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title: "瑜伽師地論 · 5項 增五法門(二十四門)"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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已說四種佛教所應知處。次說五種。謂有五種諸欲貪品麁重隨逐，流轉雜染所攝行聚。一、所依所緣自性行聚，二、能領納自性行聚，三、能分別言說分位取諸法相自性行聚，四、能作用自性行聚，五、能了別自性行聚。此五相違，當知即是離欲貪品麁重，還滅、清淨所攝自性行聚。

> 四つの「仏教において知るべき領域」について説いたのに続き、次に五つの領域を説きます。 すなわち、五つの「欲望の対象への執着という重い煩い」（粗重）にまとわりつかれ、迷いの世界を流転し、煩悩にまみれた集まり（行聚）があります。 第一に、認識のよりどころ（所依）と認識の対象（所緣）という性質を持つ集まり。 第二に、感受するという性質を持つ集まり。 第三に、言葉で分別し、状態を区別して、様々な事柄の様相を捉えるという性質を持つ集まり。 第四に、作用を起こすという性質を持つ集まり。 第五に、識別するという性質を持つ集まり。 これらの五つの集まりに対応する、反対の性質を持つものがあると知るべきです。すなわち、欲望の対象への執着から離れた清らかな性質を持ち、迷いから還り滅びへと向かい、清らかさに包まれた性質を持つ集まりです。

又有五種受用欲者所愛境界，諸樂欲者常所追求，常所受用；諸背欲者恒正觀察。謂色、聲、香、味、觸。當知此中，依所追求、所尋思、所染著事，有四種愛樂。謂未來所愛樂事，即所追求；過去所愛樂事，即所尋思；現在所愛樂事，即所染著。此復二種。一、所愛樂事，二、從彼所生所愛樂受。

> また、五つの感覚的対象がある。これらは欲を享受する者にとって愛すべき境地であり、楽を求める者たちが常に追い求め、常に享受するものである。一方、欲を捨てた者たちは絶えず正しく観察するものである。その五つとは、色、声、香、味、触である。 知るべきは、ここにおいて、追求されるもの、尋ね求められるもの、執着されるものといった事柄に基づいて、四種類の愛楽があるということだ。すなわち、未来の愛楽の対象――これが追求されるものであり、過去の愛楽の対象――これが尋ね求められるものであり、現在の愛楽の対象――これが執着されるものである。このうち、さらに二種類がある。第一は愛楽の対象そのものであり、第二はそれらから生じる愛楽の感受（楽受）である。

又有五種有情所得受愛非愛業果異熟自體。謂天、人、那落迦、傍生、鬼趣。又有五種失利養因行，亦是背涅槃因行。謂若於是處受用利養，若從彼得，若所得物，若所為得，若如是得，於此諸處心生吝惜。

> また、五種類の生きとし生けるものが、愛するものと愛さないものという業の果報としての異熟の自体を得ることがある。すなわち天界、人間界、地獄界、畜生界、餓鬼界である。 さらに、五種類の利養を得るための因行（行為）があり、それらはまた涅槃から背く因行でもある。すなわち、ある場所で利養を受け、それを他から得、得られた物があり、得るための目的があり、そのように得るという、これらのすべての場面において心に吝嗇（けち）を生じさせることである。

又有五法，令修行者先毀淨戒、多聞，後虧止觀善軛。謂於諸欲中心生愛染，於能覺發憶念教授教誡者所心生瞋恚，未受尸羅令其不受；雖先受得後令棄捨，或使穿穴。耽著惛睡，恒不寂靜，染污追悔，常懷疑惑，於所聞法不能領受；雖初領受，尋即忘失；雖不忘失，不證決定。

> さらに、修行者をして先に清浄な戒律と多聞を壊させ、後に止観の善い繋ぎを欠かせる五つの法があります。すなわち、様々な欲望に対して心に愛着と染まりを生じ、覚醒や記憶を促し教え戒める者に対して心に怒りを生じ、まだ戒律を受けていない者にはその受戒を妨げ、すでに受けた者には後に捨てさせ、あるいは戒律に穴を開けさせることです。また、眠気に耽り、常に寂静でなく、染まりの後悔に苦しみ、常に疑惑を抱き、聞いた法を理解できず、最初は理解してもすぐに忘れ、忘れなくても確かな決定を得られないことです。

又有二種下分。謂見道是修道下分，欲界是色、無色界下分。約此二種下分，說五下分結。依初下分，說薩迦耶見、戒禁取、疑；依第二下分，說貪欲、瞋恚。

> また二種の「下の部分（下分）」があります。すなわち、見道というのは修道の下分であり、欲界というのは色界・無色界の下分です。この二種の下分に基づいて、「五つの下分の結び（五下分結）」が説かれています。最初の下分に基づいて、サッカヤけん（有身見）、戒かいしゅ（戒禁取）、疑ぎ（疑）が説かれ、第二の下分に基づいて、貪とんよく（貪欲）、瞋しんい（瞋恚）が説かれます。

又有二種上分。謂色界及無色界。依此二種上分，說五上分結。或有無差別結。謂色貪、無色貪。或有有差別結。謂愛上靜慮者掉，慢上靜慮者慢，無明上靜慮者無明。

> さらに、二つの上部の領域があります。それは色界と無色界です。この二つの上部の領域に基づいて、五つの上部の束縛が説かれています。あるいは、領域による区別のない束縛もあります。それは、色界への執着と無色界への執着です。あるいは、領域による区別のある束縛もあります。それは、上の静慮に執着する者の掉挙、上の静慮に執着する者の慢、上の静慮に執着する者の無明です。

又為五種不信敬所執持者，心不調柔，不能生長諸善根本。謂於大師所說正法，增上戒學、增上心學、增上慧學、正覺發者、正教授者、正教誡者同梵行所，無有信敬。

> また、五つの不信心・不恭敬に執着されている者は、心が柔らかくならず、善い根本を育てることができません。それはすなわち、大師の説かれた正しい教え、増上戒学・増上心学・増上慧学、正しく覚った者、正しく教授する者、正しく教誡する者、同じ清らかな行いをする者に対して、信頼と敬いの心がないことです。

又有五種為斷煩惱正精進障。一者、耽著等至及生；二者、耽著利養恭敬；三者、放逸；四者、惡慧；五者、其心下劣，或增上慢。

> さらに、煩悩を断つための正しい精進を妨げるものが五つあります。 第一に、禅定や高い境地に執着すること。 第二に、利益や供養、敬われることに執着すること。 第三に、怠けること。 第四に、間違った知恵を持つこと。 第五に、心が卑しいか、あるいは過剰な慢心を持つことです。

復有不能堪忍補特伽羅，於他怨敵所起五種邪行。謂不堪忍者，於他怨敵先起瞋心怨嫌意樂；於彼親友樂欲破壞；常欲令彼發生憂苦，廣作一切不饒益事；壞自所受清淨尸羅；由身語意多行惡行。由此五種惡邪行故，能感後世還來此中三種等流過患，一種現法等流過患，一種後法異熟過患。謂此生中，多諸怨敵；親友乖離；由他發起種種憂苦、不可愛事恒現在前；臨命終時多生憂悔；命終已後顛墜惡趣。與此相違，能堪忍者，於他怨敵發起五種正行。由此所感勝利差別，如應當知。

> また、忍ぶことができない人（補特伽羅）が、自分の怨み敵に対して起こす五つの邪な行いがある。すなわち、忍ぶことができない者は、怨み敵に対してまず怒りの心や怨み憎む心を起こし、その者の親しい人々を仲違いさせようと欲し、常にその者に苦しみや悲しみをもたらそうとし、あらゆる不利益をもたらす行いを広く行う。さらに、自らが受けた清らかな戒律を壊し、身体・言葉・心によって多くの悪行を行う。この五つの邪悪な行いによって、後の世にこの世に戻ってきたときに三種の等流（等しい流れ）の過患と、一種の現法（現世）の等流の過患と、一種の後法（来世）の異熟（異なった熟し方）の過患をもたらす。すなわち、この世で多くの怨み敵を持ち、親しい人々は離れ別れ、他者によって様々な苦しみや悲しみ、好ましくないことが常に目の前に現れ、命が終わる間際には多くの後悔が生まれ、命が終わった後は悪い世界に落ちるのである。これとは反対に、忍ぶことができる者は、怨み敵に対して五つの正しい行いを起こす。それによって得られる勝れた結果の違いについては、当然のように知るべきである。

又有五法，能生現法後法一切憂苦。一、親屬滅亡，二、所有財寶非理喪失，三、疾病緣身。此三能生現法憂苦。四、毀犯尸羅，五、毀謗一切諸惡邪見。此二能生後法憂苦。與此相違五法，當知能生現法後法所有喜樂。

> さらに五つの法があり、現世と来世のあらゆる苦しみを生じさせます。一つ目は親族の喪失、二つ目は財宝を道理に反して失うこと、三つ目は病が身に及ぶことです。これら三つは現世の苦しみを生じさせます。四つ目は戒律を破ること、五つ目はあらゆる悪しき邪見を誹謗することです。これら二つは来世の苦しみを生じさせます。これらとは反対の五つの法は、現世と来世の喜びと楽しみを生じさせるものだと知るべきです。

又阿羅漢，雖現追求供身財物，亦常受用，而能超度三邪追求、二邪受用。謂能超過殺生、偷盜、妄語所引三邪追求，亦能超過妻妾、畜積二邪受用。

> また、阿羅漢は身の回りの財物を求め、それを受け入れて用いることがあっても、常に三種の邪な追求と二種の邪な受用を超えています。すなわち、殺生・盗み・偽りの言葉によって生じる三種の邪な追求を超え、また妻妾を持つことや物を蓄えるという二種の邪な受用をも超えているのです。

又修斷者成就五法，隨其所欲，於諸善品方便修行，亦能速證究竟通慧。一者、於所修斷猛利樂欲，如教奉行；二者、於自所有如實發露；三者、身力康強；四者、相續無間修方便中，其心勇銳；五者、成就通達止、舉、捨相時分智慧。

> また、修行を中断させる障礙を断ち切ることに努める者は、次の五つの法を成就することにより、自らの望むままに様々な善行を実践し、速やかに究極の智慧（一切智）を証得することができます。 第一に、障礙を断ち切ることに対して強く喜んで望み、教えの通りに実践すること。 第二に、自分の過ちや欠点をありのままに告白し、隠さないこと。 第三に、身体が健やかで活力に満ちていること。 第四に、絶え間なく修行に励み、その中で心が勇敢であり、たるみがないこと。 第五に、心を静める「止」、心を活発にする「挙」、そして両者を調和させる「捨」の、三つの様相を適切に理解し用いる智慧を身につけていること。

又有五種能圓滿解脫、厭離所對治法。謂於諸法中，有三種愚以為依止，起三顛倒。三種愚者，一、時節愚，二、分位愚，三、自性愚。三顛倒者，一、於無常計常顛倒，二者、於苦計樂顛倒，三、於無我計我顛倒。及規求利養、希望壽命。為治如是五所治法，起五取相。謂於諸行，取無常相，亦取苦相；於諸法中，取無我相；於飲食中、取惡逆相；於其命根，取中夭相。

> さらに、五つの修行法があります。これらは完全な解脱と、世俗を厭う心を完成させ、その妨げとなるものを対治するためのものです。 すなわち、あらゆる存在において、三種の無知を拠り所として、三つの顛倒した見解が生じます。三種の無知とは、第一に「時の無知」（季節や時期についての誤った認識）、第二に「状態の無知」（発展段階についての誤った認識）、第三に「本質の無知」（物事の真の性質についての誤った認識）です。 三つの顛倒した見解とは、第一に、無常であるものを常であると誤って捉えること、第二に、苦しみであるものを楽であると誤って捉えること、第三に、無我であるものに我があると誤って捉えることです。 さらに、利益や供養を求めたり、長寿を願うことなども、解脱を妨げる要素です。 これらの五つの妨げとなる要素を対治するために、五つの観察の対象（相）を取ります。すなわち、あらゆる形成されたもの（行）においては、無常の相と苦しみの相を観じ、あらゆる存在（法）においては、無我の相を観じ、食べ物や飲み物においては、不浄で嫌悪すべき相を観じ、寿命そのものにおいては、

又有五種修定修智二勝行者正心解脫生長之門。定勝行者，因聞依諦聖言論故，正解法義。如因聽聞，因廣大音讀誦經典，因為他人開闡妙義，在空閑處審諦思惟，正解法義，當知亦爾。智勝行者，於上品亂貪欲對治無倒思惟。

> また、五つの修行法がある。これは瞑想（定）と智慧（智）の二つに優れた修行を完成させ、心を正しく解き放ち、成長させる門である。 瞑想に優れた修行者は、真理に関する聖なる言葉を聞くことにより、正しく教えの意味を理解する。たとえば、教えを聞くことによってだけでなく、大きな声で経典を読誦することによっても、あるいは他人に素晴らしい教えを説くことによっても、さらには静かな場所で深く熟考することによっても、正しく教えの意味を理解するのである。これらはすべて同じであると知るべきである。 智慧に優れた修行者は、激しい欲望の煩悩に対して、誤りのない正しい思考によって対処する。

又有五種修觀行者意樂方便悉皆具足。謂於涅槃、菩提、起猛利信解，名意樂具足。無間殷重修習正智而行、奢摩他、毘鉢舍那，名方便具足。

> さらに、観行を修める者には五つの種類があり、その意楽（願い）と方法（修行の手段）がともに完全にそろっています。すなわち、涅槃と菩提に対して、力強く明らかな信心と理解を起こすこと、これを「意楽がそろっている」といいます。絶え間なく、真剣に正しい智慧を修習し、それに従って行動し、奢摩他（しゃまた：心の静けさ）と毘鉢舎那（びばしゃな：物事をありのままに見る智慧）を実践すること、これを「方法がそろっている」といいます。

又有五法，令諸有情受愛非愛業果異熟，煩惱身心，具攝眾苦。謂苦、樂、憂、喜、捨。又由成就如前所說意樂方便悉皆具足不退轉故，令觀行者堪能速證聖諦現觀，亦善安住諸勝善品。

> さらに五つの法があり、あらゆる有情が好ましいものと好ましくないものの業の結果や異熟を受け、心身に煩悩を生じさせ、すべての苦しみを集めて受け止めさせます。それは、苦・楽・憂・喜・捨です。また、先に述べた意志と方法をいずれも十分に備え、退転しないことによって、修行者は速やかに聖なる真理の現観を証得し、また諸々の優れた善の品々に安住することができるようになります。

又有五種離欲界欲未盡餘結學生差別。一、住中有，便能究竟得般涅槃。二、於初靜慮初受生已，得般涅槃。三、受生已後，少用功力聖道現前，得般涅槃。四、多用功力聖道現前，得般涅槃。五、或色界邊際乃至色究竟，得般涅槃；或無色界邊際乃至有頂，方能究竟得般涅槃。

> さらに、欲界の欲望を離れているが、まだ残りの煩悩を断ち切れていない修行者には、五つの種類の違いがあります。 第一に、中有（ちゅうう）の状態にいる間に、完全に涅槃に達することができる者。 第二に、初静慮（しょじょうりょ）に生まれてすぐに、涅槃に達する者。 第三に、生まれた後、わずかな努力で聖なる道が現れ、涅槃に達する者。 第四に、多くの努力をして聖なる道が現れ、涅槃に達する者。 第五に、色界（しきかい）の最果て、あるいは色究竟天（しきくきょうてん）に至って涅槃に達する者、または無色界（むしきかい）の最果て、あるいは有頂天（うちょうてん）に至って初めて完全に涅槃に達する者。

又有五種雜修第四靜慮果得不還者生地差別。一、下品靜慮果生地，二、中品靜慮果生地，三、上品靜慮果生地，四、上勝品靜慮果生地，五、上極品靜慮果生地。

> さらに、第四禅定を雑に修する五種の果報として、不還者が生まれる土地に違いがある。一つ目は、下品の禅定の果報として生まれる土地。二つ目は、中品の禅定の果報として生まれる土地。三つ目は、上品の禅定の果報として生まれる土地。四つ目は、上勝品の禅定の果報として生まれる土地。五つ目は、上極品の禅定の果報として生まれる土地。

又有五種修觀行者觀察作意，能令三界煩惱永斷究竟決定。謂雖深厚憶念分別思惟欲相，於諸欲中仍不趣入。任運捨心，於離欲相率爾思惟，便能任運其心趣入。如於欲離欲相，如是於恚無恚相，害無害相、色等至生相、無色等至生相，及涅槃相，當知亦爾。

> また、修行を実践する人々が観察と心の向け方によって、三つの世界における煩悩を完全に断ち切り、最終的な決断に至るための五つの方法があります。 ① たとえ深く執着する思いや分別、思考の中で欲望のイメージを繰り返し思い浮かべても、その欲望の対象に心が入り込まない。そのまま自然に心を手放す。 ② 欲望から離れたイメージを、ごく自然に思い浮かべると、心は自動的にそちらへと向かっていく。 ③ 怒りに対しては怒りのないイメージ、害に対しては害のないイメージについても、同じことが言える。 ④ 色界の禅定に至るイメージ、無色界の禅定に至るイメージについても、同じである。 ⑤ 涅槃のイメージについても、同様に理解すべきである。

已說五種佛教所應知處。

> 五つの仏教で知るべきことについては、すでにお話ししました。