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title: "瑜伽師地論 · 7 非三摩呬多地"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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### 本地分中非三摩呬多地第七

> 第七 非三摩地の地

已說三摩呬多地。

> これまでに、心が集中した境地（三摩呬多）について説きました。

云何非三摩呬多地？當知此地相略有十二種。

> 非三摩呬多地とは何か。知るべきことに、この地の相は大まかに十二種ある。

或有自性不定故，名非定地。謂五識身。

> あるいは、自性が定まらないという理由で、「非定地」と名付けられるものがある。それは五識身を指す。

或有闕輕安故，名非定地。

> あるいは、軽安（心身の安らぎ）を欠くゆえに、「定地にあらず」と名づける。

謂欲界繫諸心心法。

> 欲界に属する、あらゆる心と心の働きについて。

彼心心法，雖復亦有心一境性，然無輕安含潤轉故，不名為定。

> その心と心のはたらきには、たしかに「心を一つの対象に保つ性質」も備わっていますが、軽やかで安らかな状態を含み、心をなめらかに保つ働きがないため、安定した心（定）とは呼べません。

或有不發趣故，名非定地。謂受欲者，於諸欲中深生染著，而常受用。

> あるいは、修行の境地に進んでいかないために、「定の地ではない」と名づけられます。これは、欲に執着する者が、さまざまな欲に対して深く染まり執着し、それを常に楽しみ味わっていることを指します。

或有極散亂故，名非定地。謂初修定者，於妙五欲心隨流散。

> あるいは、非常に散乱しているために「定の境地」ではないと名づけられる。これは、初めて修行を始めた者が、すぐれた五つの欲望に対して心を乱し、流されるままになっている状態を指す。

或有太略聚故，名非定地。謂初修定者，於內略心惛睡所蔽。

> あるいは、あまりにも雑多な要素をまとめすぎているために、「定地」ではない状態があります。これは、初めて瞑想を修める人が、内に向けて心を集中しようとする際に、眠気や倦怠に覆われている状態を指します。

或有未證得故，名非定地。謂初修定者，雖無散亂及以略聚、嬈惱其心，然猶未得諸作意故，諸心心法不名為定。

> あるいは、まだ修行を完成していないために、「定の境地にあらず」と名づけられる。 例えば、はじめて修行に励む者は、心が乱れたり、ぼんやりとまとまりなく、悩まされることがないとしても、まだ心の働きを整える修行（作意）を十分に得ていない。そのため、あらゆる心や心の働きは、定とは言えないのである。

或有未圓滿故，名非定地。謂雖得作意，然未證得加行究竟及彼果故，不名為定。

> あるいは、まだ円満でないという理由で、これを「定地（じょうち）にあらず」と名づける。すなわち、作意（さくい）を得たとしても、まだ加行究竟（けぎょうくきょう）とその果報を証得（しょうとく）していないため、定とは呼ばないのである。

或有雜染污故，名非定地。謂雖證得加行究竟果作意，然為種種愛味等惑染污其心。

> あるいは、雑染（けがれ）に汚されているからこそ、「定地ではない」と名づけられます。 たとえ加行究竟果作意（修行の最終的な成果を得る心の働き）を証得しても、さまざまな愛着や渇愛などの煩悩によって心が汚染されている状態をいいます。

或有不自在故，名非定地。謂雖已得加行究竟果作意，其心亦無煩惱染污，然於、入、住出諸定相中，未得自在，未隨所欲，硬澁艱難。

> あるいは、自在でない状態があるため、これを「定地にあらず」と名づける。すなわち、すでに加行究竟果の作意を得ていて、その心に煩悩の汚れもないけれども、禅定に入り、とどまり、出るときのさまざまな相において、自在を得ておらず、思いのままにならず、かたく、なめらかでなく、困難である状態をいう。

或有不清淨故，名非定地。謂雖自在，隨其所欲、無澁無難，然唯修得世間定故，未能永害煩惱隨眠諸心心法，未名為定。

> あるいは、心が清らかでないことにより、「定の境地ではない」と名づけられます。 たとえ思いのままに障りなく自在であり、滞りや困難がなくとも、ただ世間的な定を修めたに過ぎないために、煩悩の潜在的な眠りや心の働きを永久的に断ち切ることができず、まだ「定」とは呼ばれないのです。

或有起故，名非定地。謂所得定雖不退失，然出定故，不名為定。

> ある種の生起があるため、「定まっていない境地」と名づけられます。これは、得た定（瞑想状態）を退失しないとしても、その定から出てしまうことがあるからであり、そのため「定」とは呼ばれないのです。

或有退故，名非定地。謂退失所得三摩地故，不名為定。

> あるいは退くことがある故に、非定地と名づける。すなわち得た三摩地（定）を退き失う故に、定とは呼ばないのである。