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title: "瑜伽師地論 · 8項 增八法門(合有十門)"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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## 瑜伽師地論卷第十五

> 瑜伽師地論 第十五巻

彌勒菩薩說

> 弥勒菩薩の教え

三藏法師玄奘奉　詔譯

> 三蔵法師玄奘奉詔訳

### 本地分中聞所成地第十之三

> 聞所成地 第十章 第三節

已說七種佛教所應知處。次說八種。謂有八支聖道所攝，令諸苾芻究竟斷結三種修法。謂修戒、修定、修慧。正語、正業、正命，名為修戒；正念、正定，名為修定；正見、正思惟、正精進，名為修慧。

> 七つの仏教で知るべきところを説き終えたので、次に八つの説き方を示します。八つの正道に含まれる、比丘たちが煩悩を完全に断ち切るための三つの修行法、すなわち戒の修行、定の修行、慧の修行についてです。 正しい言葉、正しい行い、正しい生活は「戒の修行」と呼ばれます。正しい気づきと正しい集中は「定の修行」です。正しい見解、正しい思惟、正しい努力は「慧の修行」と呼ばれます。

又由正方便及果增上力故，建立清淨品八種補特伽羅。謂行四向、住四果者。

> さらに、正しい修行の方法とその結果がもたらす力によって、清らかな側面を持つ八種類の修行者が示されています。それは、四つの修行の道に入った者と、四つの悟りの果に安住する者です。

又有二種施，八相差別。一、有過失施，二、無過失施。前七種施，名有過失；最後一種，名無過失。謂有布施懈怠所損，故有過失。或有布施不隨所欲，故有過失。謂有染心者，怖畏貧窮、悕求富樂而行布施。或有布施顧戀過去，故有過失。或有布施悕望未來，故有過失。或有布施有輕慢過，故有過失。或有布施悕求富樂，故有過失。或有布施求他知聞，故有過失。無過失施者，謂迴向涅槃故，為彼資糧故，無染污心為往善趣故，為得大財故，而行布施。

> さらに、布施には二種類あり、八つの違いがある。第一に「過失ある布施」、第二に「過失なき布施」である。最初の七つの布施は「過失あり」と呼ばれ、最後の一つは「過失なし」と呼ばれる。 怠りの心によって損なわれる布施は、過失があるという。 あるいは、欲しいままに行えない布施は、過失があるという。つまり、汚れた心を持つ者が、貧しさを恐れ、富や楽しみを求めて行う布施のことである。 あるいは、過去に執着する布施は、過失があるという。 あるいは、未来に期待する布施は、過失があるという。 あるいは、軽んじる心がある布施は、過失があるという。 あるいは、富や楽しみを求める布施は、過失があるという。 あるいは、他人に知られたいと思う布施は、過失があるという。 過失なき布施とは、涅槃（ねはん）を目指し、そのための糧とする布施である。汚れた心なく、善い世界へ生まれ変わるため、また大きな財を得るために行う布施のことである。

又依四處，於八時中，趣入懈怠，不發精進。當知如是補特伽羅是懈怠類，非精進類。謂依乞食處，依所作處，依遊行處，依界不平等處。依此四處，八時差別。多食精美，身沈重時；少食麁惡，身劣頓時；將欲所作，護惜力時，已有所作，身疲倦時；將欲遊行，護惜力時；已涉長塗，身疲倦時；正為病苦所纏擾時；所病已愈，恐更發時。此懈怠類補特伽羅，乃至未遇懈怠所依，少似精進；若得遇已，速發懈怠；是故名為懈怠種類。與此相違，亦依四處，於八時中發勤精進。當知如是補特伽羅能伏懈怠，勤精進類。雖遇懈怠所依，亦能發勤精進，何況不遇，是故名為勤精進類。

> 四つの状況と八つの時において、人は怠け心に陥り精進しなくなります。このような人は怠惰なタイプであり、精進するタイプではないと知るべきです。 四つの状況とは、托鉢の場面、仕事の場面、旅の場面、体調不良の場面を指します。これらの四つの状況には、さらに八つの時があります。 1. 美味しいものを食べ過ぎて体が重く感じる時 2. 粗末なものを食べ過ぎて体が弱っている時 3. 仕事を始めようとして、無駄に体力を温存しようとする時 4. 仕事を終えて体が疲れている時 5. 旅に出ようとして、無駄に体力を温存しようとする時 6. 長旅を終えて体が疲れている時 7. 病気に苦しんでいる時 8. 病気が治った後、再発を恐れる時 この怠惰なタイプの人は、怠け心を起こす状況に出会わないうちは、かろうじて精進しているように見えます。しかし、そのような状況に出会うと、すぐに怠け心を起こしてしまいます。そのため、怠惰なタイプと呼ばれます。 これとは反対に、同じ四つの状況、八つの時においても、精進を起こす人もいます。このような人は怠け心を抑え、勤勉に精進するタイプだと知るべきです。たとえ怠け心を起こす状況に出会っても、精進することができます。ましてや、そのような状況に出会わなければなおさらです。そのため、勤精進のタイプと呼ばれます。

又有八種正願所攝可愛生因，能令於諸欲中樂增上生，不求永離一切欲者，當生八種可愛生處。謂願人中卑惡種類，修小施戒二福業事；如是願樂人中尊貴種類、四大王天、三十三天、夜摩天、覩史多天、樂化天、他化自在天、修小施戒二福業事。

> さらに、正しい願いによって導かれる八つの、望ましい生まれを得るための因があります。それは、欲望の世界においてより良い生まれを楽しみたいと願い、すべての欲望から永遠に離れることを求めない者のために、八つの望ましい生まれの境地をもたらします。 すなわち、人間の中でも低い身分の種類に生まれたいと願い、わずかな施しと戒めの二つの福徳の業を修めること。 また、同じように願って、人間の中でも尊く貴い種類、あるいは四大王天、三十三天、夜摩天、覗史多天、楽化天、他化自在天に生まれたいと願い、わずかな施しと戒めの二つの福徳の業を修めること。

又四因緣故，於人趣中建立如來四眾；三因緣故，於天趣中建立四眾。最增上故，世間共許為福田故，受用資財不由他故；棄捨一切世資財故；由此四緣，於人趣中建立四眾。依地邊際故，欲界邊際故，語行邊際故；由此三緣，於天趣中建立四眾。

> さらに、四つの因縁によって人間の世界に如来の四衆（在家・出家の男女）が定められ、三つの因縁によって天の世界に四衆が定められます。 最もすぐれていること、世間で共通して福田（功徳を生む田）と認められていること、生活の資財を他に頼らずに得られること、すべての世の資財を捨て去ること——この四つの理由により、人間の世界に四衆が定められています。 また、地の限界によること、欲界の限界によること、言葉の働きの限界によること——この三つの理由により、天の世界に四衆が定められています。

又於世間三處轉時，恒常世間八法所觸。謂樂欲處、功用處、眾緣處。於樂欲處轉時，或觸於利，或觸非利。於功用處轉時，或稱他意，或不稱意；於背面位觸於毀、譽，於現前位觸於稱、譏。於眾緣處轉時，或由先世、或由現法苦樂眾緣，觸於苦、樂。

> さらに、世の中の三つの場面で行動するとき、人は常に世間の八つの条件（八風）に影響されます。すなわち、欲望の場面、努力の場面、様々な因縁の場面です。 欲望の場面で行動するとき、利益を得ることもあれば、損失を受けることもあります。 努力の場面で行動するとき、他人の意にかなうこともあれば、かなわないこともあります。 人のいないところでは批判や称賛を受け、人の前では誉め言葉や冷笑に触れます。 様々な因縁の場面で行動するとき、前世の因縁や、現在の苦楽の様々な条件によって、苦しみや楽しみを経験します。

又八勝解，能引不還、或阿羅漢諸聖神通及最勝住。謂未伏內色想，外無染污色勝解，是名第一；已伏內色想，是名第二；淨不淨非二色第一捨勝解，是名第三。此三解脫，於一切色得自在故，便能引發諸聖神通。謂諸神通不與一切異生共有。空無邊勝解、識無邊勝解、無所有勝解、非想非非想勝解、微微任運心勝解，此五勝解次第善修治故，能引想受滅等至最勝住。

> さらに、八つの勝解は、不還果や阿羅漢の聖者の神通力や、最高の境地を導くことができる。 すなわち、まだ内なる色の想いを克服していない状態で、外なる色に汚染されないという清らかな理解を得る。これを第一の勝解とする。 内なる色の想いをすでに克服した状態を、第二の勝解とする。 清らかでも不清らかでもない、色を超えた第一の捨て観を得る。これを第三の勝解とする。 これら三つの解脱は、あらゆる色において自在であるため、聖者の神通力を引き起こすことができる。この神通力は、凡夫が共に持つものではない。 空無辺の勝解、識無辺の勝解、無所有の勝解、非想非非想の勝解、そして微細に自然と働く心の勝解。この五つの勝解を順に善く修めることにより、想いと感受の消滅した最高の境地（想受滅定）へと導かれるのである。

又若觀諸色，若如所觀，於初三解脫中而修習者，謂三解脫方便道所攝三勝處也。此中觀外諸色，若小若大、若好若惡、若劣若勝者。謂觀非三摩地所行現所得色。由緣三摩地所行作意不種種現前，故名為勝。於三摩地所行中，奢摩他行名知，毘鉢舍那行名見。如於三摩地所行若知若見，如於彼色已尋思、已了別，如是於外所想非三摩地所行中觀諸色亦爾。

> さらに、様々な色（物質的な対象）を観察する場合、その観察の仕方によって、最初の三つの解脱（さんげだつ）の中で修行することを、三解脱の便利な道に含まれる三つの勝処（しょうしょ）と呼びます。ここで外側の様々な色を観察するとは、小さいものや大きいもの、良いものや悪いもの、劣ったものや優れたものを見ることです。これは、禅定（ぜんじょう）の対象ではない、通常の知覚で現れる色を観察することを意味します。禅定の対象に心を向ける意図（作意）によって、様々なものが目の前に現れることがないため、「勝れたもの」と呼ばれます。禅定の対象の中で、心を静める働き（奢摩他＝しゃまた）を「知る」といい、物事を詳細に観察する働き（毘鉢舍那＝びはっしゃな）を「見る」といいます。禅定の対象において、このように「知り」「見る」ように、その色についてすでに考え、はっきりと区別したのと同じように、外側の想像上の、禅定の対象ではない色を観察する場合も、同様に行うのです。