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title: "瑜伽師地論 · 6項 增上六門(合有十六門)"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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次說六種。謂依六相，宣說八種有情事差別。為令墮在我及有情、命者見等眾生，趣入無我故。謂我所依事差別、境界事差別、自性事差別、受用因事差別、受用事差別、隨說事差別、作用事差別、希望事差別。於如是等事差別中，未善純熟修觀行者，便謂有我。依眼等根；於色等境；由觸及受種種受用；有如是名、如是種、如是姓、如是食等於自於他隨起言說；造作一切法非法行；於可愛事希望和合、久住、增益、於非愛事悕望不合、不住損減。若於如是事差別中，已善純熟修觀行者，爾時妄計皆不得生。

> 次に六種について説く。すなわち、六つの相に基づいて、八種類の有情の事柄の違いを説き明かす。これは、「我」や「有情」「命者」などの見解に執着している衆生が、無我の境地に入るためのものである。 その八種類とは、我が依る所の事の違い、境界の事の違い、自性の事の違い、受用の因の事の違い、受用そのものの事の違い、言葉として説かれる事の違い、作用の事の違い、そして願望の事の違いである。 これらの事柄の違いについて、まだ十分に熟達していない修行者は、「我」があると考える。すなわち、眼などの根に依り、色などの対象に向かい、触と受によって様々な感覚を受け取り、「これこれの名、これこれの種族、これこれの姓、これこれの食物」などと、自他の別に応じて言葉を発し、善悪あらゆる行いを為し、好ましい事柄には和合・永続・増大を願い、好ましくない事柄には不和・消滅・減少を願うのである。 しかし、これらの事柄の違いについて、すでに十分に熟達した修行者の場合には、そのような誤った分別は一切生じることがない。

又於寶學有六輕懱，能令善法或未得退，或已得退，捨佛聖教，乃至微信亦皆退失。謂於佛法僧寶，增上戒學、增上心學、增上慧學。由惡友故，於增上心、慧令得邪僻教誡教授；由惡語故，全無所得。彼由邪僻及無所得故，退失一切所有善法。與此相違，當知即是白品六法。

> また、宝の学びには六つの軽んじるものがある。これにより、善法が未だ得られていないものは退き、すでに得られたものも失われ、仏の聖教を捨て去り、わずかな信仰さえもすべて失われる。すなわち、仏宝、法宝、僧宝、さらに戒を高める学び、心を高める学び、智慧を高める学びである。悪友によって、心を高める学びと智慧を高める学びにおいて、邪な教えや指導を受けることになる。悪い言葉によって、全く何も得られなくなる。そして、その邪なものと無所得のゆえに、すべての善法を退き失うのである。これと反対のものが、善い六つの法であると知るべきである。

又有情心與不如理作意俱行，於色等境有六種貪所依處平等分位。如貪所依處平等分位，如是瞋所依處不平等分位，癡所依處非平等非不平等分位，當知亦爾。

> また、心が道理にかなわない思考とともに働くとき、色や形などの対象に対して、六種類の貪欲が依って立つところ、つまり平等な状態が存在します。貪欲が依って立つ平等な状態と同様に、瞋（怒り）が依って立つ不平等な状態や、癡（無知）が依って立つ平等でも不平等でもない状態についても、同じように理解すべきです。

又有六種最極清淨轉自所依，第一究竟，無間無缺，無有染污，恒平等住。謂若行、若住，於眼所識色乃至意所識法中，恒平等住。

> さらに、六つの最も清らかな境地がある。それは、自らのよりどころを転じ、第一の究極に達し、途切れなく欠けることなく、汚れがなく、常に平等に安住するものである。すなわち、歩くときも留まるときも、眼で識る色から意で識る法に至るまで、常に平等に安住するのである。

又有六法，是諸色根及所依處，隨其所應之所依止，無有障礙，引導、安養，於彼彼生自在而轉。謂四大種、空界、識界。如是識界，能於現在積集任持福非福業，能引當來愛非愛果。亦能執持識所依止五種色根及所依處，令不爛壞。

> また、六つの法がある。これらは、諸々の色根（物質的な感覚器官）とその拠り所に対して、それぞれに応じて拠り所となり、障害なく導き、養い、あらゆる生において自在に作用する。すなわち、四大種（地・水・火・風）、空界、識界である。この識界は、現在において福業と非福業を積み集め、保持し、未来における愛すべき果報と愛すべきでない果報を引き起こす。また、識が拠り所とする五つの色根とその拠り所を保ち支え、朽ち壊れることのないようにする。

又由現法後後所生識自在力，令諸有情於善、不善無記業中差別而轉。

> また、現世において次々と生じてくる識（認識）の自在なはたらきによって、さまざまな生きとし生けるものは、善・不善・無記の業（行為）の中を、それぞれに応じて動いていくのである。

復有三處，諸修行者難可超越。一者、超越欲貪、恚、害、不樂所攝下界，二者、超越一切行相現行，三者、超越有頂。超越此三難超越處，當知由六種無上對治。四無量是初對治，無相心三摩地是第二對治。我慢永盡是第三對治。永害如是所對治故，諸三摩地皆悉成滿。善修對治故，害所對治，令彼決定不復現行。已斷我慢者，終不為彼我為究竟、為不究竟，如是疑惑纏擾其心。當知有疑惑者，必不離我慢；若離我慢，必無疑惑。

> さらに三つの境地があり、修行者にとっては乗り越えがたいものです。第一に、欲の貪り、怒り、害心、満足しない心を伴う下界を超えること。第二に、あらゆる行相（現象）の顕現を超えること。第三に、有頂（非想非非想処）を超えることです。これらの乗り越えがたい三つの境地を超えるには、六つの無上の対治法があると知るべきです。四無量心は第一の対治法であり、無相心三昧は第二の対治法です。我慢（自我への執着）を完全に断ち切ることが第三の対治法です。かくの如く対治すべきものを永遠に除き去ることで、あらゆる三昧はすべて成就します。対治法をよく修めたならば、対治すべきものを除き去り、それが決して再び現れないようにします。すでに我慢を断ち切った者は、『私は究極に達したのか、達していないのか』というような疑惑に心を悩ませられることは決してありません。知るべきです、疑惑を持つ者は必ず我慢を離れておらず、我慢を離れた者には疑惑はありえない、と。

又有六種諍根本處。一、展轉相違作不如意；二、覆藏諸惡；三、於等類中，剩受利養執為己有；四、於衣服等更相欺誑；五、違越學處；六、於法於義顛倒執著。

> さらに、争いの根本となる原因が六つあります。 一、互いに意見が合わず、不快な思いをさせること。 二、自分の悪事を隠し隠すこと。 三、仲間の中で、余分な利益や供養を受け取り、それを自分のものとすること。 四、衣服などに関して、互いにだまし合うこと。 五、修行の規則（学処）に背くこと。 六、教えやその意味について、間違った理解や執着をすること。

又有六法，能斷如是諍根本處。慈心所發身語意業，能斷初二；同受利養，能斷三四；同趣尸羅，能斷第五；同趣正見、能斷第六。

> また、六つの法があり、このように争いの根本となる場所を断ち切ることができます。 慈しみの心から発せられる、身体・言葉・心の行為によって、第一と第二の争いの根本を断ち切ることができます。 同じように利養（利益）を受けることによって、第三と第四を断ち切ることができます。 同じように戒律に向かうことによって、第五を断ち切ることができます。 同じように正しい見解に向かうことによって、第六を断ち切ることができます。

又有六法，能攝一切諸修行者威德究竟。謂神境、天耳、宿住、他心、生死智通、能攝威德；漏盡智通，能攝究竟。

> さらに、六つの法が、修行者のすべての功徳と究極の完成を統摂します。すなわち、神通力・天耳通・宿命通・他心通・生死智通は功徳を統摂し、漏尽通は究極の完成を統摂します。

又於聖諦未得現觀補特伽羅，略有六種能障諦現觀法。謂如前說三種愚癡增上力故、起三顛倒，規求利養，悕望壽命。此中差別者，於順惡見、惡聞、惡說、惡分別處法中，喜樂惡見、惡聞、惡說、惡分別事。如是喜樂，於未得聖諦現觀異生心，最能漂動，極為障礙，非於聖者。是故說此在明分中，非在解脫成熟分中。對治如是能障礙法，當知即是六種正取相。謂如前說五種取相，及一切世間不可樂取相。

> 聖なる真理をまだ直接に悟っていない凡夫には、その悟りを妨げる六つの要素がおおよそ存在する。先に述べた三つの無知の力によって、三つの誤った見解が生じる。すなわち、利益を求め、長寿を願うことである。この違いについて詳しく言えば、誤った見解、誤った聞き方、誤った語り方、誤った分別を好む対象や方法に対して、それらに喜んで執着することである。このような執着は、聖なる真理をまだ悟っていない凡夫の心を最も激しく揺さぶり、大きな障害となる。しかし、聖者にとってはそうではない。ゆえに、これは「明るい部分」に属するのであって、「解脱が成熟した部分」には属さないと説かれる。このような障害となるものを対治する方法は、六つの正しい対象の捉え方であると知るべきである。すなわち、先に述べた五つの捉え方と、全ての世間を楽しめないと捉えることである。

又有二種具足隨念六行差別，能令心沒諸修行者，正策其心，令生歡喜。謂歸依具足隨念，有三種行：證具足隨念，有三種行。於佛法僧隨念之行，名歸依隨念。於趣涅槃行、趣資財行、趣生天行隨念之行，名證隨念。

> さらに、心が沈んでしまった修行者たちが、その心を正しく奮い立たせ、喜びを生じさせるための「六つの行」に分類される、二種類の具足随念がある。 まず「帰依具足随念」には三つの行がある。仏・法・僧への随念の行が、これにあたる。 次に「証具足随念」にも三つの行がある。涅槃へ向かう行、資財を得る行、天界に生まれる行への随念が、これである。

又有六法，於善說法毘奈耶中立為無上，不與一切諸外道共。謂見大師；聞正法；得淨信；隨學一切所有學處；於大師所起隨念行，謂佛世尊是正等覺者，能說一切法，乃至廣說；又於大師以身語行承事供養。又有六法，能令為盡貪愛修觀行者，決定證知我於今者猶有貪愛，非無貪愛。謂於色境乃至法境繫攝其心。

> さらに六つの法がある。善く説かれた法と律において、無上のものとして確立され、すべての外道と共有されることはない。すなわち、大師に拝すること、正しい法を聞くこと、清らかな信仰を得ること、すべての学処を学ぶこと、大師に対して随念の行を起こすこと（すなわち、仏世尊は正等覚者であり、一切の法を説き、さらに広く説かれた）、そして大師に対して身と語の行によって供養することである。 さらに六つの法があり、貪りの愛を尽くそうと修行する者が、今の自分にはまだ貪りの愛があるのか、ないのかを確かに知り悟ることを可能にする。すなわち、色の境から法の境に至るまで、心を結びつけて捉えることである。

又六因緣故，應知諸業是實可依，非種家姓是實可依。謂下劣種性補特伽羅，亦生不善往於惡趣，亦生善業往於善趣，亦於現法能般涅槃。貴勝種姓，三種亦爾。

> さらに、六つの因縁があるので、様々な行い（業）こそが実際に依るべきものであり、家柄や氏族が依るべきものではないと知るべきです。 すなわち、生まれが劣った人でも、不善の行いをして悪い世界に生まれることもあれば、善い行いをして良い世界に生まれることもあり、また、現世において完全な安らぎ（涅槃）に達することもできるのです。 高貴な生まれの人でも、その三つの場合についても同様です。