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title: "瑜伽師地論 · 8項 業差別"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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業差別云何？謂有作業，有不作業；有增長業，有不增長業；有故思業，有不故思業；如是定異熟業、不定異熟業，異熟已熟業、異熟未熟業。

> 業の違いとは何か？それには、行う業と行わない業がある。また、増長する業と増長しない業がある。さらに、故意に思ってなす業と、故意に思わずになす業がある。このようにして、必ず異熟（報い）を生む業と、必ずしも異熟を生まない業があり、異熟がすでに熟した業と、異熟がまだ熟していない業がある。

善業、不善業、無記業，律儀所攝業、不律儀所攝業、非律儀非不律儀所攝業，施性業、戒性業、修性業，福業、非福業、不動業，順樂受業、順苦受業、順不苦不樂受業，順現法受業、順生受業、順後受業，過去業、未來業、現在業，欲繫業、色繫業、無色繫業，學業、無學業、非學非無學業，見所斷業、修所斷業、無斷業。

> 善い行い、悪い行い、善悪どちらでもない行い。 戒めによって守られた行い、戒めに反する行い、どちらでもない行い。 施しによる行い、戒律を守る行い、心を育てる行い。 幸せをもたらす行い、不幸をもたらす行い、揺るがない行い。 快い結果を生む行い、苦しい結果を生む行い、どちらでもない結果を生む行い。 現世で結果が現れる行い、次の生で結果が現れる行い、さらに後の生で結果が現れる行い。 過去の行い、未来の行い、現在の行い。 欲望の世界に結びついた行い、形ある世界に結びついた行い、形なき世界に結びついた行い。 学びの道にある者の行い、学びを終えた者の行い、どちらでもない者の行い。 真理を見抜くことで断たれる行い、修行によって断たれる行い、断つ必要のない行い。

黑黑異熟業、白白異熟業、黑白黑白異熟業、非黑非白無異熟業能盡諸業。

> 黒々異熟の業、白白異熟の業、黒白・異熟の業、非黒非白で異熟なく、すべての業を尽くすもの。

曲業、穢業、濁業、清淨業、寂靜業。

> ねじれた行い、汚れた行い、濁った行い、清らかな行い、静かな行い。

作業者，謂若思業，若思已所起身業、語業。不作業者，謂若不思業，若不思已不起身業、語業。

> 作業とは、思業（意志の働き）と、思った後に起こす身業（からだの行為）・語業（ことばの行為）をいいます。 不作業とは、思わない業と、思わない後に起こさない身業・語業をいいます。

增長業者，謂除十種業。何等為十？一、夢所作業，二、無知所作業，三、無故思所作業，四、不利不數所作業，五、狂亂所作業，六、失念所作業，七、非樂欲所作業，八、自性無記業，九、悔所損業，十、對治所損業。除此十種，所餘諸業名為增長。不增長業者，謂即所說十種業。

> ここで「増長する業」とは、以下の十種の業を除いたものをいいます。その十種とは、第一に夢の中で行った業、第二に無知のまま行った業、第三に特に意図せずに行った業、第四に利益にならず、繰り返しもされなかった業、第五に心が乱れた状態で行った業、第六に正念を失った状態で行った業、第七に自らの願望によらずに行った業、第八に本来善悪の性質を持たない無記の業、第九に後悔によって損なわれた業、第十に修行によって対治され損なわれた業です。この十種を除いた、その他すべての業を「増長する業」と呼びます。一方、「増長しない業」とは、まさに今述べた十種の業のことをいいます。

故思業者，謂故思已。若作業、若增長業。不故思業者，謂非故思所作業。

> 故意に考えて行う業（故思業）とは、意識的に考えた上で行う行為や、それをさらに積み重ねた行為のことです。 一方、故意に考えずに行う業（不故思業）とは、意識的な意図なしに行われた行為を指します。

順定受業者，謂故思已，若作若增長業。順不定受業者，謂故思已，作而不增長業。

> 順定受業とは、故意に思った後に、行い、かつ増長させた業のことです。 順不定受業とは、故意に思った後に、行ったけれども増長させなかった業のことです。

異熟已熟業者，謂已與果業。異熟未熟業者，謂未與果業。

> 異熟がすでに熟した業とは、すでに結果をもたらした業のことです。 異熟がまだ熟していない業とは、まだ結果をもたらしていない業のことです。

善業者，謂無貪、無瞋、無癡為因緣業。不善業者，謂貪瞋癡為因緣業。無記業者，謂非無貪、無瞋、無癡為因緣，亦非貪瞋癡為因緣業。

> よい行いとは、むさぼり、怒り、無知の三つがないことによって生まれる行いをいいます。 悪い行いとは、むさぼり、怒り、無知の三つがあることによって生まれる行いをいいます。 どちらでもない行いとは、むさぼり、怒り、無知の三つがないことによって生まれたのでも、あることによって生まれたのでもない行いをいいます。

律儀所攝業者，謂或別解脫律儀所攝業，或靜慮等至果斷律儀所攝業，或無漏律儀所攝業。

> 律儀に含まれる業とは、別解脱律儀に含まれる業、あるいは静慮や等至の果である断律儀に含まれる業、または無漏律儀に含まれる業のことです。

不律儀所攝業者，謂十二種不律儀類所攝諸業。何等十二不律儀類？一、屠羊，二、販鷄，三、販猪，四、捕鳥，五、罝兔，六、盜賊，七、魁膾，八、守獄，九、讒刺，十、斷獄，十一、縛象，十二、呪龍。

> 十二の悪業に含まれる行いとは、次の十二種類の悪い生活手段に関わるすべての業のことです。その十二種類とは、一、羊を殺すこと、二、鶏を売ること、三、豚を売ること、四、鳥を捕らえること、五、兎を罠で獲ること、六、盗みをすること、七、死刑執行人、八、牢番、九、陰口を叩くこと、十、裁判で人を不利にすること、十一、象を縛ること、十二、龍を呪うこと、です。

非律儀非不律儀所攝業者，謂除三種律儀業及不律儀類業，所餘一切善、不善、無記業。

> 非律儀でも非不律儀でもない業とは、三種の律儀の業と不律儀の類の業を除いた、その他すべての善・不善・無記の業を指します。

施性業者，謂若因緣、若等起、若依處、若自性。彼因緣者，謂以無貪、無瞋、無癡為因緣。彼等起者，謂無貪、無瞋、無癡俱行，能捨所施物、能起身語業思。彼依處者，謂以所施物及受者為依處。彼自性者，謂思所起能捨所施物身業、語業。如施性業，如是戒性業、修性業隨其所應應知。

> 布施の行為について説明します。それは因縁、等起、依処、自性の四つの観点から見ることができます。 その因縁とは、貪り（むさぼり）の心がなく、怒りがなく、無知（おろかさ）がないことを因縁とします。 その等起とは、貪り・怒り・無知のない心と共に起こり、施す物を手放すことができる、身体と言葉の行為を起こそうとする思（意志）のことを指します。 その依処とは、施す物と受け取る人を依りどころとします。 その自性（本質）とは、その思から起こる、施す物を手放す身体の行為と言葉の行為のことです。 布施の行為についてこのように説いたように、戒律を守る行為や、心を修める行為についても、それぞれに応じて同じように理解すべきです。

此中戒性業，因緣、等起如前。自性者，謂律儀所攝身語業等。依處者，謂有情、非有情數物。

> ここでの戒（道徳的規律）の本質となる働き（業）、その原因や縁、生じるきっかけなどは前の通りです。 その自性（本質）とは、律儀に含まれる身体と言葉の行為などを指します。 そのよりどころ（依処）とは、有情の生き物と、有情でないものの両方を指します。

修性因緣者，謂三摩地因緣，即無貪、無瞋、無癡。等起者，謂彼俱行引發定思。自性者，謂三摩地。依處者，謂十方無苦無樂等有情界。又具施戒修者所有相貌，應知一切如餘處說。

> 修行の性質と原因となる縁とは、心を一つに集中する三昧（三摩地）の因縁であり、それは「むさぼらないこと（無貪）」「怒らないこと（無瞋）」「愚かでないこと（無痴）」を指します。 「等しく起こるもの」とは、それらと共に働き、心を定めるための思考を引き起こすものです。 「自性」とは、三昧そのものです。 「依り所」とは、十方に存在する苦も楽もない有情の世界を指します。 また、施し・戒律・修行を備えた方の様々な姿については、他の箇所で詳しく述べられている通りであると知るべきです。

福業者，謂感善趣異熟，及順五趣受善業。非福業者，謂感惡趣異熟，及順五趣受不善業。不動業者，謂感色、無色界異熟，及順色、無色界受善業。

> 福業とは、善い生まれ変わり（善趣）の結果をもたらす善行、そして五つの生存領域（五趣）における幸せな経験を生み出す善い行いを指します。 非福業とは、悪い生まれ変わり（悪趣）の結果をもたらす不善行、そして五つの生存領域における苦しみを招く不善な行いを指します。 不動業とは、色界と無色界の生まれ変わりをもたらす善行、そして色界と無色界での安らかな経験を生み出す善い行いを指します。

順樂受業者，謂福業及順三靜慮受不動業。順苦受業者，謂非福業順不苦不樂受業者，謂能感一切處阿賴耶識異熟業，及第四靜慮以上不動業。

> 楽受に順ずる業とは、福業と、三静慮に順ずる不動業のことである。 苦受に順ずる業とは、非福業のことである。 苦でも楽でもない受（捨受）に順ずる業とは、一切の処の阿頼耶識の異熟を感ずる業と、第四静慮より以上（の空無辺処など）の不動業のことである。

順現法受業者，謂能感現法果業。順生受業者，謂能感無間生果業。順後受業者，謂能感彼後生果業。

> 現世で果報をもたらす業とは、その現世で結果を感得できる業のことです。 次の生で果報をもたらす業とは、次の人生で間を置かずに結果を感得する業のことです。 後の生で果報をもたらす業とは、それ以降の未来の人生で結果を感得する業のことです。

過去業者，謂住習氣位，或已與果、或未與果業。未來業者，謂未生未滅業。現在業者，謂已造、已思、未謝滅業。

> 過去の業とは、習気の状態にあるものをいいます。あるいはすでに結果を生み終えたもの、まだ結果を生んでいないものを含みます。 未来の業とは、まだ生じず、まだ滅していない業のことです。 現在の業とは、すでに造られ、すでに思われたけれども、まだ消滅し終えていない業のことです。

欲繫業者，謂能感欲界異熟，墮欲界業。色繫業者，謂能感色界異熟，墮色界業。無色繫業者，謂能感無色界異熟，墮無色界業。

> 欲界に縛られる業とは、欲界での結果（異熟）をもたらし、欲界に落ちる業のことです。 色界に縛られる業とは、色界での結果をもたらし、色界に落ちる業のことです。 無色界に縛られる業とは、無色界での結果をもたらし、無色界に落ちる業のことです。

學業者，謂若異生、若非異生，學相續中所有善業。無學業者，謂無學相續中所有善業。非學非無學業者，謂除前二，餘相續中所有善、不善、無記業。

> 学習者の業とは、凡夫あるいは修行者において、修行の相続の中にあるすべての善業をいいます。 無学習者の業とは、無学の相続の中にあるすべての善業をいいます。 学習者でも無学習者でもない業とは、前述の二つを除いた、その他の相続の中にあるすべての善業・不善業・無記業をいいます。

見所斷業者，謂受惡趣不善等業。修所斷業者，謂受善趣善、不善、無記業。無斷業者，謂世出世諸無漏業。

> \- 見道で断たれるべき業とは、悪趣に受ける不善の業などをいう。 - 修道で断たれるべき業とは、善趣に受ける善・不善・無記の業をいう。 - 断たれるべきものがない業とは、世俗・出世間の諸々の無漏の業をいう。

黑黑異熟業者，謂非福業。白白異熟業者，謂不動業。黑白黑白異熟業者，謂福業。有不善業為惡對故，由約未斷非福業時所有福業而建立故。非黑非白無異熟業能盡諸業者，謂出世間諸無漏業，是前三業斷對治故。

> 黒黒異熟業とは、不善の業（非福業）のことです。白白異熟業とは、不動業のことです。黑白黑白異熟業とは、福業のことです。これは不善の業をその対極とするからであり、未だ非福業を断ち切っていない状態での福業に基づいて立てられるからです。非黒非白で異熟なき業とは、あらゆる業を尽くすものであり、それは世間を超えた無漏の業のことで、先の三つの業を断ち切る対治法です。

曲業者，謂諸外道善不善業。穢業者，謂即曲業亦名穢業。又有穢業，謂此法異生於聖教中顛倒見者、住自見取者、邪決定者、猶預覺者所有善不善業。濁業者，謂即曲業、穢業亦名濁業。又有濁業，謂此法異生於聖教中不決定者、猶預覺者所有善不善業。又有差別，唯於外道法中有此三業。由邪解行義故，名曲；由此為依，能障所起諸功德義故，名穢；能障通達真如義故，名濁；應知。清淨業者，謂此法異生於聖教中正決定者、不猶預覺者所有善業。寂靜業者，謂住此法非異生者，一切聖者所有學無學業。

> 曲業とは、外道における善・不善の業のことです。 穢業とは、この曲業のことを指し、また穢業とも呼ばれます。 さらに、別の穢業として、この教えにおける凡夫で、聖なる教えに対して誤った見解を持つ者、自己の見解に固執する者、誤った決定を下す者、迷いや疑いを抱く者たちの善・不善の業があります。 濁業とは、この曲業や穢業のことを指し、また濁業とも呼ばれます。 さらに、別の濁業として、この教えにおける凡夫で、聖なる教えに対して未決定な者、迷いや疑いを抱く者たちの善・不善の業があります。 なお、これらの三つの業は、外道の教えの中にのみ存在するという違いがあります。 その理由は、邪な見解に基づいて行動するため「曲（ゆがみ）」と呼ばれ、その業に基づいて生じる功徳を妨げるため「穢（けがれ）」と呼ばれ、真如の悟りへの到達を妨げるため「濁（にごり）」と呼ばれると知るべきです。 清浄業とは、この教えにおける凡夫で、聖なる教えに対して正しい決定を下した者、迷いや疑いのない者たちの善業のことです。 寂静業とは、この教えにおける非凡夫、すなわちすべての聖者の有学（まなぶべきもののある位）および無学（学ぶべきもののない位）の業のことです。