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title: "瑜伽師地論 · 1目 八解脫"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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八解脫者，謂如前說有色觀諸色等。前七解脫，於已解脫生勝解故，名為解脫；第八解脫，棄背想受，故名解脫。

> 八つの解脱とは、先に述べたように「色を見て、さらに多くの色を観察する」などの修行法を指します。 はじめの七つの解脱は、すでに解脱した境地に対して、さらに深い理解（勝解）を生じさせることから「解脱」と呼ばれます。 第八の解脱は、「想（イメージ）」と「受（感覚）」の心の働きを完全に捨て去ることから、「解脱」と名づけられています。

云何有色觀諸色？謂生欲界，已離欲界欲，未離色界欲。彼於如是所解脫中已得解脫，即於欲界諸色，以有光明相作意思惟，而生勝解。由二因緣，名為有色。謂生欲界故，得色界定故。又於有光明而作勝解故。

> 色のある状態でありながら色の対象を観察するとは、どういうことか。それは、欲界に生まれながらも、欲界への執着をすでに離れ、しかし色界への執着はまだ離れていない状態を指す。その人は、そのようにして得た解脱のうちにすでに解脱しており、欲界における様々な色（物質的対象）に対して、明るい光のイメージを用いて心に思い描き、深い理解を得る。 「色がある」と言われるのには、二つの理由がある。第一に、欲界に生まれているからであり、第二に、色界の禅定を得ているからである。さらに、明るい光に対して深い理解を得ているからでもある。

問：觀諸色者，觀何等色？復以何行？

> 質問：色を観じるとは、どのような色を観じるのでしょうか。また、どのような行いによって観じるのでしょうか。

答：欲界諸色。於諸勝處所制少色，若好、若惡、若劣、若勝；如是於多、乃至廣說。

> 答え：欲界におけるあらゆる色について、優れた対象の中で制御された小さな色は、良いか悪いか、劣っているか優れているか、という性質を持っています。同様に、多くの色についても、細かく説明されています。

何故修習如是觀行？為淨修治能引最勝功德方便。何等名為最勝功德？謂勝處、遍處、諸聖神通、無諍、願智、無礙解等。雖先於彼欲界諸色已得離欲，然於彼色未能證得勝解自在。為證得故，數數於彼思惟勝解。

> なぜ、このような観想の修行を実践するのでしょうか。それは、最も優れた功徳を生み出すための方法を、清め、磨き上げるためです。では、最も優れた功徳とは何でしょうか。それは、勝処、遍処、聖者の神通、無諍、願智、無礙解などです。修行者は、すでに欲界のさまざまな色に対する欲を離れているものの、その色に対して自在な勝解をまだ得てはいません。その自在な勝解を得るために、繰り返しそれらについて考え、勝解を深めていくのです。

云何內無色想觀外諸色？謂生欲界，已離色界欲，無色界定不現在前，又不思惟彼想明相，但於外色而作勝解。若於是色已得離欲，說彼為外。由二因緣，名內無色想。謂已證得無色等至，亦自了知得此定故，不思惟內光明相故。餘如前說。

> \*\*内に色の想いがなく、外にある様々な色を観察するとはどういうことか。\*\* それは、欲界に生まれながらも、すでに色界への欲を離れているが、無色界の定はまだ現前しておらず、また、その色界の想いや明るい相（明相）についても考えを巡らせていない者が、ただ外にある色に対してのみ、優れた理解（勝解）をしている状態を言います。ここで「外」とは、すでに欲を離れた色のことを指します。 「内に色の想いがない」と言われるのには、二つの理由があります。第一に、すでに無色の等至（無色界の禅定）を証得していること。第二に、自らその定を得たことを自覚しており、内側にある光明の相について考えを巡らせていないことです。その他の詳細については、前述の通り

云何淨解脫身作證具足住？謂如有一，已得捨念圓滿清白，以此為依、修習清淨聖行圓滿；名淨解脫。何以故？三因緣故。謂已超過諸苦樂故，一切動亂已寂靜故，善磨瑩故。身作證者，於此住中，一切賢聖多所住故。

> 清らかな解脱の身による証得と具足した安住とは、どのようなものか。それは、ある人がすでに捨と念の円満で清らかな状態を得て、それをよりどころとして清らかな聖なる行いを修習し、円満に成就した状態をいう。これを清らかな解脱と名づける。なぜか。三つの理由による。すでに苦と楽を超越したからであり、すべての動乱が静まったからであり、よく磨き清められたからである。身によって証得するとは、この安住の境地において、すべての聖賢たちが多くとどまるからである。

云何空無邊處解脫？謂如有一，於彼空處已得離欲，即於虛空思惟勝解。如是識無邊處解脫，於彼識處已得離欲，即於是識思惟勝解。

> 空無辺処の解脱とは、ある修行者が、虚空の領域に対する欲を離れることを既に成就し、その虚空そのものについて深く理解し確信することをいう。 同様に、識無辺処の解脱とは、識の領域に対する欲を離れることを既に成就し、その識そのものについて深く理解し確信することをいう。

無所有處解脫者，謂已得無所有處，於識無邊處思惟勝解。有頂解脫，更不於餘而作勝解；乃至遍於想可生處，即於是處應作勝解。

> 「無所有処の解脱」とは、すでに無所有処を得た人が、識無辺処に対して優れた理解をもって考え巡らすことです。 「有頂の解脱」とは、それ以外の場所に対して優れた理解を求めることはなく、観想が生じうるあらゆる場所にわたって、まさにその場所において優れた理解を得るべきであることを意味します。