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title: "瑜伽師地論 · 3項 四得靜慮"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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復次，有四得靜慮者。一、愛上靜慮者，二、見上靜慮者，三、慢上靜慮者，四、疑上靜慮者。云何愛上靜慮者？謂如有一，先聞靜慮諸定功德，而不聞彼出離方便。於彼一向見勝功德，勇猛精勤；由此因緣，入初靜慮或所餘定。如是入已，後生愛味。云何見上靜慮者？謂如有一，從自師所，或餘師所，聞諸世間皆是常等，如是方便入初靜慮乃至有頂，能得清淨、解脫、出離，彼依此見，勇猛精勤；由是因緣，入初靜慮或所餘定。如是入已，能自憶念過去多劫，遂生是見：我及世間皆是常等。從定起已，即於此見堅執不捨；復於後時審思、審慮、審諦觀察。謂由此故，當得清淨、解脫、出離。云何慢上靜慮者？謂如有一，聞如是名諸長老等入初靜慮乃至有頂。聞是事已，遂生憍慢：彼既能入靜慮等定，我復何緣而不當入。依止此慢，勇猛精勤；由是因緣，入初靜慮及所餘定。如是入已，後生憍慢。或入定已，作是思惟；唯我能得如是靜慮，餘不能得。彼依此慢，復於後時，於諸靜慮審思、審慮、審諦觀察。云何疑上靜慮者？謂如有一，為性暗鈍，本嘗樂習奢摩他行；由此因緣，入諸靜慮或所餘定。如是入已、復於上定勤修方便，為得未得，於四聖諦勤修現觀；性暗鈍故，不能速證聖諦現觀。由此因緣，於餘所證便生疑惑；依此疑惑，復於勝進審思、審慮、審諦觀察。

> さらに、四種類の静慮に執着する者が存在する。第一に、愛着から静慮に執着する者、第二に、見解から静慮に執着する者、第三に、慢心から静慮に執着する者、第四に、疑惑から静慮に執着する者である。 愛着から静慮に執着する者とはどういう者か。例えば、ある人がまず静慮や様々な定の功徳について聞いたが、そこから出離する方法については聞かなかったとする。その人は静慮の優れた功徳だけを見て、精進に励む。その結果、初静慮や他の定に入る。そして入定した後、その味わいに執着する。 見解から静慮に執着する者とはどういう者か。例えば、ある人が自分の師や他の師から、「世間のあらゆるものは常である」などと聞き、その方法で初静慮から有頂天に至るまでに入定すれば、清浄・解脱・出離を得られると教えられる。その人はこの見解に基づいて精進する。その結果、初静慮や他の定に入る。入定後、過去の多くの劫を自ら憶念し、「私と世間はすべて常である」という見解を生じる。そして定から出た後も、この見解を固く執着して捨てない。さらに後になって、この見解について深く考え、よくよく観察する。そして、「これによって清浄・解脱・出離を得られる」と考えるのである。 慢心から静慮に執着する者とはどういう者か。例えば、ある人が「これこれの名の長老たちが初静慮や有頂天に入定した」と聞く。それを聞いて慢心を生じる。「彼らでさえ静慮などの定に入れるのだ。どうして私が入れないことがあるだろうか」と考え、この慢心に基づいて精進する。その結果、初静慮や他の定に入る。そして入定した後、慢心を生じる。あるいは入定中に「静慮を得られるのは私だけで、他の者にはできない」と考える。この慢心に基づいて、後になって様々な静慮について深く考え、よくよく観察するのである。 疑惑から静慮に執着する者とはどういう者か。例えば、ある人が生まれつき愚かで、もともと奢摩他（止）の修行を好んで実践していたとする。その結果、様々な静慮や他の定に入る。そして入定した後、さらに上の定を得ようと修行に励み、未だ得ていないものを得ようとして、四つの聖なる真理（四聖諦）について現観（直接的な知覚）を修行する。しかし、生まれつき愚かなため、すぐに聖諦の現観を証得できない。そのため、他の人が証得したものに対して疑惑を生じる。この疑惑に基づいて、さらに向上しようと深く考え、よくよく観察するのである。