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title: "瑜伽師地論 · 7項 薰修差別"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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復次，云何薰修靜慮？謂如有一，已得有漏及與無漏四種靜慮，為於等至得自在故，為受等至自在果故，長時相續入諸靜慮。有漏、無漏更相間雜。乃至有漏無間無漏現前，無漏無間還入有漏，當知齊此薰修成就。若於是處、是時、是事欲入諸定，即於此處、此時、此事能入諸定，是名於諸等至獲得自在。

> 次に、どのようにして静慮（瞑想）を薫習（繰り返し修めること）するのでしょうか。例えば、ある人がすでに有漏（煩悩のある状態）と無漏（煩悩のない状態）の四種類の静慮（四禅）を得たとします。その目的は、等至（瞑想の境地）において自在を得るため、また等至の自在の果報を受けるために、長い時間にわたって続けて様々な静慮に入ることです。有漏と無漏の状態が互いに交わり混ざり合います。すなわち、有漏の直後に無漏が現れ、無漏の直後にまた有漏に入るのです。これをもって薫習が成就したと知るべきです。もし、ある場所、ある時、ある事柄において様々な定（瞑想状態）に入ろうとするなら、その場所、その時、その事柄において、実際に様々な定に入ることができる。これを、様々な等至（瞑想の境地）において自在を得た、と言います。

等至自在果者，謂於現法樂住轉更明淨。又由此故，得不退道。又淨修治解脫、勝處及遍處等勝品功德能引之道。若有餘取而命終者，由此因緣，便入淨居。由軟中上品修諸靜慮，有差別故，於一切處受三地果。如前有尋有伺地已廣分別。修習無尋唯伺三摩地故，得為大梵。由軟、中、上、上勝、上極品薰修力故，生五淨居。

> 等至自在の果とは、現法における楽住がさらに明らかに清らかに転じることである。また、これによって不退の道を得る。さらに、解脱、勝処及び遍処などの優れた功徳を生み出す道を、清らかに修め整える。もし余りある執着を残して命終するならば、この因縁によって浄居に生まれる。静慮を下品・中品・上品と修することの違いによって、あらゆる場所で三地の果報を受ける。これは前に有尋有伺地において、すでに広く分別されたところである。無尋唯伺の三摩地を修習することによって、大梵となる。下品、中品、上品、上勝品、上極品の薰修の力によって、五つの浄居に生まれる。

當知因修清淨靜慮定故，生靜慮地，不由習近愛味相應。既生彼已，若起愛味，即便退沒；若修清淨，還生於彼。或生下定，或進上定，先於此間修得定已，後往彼生。

> 清らかな静慮の定を修めることによって、静慮の境地に生まれるのであって、愛着を伴う修行によって生まれるのではないことを知るべきです。その境地に生まれた後、もし愛着が生じれば、たちまち退いて没してしまいます。しかし、清らかな修行を続ければ、再びその境地に生まれます。あるいは、より下位の定に生まれたり、より上位の定に進んだりもします。まずこの世界で定を修めて得た後に、後にその境地へ往って生まれるのです。

何以故？非未離欲得生彼故，非諸異生未修得定能離欲故。又非此間及在彼處入諸等至樂有差別，唯所依身而有差別。

> なぜかというと、欲望を離れていない者がその境地に生まれることはなく、また凡夫で禅定を修めていない者が欲望を離れることはないからである。さらに、この世でもあの世でも、様々な禅定の境地に入ることによる喜びに違いはなく、ただそのよりどころとなる身体に違いがあるだけである。