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title: "瑜伽師地論 · 4項 增四法門(四十六亦有相違，為一門故)"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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已說三種佛教所應知處。4項 增四法門(四十六亦有相違，為一門故)

> ここまでが、仏教において知っておくべき三つの領域についての解説でした。 \*\*四つの教えのまとめ（第四十六章「増四法門」）\*\* ※第四十六章では、一部に矛盾する内容もありますが、全体として一つの教えのまとまりとして扱われます。

次說四種。謂有四法，能攝一切所知及智。謂身，及聞思修增上念住以為依止緣身境慧。如身及緣身境慧，當知受、心、法，及緣受、心、法境慧亦爾。復有差別，謂四種縛。一、執取縛，二、領受縛，三、了別縛，四、執著縛。當知心於身，由執取縛所縛；於受，由內領受縛所縛；於色等境界相，由了別縛所縛；即於所說身等，由貪瞋等大小煩惱執著縛所縛。對治如是四種縛故，立四念住。

> 四つのものについて説きます。あらゆる認識される対象と智慧をまとめる四つの法があるのです。それは、身体、そして聞・思・修による増上の念住をよりどころとして、身体を対象として観察する慧です。身体と、身体を対象として観察する慧と同様に、感受、心、法、そして感受・心・法を対象として観察する慧もあると理解すべきです。さらに区別があります。四つの束縛です。第一に、執取の束縛、第二に、領受の束縛、第三に、了別の束縛、第四に、執着の束縛です。心は身体において執取の束縛によって束縛され、感受においては内なる領受の束縛によって束縛され、色などの対象の相においては了別の束縛によって束縛され、そして先に述べた身体などにおいては、貪りや怒りなどの大小の煩悩である執着の束縛によって束縛されると知るべきです。このような四つの束縛を対治するために、四つの念住が立てられました。

又有四種欲勤為先，觀察過患及與對治以為依止，能斷現行諸不善法，及斷彼繫；能得善法，及能增長。

> さらに、欲望には四つの種類があり、まず努力を先立てるべきです。悪い結果を観察することと、それを治める方法をよりどころとして、今現れている不善の法を断ち切り、それに結びつく執着も断ち切ります。善い法を得ることができ、それをさらに増大させることができるのです。

又有四種為欲住心為得勝定修方便者，心住如意能生長門。一、樂出離欲；二、受持讀誦，悔過精進；三、能取賢善定相之心；四、住空閑處，觀察諸法。

> さらに、心を落ち着け、優れた禅定を得ようと修行する人のために、心を自在に保つための4つの入り口があります。 一つ目は、欲望から離れることを喜ぶこと。 二つ目は、教えを受け止め、読み、唱え、反省し、努力すること。 三つ目は、優れた禅定のすがたを捉える心を持つこと。 四つ目は、静かな場所に住み、あらゆる現象を観察することです。

又有四種心定心住。一、有尋有伺有喜心住；二、無尋無伺有喜心住；三、無尋無伺離喜心住；四、捨念清淨，超度一切苦樂心住。

> また、四種の心の安定（心定・心住）がある。 第一に、思考と分析を伴い、喜びを伴う心の安定。 第二に、思考と分析を伴わず、喜びを伴う心の安定。 第三に、思考と分析を伴わず、喜びから離れた心の安定。 第四に、捨てる心と気づきが清らかで、あらゆる苦しみや楽しみを超越した心の安定。

又有四種所知真實。染污、清淨二品別故，建立四種。若能了知、善了知者，能斷見、修所斷一切煩惱。一、染污品果真實，二、彼品因真實，三、清淨品果真實，四、彼品因真實。

> さらに四つの「知られるべき真理」がある。煩悩に汚れた状態と清らかな状態という二つの種類の違いによって、四つが立てられている。これを正しく理解し、十分に理解する者は、見道と修道で断ずべきあらゆる煩悩を断ち切ることができる。その四つとは、第一に汚れた状態の結果としての真理、第二にその原因としての真理、第三に清らかな状態の結果としての真理、第四にその原因としての真理である。

又有四種想為先戲論縛。一、於小欲中想為先戲論縛，二、於大色中想為先戲論縛，三、於無量空、識無邊處想為先戲論縛，四、於無所有處想為先戲論縛。

> さらに、四種類の「想」に基づく戯論の束縛がある。 第一に、小さな欲の中での想に基づく戯論の束縛。 第二に、大きな色の中での想に基づく戯論の束縛。 第三に、無量の空と識の無限の領域における想に基づく戯論の束縛。 第四に、無所有の領域における想に基づく戯論の束縛。

又有四法，於諸有情對治恚害不樂欲貪。善修習時能生大福，能趣離欲。一、慈，二、悲，三、喜，四、捨。

> さらに、四つの法がある。それらは、生きとし生けるものに対する怒りや害意、不満や欲の執着を対処し、よく修めることで大きな福を生み、欲から離れることへと導く。一つは慈しみ、二つは悲しみ、三つは喜び、四つは捨てることである。

又有四法超過色界，令成遠分。謂空處、識處、無所有處、非想非非想處。

> さらに、四つの境地は色界を超え、遠く離れた境地に至らせます。それは、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処です。

又有四種，為令解脫速得圓滿，勤修行者聖解脫欲勝任持法，為斷四愛增上力故。謂為衣服、飲食、臥具，少有所求，無作無亂，時無虛度，勤修方便；心離散亂，樂斷煩惱、樂修正道。

> さらに四つの教えがあります。解脱を速やかに完全に得るために、精進して修行する人の聖なる解脱への願いをしっかりと支えるためのものです。これは四つの執着を断ち切る力を高めるためのものです。衣服・食事・寝具に対して欲を少なくし、無駄なことをせず、心を乱さず、時間を無駄にせず、努力して修行に励みます。心が散乱せず、煩悩を断つことを喜び、正しい道を修めることを喜びます。

又有四種修習道果諸煩惱斷。一、見所斷煩惱斷，二、修所斷下分結上中品斷，三、即此無餘斷，四、上分結無餘斷。

> さらに、修行の道の果である煩悩を断つのに、四つの種類があります。 第一に、見道によって断たれる煩悩の断除。 第二に、修道によって断たれる下分結のうち、上品と中品の断除。 第三に、同じく下分結の残りすべての断除。 第四に、上分結のすべての断除です。

復有四種證預流支，能令行者於佛聖教及善趣中畢竟不動。謂於大師所真覺所生無動心淨。如於大師所，當知於所證法及為證法修證行者所亦爾。如是三種名心清淨。第四一種名色清淨。聖所愛戒所攝故。前之三種、令於聖教無有動搖；最後一種、令於善趣無有動搖。

> 更に、預流果を得るための四つの支えがある。これらによって修行者は、仏の聖なる教えと善趣において、決して揺らぐことがなくなる。 ① 大師（ブッダ）に対して、真の悟りから生まれる、揺るぎない清らかな信を確立すること。 ② 大師と同様に、自らが証する法（教え）に対しても、揺るぎない清らかな信を確立すること。 ③ その法を実践し、修行する人々に対しても、同様の揺るぎない清らかな信を確立すること。 以上の三つは心の清らかさとされる。 ④ 聖者が愛する戒（道徳規範）を身に付けること。これは「色の清らかさ」とされる。 前三つは、仏の聖なる教えに対して揺るがなくさせ、最後の一つは、善趣（良い生まれ）に対して揺るがなくさせる。

又有四種證預流支。一、於說法師及教授者能善承事，無所違犯；二、無倒聽聞師所說法及教授法；三、於所聞法能正思惟及善通達；四、成辦所修。

> さらに、預流果（悟りの第一段階）に入るための4つの実践方法があります。 第一に、説法する師や教えを授ける人によく仕え、尊重し、決して違背しないこと。 第二に、師が説く教えや指導法を、誤りなく正しく聴聞すること。 第三に、聞いた教えを正しく思惟し、十分に理解し通達すること。 第四に、修行すべきことを成就し完成させること。

又有四智攝一切智。一、唯無漏，於諸法中能現見智；二、一向無漏、於諸法中非現見智；三、一向有漏，或如理所引、或不如理所引、或非如理非不如理所引世間智；四、通有漏、無漏他心差別智。

> また、すべての智慧を包括する四つの智慧があります。 第一に、ただ煩悩を離れた智慧であり、あらゆる事物をありのままに見通す智慧。 第二に、常に煩悩を離れているが、事物を直接に見通すわけではない智慧。 第三に、常に煩悩に染まった智慧であり、道理にかなったもの、道理に反するもの、そのどちらでもないものとして現れる世間の智慧。 第四に、煩悩に染まっている場合と染まっていない場合の両方を含む、他者の心の違いを見分ける智慧。

又有四種於轉還品真實能取智，能盡諸漏。一、轉品果真實智，二、轉品因真實智，三、還品果真實智，四、還品因真實智。

> さらに、四つの種類がある。これらは、生死の循環（転）と涅槃への還帰（還）という事柄について、真実を正しく捉える智慧であり、あらゆる煩悩の漏れを尽くすことができる。 第一に、転（迷いの世界）における結果の真実を捉える智慧。 第二に、転における原因の真実を捉える智慧。 第三に、還（悟りの世界）における結果の真実を捉える智慧。 第四に、還における原因の真実を捉える智慧。

又有四法，能令信者為斷煩惱修正方便。一、相續殷重作用精進。二、正知行念，三、奢摩他，四、毘鉢舍那。

> また、四つの法があります。これらは修行者をして煩悩を断ち切るための正しい修行へと導きます。 第一に、絶え間なく真剣に努め励むこと。 第二に、正しい理解と心の持ち方。 第三に、心の静寂（奢摩他）。 第四に、物事をありのままに見ること（毘鉢舎那）。

又有四種能通達法，能盡上漏所依足迹。謂為得聖道，修有漏慧；既得道已，缺諸煩惱及缺諸事；無餘永斷諸煩惱事；如所得道轉更修習。

> さらに、法を理解し、上なる漏れを尽くすための依り所となる足跡が四つある。 すなわち、 1. 聖なる道を得るために、有漏の智慧を修めること。 2. 道を得たならば、様々な煩悩と、煩悩を支える事柄を欠くこと。 3. 余すところなく、あらゆる煩悩の事柄を永く断ち切ること。 4. 得た道に従って、さらに修習を重ねること。

又有四法展轉相應，有行、有緣，和合而轉、同一緣轉。謂受、想、行、識。

> また、四つの法が互いに関係し合い、作用と条件を伴いながら調和して回転し、同じ条件のもとで回転しています。すなわち、受・想・行・識です。

又有四護，能令已入佛聖教者愛樂聖教。一者、命護，二者、力護，三者、心煩惱護，四者、正方便護。

> さらに、すでに仏の教えに入った者をして聖なる教えを愛好せしめる四つの護りがある。第一に「命の護り」、第二に「力の護り」、第三に「心の煩悩に対する護り」、第四に「正しい方法（方便）の護り」である。

又有四種能得正見無倒義行所依處所。由前三種，行時清淨；由後一種，住時清淨。謂守根門者，於諸境界不順不違，為守根門念增上力，正智而行。住遠離者、心無染污、專注一緣。

> さらに、正しい見解を得て、誤りのない道理に従って行動するための拠り所となるものが四つあります。 最初の三つによって、行動するときの心が清らかになり、最後の一つによって、とどまるときの心が清らかになります。 感覚の門を守る者は、あらゆる対象に対して、気に入るからといって執着せず、嫌だからといって避けることもなく、感覚の門を守るという気づきの力をよりどころにして、正しい知恵をもって行動します。 そして、静かなところに住む者は、心が汚れに染まらず、一つの対象に心を集中させます。

又由四行，當知能證明及解脫。由念、眼、慧、能證於明；又由身故，能證不動及時解脫。

> また、四つの行によって、明（智慧）と解脱を証得できると知るべきである。 すなわち、念・眼・慧によって明を証し、 また、身体によって、心の揺るぎなき解脱と時解脱を証するのである。

復有四法，能為廣大種種差別諸所造色生起依止。一者、堅性，二者、濕性，三者、煖性，四者、輕等動性。

> また、四つの法が存在し、多種多様な物質（色）が生じるための基盤となっています。第一は「堅固な性質」、第二は「湿った性質」、第三は「熱をもつ性質」、第四は「軽くて動く性質」です。

又有四法，能持已生諸有情類令得久住，及能攝益尋求有者。攝事分中當廣分別。

> また、四つの法があります。これらは、すでに生まれた生きとし生けるものたちを保ち、長く安らかに生きながらえさせることができ、さらに生存を求める者たちを支え、利益を与えることができます。この詳細については、「摂事分」の中で広く説明されるでしょう。

又有四種於生死中諸識流轉所依足迹。謂於諸色見已趣向；由貪愛故，取為所緣；所依、境界俱有建立。如於諸色，於受、想、行、當知亦爾。

> さらに、生と死の輪廻の中で、様々な識が流れ続ける際の拠り所となる足跡が四つあります。それは、まず物質的なもの（色）を見て、そこに向かう心が生じること。次に、貪りの愛着によって、それを対象として捉えること。そして、拠り所（心）と対象（境界）の両方が相互に成立していることです。物質的なものについてだけでなく、感覚（受）、概念（想）、意志（行）についても、同様に理解すべきです。

又諸苾芻，顧戀現法身命為依止故，而於衣服、飲食、臥具生希求愛；顧戀後法身命為依止故，而於後有生悕求愛；愚於涅槃為依止故，而於無有生悕求愛。如是略有四種悕求之愛。謂衣服愛、飲食愛、臥具愛、有無有愛。

> さらに、比丘たちよ、現世の身体と命に執着することを拠り所として、衣服、飲食、寝具に対して求め愛着する。来世の身体と命に執着することを拠り所として、未来の生存に対して求め愛着する。涅槃を愚かに拠り所として、存在しないこと（無）に対して求め愛着する。このように、おおよそ四種類の求め愛着がある。すなわち、衣服への愛着、飲食への愛着、寝具への愛着、存在と非存在への愛着である。

又有四法，能令有情現行造作所不應作。謂隨順可愛事，違逆不可愛事，怖畏強敵其心顛倒，愚於現法及後法果。

> さらに、四つの法によって、生きとし生けるものは、なすべきでないことを行ってしまう。すなわち、愛しいことに従い、嫌なことに逆らい、強い敵を恐れて心が乱れ、現在と未来の結果について無知であることである。

又有四種請問記論，能斷所疑，能悟未悟，又能任持勝決擇力。謂於法實相應一向記，於諸有情業果異熟應分別記，於隱密說非一向問應詰問記，於不如理應當置記。於此問中，云何名記？謂記彼問，言佛世尊於斯不記。

> また、四種の問答の仕方がある。これによって疑いを断ち、まだ悟っていない者を悟らせ、さらに優れた選択の力を保つことができる。すなわち、法の真実の相については、一方向的に答えるべきである。生きとし生けるものの行為とその結果については、分別して答えるべきである。隠された教えについて一方的に問われた場合は、問い返して確かめるべきである。道理にかなわない問いについては、答えるのを差し控えるべきである。この問いの中で、何を「答える」というのか。それは問いに応じて、「仏世尊はこれを答えていない」と言うことである。

又有四種惠捨，或清淨，或不清淨。三種清淨，謂唯自身戒見具足，或復唯他戒見具足，或自及他戒見具足；一、不清淨，謂自及他戒見二種俱不具足。其清淨者，當生善趣，資產豐饒；不清淨者，當生惡趣，資產無匱。

> また、四種類の施しがある。清らかなものと、清らかでないものがある。三種類の清らかな施しとは、すなわち自らのみ戒律と見解を具えている場合、あるいは他者のみ戒律と見解を具えている場合、または自他ともに戒律と見解を具えている場合である。一つの清らかでない施しとは、自他ともに戒律と見解の二つを欠いている場合である。その清らかな施しを行じる者は、善い世界に生まれ、財産が豊かになるだろう。清らかでない施しを行じる者は、悪い世界に生まれるが、財産に困ることはない。

又有四種攝眾方便，能正攝化一切大眾。一、饒益方便，二、攝受方便，三、引導方便，四、修治方便。

> また、人々を導きまとめるには、四つの方法がある。これらの方法によって、あらゆる大衆を正しく導き、教化することができる。第一に、利益を与える方法。第二に、受け入れて守る方法。第三に、正しく導く方法。第四に、心を整え清める方法である。

又有四種從業所生諸有情類，於彼彼趣生依止門。一、由業及卵㲉，二、由業及胎膜，三、由業及潤污，四、唯由業。

> さらに、業によって生まれる四種類の生き物がいます。彼らはそれぞれ異なる生存の場へと生まれ入る門を持ちます。第一は、業と卵の殻によるもの、第二は、業と胎膜によるもの、第三は、業と湿気によるもの、第四は、業のみによるものです。

又彼彼處受生有情有四種死。一者、由自故死，謂於戲忘、意忿天中而受生者。二、由他故死。謂於羯羅藍、頞部曇、閉尸、鍵南母腹中者。三、俱由故死，謂在欲界所餘有情。四、俱不由故死，謂色無色界有頂為後所有有情。復有四清淨道。一、非功用根圓滿，亦非喜樂圓滿；二、功用根圓滿，非喜樂圓滿；三、喜樂圓滿，非功用根圓滿；四、喜樂圓滿，亦功用根圓滿。

> あらゆる所に生を受ける有情には、四種類の死がある。第一に、自らによって死ぬもの。これは、遊びに夢中になる天や、怒りやすい天に生まれた者である。第二に、他によって死ぬもの。これは、母の胎内の羯羅藍（けららん）、頞部曇（あぶどん）、閉尸（へいし）、鍵南（けんなん）の状態にある者である。第三に、両方によって死ぬもの。これは、欲界に属するその他の有情である。第四に、両方によらずに死ぬもの。これは、色界と無色界の、有頂天を最後とするすべての有情である。 また、四つの清らかな道がある。第一に、修行の根本が完全でなく、喜びや楽しみも完全でないもの。第二に、修行の根本は完全であるが、喜びや楽しみは完全でないもの。第三に、喜びや楽しみは完全であるが、修行の根本は完全でないもの。第四に、喜びや楽しみも完全であり、修行の根本も完全であるもの。

又有四清淨道。一、背惡說法及毘奈耶，二、向善說法及毘奈耶，三、資糧道，四、清淨道。此中最初，謂如有一，於外道見及引無義苦切行中，心不愛樂，亦不忍可。第二、謂如有一，於蘊、界、處、緣起、處非處等諸善巧中，愛樂忍可；又能堪忍寒熱等苦。第三、謂淨尸羅、守根門等諸善資糧所攝正法。第四、謂奢摩他、毘鉢舍那斷諸煩惱現法樂住。

> また、四つの清らかな道があります。 第一に、悪しき教えや戒律を退けること。 第二に、善き教えや戒律に向かうこと。 第三に、修行の糧となる道。 第四に、清らかな道です。 このうち最初の道とは、例えばある人が、外道の見解や、無意味な苦行に対して、心に喜びや納得を感じないことです。 第二の道とは、例えばある人が、五蘊、十八界、十二処、縁起、道理・非道理などの様々な巧みな教えに、喜びと納得を感じることです。また、暑さ寒さなどの苦しみにも耐えられることです。 第三の道とは、戒律を清らかに保ち、感覚の門を守るなど、善い修行の糧となる正しい教えです。 第四の道とは、止観によって煩悩を断ち切り、現世における安楽に安住することです。

又有四種學增上心方便。謂未離欲者，為得不還果，或不還果，依未至定求現法樂住；又為令他斷諸惡法，及往善趣；又為自己斷諸煩惱，得勝決擇。

> さらに、心を高めるための四つの学びの方法がある。 欲から離れていない者は、不還果を得るために、あるいは不還果を得た者は、未至定に基づいて現世での安らぎを求める。 また、他者の悪を断ち切り、善趣へ導くために。 そして、自らの煩悩を断ち切り、優れた悟りを得るために。

又有二業四相差別。謂轉所攝業差別有三，還所攝業總立一種。當知初業，一向能感不可愛果惡趣異熟；第二業、一向能感可愛樂果色無色界異熟；第三業、能感愛非愛果欲界天人異熟；第四業、能斷前三業。又有四種諸有情類增上勤務。一、樂而非利益，二、利益而非樂，三、亦樂亦利益，四、非樂非利益。

> また、業（カルマ）には二種の区分があり、さらに四種の様相によって違いがある。つまり、輪廻に縛られる業（転所摂の業）には三つの違いがあり、解脱に向かう業（還所摂の業）は一つにまとめられる。 第一の業は、常に好ましくない結果、すなわち悪趣（地獄・餓鬼・畜生）の報いを招く。 第二の業は、常に好ましい結果、すなわち色界・無色界の報いを招く。 第三の業は、好ましい場合も好ましくない場合もある結果、すなわち欲界の人間・天人としての報いを招く。 第四の業は、これら前三つの業を断ち切るものである。 さらに、生きとし生けるものには、努力を傾ける四つの種類がある。 一、楽しいが利益にならないもの 二、利益になるが楽しくないもの 三、楽しくもあり利益にもなるもの 四、楽しくもなく利益にもならないもの

又有四門起諸煩惱，能令有情與生等苦和合不離。一、染著諸欲門，二、染著色無色等至門，三、外道諸見門，四、住此法中未得眼者無智門。又修聖道，令此四門所生眾苦速得離繫。如能令有情與苦和合，能令順流取後有業難可解脫，當知亦爾。

> さらに、四つの門が様々な煩悩を生じさせ、人々を苦しみに結びつけ、離れられなくします。 第一に、欲望に執着する門、 第二に、色界・無色界の禅定に執着する門、 第三に、外道の様々な見解に執着する門、 第四に、この教えに留まりながらも悟りの眼を得ていない無知の門です。 しかし、聖なる道を修行すれば、これら四つの門から生じる苦しみから速やかに解放されます。 このように、人々を苦しみに結びつけ、後の生存へと導く業を生み出し、それが解脱し難いものであることも、同じように理解すべきです。

復有四種補特伽羅，當知遍攝一切補特伽羅。一者、異生，二者、未離欲有學，三者、已離欲有學，四者、超薩迦耶見一切無學。

> さらに、四種類の修行者がいます。この四者があらゆる修行者を網羅していると知るべきです。第一は凡夫、第二は欲望を離れていない有学、第三は欲望を離れた有学、第四は「自我という見解」を超えた無学です。

又有四種補特伽羅。一、自住律儀，不能為他宣說正法；二、自不住律儀，而能為他宣說正法；三、俱能作；四、俱不能作。

> さらに、四種類の修行者がいる。 一、自らは戒律を守っているが、他の人に正しい教えを説くことができない者。 二、自らは戒律を守っていないが、他の人に正しい教えを説くことができる者。 三、その両方ができる者。 四、その両方ができない者。

又有四種補特伽羅。一、族姓卑下，現行白法；二、族姓尊高、現行惡法；三、族姓卑下，現行惡法；四、族姓尊高，現行白法。此中最初，現法有苦，非於後法；第二、後法有苦，非於現法；第三、二世俱苦；第四、二世俱樂。

> また、四種類の人がいる。 第一に、家柄は低いが善行を行う者。 第二に、家柄は高いが悪行を行う者。 第三に、家柄は低く、悪行を行う者。 第四に、家柄は高く、善行を行う者。 このうち、最初の者は現世では苦しむが、来世では苦しまない。 第二の者は来世で苦しむが、現世では苦しまない。 第三の者は現世でも来世でも苦しむ。 第四の者は現世でも来世でも楽しい。

又有四種補特伽羅。一、以苦自任不任於他而生非福。謂受外道自苦戒者。二、以苦任他不任於自而生非福，謂隨有一不律儀者。三、以苦俱任而生非福，謂諸國王及祠祀主馬祠祀等。四、不以苦任於自他而生大福，謂住靜慮者及離諸惡補特伽羅。

> さらに、四種類の修行者がいる。 第一に、自ら苦行を課し、他者には苦行を課さず、福徳ではない行いを積む者。これは、外道の苦行の戒律を守る者である。 第二に、他者に苦行を課し、自らには課さず、福徳ではない行いを積む者。これは、何らかの不律儀を持つ者である。 第三に、自他ともに苦行を課し、福徳ではない行いを積む者。これは、王や祭祀の主催者、馬祀などの執り行う者である。 第四に、自他に苦行を課さず、大いなる福徳を積む者。これは、静慮に安住する者、およびあらゆる悪を離れた修行者である。

又略有四種語失。一、不實，二、乖離，三、毀德，四、無義。與此相違，當知即是四種語德。又略有四種非聖妄語。謂於見不見、顛倒而說。於聞不聞、於覺不覺、於知不知，當知亦爾。與此相違，當知即是賢聖諦語。

> さらに、言葉にはおおよそ四つの欠点があります。第一は「不実」（真実でないこと）、第二は「乖離」（調和を欠くこと）、第三は「毀徳」（徳を損なうこと）、第四は「無義」（意味がないこと）です。これらと反対のものが、言葉の四つの徳であると知るべきです。 また、おおよそ四つの聖者にあらざる虚偽の言葉があります。すなわち、見たことを見たり見なかったりと、事実に反して語ることです。聞いたこと、感じたこと、知ったことについても、同様に反して語ることがあります。これらと反対のものが、賢聖の真実の言葉であると知るべきです。