諦，無色界苦諦、集諦。欲界增上彼遍智果，彼遍智所顯滅諦、道諦；色界增上彼遍智果，彼遍智所顯滅諦、道諦；無色界增上彼遍智果，彼遍智所顯滅諦、道諦。此中於欲界苦、集諦、及於欲界增上滅、道諦、具有十煩惱迷執。於色界苦、集諦，及於彼增上滅、道諦，除瞋，有餘煩惱迷執。如於色界，於無色界亦爾。於欲界對治修中，有六煩惱迷執。謂除邪見、見取、戒禁取、疑。於色界對治修中，有五煩惱迷執。謂於上六中除瞋。如於色界對治修中，於無色對治修中亦爾。如迷執，障礙亦爾。

> 十二の真理とは何か。それは、欲界における苦しみの真理とその原因の真理、色界における苦しみの真理とその原因の真理、そして無色界における苦しみの真理とその原因の真理である。さらに、欲界における修行の完成がもたらす、すべてを理解する智慧の結果として現れる、苦しみの消滅の真理と修行の道の真理。色界における修行の完成がもたらす、すべてを理解する智慧の結果として現れる、苦しみの消滅の真理と修行の道の真理。そして無色界における修行の完成がもたらす、すべてを理解する智慧の結果として現れる、苦しみの消滅の真理と修行の道の真理である。 このうち、欲界の苦しみと原因の真理、ならびに欲界における修行の完成による苦しみの消滅と道の真理に対しては、十の煩悩が執着を生み出す。色界の苦しみと原因の真理、ならびに色界における修行の完成による苦しみの消滅と道の真理に対しては、瞋（怒り）を除いた九つの煩悩が執着を生み出す。無色界も色界と同様である。 また、欲界における煩悩を断つ修行（対治）の過程では、六つの煩悩が執着を生み出す。具体的には、邪見、見取見、戒禁取見、疑を除いたものである。色界における対治の修行では、六つのうちさらに瞋を除いた五つの煩悩が執着を生み出す。無色界における対治の修行も色界と同様である。執着と同様に、煩悩による妨げもまた同じである。

薩迦耶見者，謂由親近不善丈夫、聞非正法、不如理作意故；及由任運失念故，等隨觀執五種取蘊，若分別、不分別染污慧為體。

> 有身見（サッカーヤ・ディッティ）とは、悪い友達に近づいたり、誤った教えを聞いたり、理にかなわない考え方をすることによって生じます。また、自然と気づきを失ってしまうことによっても生じます。この見解は、五つの執着の対象（五取蘊）を、意識的に分別する場合も、分別しない場合も、それらを「私」や「私のもの」と執着して見るものです。その本質は、煩悩に染まった智慧（認識）です。

邊執見者，謂由親近不善丈夫、聞非正法、不如理作意故，及由任運失念故，執五取蘊為我性已，等隨觀執為斷為常，若分別、若不分別染污慧為體。

> 辺見とは、不善なる師に親しみ、正しからざる法を聞き、理にかなわない思考をすること、また自然と気づきを失うことによって、五つの執着の対象（五取蘊）を自己の本質と見なした上で、それを断滅するものか、あるいは常住するものかと執着する見解です。これは、分別を伴う場合も、伴わない場合もある、煩悩に染まった智慧をその本質とします。

邪見者，謂由親近不善丈夫、聞非正法、不如理作意故，撥因撥果，或撥作用，壞真實事，唯用分別染污慧為體。

> 邪見とは、不善なる人に親しみ、正しくない教えを聞き、道理にかなわない思考をする結果、原因や結果を否定したり、あるいは作用を否定したりして、真実の事柄を損なうものである。その本質は、分別を伴う汚れた智慧のみをもって成り立つ。

見取者，謂由親近不善丈夫、聞非正法、不如理作意故，以薩迦耶見、邊執見、邪見，及所依、所緣、所因俱有相應等法，比方他見，等隨觀執為最、為上、勝妙、第一，唯用分別染污慧為體。

> 見取とは、不善の友に親しく近づき、正しくない教えを聞き、道理にかなわない心の働きによって生じるものです。 これは、「我」や「私」という実体があると執着する見解（サッカーヤ・ディッティ）、永遠か断滅かのどちらかに偏る見解（辺執見）、因果の道理を否定するような誤った見解（邪見）、そしてこれらの見解に伴って生じる関連する諸法を基準として用います。 それをもとに、他の様々な見解と比較して、「これこそが最も優れており、最高で、殊勝で、第一である」と執着して見なすことをいいます。その本体は、ただ分別によって生じる煩悩に染まった智慧（慧）だけから成り立っています。

戒禁取者，謂由親近不善丈夫、聞非正法、不如理作意故，即於彼見、彼見隨行若戒若禁，及所依、所緣、所因俱有相應等法，等隨觀執為清淨、為解脫、為出離，唯用分別染污慧為體。

> 戒禁取とは、不善の友人に親しみ、正しくない教えを聞き、道理にかなわない思考をすることを原因として、その「見解」や、その見解に伴う「戒律」や「禁止事項」、さらにはそれらの拠り所となるもの、対象となるもの、原因となるもの、同時に生じるもの、対応するものなどの諸法に対して、それらを「清らかである」「解脱である」「迷いからの離脱である」と執着して観察することです。その本質は、分別を伴う煩わしい汚れた智慧のみをその体としています。

貪者，謂由親近不善丈夫、聞非正法、不如理作意故，及由任運失念故，於外及內可愛境界，若分別、不分別染著為體。

> 貪欲について説明します。これは、悪い友人に親しみ、正しくない教えを聞き、道理にかなわない考え方をすること、また、自然に気を失ってしまうことによって生じます。外側と内側の好ましい対象に対して、分別があるときもないときも、執着することを本質とします。

恚者，謂由親近不善丈夫、聞非正法、不如理作意故，及由任運失念故，於外及內非愛境界，若分別、不分別憎恚為體。

> 怒りとは、良くない人に親しみ、正しくない教えを聞き、道理にかなわない考え方をすること、また、何のきっかけもなく注意を失うことによって生じます。そして、外側と内側の望ましくない対象に対して、それを意識的に分別しようとしまいと、憎しみや怒りをその本質とする心の働きです。

慢者，謂由親近不善丈夫、聞非正法、不如理作意故，及由任運失念故，於外及內高下勝劣，若分別、不分別高舉為體。

> 「慢」とは、善くない人に親しみ、正しくない教えを聞き、理にかなわない心の働きをすることを原因とし、また、自然と気づきを失うことによって、自分の外側や内側に対して、他との「高い・低い」「優れている・劣っている」などと、分別を伴ったり伴わなかったりして、心が驕り高ぶっている状態を本質とします。

無明者，謂由親近不善丈夫、聞非正法、不如理作意故，及由任運失念故，於所知事，若分別、不分別染污無知為體。

> 無明（むみょう）とは、善くない人に親しみ、正しくない教えを聞き、道理にかなわない心の働きがあること、また、自然と心の落ち着きを失ってしまうことによって生じます。その本質は、知るべき事柄に対して、意識的に考えようと考えまいと、汚れに染まった無知であることをいいます。

疑者，謂由親近不善丈夫、聞非正法、不如理作意故，即於所知事，唯用分別異覺為體。

> 疑いとは、善くない人に親しみ、正しくない法を聞き、理にかなわない心の働きをすることによって、知るべき事柄に対して、ただ分別による異なる見解をその本質とすることを言う。