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title: "瑜伽師地論 · 4目 滅盡三摩缽底"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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復次，云何滅盡三摩鉢底？謂已離無所有處欲，暫安住想作意為先，諸心心法滅。

> 次に、滅尽定とは何か。すでに無所有処への執着を離れ、一時的に「とどまる」という想いをもって意識を整え、心の働きをすべて消滅させることである。

問：以何方便入此等至？

> 問：どのような方法でこの境地に至ることができるのか？

答：若諸聖者，已離無所有處欲。或依非想非非想處相而入於定，或依滅盡相而入於定。依非想非非想處相而入定者，謂於此上心深生厭捨，非想非非想處進趣所緣皆滅盡故，心便寂滅。依滅盡相而入定者，亦復如是。將欲趣入滅盡定時，有二種法多有所作。謂奢摩他、毘鉢舍那。云何奢摩他？云何毘鉢舍那？云何此二多有所作？謂於此義中，八次第定名奢摩他，所有聖慧名毘鉢舍那。於此二中隨闕一種，即不能入滅盡等至；要具此二，方能趣入。是故此二多有所作。

> 回答：聖者たちは、すでに無所有処への執着を離れています。そして、ある人は非想非非想処の状態に基づいて心を定め、ある人は完全な消滅の状態に基づいて心を定めます。非想非非想処に基づいて心を定めるとは、この境地より上の状態に対して深く厭い離れる心を生じ、非想非非想処へと進む際の対象がすべて消え去るため、心が静かに滅することをいいます。完全な消滅に基づいて心を定めることも、同様です。 消滅定に入ろうとするとき、二つの要素が非常に大切な役割を果たします。それは「奢摩他（しゃまた）」（止）と「毘鉢舎那（びばっしゃな）」（観）です。では、奢摩他とは何でしょうか。毘鉢舎那とは何でしょうか。また、この二つがなぜ重要なのでしょうか。ここでいう意味では、八つの段階を経た定（八次第定）が奢摩他であり、聖者の智慧が毘鉢舎那です。この二つのうち、どちらか一つが欠けていても、消滅定などの境地に入ることはできません。必ずこの二つが備わって初めて到達できるのです。だからこそ、この二つが非常に重要と言えるのです。

問：入滅定時，云何次第滅三種行？

> 質問：滅尽定に入る時、どのようにして三つの営みを順に消滅させるのですか？

答：此有二種。謂行時、住時。若於行時，亦起言說。於初靜慮有此作用，有語行故。若於住時，從第二靜慮已上次第定力，彼三種行次第而滅。當知出時，由逆次第次第而起。

> 答え：これには二種類ある。すなわち、行じている時と、とどまっている時である。もし行じている時にも、また言葉を発する作用がある。初禅にはこの働きがあり、言葉による行があるからである。もしとどまっている時には、第二禅より上の段階において、順次の定めの力によって、その三種の行が順次に消えていく。そして出るときには、逆の順序によって順次に生じ起きてくる、と知るべきである。

問：滅盡定中，諸心心法並皆滅盡。云何說識不離於身？

> 問：消滅尽定（めつじんじょう）の中では、すべての心の働きや心の働きに伴う要素が完全に消え去っています。それならなぜ、識（認識）が身体から離れないと言えるのでしょうか？

答：由不變壞諸色根中，有能執持轉識種子阿賴耶識不滅盡故，後時彼法從此得生。

> 答：壊れることのない諸々の色根（感覚器官）の中に、転識の種子を保持する阿頼耶識が消えずに存在しているからです。そのため、後にその諸法はここから生じるのです。

問：入滅定時，無有分別：我當入定，我當出定。正在定時，心寂滅故，遠離加行。將出定時，心先滅故，亦無作意。云何能入？云何能出？

> 問：消滅の境地に入る時には、次のような区別はありません。「私はこの境地に入ろう」「私はこの境地から出よう」と。定まっている最中は、心が静まり消えているため、特別な努力を離れています。定から出ようとする時も、心が先に消えているため、意識的に意図することもありません。では、どうやって入ることができ、どうやって出ることができるのでしょうか？

答：先於其心善修治故。若有諸行、諸狀、諸相，能入於定、能出於定，於彼修習、極多修習；由修習故，任運能入、任運能出。云何出滅定時觸三種觸？一、不動觸，二、無所有觸，三、無相觸。謂出定時，多由三境而出於定。一、由有境，二、由境境，三、由滅境。由此三境，於出定時，如其次第觸三種觸。緣於有境而出定時，無有我慢擾動其心。謂此為我、而起我慢，或計未來我當有等，乃至廣說。是故說言觸不動觸。緣於境境而出定時，無貪所有、無瞋所有、無癡所有。是故言觸無所有觸。緣於滅境而出定時，於一切相不思惟故，緣無相界。是故說言觸無相觸。

> 答：まず、心をよく修め整えておくからである。もし、修行の働き・状態・形相によって禅定に入り、禅定から出ることができ、それらを修習し、繰り返し修習するならば、その修習によって、自然に入ることができ、自然に出ることができる。では、滅尽定から出るときに、なぜ三種の触（接触・感覚）に触れるのか。一つは動かない触、二つは何もない触、三つは相（形）のない触である。 滅定から出るとき、主に三つの境（対象）によって出るからである。一つは「有」の境、二つは「境」の境、三つは「滅」の境である。この三つの境によって、出定のときに、その順序に従って三種の触に触れる。 「有」の境によって出定するとき、我慢（自己への執着）が心を動かすことはない。「これは私である」と我慢を起こしたり、「未来に私は存在するであろう」などと種々に思い巡らすことはない。よって、「動かない触に触れる」と言われる。 「境」の境によって出定するとき、所有への貪りも、所有への怒りも、所有への無知もない。よって、「何もない触に触れる」と言われる。 「滅」の境によって出定するとき、すべての相（形・イメージ）について思考しないので、相のない世界に縁（よりどころ）として向かう。よって「相のない触に触れる」と言われる。

如是已說靜慮、解脫、等持、等至。

> このようにして、静慮（禅定）、解脱、等持（三昧）、等至（正受）について述べてきました。

## 瑜伽師地論卷第十二

> 『瑜伽師地論』第十二巻