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title: "瑜伽師地論 · 1目 緣起體"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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云何緣起體？若略說，由三種相建立緣起。謂從前際，中際生；從中際，後際生；中際生已，若趣流轉，若趣清淨究竟。

> 縁起の本質とは何でしょうか。簡潔に言えば、三つの相によって縁起が成立します。すなわち、過去から現在が生じ、現在から未来が生じるということです。そして現在が生じた後、輪廻へと向かう場合もあれば、清浄な究極の境地へと向かう場合もあるのです。

云何從前際，中際生；中際生已復趣流轉？

> どのようにして、過去の状態から現在の状態が生じ、現在の状態が生じた後、さらに生死の流転を続けていくのでしょうか。

謂如有一，不了前際無明所攝無明為緣，於福、非福及與不動身語意業，若作若增長。由此隨業識，乃至命終流轉不絕，能為後有相續識因。此識將生果時，由內外貪愛正現在前以為助伴，從彼前際既捨命已，於現在世自體得生。在母腹中，以因識為緣，相續果識前後次第而生，乃至羯羅藍等位差別而轉。於母胎中，相續果識與名色俱，乃至衰老，漸漸增長。爾時感生受業名已與異熟果。又此異熟識即依名色而轉，由必依託六依轉故，是故經言名色緣識。俱有依根曰色，等無間滅依根曰名，隨其所應為六識所依。依止彼故，乃至命終諸識流轉。又五色根、若根所依大種、若根處所、若彼能生大種曰色。所餘曰名。由識執受諸根，墮相續法方得流轉；故此二種依止於識相續不斷。由此道理，於現在世，識緣名色，名色緣識，猶如束蘆，乃至命終相依而轉。

> ある人がある、過去の世の縁を理解せず、無明に覆われ無明を縁として、福業・非福業・不動業に属する身・口・意の業を作り、それを増長させる。それに従って、業を宿した識は、命終するまで流転し続け、後の存在を生み出す連続する識の因となる。この識が果報を生じる時、内と外への貪愛が現前して助けとなる。前に過去の世で命を終えた後、現在の世において自らの身体を得て生まれる。母の胎内では、因となる識を縁として、連続する果報の識が前後して次第に生じ、羯羅藍（けつらん）などの段階を経て区別されながら展開する。母胎の中で、連続する果報の識は名色（みょうしき）と共にあり、老いるに至るまで徐々に成長する。その時、生存をもたらす受業（じゅごう）は、すでに異熟果（いじゅくか）を与えている。また、この異熟識は名色に依って作用する。必ず六つの依り所に依って転じるからである。故に経典は「名色は識を縁とする」と説く。同時に存在する依り所となる根は「色」であり、等しく間断なく滅する心の依り所は「名」である。それぞれに応じて六識の依り所となる。それに依って、命終するまで諸々の識は流転する。また、五つの色根（眼・耳・鼻・舌・身）、あるいは根の依り所となる四大、あるいは根の場所、あるいはそれらを生じさせる四大を「色」と呼ぶ。その他を「名」と呼ぶ。識が諸々の根を執持し、連続する法の流れに従うことで、初めて流転する。故に、この二つ（名と色）は識に依って連続し絶えない。この道理によって、現在の世では、識は名色を縁とし、名色は識を縁とする。束ねた葦のように、命終するまで互いに依って転じるのである。

如是名為從前際，中際諸行緣起生；中際生已，流轉不絕。

> これが「過去の因縁によって現在の行が生まれ、現在の行が生まれた後に絶えず流れ続ける」という道理です。

當知此中依胎生者，說流轉次第。若卵生濕生者，除處母胎，餘如前說。若於有色有情聚中，謂欲、色界受化生者，諸根決定圓滿而生，與前差別。若於無色界，以名為依，及色種子為依，識得生起；以識為依，名及色種子轉。從此種子，色雖斷絕，後更得生；與前差別。

> 次のように理解すべきである。この中で、胎生の場合は、流転の次第について述べる。卵生や湿生の場合は、母胎に留まる期間を除けば、他の点は先に述べた通りである。色を有する有情の中でも、欲界や色界で化生する者は、諸々の機能が確かで完全に備わって生まれる点が、先のものと異なる。無色界においては、「名（心）」と「色の種子」を依りどころとして、識（心のはたらき）が生じる。また、識を依りどころとして、「名」と「色の種子」がはたらく。この種子から、たとえ色が断たれても、後に再び生じる点が、先のものと異なる。

又由福業，生欲界人天；由非福業，生諸惡趣；由不動業，生色、無色界。

> また、善行（福業）によって欲界の人や天に生まれ、悪行（非福業）によって様々な苦しみの世界（悪趣）に生まれ、そして動かない行（不動業）によって色界や無色界に生まれるのです。

云何不生？由不生故，趣清淨究竟。

> どのようにして「生じない」のでしょうか？ 「生じる」ということがないからこそ、清らかで究極の境地に至るのです。

云何從中際，後際諸行緣起生？謂中際已生補特伽羅，受二種先業果。謂受內異熟果，及境界所生受增上果。此補特伽羅或聞非正法故，或先串習故，於二果愚。由愚內異熟果故，於後有生苦不如實知；由迷後有後際無明增上力故，如前於諸行若作若增長。由此新所作業，故說此識名隨業識。即於現法中，說無明為緣故行生，行為緣故識生。此識於現法中名為因識，能攝受後生果識故。又總依一切識說名六識身。又即此識是後有名色種子之所隨逐，此名色種子是後有六處種子之所隨逐，此六處種子是後有觸種子之所隨逐，此種子觸是後有受種子之所隨逐。如是總名於中際中後有引因應知，由此能引識乃至受一期身故。由先異熟果愚引後有已，又由第二境界所生受果愚故，起緣境界受愛。由此愛故，或發欲求，或發有求，或執欲取，或執見、戒及我語取。由此愛取和合資潤，令前引因轉名為有。即是後有生因所攝。從此無間，命既終已，隨先引因所引識等受最為後，此諸行生，或漸或頓。如是於現法中，無明觸所生受為緣故愛，愛為緣故取，取為緣故有，有為緣故生，生為緣故老病死等諸苦差別。或於生處次第現前，或復種子隨逐應知。如是於中際中，無明緣行等、受緣愛等為因緣故，後際諸行生。

> さて、どのようにして「中際」（現在世）から「後際」（未来世）の諸行が縁起によって生じるのか。すなわち、中際にすでに生まれた人は、二種類の過去の業の果報を受ける。すなわち、内なる異熟果（内なる果報）と、境界から生じる感受（受）による増上果（より強力な果報）である。 この人は、正しい法を聞かなかったか、あるいは以前に慣れ親しんだため、この二つの果報について無知である。内なる異熟果に無知であるため、未来の生存の苦しみをありのままに知ることができない。未来の生存に対する後際の無明の強力な力によって、以前と同様に諸行を作り、増長させる。この新たに作られた業によって、この識（認識）は「業に従う識」と呼ばれる。 すなわち、現在世において、無明を縁として行が生じ、行を縁として識が生じると説かれる。この識は現在世において「因となる識」と呼ばれ、未来世の果報を生じさせる識を受け止めることができるからである。また、すべての識を総じて「六識身」と名付ける。 さらに、この識には未来世の名色（名前と形あるもの）の種子が伴っている。この名色の種子には未来世の六処（六つの認識器官）の種子が伴い、この六処の種子には未来世の触（接触）の種子が伴い、この種子としての触には未来世の受（感受）の種子が伴う。 これらを総じて、中際における未来世を引き寄せる因（引因）と知るべきである。これによって、識から受に至るまで、一期の身体を引き寄せるからである。 まず、過去の異熟果に対する無知によって未来世を引き寄せた後、次に第二の「境界から生じる感受の果報に対する無知」によって、境界を縁とする感受に対する愛（渇愛）が生じる。この愛によって、欲求を起こしたり、生存への求道を起こしたり、欲望に執着したり、見解や戒律、自我への執着を起こしたりする。 この愛と取（執着）が合わさり、潤いを与えることで、先の引き寄せ因を「有（存在）」と転じさせる。すなわち、これは未来世の生の因に含まれる。 この後、間断なく、命が尽きると、先の引き寄せ因によって引かれた識など、受を最後とするこれらの諸行が、徐々に、あるいは一挙に生じる。 このようにして、現在世において、無明の接触から生じた感受を縁として愛が生じ、愛を縁として取が生じ、取を縁として有が生じ、有を縁として生が生じ、生を縁として老い、病、死などの様々な苦しみが現れる。あるいは生まれた場所に順次現れたり、あるいは種子として伴っていると知るべきである。 このように、中際（現在世）において、無明を縁とする行など、感受を縁とする愛などが因縁となって、後際（未来世）の諸行が生じるのである。

復有先集資糧，於現法中，從他聞音，及於二果諸行，若於彼因、彼滅、彼趣滅行如理作意，由此如理作意為緣，正見得生，從此次第得學無學清淨智見。由此智見，無明及愛永斷無餘。由此斷故，於彼所緣不如實知無明觸所生受亦復永斷。由此斷故，永離無明，於現法中證慧解脫。若於無明觸所生受相應心中所有貪愛，即於此心得離繫故，貪愛永滅，於現法中證心解脫。設彼無明不永斷者，依於識等受最為後所有諸行後際應生；由無明滅故，更不復起，得無生法。是故說言：無明滅故，行滅；次第乃至異熟生觸滅故，異熟生受滅。於現法中無明滅故，無明觸滅；無明觸滅故，無明觸所生受滅；無明觸所生受滅故，愛滅；愛滅故，如前得無生法。由此故說取等惱最為後諸行永滅。如是於現法中諸行不轉；由不轉故，於現法中，於有餘依界證得現法涅槃。彼於爾時，唯餘清淨識緣名色，名色緣識；乃至有識身在，恒受離繫受，非有繫受。此有識身乃至先業所引壽量恒相續住。若壽量盡，便捨識所持身。此命根後所有命根無餘永滅，更不重熟。又復此識與一切受任運滅故，所餘因緣先已滅故，不復相續，永滅無餘，是名無餘依涅槃界，究竟寂靜處。亦名趣求涅槃者，於世尊所梵行已立，究竟涅槃。

> まず、過去に善根を積んだ者が、現世において師から教えを聞き、さらに五蘊という結果、その原因、その消滅、消滅に至る道について、真理に従って思惟する。この真理に従った思惟によって、正しい知恵（正見）が生じる。そして、この正見を基に、段階を経て、学びの位にある者の清らかな知恵と見解、そして学びを終えた者の清らかな知恵と見解を得る。この知恵と見解によって、無明と渇愛は完全に断ち切られる。 この断ち切りによって、その対象をあるがままに知らないために生じる、無明の接触から生まれる感受もまた、完全に断たれる。この断ち切りによって、無明から永遠に離れ、現世において智慧による解脱（慧解脱）を悟る。 また、無明の接触から生まれる感受と結びついた心にある渇愛についても、この心が執着から解放されることにより、渇愛は完全に消え去り、現世において心の解脱（心解脱）を悟る。 もし無明が完全に断たれなければ、識などから生じる感受を最後とする様々な行為（諸行）は、未来に生じるはずである。しかし、無明が消滅したからには、それらは再び起こることなく、不生の法（無生法）を得る。このため、次のように説かれる。 「無明が消滅するから、行為（行）は消滅する」と。そして次第に、異熟によって生じる接触が消滅するから、異熟によって生じる感受も消滅する。現世において、無明が消滅するから、無明の接触が消滅する。無明の接触が消滅するから、無明の接触から生まれる感受が消滅する。無明の接触から生まれる感受が消滅するから、渇愛が消滅する。渇愛が消滅するから、前述のように不生の法を得る。このため、執着などを最後とする様々な苦しみが完全に消滅すると説かれる。 このように、現世において諸行は起こらない。起こらないから、現世において、なお生存の基盤（有餘依）が残る世界にありながら、現世における涅槃（現法涅槃）を悟る。その時、その者には清らかな識と名前と形（名色）のみが残り、名色は識によって成り立ち、識は名色によって成り立つ。その識を有する身体が存在する限り、常に執着から解放された感受を受け、執着のある感受を受けることはない。この識を有する身体は、過去の行為によって引き起こされた寿命の限り、継続して存在し続ける。 もし寿命が尽きれば、識によって支えられた身体は捨てられる。この命根の後に続く命根は、残ることなく完全に消滅し、再び熟すことはない。さらに、この識はすべての感受と共に自然に消滅し、残っていた原因もすでに消滅しているため、再び連続することはなく、永遠に残りなく消滅する。これを「無余依涅槃界」と呼び、究極の静寂の境地である。また、これを「涅槃を求める者が、世尊のもとで修行を完成し、究極の涅槃を悟った状態」とも言う。

如是已說由三種相建立緣起，謂從前際，中際生；從中際，後際生；又於中際，若流轉，若清淨；是名緣起體性。

> このように、三つの相によって縁起を説明しました。 すなわち、過去から現在が生じ、現在から未来が生じるということです。 また、現在においては、流転（迷いの世界をめぐること）と清浄（悟りに至ること）の両方があること。 これが縁起の本質です。