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title: "瑜伽師地論 · 10目 攝諸經(十六門)"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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答：欲界一切，色無色界不定。10目 攝諸經(十六門)

> 答え：欲界のすべては含まれ、色界と無色界は一定ではない。第十目 諸経を収める（十六の門）

問：阿羅漢當言幾支已斷耶？

> 問：阿羅漢は、いくつの「支」（煩悩の部分）を断つと言えるのですか？

答：三界一切。

> 答え：三つの世界のすべてです。

復次，於彼彼經中，由幾種言說道理說緣起耶？謂略說由六種言說道理：一、由順次第說，二、由逆次第說，三、由一分支說，四、由具分支說，五、由黑品說，六、由白品說。

> 次に、それらの経典の中で、どのような言説の道理によって縁起が説かれているのでしょうか。端的に言えば、六つの言説の道理によって説かれています。第一に、順序に従って説くこと、第二に、逆の順序で説くこと、第三に、一つの部分だけを説くこと、第四に、すべての部分を備えて説くこと、第五に、悪の側面から説くこと、第六に、善の側面から説くこと、です。

問：如世尊說緣起甚深，此甚深義云何應知？

> 問う：世尊がおっしゃった「縁起は非常に深い」という教えについて、この深い意味をどのように理解すべきでしょうか？

答：由十種相，應知緣起甚深義。謂依無常義、苦義、空義、無我義說。依無常義者，謂從自種子生，亦待他緣。又從他緣生，亦待自種子。又從自種子及從他緣生，而種及緣於此生事無作、無用，亦無運轉。又復此二因性功能非不是有。又諸有支雖無始來其相成就，然剎那剎那新新相轉。又緣起支雖剎那速滅，然似停住運動相現。依苦義者，謂緣起支一味苦相，而似三種相現。依空義者，謂緣起支雖離有情、作者、受者，然似不離顯現而說。依無我義者，謂緣起支雖不自在，實無有我相，然似我相顯現，依勝義諦，諸法自性雖不可說，而言諸法自性可說。

> 十の側面から、縁起の深遠な意味を理解すべきである。それは無常・苦・空・無我の教えに基づいている。 無常の教えとは、すべてのものは自らの種子から生じると同時に、他の縁にも依存するということである。また、他の縁から生じる場合も、自らの種子を待つ。さらに、自らの種子と他の縁の両方から生じるが、種子と縁そのものには、この生起に対して作為も作用もなく、また運転もない。しかしながら、この二つの因としての機能は無いわけではない。また、諸々の生存の枝分かれ（十二支）は、無始の昔からその形態が成就しているが、刹那刹那に新しく生まれ変わる。さらに、縁起の枝分かれは刹那に速やかに消滅するが、あたかも停止し運動しているかのような相を示す。 苦の教えとは、縁起の枝分かれは一貫した苦の相であるが、三種類の相として現れるということである。 空の教えとは、縁起の枝分かれは我・作者・受者を離れているが、あたかもそれらを離れていないかのように現れて説かれるということである。 無我の教えとは、縁起の枝分かれは自在ではなく、実に我相は無いが、あたかも我相があるかのように現れる。勝義諦においては、諸法の自性は説くことができないが、諸法の自性は説くことができると説かれる。

問：應以幾智知緣起耶？

> 問い：何種類の智慧をもって縁起を理解すべきでしょうか。

答：二。謂以法住智及真實智。云何以法住智？謂如佛施設開示，無倒而知。云何以真實智？謂如學見跡，觀甚深義。

> 答え：二つです。 それは「法住智」と「真實智」のことです。 では「法住智」とは何か。それは、仏様が示し説かれた通りに、誤りなく理解することです。 では「真實智」とは何か。それは、学び手が悟りの道筋を見て、深い真理を観察することです。

問：如世尊言：是諸緣起非我所作，亦非餘作。所以者何？若佛出世，若不出世，安住法性、法住、法界。云何法性？云何法住？云何法界？

> 問：世尊がこうおっしゃいました。「この縁起という道理は、私が作ったものでもなければ、他の誰かが作ったものでもない。それはなぜかというと、仏がこの世に現れようと現れまいと、この道理は法の本性、法の住する状態、法の領域として安らかに存在しているからである。」と。では、その「法の本性」とは何でしょうか？「法の住する状態」とは何でしょうか？「法の領域」とは何でしょうか？

答：是諸緣起無始時來理成就性，是名法性。如成就性，以無顛倒文句安立，是名法住。由此法住，以彼法性為因，是故說彼名為法界。

> 答え：これらの縁起は、無始の昔から道理として成就している性質であり、これを法性と呼びます。この成就した性質に従い、誤りのない言葉や文で確かに示されているものを、法住と呼びます。この法住は、その法性を原因として成り立っているため、ゆえにそれを法界と名付けるのです。

問：如經言：生若無者，無處無位生可是有。若一切種生非有者，生緣老死應不可得，何故此中說彼自性緣自性耶？

> 質問：経典にこう説かれています。「生がもし存在しないのであれば、どこにもどのような形でも生が存在することはありえません。もしあらゆる種類の生が存在しないのなら、『生』という条件から『老いと死』が生じるということも、ありえないはずです」。それならば、なぜここで「そのものの本性が、そのものの本性を縁として生じる」と説かれているのでしょうか？

答：依自種子果生說故。謂識乃至受支是生種子故，義說為生。由此有故，後時即此果支名有緣生。如是餘支，如經所說，隨其所應盡當知。

> 答え：自らの種子から果が生じると説くからである。すなわち、識から受に至るまでの支分（しくみ）は、生の種子であることから、その意味で「生」と説く。これがあるから、後の時点でこの果の支分を「有（う）を縁（えん）として生ずる」と名づける。このように、他の支分も経典で説かれている通り、それぞれに応じて理解すべきである。

問：已說一切支非更互為緣，何故建立名色與識互為緣耶？

> 問うには、すでにすべての支分（構成要素）が互いに縁とならないと説いたのに、なぜ名色と識が互いに縁となると立てるのですか？

答：識於現法中，用名色為緣故；名色復於後法中，用識為緣故。所以者何？以於母腹中有相續時，說互為緣故。由識為緣，於母腹中諸精血色，名所攝受，和合共成羯羅藍性。即此名色為緣，復令彼識於此得住。

> 答え：識（しき）は現世において、名色（みょうしき）を縁として存在する。そして名色は来世において、識を縁として存在する。なぜなら、母親の胎内で命が連続するとき、両者は互いに縁となっているからである。識を縁として、胎内の精血の色が、名によって受け止められ、融合して羯羅藍（かららん：受精卵）の状態となる。そして、この名色を縁として、再び識がそこに安住する。

問：何故菩薩觀黑品時，唯至識支，其意轉還，非至餘支耶？

> 問：なぜ菩薩が「黒品」を観察するとき、ただ識支に至って心が回帰し、他の支に至らないのでしょうか？

答：由此二支更互為緣故，如識緣名色，如是名色亦緣識，是故觀心至識轉還。於餘支中，無有如是轉還道理。於此一處，顯示更互為緣道理，故名轉還。於還滅品中，名色非是後有識還滅因，由此因緣，復過觀察。

> よって、この二つの支分（識と名色）は互いに縁となり合っています。識が名色を縁どるように、名色もまた識を縁どります。そのため、心の観察は識に至って転還（めぐり還ること）します。他の支分には、このような転還の道理はありません。この一箇所において、互いに縁となり合う道理が示されているので、「転還」と呼ばれます。また、還滅の品においては、名色は後の有の識が還滅するための因ではありません。この因縁によって、さらに観察が行われます。

問：何因緣故，說緣起支非自作、非他作、非俱作，亦非無因生耶？

> 質問：なぜ縁起の支分は、自ら作ったのでもなく、他が作ったのでもなく、両方が作ったのでもなく、また原因なしに生じたのでもないと言われるのでしょうか。

答：生者非有故，緣無作用故，緣力所生故。

> 答え：存在するものは実体として有るわけではないからであり、縁には作用がないからであり、縁の力によって生じるからである。

問：於緣起中，何等是苦芽，誰守養苦芽？何等為苦樹？

> 問い：縁起の中で、何が苦しみの芽となるのか。誰がその苦しみの芽を育むのか。何が苦しみの木となるのか。

答：無明、行緣所引識乃至受，是苦芽。受緣所引愛乃至有，是守養苦芽。生與老死，當知是苦樹。

> 答え：無明と行によって引き起こされる識から受に至るまでが、苦しみの芽です。受によって引き起こされる愛から有に至るまでが、その苦しみの芽を育て養うものです。生と老死は、苦しみの木であると知るべきです。

問：幾緣起支當知如炷？

> 問う：幾つの縁起の支分が、燈心の喩えのように理解されるべきですか？

答：識乃至受。

> 答：識から受に至るまで。

問：幾支如膏？

> 問：膏のようなものは幾つありますか？

答：無明、行、愛、取、有。

> 答え：無明（むみょう）、行（ぎょう）、愛（あい）、取（しゅ）、有（う）。

問：幾支如焰？

> 問い：炎のようであるものは、いくつありますか？

答：生、老死應知。

> 答える。生（しょう）と老死（ろうし）は、知るべきものである。

問：何因緣故，於緣起黑品教中說名增益？

> 質問：どのような理由で、縁起の「黒品（苦しみの側面）」の教えの中で、「増益（実体化・過剰な解釈を加えること）」と言われるのですか？

答：一切有支純大苦聚為後果故。又諸有支，前前為緣，後後所隨故。

> 答え：あらゆる生存の因縁は、すべて大きな苦しみの集まりという結果をもたらすからです。また、これらの因縁は、前のもの一つ一つが縁となって、後のものがそれに続いていくのです。

問：何因緣故，於白品教中說名損減？

> 問：なぜ清らかな教えの中で「損減」と言うのでしょうか？

答：由一切支，前前永斷，後後減故。又是純大苦聚損減因故。

> 答え：すべての部分が、前のものから順に永遠に断たれ、後のものが減少していくからです。また、これは純粋な大きな苦しみの集まりが減少する原因だからです。

問：幾緣起支名有因法？

> 問い：幾つの縁起の支分が「因ある法」と呼ばれるのですか？

答：謂前七。

> 答え：前の七つを指します。

問：幾緣起支名有因苦？

> 問い：幾つの縁起の支分が「因ある苦」と呼ばれるのですか？

答：餘五。

> 残りは五つです。

問：幾支滅是漏盡所顯？

> 質問：いくつの支分が滅びることが煩悩の消滅を示すのですか？

答：三。

> 質問：三つです。

問：幾支滅是緣盡所顯？

> 問：何本の支分が滅びることが縁尽きて現れるのですか？

答：即此三是餘支緣故。

> つまり、この三つが、残りの支分の縁となるからです。

問：幾支滅是受盡所顯？

> 問：いくつの支分が滅すると、受の尽きることが現れるのですか？

答：一。謂由煩惱已斷故，所依滅時，此一切受皆永息滅故。

> 答え：第一に、煩悩がすでに断たれたことにより、よりどころが消え去る時に、これらの全ての感受が永遠に消え去るからです。

問：何因緣故，依止緣起建立七十七智耶？

> 問：どのような理由で、縁起に基づいて七十七の智慧が立てられたのでしょうか？

答：為顯有因雜染智故，又復為顯於自相續自已所作雜染智故，又復為顯前際諸支無始時故，又復為顯後際諸支容有雜染還滅義故，又復為顯支所不攝諸有漏慧遍知義故。於一一支皆作七智，當知總有七十七智。

> 答え：有因の雑染の智慧を示すためであり、また自己の心の連続において自己が作った雑染の智慧を示すためであり、また前際の諸支が無始であることを示すためであり、また後際の諸支に雑染と還滅（げんめつ）の意味がありうることを示すためであり、さらに支に含まれないすべての有漏の智慧がすべてを了解することを示すためである。各々の支について七つの智慧を立てるとき、合わせて七十七の智慧があると知るべきである。

問：何因緣故，於緣起中建立四十四智耶？

> 問：どのような理由で、縁起の中に四十四の智慧を立てるのですか？

答：為顯於一一支，依四聖諦觀察道理，是故總有四十四智。

> 四十四の智慧があるのは、一つ一つの支え（十二因縁）について、四つの聖なる真理（四聖諦）に基づいて道理を観察するからです。

復次，若生欲界，依欲界身，引發上地若眼若耳，由此見聞下地、自地所有色聲。又依此身，起三界意及不繫意而現在前。若生色無色界，除其下地，一切現前如在欲界。

> さらに、もし欲界に生まれた者は、欲界の身体に基づいて、上の境地に対応する眼や耳を働かせます。これによって、下の境地や同じ欲界にある色や声を見聞きします。また、この身体に基づいて、三界すべての心や、それに縛られない心を起こして、現在の瞬間に現れさせます。もし色界や無色界に生まれた者は、下の境地を除いて、すべての現象が欲界と同じように目の前に現れます。