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title: "瑜伽師地論 · 3項 增三法門(四十五門)"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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## 瑜伽師地論卷第十四

> 瑜伽師地論 第十四巻

彌勒菩薩說

> 弥勒菩薩の教え

三藏法師玄奘奉　詔譯

> 三蔵法師玄奘奉詔訳

### 本地分中聞所成地第十之二

> 聞所成地 第十之二

已說二種佛教所應知處。次說三種，謂依十相、三門、三種及與三根，於諸有情發起邪行，能令有情墮諸惡趣。言十相者，謂壞生命、財物、妻妾，若壞實義、善友、讚美所為事業，若意三濁。謂執受他財欲為己有，欲令他遭所不愛事，誹謗真實所有惡見。言三門者，一、作業毀壞門，二、意樂毀壞門，三、方便毀壞門。於十相中，前之七種作業毀壞；其次二種意樂毀壞；最後一種方便毀壞，所謂惡見。由惡見故，羞恥、慈悲、離諸惡行悉皆毀壞；無有羞恥、無有慈悲，廣造眾惡。言三種者，一、身所作，二、語所作，三、意所作。言三根者，一、為自饒益相，二、為損害他相，三、於他顛倒相。謂於非法而作法想、於不應作作應作想，堅執現行。

> すでに二種の仏教における知るべきところを説きました。次に三種を説きます。すなわち、十の相、三つの門、三つの種類、そして三つの根に基づいて、有情に対して誤った行いを起こし、有情を悪趣に堕とすことです。 十の相とは、生命、財物、妻妾を損なうこと、真実の義理、善き友、称賛されるべき事業を損なうこと、そして心の三つの濁り、すなわち他人の財物を自分のものとしようと欲すること、他人に望まないことを起こさせようと欲すること、真実を誹謗する悪見のことです。 三つの門とは、第一に業を壊す門、第二に意楽を壊す門、第三に方便を壊す門です。十の相の中で、最初の七つは業を壊し、次の二つは意楽を壊し、最後の一つは方便を壊します。すなわち悪見です。悪見によって、羞恥心、慈悲心、そして諸々の悪行を離れることがすべて壊れ、羞恥心なく、慈悲心なく、広く多くの悪を造ります。 三つの種類とは、第一に身体によるもの、第二に言葉によるもの、第三に心によるものです。 三つの根とは、第一に自己の利益を求める相、第二に他者を害する相、第三に他者に対する倒錯した相です。すなわち、非法を法と思い、行うべきでないことを行うべきことと思い、それに固執して現に行うことです。

復有三法，能令有情不護諸根。一、於依止中邪法種子，二、於諸境界取不正相，三、於私隱處不正思惟。如是三種，當知即是欲貪、瞋恚及與害品。依四處所，發生三種不正尋思。謂於自己利等四種白品法處為欲獲得，或為不失，生欲尋思。於能障彼怨、中二品有情處所，生恚尋思。於親友品有情處所，生害尋思。所以者何？若親友品或時違犯，於彼不生全斷滅欲，唯有輕微苦楚方便訓罰之欲。與此相違所有白品，如應當知。略有四種內法種子，遍攝一切諸法種子。一、世間種子，二、出世種子，三、不清淨種子，四、清淨種子。世間種子者，謂欲、色、無色界繫諸行種子。出世種子者，謂能證三乘及三乘果八聖道等清淨種子。不清淨種子者，謂欲界繫諸行種子。清淨種子復有二種。一、世間淨，二、出世間淨。色無色繫諸行種子，名世間淨；能證三乘及三乘果八聖道等所有種子，名出世淨。

> さらに、三つの法があり、それによって有情が諸々の根を護ることができなくなります。第一に、依止の中における邪な法の種子、第二に、諸々の境において正しくない相を取ること、第三に、私的な隠れたところにおいて正しくない思いをすることです。これら三つは、まさに欲の貪り、怒り、そして害心の品であると知るべきです。 四つの場所に依って、三つの正しくない尋思が生じます。すなわち、自己の利益など四種の清らかな法の場所について、それを得ようとしたり、失うまいとしたりして、欲の尋思が生じます。それを妨げる怨みと中位の二種の有情の場所については、怒りの尋思が生じます。親しい種類の有情の場所については、害心の尋思が生じます。なぜなら、もし親しい種類の者が時に違犯したとしても、その者に対して完全に断ち滅ぼそうとする欲はなく、ただ軽微な苦しみの方法による訓戒や罰を与えようとする欲があるだけだからです。これと反対の全ての清らかな品については、応じて知るべきです。 大きく分けて四種の内なる法の種子があり、全ての諸法の種子を広く含みます。第一に、世間の種子、第二に、出世間の種子、第三に、清らかでない種子、第四に、清らかな種子です。世間の種子とは、欲界・色界・無色界に属する諸行の種子です。出世間の種子とは、三乗および三乗の果、八聖道などを証する清らかな種子です。清らかでない種子とは、欲界に属する諸行の種子です。清らかな種子にはさらに二種あります。第一に、世間の清らかさ、第二に、出世間の清らかさです。色界・無色界に属する諸行の種子を世間の清らかさと言い、三乗および三乗の果、八聖道などを証する全ての種子を出世間の清らかさと言います。

復有三種從因所生有漏法因，若於此中不如正理修方便者，能生諸苦；若能如理修方便者，於苦於因、能知能斷。謂於欲界繫法染污希求，於色無色界繫法亦爾。

> また、原因から生じる煩悩の種が三種類あります。これらに対して道理に従わず修行を進めれば、様々な苦しみを生み出します。しかし、道理に従って修行すれば、苦しみとその原因を知り、断ち切ることができます。それはつまり、欲界に属する執着や渇望、そして色界・無色界に属する同様の執着のことです。

又有三種諸煩惱趣，令諸有情流轉生死。謂於勝欲發意悕求，名初煩惱趣。於色無色界勝自體中發意悕求，名第二煩惱趣。於邪解脫發意悕求，名第三煩惱趣。又有三種諸有情類欲為根本作業方便。一、為得勝欲，二、為得勝自體，三、為證勝解脫道。

> さらに、煩悩が向かう三つの方向があり、そのために生きとし生けるものは生死を繰り返し流転します。 第一の煩悩の方向は、優れた欲の対象を強く求める心です。 第二の煩悩の方向は、色界や無色界という優れた生命のあり方を自らに望む心です。 第三の煩悩の方向は、誤った解脱を願い求める心です。 また、生きとし生けるものには、根本となる「欲」に基づく三つの行為の道筋があります。 第一に、優れた欲望の対象を得るため。 第二に、優れた生命のあり方を得るため。 第三に、真の解脱の道を体得するためです。

又有三種諸有情類於三界中攝受自體諸行威勢。一、牽引威勢，二、能得威勢，三、成滿威勢。牽引威勢者，謂能引之業。能得威勢者，謂健達縛正現在前。成滿威勢者，謂住於此受淨不淨諸業異熟。

> また、三種類の有情が三界において、自らの体を形成する諸行の勢いを獲得する。第一に「牽引の勢い」、第二に「獲得の勢い」、第三に「成就の勢い」である。 「牽引の勢い」とは、未来を引き寄せる業（カルマ）の力をいう。 「獲得の勢い」とは、中有（中有の存在）がまさに現前することをいう。 「成就の势し力」とは、ここに住して、清らかならざる業の果報を受けることをいう。

又有三種無明蘊。諸有情類住無明者，由此因緣，能生三世自體差別。謂於過去世前際等無知，能生現在自體；於現在世前際等無知，能生未來自體；於未來世前際等無知，即於未來能生後後當來自體。

> また、三種類の無明の蘊（かたまり）があります。無明にとどまっている生きとし生けるものは、この原因と条件によって、三世における自己のあり方の違いを生み出します。 つまり、過去世における「前際」などに対する無知によって、現在の自己が生まれます。現在世における「前際」などに対する無知によって、未来の自己が生まれます。未来世における「前際」などに対する無知によって、その未来において、さらに後の未来の自己が次々と生まれるのです。

又有三種未究竟聖，共諸異生生死災患。若有於彼深厭怖者，當速斷除三種憍逸，修習現法涅槃方便。一、無病衰退，二、少年衰退，三、壽命衰退。其有智者，應觀未來如是三事定當隨逐。

> また三種の、まだ悟りを究めていない聖者が、迷いの凡夫たちと共に生死の災いを経験しています。もしそのような状態に深く厭い、恐れを抱く者がいるなら、速やかに三つの驕りと逸楽を断ち切り、現世での涅槃を得るための修行をすべきです。その三つとは、第一に健康の衰え、第二に若さの衰え、第三に寿命の衰えです。賢明な者は、未来において必ずこれら三つのことが自分に訪れると観察すべきです。

又有三種有情之類，貪瞋癡縛所依處所身分差別，能急繫縛諸有情類，閉在大苦生死牢獄。一、能饒益，二、能損害，三者、平等二種俱離。

> また、三種類の有情（生きとし生けるもの）の区別がある。それは貪り・怒り・無知の束縛がよりどころとなる場所や状態の違いであり、これらが生きとし生けるものを強く縛り、大きな苦しみの生まれ変わりという牢獄に閉じ込める。一つ目は「利益をもたらすもの」、二つ目は「害を及ぼすもの」、三つ目は「平等でその二つを共に離れたもの」である。

又有三處所生諸苦，遍攝有情所有眾苦。一、合會所生苦，二、乖離所生苦，三、平等相續苦。初由損害位和合故；第二由饒益位變壞故；第三於一切位相續而轉，麁重所攝，諸行所生，唯眾賢聖覺之為苦，非諸異生。

> また、三つの場所から生じる苦しみがあり、それは生きとし生けるものの一切の苦しみを包括しています。 第一に、出会いによって生じる苦しみ、 第二に、別れによって生じる苦しみ、 第三に、平等に続く苦しみです。 最初の苦しみは、損なわれる状況での結びつきによって生じます。 第二の苦しみは、恵まれた状況が壊れてしまうことによって生じます。 第三の苦しみは、あらゆる状況にわたって絶え間なく続き、重苦しいものに覆われ、様々な条件によって生み出されます。これは、賢者や聖者だけが苦しみとして悟るものであり、普通の凡夫にはわかりません。

又有三種心高舉法，違害欲求沙門果證修方便者預流果支，能障沙門令不得證。一者、以己校量於他，謂我為勝，心生高舉；二者、以己校量於他，謂我相似，心生高舉；三者、以己挍量於他，謂我為劣，心生高舉。

> さらに、三種類の心を高ぶらせる法があり、沙門の果を得ようと修行に励む者の預流果の支分を損ない妨げ、沙門の境地に達することを阻みます。第一に、自分を他者と比較して「私は勝っている」と思い、心を高ぶらせること。第二に、自分を他者と比較して「私は同等だ」と思い、心を高ぶらせること。第三に、自分を他者と比較して「私は劣っている」と思い、心を高ぶらせることです。

復有三種種子，當知能生一切諸行。一、已與果，二、未與果，三、果正現前。又有三種諸行言說所依處。所謂去來今。

> さらに、三種類の種子がある。知るべきである、これらのすべての行（現象）を生み出すことを。第一に、すでに結果を与えたもの、第二に、まだ結果を与えていないもの、第三に、結果がまさに現れているものである。また、三種類の行（現象）の言葉による表現のよりどころがある。すなわち、過去・未来・現在である。

又有三相，能攝一切色法自相。謂顯、形、作用，安立眼識所取之色。於自處所，障礙餘色行住，安立根色，若一切境界色；當知一切總有十色，及定地色。若得淨定，為引變化修方便者所有諸色，當知是內化心境界，亦是未滿變化心果。

> また三つの相（特徴）があり、すべての色法（物質的なもの）の自相（それぞれ固有の性質）を包括する。すなわち、顕色（色そのもの）、形色（形）、作用色（はたらき）である。これらは、眼識が捉える色として成立する。 自らの位置において、他の色の動きや静止を妨げることにより、根色（感覚器官としての色）が成立する。また、すべての境界色（認識の対象となる色）については、総じて十種の色があることを知るべきである。さらに、定地色（禅定の境地における色）もある。 清らかな禅定を得て、変化を引き起こすための修行の方便（手段）を修める者に関わるすべての色は、内なる心の変化の境地であり、また、まだ完全に成就していない変化の心の結果であると知るべきである。

又有三種為諸煩惱所隨逐心。一、諸異生心，二、未滿學心，三、已滿學心。又有三種聽聞法者。一、於法於義不能受持；二、唯能領受，不能任持；三、能受能持。

> また、三種の煩悩に追いまわされる心があります。 一つ目は、凡夫の心。 二つ目は、修行がまだ完成していない学び人の心。 三つ目は、修行を完成させた学び人の心。 また、三種の法を聞く人がいます。 一つ目は、教えもその意味も受け止められない人。 二つ目は、ただ聞き入れても、それを保つことができない人。 三つ目は、受け止め、かつ保つことができる人。

又有三法，是修行者觀身語意無常性觀趣入上首。一者、入出息，二者、尋伺，三者、想思。

> さらに三つの法がある。修行者が身体・言葉・心の無常性を観察し、その観察へと入るための主要な方法である。第一に、呼吸の出入り、第二に、粗い思考と細かい思考、第三に、表象と意志である。

又有三種尊勝應受敬養。一、年齒增上，二、族姓增上，三、功德增上。又有三種住定不定因。二是定因。一不定因。一、惡趣定因，謂無間業。二、善趣涅槃定因，謂無漏有為法。三、不定因，謂所餘法。又有三法，為令聖教得久住故，展轉舉罪。一者、現見身語現行違犯學處；二、從他聞；三、以餘相比度了知。又諸如來自說具足三不護德。為顯外道諸師內懷眾惡，自稱一切智者，實非一切智者。又欲令彼於如來所發起真實一切智信。

> さらに三種の尊勝なる者がおり、敬い養われるべきである。一つは年齢が長じていること、二つは家柄が優れていること、三つは功徳が優れていることである。また、定まった因と不定の因という三種がある。二つは定まった因であり、一つは不定の因である。一つは、悪趣に定まる因であり、無間業をいう。二つは、善趣と涅槃に定まる因であり、無漏の有為法をいう。三つは、不定の因であり、その他の法をいう。また、三つの法があり、聖教を長く久しく住まわせるために、互いに罪を挙げ合う。一つは、現に見える身と語の現行が学処に違反していること、二つは、他から聞くこと、三つは、他の比類によって推し量り知ることである。また、諸々の如来は自ら三種の不護の徳を具足すると説かれる。これは、外道の諸々の師が内心に多くの悪を抱きながら、自ら一切智者と称し、実は一切智者ではないことを明らかにするためである。また、彼らをして如来の御もとにおいて、真実の一切智の信を発起せしめんがためである。

復有三種邪執所生大火所起有情燒惱。一、貪愛燒惱，二、愁憂燒惱，三、顛倒燒惱。又有三火，為化樂福邪事外火勝解有情，示無虛誑所應事火；雖實非火，假立火名。一者、父母，二者、妻子，三者、真實應供福田。又有三種，為諸樂欲增上生者、所說真實增上生道。一者、布施，得大財富；二者、持戒，得往善趣；三者、修定，遠離苦受，得生一向無有惱害樂世界中。

> さらに、三種類の誤った執着から生じる大きな火があり、それが原因で有情は焼かれて悩み苦しみます。第一に、貪りの愛着による悩み、第二に、憂い悲しみによる悩み、第三に、顛倒した見解による悩みです。 また、三つの火があり、幸せを求め、福徳を得るために、外道の火を尊ぶことに執着する有情に対して、偽りのない、本当に尊ぶべき火を示すためにあります。実際は火ではありませんが、仮に火という名を立てています。第一に父母、第二に妻子、第三に真実の供養に値する福田です。 さらに、三つの道があり、より優れた生まれ変わりを求める人々のために、真実の優れた生まれ変わりへの道として説かれています。第一に布施によって大いなる財産を得ること、第二に戒律を守ることによって善い世界に生まれること、第三に瞑想を修することによって苦しい感覚から遠く離れ、一切の悩みや害のない楽しい世界に生まれることです。

又有三種諸受欲者劣、中、勝欲，觀待諸欲所生樂故。一、多用功力依緣諸欲，謂現前住所有諸欲。二、少用功力依心諸欲，謂樂化天所有諸欲。三、極少功力依心諸欲，謂他化天所有諸欲。

> また、欲望を享受する者には三種類あり、下位・中位・上位の欲望がある。それは、欲望から生じる楽しみによって分類される。第一に、多くの労力と因縁に依って得られる欲望。これは現前の世界におけるすべての欲望を指す。第二に、少ない労力と心の働きに依って得られる欲望。これは楽化天におけるすべての欲望を指す。第三に、極めて少ない労力と心の働きに依って得られる欲望。これは他化天におけるすべての欲望を指す。

又有三種超過諸欲劣、中、勝樂。一、有尋伺喜，二、無尋伺喜，三、離喜之樂。又有三種覺悟所知，能令三乘出離眾苦。一、從他聞音種類，二、內正思惟種類，三、長時修習止觀種類。

> また、欲望を超えた三つの境地があり、それは劣・中・勝の楽（楽しみ）に分けられます。第一に、思考（尋）と細かな思考（伺）を伴う喜び、第二に、それらを伴わない喜び、第三に、喜びを離れた楽（平安の境地）です。さらに、真理を悟らせる三つの方法があり、これらによって三つの乗り物（声聞乗・縁覚乗・菩薩乗）は、あらゆる苦しみから解脱できます。第一に、他人から教えを聞くという種類、第二に、自ら内面で正しく思索するという種類、第三に、長期間にわたって止観（瞑想と観察）の修行を積むという種類です。

又有三種覺悟所知。一者、具縛，二、不具縛，三、全無縛。又有三種所應作事，修觀行者由此三事增上力故，修習信等一切善法。一者、永斷見道所斷諸煩惱已，證預流果；二者、永斷修道所斷諸煩惱已，漸次證得一來、不還、阿羅漢果；三者、證得阿羅漢已，現法樂住。

> さらに三つの悟りの対象がある。第一に、束縛を具えている者。第二に、束縛をすべて具えていない者。第三に、束縛がまったくない者。また、修行者には三つの為すべきことがある。修行者はこの三つの事柄の力によって、信などのすべての善法を修習する。第一に、見道において断じられるべき諸々の煩悩を永く断ち切って、預流果を証すること。第二に、修道において断じられるべき諸々の煩悩を永く断ち切って、順次に一来果、不還果、阿羅漢果を証すること。第三に、阿羅漢果を証した後、現世において法の喜びに安住すること。

又由三分照了一切所知境界增上力故，建立三眼。一者、肉眼，能照顯露無有障礙有見諸色；二者、天眼，能照顯露、不顯露、有障、無障有見諸色；三者、慧眼、照一切種若色非色所有諸法。

> さらに、三つの区分によってすべての知られるべき対象の領域を照らし出す力が増すことから、三つの眼が立てられています。 第一に「肉眼」は、現れているもので妨げがなく、見える形あるものを照らし出します。 第二に「天眼」は、現れているものと現れていないもの、妨げのあるものと妨げのないもの、見える形あるものを照らし出します。 第三に「慧眼」は、あらゆる種類の色のあるものも色のないものも、すべての諸法を照らし出します。

又有三法，能害現行煩惱怨敵。一者、信順善友；二者、不與在家出家諸眾雜住；三者、內正作意，覺悟所知真實道理。

> さらに三つの法（方法）があります。これらは、現れている煩悩という敵に対抗する力を持ちます。 第一に、善き友（善知識）を信じ、その教えに従うこと。 第二に、在家や出家の人々と、みだりに交わらずにいること。 第三に、心を正しく方向づけ、知るべき真実の道理を悟ることです。

復有三種正教誡方便，能展轉證後後所證及得涅槃。一、於尸羅正教誡方便，二、於心住正教誡方便，三、於覺悟所知真實道理正教誡方便。如正教誡方便有三種，當知數習正教誡方便亦爾。又於正教誡方便現修習時，由三種法得安隱住。一者、空、無願、無相、滅盡等至，二者、四靜慮，三者、四無量。又略有三種心一境性，能令證得如實智見。一、於意言中，種種差別所緣行相；二、意言無間，種種差別所緣行相；三、超度意言，專注一境，無種種無差別所緣行相。

> さらに、正しい教えに基づく三つの指導方法があります。これらによって、順に悟りを深め、最終的に涅槃へと至ることができます。 第一に、戒律を守るための指導方法。 第二に、心を安定させるための指導方法。 第三に、真実の道理をはっきりと理解するための指導方法。 この三つの指導方法があるように、これらを繰り返し実践する方法もまた三つあると知るべきです。 そして、これらの指導方法を実践して修行しているときには、三つの修行によって安らかに落ち着いて過ごせるのです。 一つ目は、空・無願・無相の三つの境地（三解脱門）と、滅尽定（めつじんじょう、すべての心の働きが止んだ状態）です。 二つ目は、四つの禅定（四静慮）です。 三つ目は、四つの無量心（四無量心：慈・悲・喜・捨）です。 また、簡潔にまとめると、心を一つの対象に集中させる修行（心一境性）にも三種類があり、それによってあるがままの智慧を得ることができます。 一つ目は、言葉や思考の中に、様々に異なる対象のイメージが浮かぶ状態。 二つ目は、言葉や思考が途切れなく続き、様々に異なる対象のイメージが浮かぶ状態。 三つ目は、言葉や思考を超越し、ただ一つの対象に深く集中し、様々な違いのない、単一の対象のイメージが浮かぶ状態です。

又有三處，能善攝受於惡邪處妄計尊勝及處中庸所化有情，引入聖教。一、現己所有最勝神通，二、於他所有染淨諸行遮止開許；三、宣說妙法正教正誡。

> また、三つの方法によって、誤った見解に執着する者や、最高のものと尊ぶ場所を誤って定める者、さらには中道的でない場所にいる者たちをうまく導き、聖なる教えへと引き入れることができる。 第一に、自らの最もすぐれた神通力を示すこと、 第二に、他者の汚れた行いや清らかな行いについて、禁じたり許したりすること、 第三に、素晴らしい教えと正しい戒めを説き示すことである。

又有三淨，為欲斷除樂淨外道，以外事水暫除外垢，自謂已得第一清淨所起邪慢故；建立此三第一義淨。不淨處生超越因故。

> さらに、三つの清浄がある。これは、「清浄であることを楽しむ外道」の誤りを断ち切るためのものである。外道たちは、外側の水で一時的に垢を除いただけで、「すでに第一の清浄を得た」と誇り、そこから生じる誤った慢心を持っている。そのため、この三つの第一義清浄が示されたのである。これは、清らかでない場所に生まれることを超える因（原因）となるからである。

又有三種牟尼，為欲斷除持牟尼戒諸外道等暫息語言，自謂已得真實寂靜所起邪執故；又為顯說無倒牟尼故；建立三種真實牟尼。即是聖所愛戒所攝身語二業，及無漏心。

> また、三種の牟尼（聖者の沈黙）が説かれる。これは、牟尼（沈黙）の戒を守る外道たちが、一時的に言葉を断ち、「すでに真実の静寂を得た」と主張する誤った執着を断ち切るためである。さらに、倒錯のない真実の牟尼を明らかにするために、三種の真実の牟尼が立てられた。すなわち、聖者が愛する戒に含まれる身業と語業の二つ、そして無漏の心である。

又有三法，能令處遠離者斷除現行不正尋思。謂由他所誹毀、自所誹毀、退失大利增上力故，所起愧、慚及與愛敬。

> また、三つの法が、遠離の境地にある者が行う不正な思索を断ち切るために役立つ。すなわち、他者からの非難、自己の内省による非難、そして大きな利益を失うという強い力によって生じる、慚愧（ざんき）の心と敬愛の心である。

又依道及道果，當知有三種最勝無上。謂無常智、苦智、無我智；樂速通等四種行跡；一切世間、出世間，有學、無學，時解脫、不動心解脫，最勝無上。修觀行者先得其智；由此智故，為斷煩惱，次修行跡；修行跡已，心得解脫。

> 「道」および「道の果」にもとづいて、次の三つの最も優れたものがあると知るべきです。すなわち、無常の智慧、苦の智慧、無我の智慧。楽速通などの四種の行跡。そして、一切の世間・出世間、有学・無学、時解脱・不動心解脱のうち、最も優れたものです。 瞑想修行者は、まずこの智慧を得ます。この智慧によって煩悩を断つために、次に行跡を修行します。行跡を修行した後に、心は解脱を得るのです。

又有三明，當知為顯於前後中際，斷常二邊邪執現法涅槃愚癡沙門婆羅門無明性故，建立三明。

> また、三つの明（三明）がある。これらは、過去・現在・未来という三つの時において、「断」と「常」という二つの極端な見解や、現世での涅槃に執着する愚かな沙門やバラモンたちの無明を打ち破るために説かれたものである。