---
title: "瑜伽師地論 · 7項 增七法門(合有十五門)"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8zh2rt01nnib04jpurv2c4"
---

已說六種佛教所應知處。7項 增七法門(合有十五門)

> 六種の仏教において知るべきところを説き終えた。次に、第七の項目として、増加する七つの法門（合わせて十五の門がある）について述べる。

次說七種。謂有七法，能於諸諦如實覺了，圓滿解脫。謂毘鉢舍那品有三，一、擇法，二、精進，三、喜。奢摩他品亦有三，一、安，二、三摩地，三、捨。念、通二品。

> 次に七つの方法について説明します。七つの法（真理への気づきを促す要素）があり、これらによってすべての真実をあるがままに悟り、完全な解脱を得ることができます。 観察（ヴィパッサナー）の側面には三つあります。第一に「法の選び取り（択法）」。第二に「努力（精進）」。第三に「喜び（喜）」。 瞑想（シャマタ）の側面にも三つあります。第一に「心の落ち着き（安）」。第二に「集中（三摩地）」。第三に「平等心（捨）」。 「気づき（念）」は両方の側面に共通します。

又由根故、果故、解脫故，建立七種補特伽羅。於向道中，依鈍根、利根故，建立隨信、隨法行。於果道中，即此二種，名信解脫見到。定障解脫，非煩惱障解脫故，建立身證；煩惱障解脫，非定障解脫故，建立慧解脫；定障、煩惱障俱解脫故，建立俱分解脫。

> また、根機と結果、解脱の違いによって、七種類の修行者が分類されます。 道を求める過程においては、鈍い根機と鋭い根機に基づいて、信によって従う行者と法によって従う行者が立てられます。 果を得た段階においては、この二種類の行者は、それぞれ信による解脱と見による解脱と名付けられます。 定の障害からは解脱したが、煩悩の障害からは解脱していないことから、身証が立てられます。 煩悩の障害からは解脱したが、定の障害からは解脱していないことから、慧解脱が立てられます。 定の障害と煩悩の障害の両方から解脱したことから、倶分解脱が立てられます。

又三因緣七種行故，令修行者心得內定，心正一緣。謂趣入、安住、攝受因緣。若世間正見，了知定有施與等行，及此為依，了知居家迫迮、居家塵染等行，出離所引正思惟，名趣入因緣。既趣入已，受持正語、正業、正命，名安住因緣。於趣入因緣、安住因緣，及後方便作意隨行中所有正精進、正念、名攝受因緣。

> さらに、三つの因縁と七つの行によって、修行者は心に内なる定を得、心を一つの対象に正しく向けることができる。すなわち、趣入因縁、安住因縁、摂受因縁である。 世間的な正見によって、布施などの行いが確かに存在することを理解し、それを基に在家の生活が束縛と煩悩に満ちていると知り、そこから離れるための正しい思惟が生じる。これを趣入因縁という。 趣入した後は、正語、正業、正命を守り続ける。これを安住因縁という。 趣入因縁と安住因縁、さらにその後の方便の作意に沿って行う中で、正精進と正念が伴う。これを摂受因縁という。

又諸世間樂求財者，為得樂故，雖樂積集一切凡財，而未能得七種聖財所生之樂。謂與信俱行清淨之樂；生於善趣所起之樂；顧自妙好，不行諸惡，無有追悔所生之樂；顧他誹毀，不行諸惡，無有追悔所生之樂；於法於義正解俱行所生之樂；後世資財無所匱乏所生之樂；於勝義諦如實覺悟所生之樂。諸如是等無量無邊無罪之樂，樂求積集世間財者皆所未得，惟得現法資財無匱所生有罪妄想之樂。

> また、世の人々で財を求める者たちは、楽しみを得たいと思い、一生懸命に世の中の財を集めようとします。しかし、彼らは七つの聖なる財から生まれる楽しみを得ることができません。その七つとは、信仰と共にある清らかな楽しみ、善い場所に生まれることで生じる楽しみ、自分の品格を顧みて悪を行わず、後悔しないことから生まれる楽しみ、他人の非難を気にして悪を行わず、後悔しないことから生まれる楽しみ、教えとその意味を正しく理解することから生まれる楽しみ、来世で必要なものが不足しないことから生まれる楽しみ、そして、最高の真理をそのままに覚り得ることから生まれる楽しみです。このような限りなく、罪のない楽しみは、世の財を求めて集める者たちには得られず、彼らはただ、今世での財が足りないことから生じる、罪を伴う妄想の楽しみを得るだけなのです。

又有七種魔惑品力。一、憎嫉聖教；二、現行能往惡趣惡行；三、樂習不顧自妙好障法；四、樂習不顧他誹毀障法；五、於善不善、有罪無罪、若劣若勝、若黑若白，及廣分別緣起法中，不能解了；六、慳垢弊心，積集眾具；七、智慧陜劣，愚癡增廣。若能降伏如是七種魔惑品力，當知即是聖法律中信等七力。

> さらに、七つの魔惑の品力を挙げる。第一に、聖なる教えを憎み妬むこと。第二に、悪趣へと導く悪行を現に行うこと。第三に、自らの善き姿を顧みない障害となる法を喜んで学ぶこと。第四に、他者の非難を顧みない障害となる法を喜んで学ぶこと。第五に、善と不善、有罪と無罪、劣と勝、黒と白、そして広く縁起の法を分別する際に、理解できないこと。第六に、けちの汚れが心を覆い、多くの道具や財をため込むこと。第七に、智慧が狭く劣り、愚かさが増し広がること。このような七種の魔惑の品力を打ち負かすならば、それこそが聖なる法と律における信などの七つの力であると知るべきである。

又有七種第一義法涅槃所對治法，能令正法衰退隱沒。如是七法、三衰損攝。謂受用衰損、增上意樂衰損、方便衰損。於衣服等樂求妙好，樂欲多求，及彼所起種種受用，名受用衰損。於道及道果涅槃心不信解，名增上意樂衰損。懈怠、失念、心亂、惡慧，名方便衰損。受用衰損，是貪不善根品類；意樂、方便衰損，是癡不善根品類。與此相違，當知即是白品七法。

> さらに、七つの第一義法（涅槃）を妨げる対治法があり、それらによって正しい教えは衰退し隠れてしまう。この七つの法は、三つの衰えにまとめられる。すなわち、受用の衰え、増上意楽の衰え、方便の衰えである。衣服などに優れたものを求め、多くを欲しがり、それによって様々に享受することを、受用の衰えという。道やその果である涅槃に対して心から理解し信じないことを、増上意楽の衰えという。怠惰、心の散乱、悪しき智慧を、方便の衰えという。受用の衰えは貪りの不善根の分類であり、意楽と方便の衰えは無知の不善根の分類である。これらと反対のものが、善なる七つの法であると知るべきである。

又有七種第一義法涅槃品法、能令正法無退久住。一、聞所成慧；二、思所成慧；三、修所成慧；四、不為惡緣侵損依止；五、正求財法；六、無增上慢；七、於可供養、不可供養補特伽羅，能善簡擇此可供養，此不可供養。此中由聞慧故、於未了義能正解了；由思慧故，於未善決定義能善思惟；由修慧故，斷諸煩惱；由無惡緣侵損依止故，堪能修斷；正求財法故，速證通慧；無增上慢故，於下品所證不生喜足；能善揀擇補特伽羅故，於諸世智大福者等不樂親近，亦不供養，唯樂親近供養少欲者等。

> さらに、七種の第一義法涅槃品法があり、正法を退転させずに長く住せしめることができる。 一に、聞所成慧。 二に、思所成慧。 三に、修所成慧。 四に、悪縁によって依止を侵し損なわれないこと。 五に、財法を正しく求めること。 六に、增上慢がないこと。 七に、供養すべき人と供養すべからざる人とを、善く選択して、これは供養すべき、これは供養すべからざると識別できること。 このうち、聞慧によって、未だ了義ならざるところを正しく了解し、 思慧によって、未だ善く決定されていない義を善く思惟し、 修慧によって、諸々の煩悩を断ずる。 悪縁によって依止を侵し損なわれないことによって、修行と断障に堪えられる。 財法を正しく求めることによって、速やかに通慧を証する。 增上慢がないことによって、下品の所証に喜び満足することがない。 人を善く選択できることによって、世間の智や大福者などを親近せず、供養もせず、ただ少欲の者などを親近し供養することを楽しむ。

又有七種諸有情類受生處所，於彼處所受生有情，諸識現前相續而住。於三界中，唯除惡趣、無想有情，及非想非非想處。由惡趣中，極可厭故，不立識住；無想有情，一向轉識不現行故，不立識住；非想非非想處，行與不行不決定故，不立識住。身異類故名種種身，想異類故名種種想。當知與此相違，名一種身、一種想。梵世已下，身形異類，所生身形種種色相有差別故。於梵世中初受生時，彼諸梵眾咸作是念：我等皆是大梵所生。爾時梵王亦作是念：是諸梵眾皆吾所生。如是彼想非有異類。第二靜慮已上一切諸天，身光等照故，名一種身。光音天眾先後生者，由覩梵世猛焰燒然，爾時便有怖不怖想；是故於彼有異類想。

> さらに、七種類の有情が生まれ出る場所がある。その場所で生を受けた有情たちには、様々な認識が現れて連続して留まる。 三界のうち、悪趣、無想有情、そして非想非非想処だけは除外される。なぜなら、悪趣は非常に厭わしいものであるため、認識の留まる場所とは認められないからである。無想有情は、通常の認識が全く生じないため、認識の留まる場所とは認められない。非想非非想処は、認識が生じるか生じないかが定まっていないため、認識の留まる場所とは認められない。 身体の種類が異なるため「種々の身」と呼ばれ、想いの種類が異なるため「種々の想い」と呼ばれる。これと反対の状態を「一種の身」・「一種の想い」と知るべきである。 梵世よりも下の世界では、生まれる身体の種類が異なり、それぞれの生まれ出る身体に様々な色や形の違いがある。梵世において最初に生まれる時、梵天の衆は皆「私たちはすべて大梵天から生まれたのだ」と考える。その時、梵王もまた「これらの梵天の衆は皆、私が生んだ者たちである」と考える。このように、それらの人々の想いは異なるものではない。 第二静慮より上の全ての天人は、身体の光が等しく照らし合うため、「一種の身」と呼ばれる。光音天の衆においては、先に生まれた者と後に生まれた者が、梵世で激しい炎が燃え盛るのを見て、その時に怖れる想いと怖れない想いが生じる。それゆえ、そこには異なる種類の想いがあるのである。

又諸有情有七種麁重，遍攝一切煩惱品麁重。謂劣界貪、瞋品麁重，中界妙界貪品麁重，劣中妙界慢、無明、見、疑品麁重。

> また、あらゆる生きとし生けるものには、七種の重い煩悩のしこり（粗重）があり、これがすべての煩悩のしこりを網羅している。すなわち、下の世界（欲望の世界）におけるむさぼりと怒りのしこり、中の世界と上の世界におけるむさぼりのしこり、そして、下・中・上のすべての世界における慢心、無明（真理に対する無知）、誤った見解、疑いのしこりである。

又於外道惡說法律中、當知有七種過失。謂解過失、行過失、依止過失、思惟過失、功用過失、增上心過失、增上慧過失。彼諸外道，雖少於法聽聞受持，而常隨順四顛倒故，凡興言論，專為毀他免脫徵難，為勝利故，其所生解皆有過失。所受禁戒，邪範邪命所攝受故，不能令自得出離故，亦有過失。所事師友，唯能宣說顛倒道故，亦有過失。所有思惟，邪求出離損壞心故，亦有過失。所有功用，離方便故，亦有過失。彼增上心，忘念、愛、慢及與無明、疑上靜慮之所攝故，亦有過失。彼增上慧，六十二見所損壞故，亦有過失。與此相違，當知善說法律中，亦有七種無過失事。

> また、外道の悪説の法と律には、七つの過失があると知るべきである。すなわち、理解の過失、行いの過失、よりどころの過失、思考の過失、努力の過失、心の向上における過失、智慧の向上における過失である。 それらの外道は、わずかに法を聞き学び受け持つことがあっても、常に四つの顛倒（さかさまな見解）に従うがゆえに、議論を起こすたびにひたすら他者を非難し、質問をかわして逃れようとし、利益を得ようとする。そのために生じる理解には、すべて過失がある。 彼らが受ける禁戒も、誤った規範や誤った生き方に基づくものであり、自らを解脱へ導くことができないため、そこにも過失がある。 仕える師や友も、ただ顛倒した道を説くだけであるため、過失がある。 すべての思考も、誤った解脱を求め、心を損なうものであるため、過失がある。 すべての努力も、正しい手段を欠いているため、過失がある。 彼らの心の向上は、念（正念）の欠如、愛（渇愛）、慢（慢心）、無明（無知）、疑いを伴う静慮（禅定）に基づくため、過失がある。 彼らの智慧の向上は、六十二の邪見によって損なわれているため、過失がある。 これとは反対に、善く説かれた法と律には、七つの過失のないことがあると知るべきである。

又有七法，令諸苾芻所起違犯諍事止息。餘如攝事分中當說。當知此中，有七種違犯諍事。一、開悟現前犯諍事，二、開悟過去失念犯諍事，三、開悟不自在犯諍事，四、尋思犯諍事，五、決擇犯諍事，六、自悔犯諍事，七、忍愧建立二眾展轉舉罪諍事。

> さらに、僧侶たちが起こした違反や争いを鎮めるための七つの方法がある。詳しくは「摂事分」の中で述べられる。ここで知るべきは、次の七種の違反に関する争い事である。第一に、現前の違反を明らかにする争い、第二に、過去の過ちによる失念を明らかにする争い、第三に、自由でない状態での違反を明らかにする争い、第四に、思考を巡らせる争い、第五に、選択と決定を巡る争い、第六に、自ら悔いる争い、第七に、忍耐と恥じらいをもって二つの集団が互いに罪を挙げ合う争いである。

## 瑜伽師地論卷第十四

> 瑜伽師地論 第十四巻