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title: "瑜伽師地論 · 2項 增二法門(二十四對)"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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復次，依有情世間及器世間，有二種法，能攝一切諸戲論事。謂能取法，及彼所依、所取之法。

> さらに、有情世間と器世間に基づいて、あらゆる戯論（迷いの分別）を包摂する二つの法がある。それは、「能取（認識する側）の法」と、そのよりどころであり「所取（認識される側）の法」である。

又諸世間略有二種雜染根本，能引無義無利雜染。謂於真實無正解行，及彼為先悕求無義。

> さらに、この世の中には、およそ二つの苦しみの根本があり、無意味で無益な煩いを引き起こします。それは、真実について正しく理解し行動しないことと、そのことを先として無意味なことを求めることです。

又正法外，若諸沙門、若婆羅門，略有二種雜染根本。謂薩迦耶見增上力故，推求我常，推求我斷。

> さらに、正しい真理以外の教えを説く修行者やバラモンたちには、大きく分けて二つの汚れの根源がある。それは、「自己がある」という誤った見解が強まることにより、自分の永遠性を求めたり、自分の断滅を求めたりすることである。

又諸有情略有二種眾苦根本。謂於有漏法喜愛俱行所有期願，及非理所引厭離俱行所有期願。

又有二種師及弟子教授教誡相違之法。謂諸弟子不能堪忍教誨語言；及師倒見，習行邪行。與此相違，當知即是白品二法。又有二法，甚能違越世出世間正行境界。謂於自非法增上所生不可愛果無有顧慮，於所作罪無有羞恥；及於現法他所殺縛衰退等事無有顧慮，於所作罪無有羞恥。與此相違，當知即是白品二法。

> また、師と弟子の間で教え導き戒める方法が相容れない、二つの種類があります。すなわち、弟子たちが教えの言葉に耐えられず、師が誤った見解を持ち、悪しき行いを実践することです。これと反対のものが、善い性質の二つの法であると知るべきです。 さらに、世間と出世間の正しい行いの領域を大きく逸脱させる、二つの法があります。すなわち、自身の不善な行いから生じる好ましくない結果に対して顧慮せず、為した罪に恥じることがないこと、そして、現世において他者に殺されたり縛られたり衰退したりすることに対して顧慮せず、為した罪に恥じることがないことです。これと反対のものが、善い性質の二つの法であると知るべきです。

又有二種無倒建立，能令行者少用功力，住於梵行，終不唐捐。一、正立學處。若有違越，便獲大罪；若不違越、便生大福。二、正立出離。令違越者速復出離。

> さらに、二つの正しい教えの枠組みがある。これにより、修行者は少ない努力で清らかな行いを保ち、決して無駄になることがない。 第一に、「学ぶべき基準を正しく定めること」。これに背けば大きな罪を得、背かずに守れば大きな福が生まれる。 第二に、「解脱の道を正しく示すこと」。これにより、過ちを犯した者も速やかにそこから離れることができる。

又有二法，能令作者得自他利。一、居遠離者，心常安定現法樂住；二、居憒閙者，有來求法，時時為說，能令正法相續久住。

又有二法，能令有情內正作意、外聞他音二因緣故，於現法中入諦現觀，或令當來諸根成熟。一、於因所生法，正通達因，二、於如來所說所有甚深相似甚深空相應經，一切緣性及諸緣起，隨順作意數數思惟。

> さらに、二つの法がある。それらによって、生きとし生けるものは、内に正しい心構えを保ち、外から他者の教えを聞くという二つの縁によって、現在の世で真理を現に観察する境地に至り、あるいは将来、悟りのための能力を成熟させることができる。 その二つとは、第一に、原因によって生じる現象について、その原因を正しく理解すること。第二に、如来が説かれた、深遠なるもの、あるいは深遠に似た空性に関する経典の中の、あらゆる縁の道理や縁起について、心を寄せて繰り返し何度も思惟することである。

又有二法，能令根熟補特伽羅速證通慧。一、於教授教誡遠離諂誑；二、厭離為先，身語意行離諸調戲。

又有二法，令居一處同梵行者，展轉皆得安樂而住。一者、堪忍他所逼惱，二者、自不逼惱於他。

> さらに、二つの法によって、同じ場所で共に修行する者たちが互いに安らかに暮らせるようになる。第一は、他人からの苦痛や悩みを耐え忍ぶこと。第二は、自分から他人を苦しめ悩ませないこと。

又有二法，令居一處同梵行者，未生違諍遮令不生，其已生者速令止息，無鬪、無訟、無諍、無競。一者、展轉互起慈心，二者、平等受用財法。

> また、同じ場所で共に修行をする人々の間に、まだ生じていない違反や争いを防いで生じさせず、すでに生じたものを速やかに収めさせる二つの法があります。それは、互いに慈しみの心を起こし合うことと、財産や教えを平等に分かち合うことです。これにより、争いも訴訟も言い争いも競い合いもなくなります。

又有二法，速令心住，得三摩地清淨梵行。一者、憶持久遠所作、所說增上力故，若有所犯，如法悔除；若無所犯，便生歡喜；晝夜隨學，甞無懈廢。二者、於身語意一切事業能正了知增上力故，於諸過失終無違犯。由此因緣，亦無憂悔，隨生歡喜，廣說乃至解脫智見。又有二法，能越眾苦。謂能超越諸惡趣苦，及能超越生死大苦。一者、深見現法、當來諸過患故，遠離惡行；二者、心常安定，精勤修習菩提分法。又有二法，能令修斷居遠離者得安樂住。一者、於諸境界不生雜染，無惡尋伺擾亂其心；二者、凡所噉食，要為利益，稱量消化，能隨順斷，令身調適。又有二法，令修善品諸苾芻等時無虛度。一者、於諸根境正勤方便研究法相；二者、知時知量，少習睡眠。

> また、二つの法があります。心を速やかに安定させ、三昧の清らかな修行を得るためのものです。第一に、遠い過去に行い語ったことを記憶し続ける力を増すことにより、もし過ちがあれば法に従って懺悔し除き、過ちがなければ喜びを生じ、昼夜問わず学びに従い、決して怠ることがありません。第二に、身体・言葉・心の一切の行いを正しく理解する力を増すことにより、諸々の過失に対して決して違犯することがありません。この因縁によって憂いや悔いもなく、喜びが生じ、広く説けば解脱の智慧と見解に至ります。 また、二つの法があり、あらゆる苦しみを超越することができます。すなわち、諸々の悪趣の苦しみを超え、生死の大苦をも超えることができます。第一に、現在と未来の諸々の過患を深く見るために、悪い行いを遠ざけること。第二に、心が常に安定し、精進して菩提分の法を修行することです。 また、二つの法があり、修行に励み遠離する者が安楽に住することを可能にします。第一に、諸々の境界に対して雑染を生じず、悪い尋伺が心を乱すことがないこと。第二に、飲食するときは必ず利益のためにし、消化を見極め、断食に随順して身体を調えることです。 また、二つの法があり、善を修める諸々の比丘などが時を無駄にしないようにします。第一に、諸々の根と境に対して正しく精進し、法の相を研究すること。第二に、時と量を知り、睡眠を少なくすることです。

又有二法，能壞增上心學、慧學。一者、建立邪學，違越正學，及懷猶豫；二者、增益、損減邪見決定。與此相違，當知即是白品二法。又有二法，能令已集菩提資糧未入現觀補特伽羅速入現觀。一者、思惟現在、過去自他衰盛，二者、勤修諦行所攝無倒作意。

> さらに、二つの法があり、上品の心の学びと智慧の学びを損なうことができます。一つ目は、誤った学びを立てて正しい学びに背き、かつ疑いを抱くことです。二つ目は、誤った見解を増やしたり減らしたりして、それを確固たるものとすることです。これらと逆のことが、清らかな二つの法であると知るべきです。 さらに、二つの法があり、すでに菩提の資糧を積みながらも現観に入っていない者が、速やかに現観に入ることを可能にします。一つ目は、現在と過去における、自分や他者の衰えや盛りを思い観察することです。二つ目は、真理の実践に含まれる、誤りのない作意を熱心に修行することです。

又有二法，令觀行者最極究竟離垢梵行速得圓滿。一者、修諦現觀；二者、於後離欲方便勤修，於諸等至無有愛味，離諸障難。

> また、修行者をして、この上なく清らかな梵行（しゅじょう）を速やかに完成させる二つの教えがあります。 一つには、「真理を観察する修行」（諦現観）を修めること。 二つには、悟りを得た後も、欲から離れるための方法を怠らずに修行し、様々な禅定の境地に執着せず、妨げや困難から離れることです。

又有二法，令觀行者速能引發世出世間一切勝德。一者、九相住心；二者、由六種事、以正定心思擇諸法。如聲聞地當廣分別。

> さらに、修行者がすみやかに世間および出世間のあらゆる優れた功徳を引き起こすことのできる二つの修行法があります。第一は、心を九段階に落ち着けて保つ方法です。第二は、六つの観点をもって、正しい定まった心で様々な事柄を深く考え、見極めることです。これらの詳細については、『声聞地』の中で広く説かれています。

又觀行者有二種淨，謂作意淨及所依淨。於三世中遠離愚癡，智清淨故，名作意淨；遠離三界諸煩惱品麁重法故，名所依淨。

> また、修行者には二つの清らかさがある。すなわち、「作意の清らかさ」と「よりどころの清らかさ」である。過去・現在・未来の三世において無知から遠く離れ、智慧が清らかであることから「作意の清らかさ」と名づける。三界（欲界・色界・無色界）のあらゆる煩悩の粗い重みから遠く離れることから、「よりどころの清らかさ」と名づける。

又有二法，心善解脫諸阿羅漢內自所證。一者、於現法中苦因永盡；二者、由此為先，當來世苦畢竟不生。

> また、心が善く解脱した阿羅漢たちが自ら内に証する二つの法があります。一つは、現世において苦しみの原因が永遠に尽きること。二つ目は、このことを先達として、来世の苦しみが全く生じないことです。

## 瑜伽師地論卷第十三

> 瑜伽師地論 巻第十三