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title: "瑜伽師地論 · 1項 明四相三十二相"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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復次，云何所緣差別？謂相差別。何等為相？略有四種。一、所緣相，二、因緣相，三、應遠離相，四、應修習相。

> さらに、対象となるものの違いとは何か？それは「相」の違いである。その「相」とは何か？大まかに四種類がある。第一に対象となる相、第二に原因となる相、第三に避けるべき相、第四に修めるべき相である。

所緣相者，謂所知事分別體相。

> 所縁の相とは、認識される対象を分別する、そのあり方のことを言います。

因緣相者，謂定資糧。

> 縁起の相とは、確かな悟りのための準備（資糧）のことを指します。

應遠離相復有四種。謂沈相、掉相、亂相、著相。應修習相當知對治此四種相。

> 四つの相から遠ざかるべきです。それは、 ・沈む相（心が落ち込む） ・浮き立つ相（心が落ち着かない） ・乱れる相（散漫になる） ・執着する相（こだわる） の四つです。 これらの四つの相に対処するために、修習すべき相があります。

何等沈相？謂不守根門、食不知量、初夜後夜不常覺寤勤修觀行、不正知住，是癡行性，耽著睡眠、無巧便慧、惡作俱行欲勤心觀。不曾修習正奢摩他，於奢摩他未為純善，一向思惟奢摩他相。其心惛闇，於勝境界不樂攀緣。

> 沈みの相とは何か。つまり、感覚の門を守らず、食事の量を知らず、夜の初めと終わりに常に目覚めて修行と観察に励まず、正しい気づきを持って過ごさないことである。これは無明の行為の性質であり、睡眠に耽り、巧みな智慧がなく、後悔を伴う欲望・努力・心・観察がある。正しい静寂（奢摩他）を修習したことがなく、静寂に対して完全に善くはなく、ひたすら静寂の相を思惟する。その心は暗く曇っており、優れた境地に対して喜んで向かおうとしない。

何等掉相？謂不守根門等四，如前廣說，是貪行性。樂不寂靜、無厭離心、無巧便慧、太舉俱行，如前欲等。不曾修舉，於舉未善，唯一向修。由於種種隨順掉法親里尋等動亂其心。

> 掉（心の浮つき）とは何か。 それは、五感の門をしっかりと守らないことなど、前に詳しく説いた四つの状態であり、貪欲の性質を持つものである。また、静けさを好まず、厭離の心がなく、巧みな智慧がなく、心の浮つきと常に共にあり、先に述べた欲望などと同様である。かつて心を静める修行をしたことがなく、静めることについて未熟であり、ただひたすらに浮ついた方向へと向かう。さまざまな浮つきを促すもの――親戚や故郷を思い巡らすことなど――によって、心が動揺し乱されるのである。

何等亂相？謂不守根門等四，如前應知、是鈍根性，多求、多務、多諸事業、尋思行性，無巧便慧、無厭離心、不修遠離。於勝境界不樂攀緣，親近憒鬧，方便間缺、不審了知亂不亂相。

> 乱れの相とは何か。それは、感覚の入り口を守らないなどの四つの状態であり、前に述べた通りである。これらは、鈍い性質であり、多くを求め、多くの雑事に追われ、多くの仕事に没頭し、さまざまな思考に走る性質である。巧みな智慧がなく、厭離の心もなく、遠離の修行もしない。優れた境地に喜んで向かうことなく、騒がしい場所に親しみ、修行の機会が途切れ、乱れている状態とそうでない状態を正しく見極めることがない。

何等著相？謂不守根門等四，如前應知。是鈍根性，是愛行性，多煩惱性。不如理思，不見過患，又於增上無出離見。對治如是應遠離相，隨其所應，當知即是應修習相。

> 「どのようなものが執着の相か」というと、心の入口となる感覚を守らないなどの四つの状態です。これは前に述べた通りです。 これは根の鈍い性質であり、愛欲に傾きやすい性質であり、煩悩の多い性質です。 道理に沿って考えず、過ちや危険を認識せず、さらに、より高い境地に対して「そこから脱出しよう」という見解を持ちません。 このような、対処して遠ざけるべき相とは、それぞれに応じて、つまり、修習すべき相であると知るべきです。

復有三十二相。謂自心相、外相、所依相、所行相、作意相、心起相、安住相、自相相、共相相、麁相、靜相、領納相、分別相、俱行相、染污相、不染污相、正方便相、邪方便相、光明相、觀察相、賢善定相、止相、舉相、觀相、捨相、入定相、住定相、出定相、增相、減相、方便相、引發相。

> また、三十二の特徴（相）があります。すなわち、自らの心の状態、外の対象、よりどころとなるもの、心の働く範囲、注意の向け方、心の生じ方、心の落ち着き方、そのものの特性、共通の特性、粗い状態、静かな状態、受け取る感覚、区別する働き、共に働く状態、汚れた状態、汚れのない状態、正しい修行、間違った修行、光明の状態、観察する状態、善い安定した心、とどめる働き、高める働き、観察する働き、手放す働き、定に入る状態、定にとどまる状態、定から出る状態、増える状態、減る状態、方法の状態、引き起こす状態です。

云何自心相？謂有苾芻、先為煩惱染污心故，便於自心極善取相，如是如是心有染污，或無染污。由此方便，心處沈等；由此方便，不處沈等。言沈等者，謂沈等四，乃至令心礙著之相，或復於彼被染污心。

> 自己の心の相（ありさま）とは何か。それは、修行者（比丘）が、まず煩悩によって心が汚染されているために、自分の心の状態を非常によく観察することである。このように心には汚染がある状態もあれば、汚染がない状態もある。この方法によって、心が沈滞などに陥ることもあり、この方法によって、沈滞などに陥らないこともある。「沈滞など」とは、沈滞を含む四つの状態、そして心が執着して動けなくなる相（すがた）、あるいはまたそれによって心が汚染されることを指す。

云何外相？謂即於彼被染污心，了知自心被染污已，便取外相。謂光明相，或淨妙相，或復餘相。為欲除遣諸煩惱故，或令彼惑不現行故。

> 外的な相とは何か。それは、心が汚れに染まっていると気づいた時、自らの心が汚れていると知った上で、外側に現れる相を捉えることである。つまり、光明の相、あるいは清らかで素晴らしい相、またはその他の相のことである。それは煩悩を取り除くため、あるいはそれらの惑いを現れなくさせるためである。

云何所依相？謂分別體相。即是一切自身所攝五蘊并種子相。

> 所依の相とは何か。それは、分別（しゅんべつ）の体の相である。つまり、自分自身に属する五蘊（ごうん）と、その種子（しゅし）の相を指す。

云何所行相？謂所思惟彼彼境界色乃至法分別體相。

> 修行の対象となる「相」とは何でしょうか。それは、心が思い描く様々な境界──例えば色や形、そして心の働きによって捉えられるすべてのもの──を、はっきりと区別して認識するそのありようを指します。

云何作意相？謂有能生作意故，於彼彼境界所生識生，作是思惟：今我此心由作意故，於境界轉，非無作意。此所思惟名作意相。

> 作意の相とは何か？ ある対象に対する認識が生じるのは、作意（意識的に注意を向ける心の働き）が存在するからである。 その認識が生じる際に、「今、私のこの心は作意によって、対象に向かって働いているのであって、作意なしにそうなっているのではない」と考える。 このような思考が、作意の相と呼ばれる。

云何心起相？謂即次前所說，是一相。第二相者，謂心緣行、緣名色相。此所思惟名心起相。

> 心の生起する相とは何か。先に述べた通り、それが第一の相である。第二の相とは、心が行（形成作用）や名色（名前と形あるもの）に縁（よりどころ）をもつ相である。この思惟（考え）を、心の生起する相と名づける。

云何安住相？謂四識住。即識隨色住等。如經廣說。此所思惟，名安住相。

> 安住相とは何か。それは四識住（しきじゅう）のことである。すなわち、識が色にしたがって安住することなどである。経典に詳しく説かれているように、このように思索することを安住相という。

云何自相相？謂自類自相，或各別自相。此所思惟，名自相相。

> 自己の特徴づけとは何か。それは、同じ種類に共通する特徴、または一つひとつに固有の特徴を指す。これについて思いを巡らせることを、自己の特徴づけと言う。

云何共相相？謂諸行共相，或有漏共相，或一切法共相。此所思惟，名共相相。

> 共相とは何か。それは、すべての現象に共通する特徴、あるいは煩悩を伴うものに共通する特徴、もしくはあらゆるものに共通する特徴である。このように観察することを、共相の観察という。

云何麁相？謂所觀下地一切麁相。

> 粗い相とは何か。それは、観察の対象となる下の世界における、すべての粗い様相のことを指す。

云何靜相？謂所行上地一切靜相。

> 静かな相とは何か？それは、修行の対象である上の境地における、あらゆる静けさの相をいう。

云何領納相？謂隨憶念過去曾經諸行之相。

> どのようなものが「受け止めるという特徴（領納相）」でしょうか。 それは、過去に経験した様々な心の働き（諸行）の様子を、心に思い浮かべる（随憶念）ことによって生じる、そのありさまのことを言います。

云何分別相？謂思未來諸行之相。

> 分別相とは何か？未来の諸々の行いについて思いを巡らせる様子をいう。

云何俱行相？謂分別現在諸行之相。

> 俱に進む相（共行相）とは何か？それは、現在の諸々の行（現象）を分別して認識する相のことである。

云何染污相？謂於有貪心思惟有貪心相，乃至於不善解脫心思惟不善解脫心相。

> 汚れた相とは何か？それは、欲に執着した心があるとき、その心には欲の相があると観察することであり、さらには、不善から解脱していない心があるとき、その心には不善から解脱していない相があると観察することである。

云何不染污相？謂與此相違，當知即是不染污相。此中已出離於斷不修方便者，觀有貪等；修方便者，觀略下等。有貪心者，謂貪相應心，或復隨逐彼品麁重。如是由纏及隨眠故，一切染污心如應當知以能對治纏及隨眠故，成不染污。

> では、不浄に染まっていない状態の特徴とは何か？それは、上に述べた（貪欲などに染まった状態の）特徴とは反対のものと知るべきである。ここで、すでに煩悩から離れる修行をしていない人は、「貪りのある心」などと観察する。修行をしている人は、「劣ったもの」などと観察する。貪りのある心とは、貪欲と結びついた心、あるいは、その貪欲の潜在的な傾向（随眠）に従っている心のことである。このように、煩悩の現れ（纏）と潜在的な傾向（随眠）によって、あらゆる染まった心があると、状況に応じて知るべきである。そして、これら（纏と随眠）を対治する力によって、心は染まらない状態となるのである。

云何正方便相？謂所思惟白淨品因緣相相。

> 正方便の相とは何か。清らかな善い物事の因縁となっている様子を、心の中でしっかりと考えることである。

云何邪方便相？謂所思惟染污品因緣相相。即是思惟如是如是不守根門住故，乃至不正知住故，如是如是心被染相。

> 邪な修行の形とは何か。 それは、心を汚す原因となるものを思い描くこと、つまり感覚の入り口をきちんと守らずにいること、そのために心が乱れ、正しい気づきを失い、その結果心が汚れてしまう様子を思い描くことである。

云何光明相？謂如有一，於暗對治或法光明、慇懃懇到善取其相，極善思惟。如於下方，於上亦爾。如是一切治暗相故，建立此相。

> 光明の相とは何か。例えば、ある人が闇を対治するための法の光明を、熱心に誠実にその相をよく捉え、極めてよく思惟することである。下方についてそうであるように、上方についてもまた同様である。このように、あらゆる闇を対治する相であるから、この相が建立される。

云何觀察相？謂有苾芻、慇懃懇到善取其相而觀察之。住觀於坐者，謂以現在能取觀未來所取法。坐觀於臥者，謂以現在能取觀過去所取。或法在後行觀察前行者，謂以後後能取觀前前能取法。此則略顯二種所取、能取法觀。

> どのように観察の相を観じるのか。それは、ある修行僧が、真剣に心を込めてその相をとらえ、観察することである。座っている状態を観じるとは、現在の能取（認識する側）で未来の所取（認識される対象）を観じることである。横になっている状態を観じるとは、現在の能取で過去の所取を観じることである。また、後の法（心の働き）で前の法を観じるとは、後の後の能取で前の前の能取を観じることである。これらは簡潔に言えば、二種類の所取と能取に関する法の観察を示している。

云何賢善定相？謂所思惟青瘀等相，為欲對治欲貪等故。何故此相說名賢善？諸煩惱中貪最為勝，於諸貪中欲貪為勝，生諸苦故。此相是彼對治所緣，故名賢善。

> 賢者（優れた人）の、良い修行の対象とは何でしょうか。 それは、青く腫れた死体など、心に思い浮かべる【不浄観】の対象です。これは、欲望への執着（欲貪）などを断ち切るために修行するものです。 では、なぜこの対象が「良い（賢善）」と言われるのでしょうか。 様々な煩悩の中で、貪りの心が最も強力です。そして貪りの中でも、特に欲望への執着は最も強く、あらゆる苦しみを生み出します。 この修行の対象は、欲望への執着を対処し、断ち切るための拠り所となるからこそ、「良い」と名付けられているのです。

云何止相？謂所思惟無分別影像之相。

> 「止の相とは何か」──それは、分別を離れた影像を思惟する相のことである。

云何舉相？謂策心所取隨一淨妙或光明相相。

> 挙相とは何か。心を奮い起こして、一つ一つの清らかで素晴らしい、あるいは光明の相を捉えることである。

云何觀相？謂聞思修慧所思惟諸法相。

> どのようにして「相（すがた）」を観じるのか。それは、聞・思・修の智慧によって思考された様々な法のすがたのことである。

云何捨相？謂已得平等心，於諸善品增上捨相。

> 捨の相とは何か。すでに平等心を得た者が、さまざまな善い行いに対してさらに深く執着を手放すこと、これが捨の相である。

云何入定相？謂由因緣、所緣、應修習相故入三摩地，或復已得而現在前。

> どのようにして入定（三昧に入ること）の状態はあらわれるのか。それは、修行を支える条件と注意を向ける対象、そして正しく修めるべき相によって、心が一つに集中する状態（三摩地）に入る。あるいは、すでにその境地を得て、目の前に現れていることもある。

云何住定相？謂即於彼諸相善巧而取；由善取故，隨其所欲於定安住。又於此定得不退法。

> どのようにして、安定した瞑想の状態（定相）に留まるのでしょうか。 それは、様々な現象の特徴（相）を巧みに捉え、理解することです。その理解が深まることで、望むままに落ち着いて瞑想にとどまり、その瞑想の境地から退くことがなくなります。

云何出定相？謂分別體所不攝不定地相。

> 出定の相とは何か。それは、分別の領域に含まれず、定まっていない境地の相のことである。

云何增相？謂輕安定倍增廣大所思惟相。

> 増の相とは何か。それは、軽安と定が倍になり、広大になった思考の相である。

云何減相？謂輕安定退減陜小所思惟相。

> 減相とは何か。それは、軽安と定が退き、小さく狭い思惟に陥る状態をいう。

云何方便相？謂二道相。或趣倍增廣大，或趣退減陜小故。

> どのような方法が便利なのでしょうか。それは二つの道があるということです。あるいは、進んで大きく広がり増えていく方向に向かい、あるいは退いて小さく狭まっていく方向に向かうからです。

云何引發相？謂能引發略諸廣博文句義道，若無諍、無礙、妙願智等，若依三摩地諸餘力、無畏等最勝功德，及能通達甚深句義、微妙智慧，如是等相。

> どのようにして「ひき起こす相」を説明するのでしょうか。それは、簡潔なものから広大な文句や意味への道を導き出す力であり、無諍、無礙、妙願智などの境地や、三昧に基づくその他の力、無畏などの最上の功徳、さらには深遠な文句の意味や微妙な智慧を理解する能力といったものです。これらが「ひき起こす相」です。