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title: "瑜伽師地論 · 3項 假相有法(六種言論)"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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何等名為假相有法？謂若於是處，略有六種言論生起，當知此處名假相有。

> いわゆる仮相の有る法とは何か。もしあるところに、おおまかに六種の言論が起こるならば、このところを仮相の有ると知るべきである。

何等名為六種言論？謂屬主相應言論、遠離此彼言論、眾共施設言論、眾法聚集言論、不遍一切言論、非常言論。

> 六つの言論とは何か。 それは、主体と結びついた言論、 これとあれを離れた言論、 多くのものによって仮に定められた言論、 多くの法が集まってできた言論、 すべてにわたらない言論、 永遠ではない言論、である。

屬主相應言論者，謂諸言論，配屬於主方解其相，非不屬主。如說生時、此誰之生，待所屬主起此言論。謂色之生，受、想、行、識之生。非說色時，此誰之色，待所屬主起此言論。如生如是，老、住、無常等心不相應行，隨其所應盡當知。是名屬主相應言論。若於是處起此言論，當知此處是假相有。

> 「主に属する相応の言論」とは、あらゆる言論を主体に結びつけて初めてその様相を解き明かすものであり、主体に結びつかないものではない。たとえば「生じる時、これは誰の生じるものか」と言う場合、所属する主体を待ってこの言論が生じる。すなわち「色の生じるもの」とか「受・想・行・識の生じるもの」というようにである。「色の時、これは誰の色か」と言う場合も、同様に所属する主体を待ってこの言論が生じる。 「生じる」がこのようであるならば、「老いる」「とどまる」「無常」などの心不相応行も、それぞれの該当に従って理解すべきである。これを「主に属する相応の言論」と呼ぶ。もしこのような言論が生じる場所があるならば、その場所は仮の存在としての有り様であると知るべきである。

遠離此彼言論者，謂諸言論，非以此顯此，亦非以彼顯彼，是說名為遠離此彼言論。若以此顯此言論，是言論亦於實相處轉，亦於假相處轉。若以彼顯彼言論，是言論亦於實相處轉，亦於假相處轉。若非以此顯此，亦非以彼顯彼言論，是言論一向於假相處轉。

> 「あれこれの言葉を離れる」とは、様々な言葉について、これによってこれを示すのでもなく、それによってそれを示すのでもないことです。これを「あれこれの言葉を離れる」と呼びます。 もし、これによってこれを示す言葉ならば、その言葉は真実の姿にも基づき、仮の姿にも基づきます。 もし、それによってそれを示す言葉ならば、その言葉もまた、真実の姿にも基づき、仮の姿にも基づきます。 しかし、これによってこれを示さず、それによってそれを示さない言葉は、常にただ仮の姿にのみ基づいて働くのです。

云何以此顯此言論，於實相處轉？如言地之堅。云何此復於假相處轉？如言石之圓。如地之堅、石之圓，如是水之濕、油之滴、火之煖、燬之焰、風之動、飄之鼓、亦爾。

> では、なぜこのような言葉の表現が、ものごとの真実のすがた（実相）について語るのでしょうか。例えば「地面の硬さ」というように、本質を表す場合があります。 また、なぜ仮のすがた（仮相）についても語るのでしょうか。例えば「石の丸さ」というように、形や性質を表す場合があります。 「地面の硬さ」や「石の丸さ」と同じように、「水の湿り気」「油の滴り」「火の暖かさ」「燃える炎」「風の動き」「吹き渡る勢い」も、すべて同様です。

云何以彼顯彼言論，於實相處轉？如言眼之識、身之觸，如是等。云何此復於假相處轉？如言佛授德友之所飲食、車乘、衣服、莊嚴具等。

> いったい何を根拠として「あれがこれを示す」という言論が、真実のあり方（実相）において働くのか。例えば「眼の識」「身の触」などと言われる場合がそうである。また、何によってこの言論が、仮の姿（仮相）において働くのか。例えば「仏が徳友に対し、飲食や車馬、衣服、装飾品などを授ける」と言われる場合がそうである。

云何非以此顯此，亦非以彼顯彼言論，一向於假相處轉？如言宅之門、舍之壁、瓶之口、甕之腹、軍之車、林之樹、百之十、十之三、如是等。是名遠離此彼言論。

> 「これはこれによって示されるのではなく、あれによって示されるのでもない。そうした言葉は、もっぱら仮のものに向けられている」とはどういうことか。 例えば、「家の門」「家の壁」「瓶の口」「甕の腹」「軍隊の車」「林の木々」「百の十」「十の三」などのように言う場合である。これが「これとあれという言葉を離れる」ということなのである。

眾共施設言論者，謂於六種相狀言說自性，假立言論。六種相狀者，一、事相狀，二、所識相狀，三、淨妙等相狀，四、饒益等相狀，五、言說相狀，六、邪行等相狀。

> 人々が共に言葉を立てて語り合うとは、六つの種類の特徴をもつ言葉の性質に基づいて、仮に立てられた言葉のやり取りを指します。その六つの特徴とは、第一に事柄の特徴、第二に認識される対象の特徴、第三に清らかで美しいなどの特徴、第四に利益をもたらすなどの特徴、第五に言葉そのものの特徴、第六に誤った行いなどの特徴です。

事相狀者，謂識所取。所識相狀者，謂作意所取，能起於識。淨妙等相狀者，謂觸所取。饒益等相狀者，謂受所取。言說相狀者，謂想所取。邪行等相狀者，謂思所取。

> 事相の形相とは、識が捉えるものを言います。識別される形相とは、作意が捉え、識を生じさせるものです。清らかで微妙な形相とは、触が捉えるものです。利益となる形相とは、受が捉えるものです。言葉による形相とは、想が捉えるものです。誤った行いなどの形相とは、思が捉えるものです。

眾法聚集言論者，謂於眾多和合，建立自性言論。如於內色、受、想、行、識，建立種種我等言論；於外色、香、味、觸等事和合差別，建立宅、舍、瓶、衣、車、乘、軍、林、樹等種種言論。

> あらゆる法（ものごと）が集まって生じるものについて語るとは、様々なものが集まり合わさって、その集まりに「自分という性質」があるかのように仮に立てて語ることをいう。例えば、内側の『色（かたち）』『受（感じること）』『想（思うこと）』『行（意志の働き）』『識（認識するはたらき）』という五つの要素が集まって、そこに「私」や「自分」といった様々な言い方を仮に立てる。また、外側の『色（色）』『香（香り）』『味（味わい）』『触（触れた感覚）』などの事柄が集まって区別が生じることによって、家や家屋、瓶、衣、車、乗り物、軍団、林

不遍一切言論者，謂諸言論，有處隨轉，有處旋還。如於舍宅舍宅言論，於諸舍宅處處隨轉；於村、聚落、亭邏、國等、即便旋還。於盆甕等盆等言論，於盆甕等處處隨轉；於瓶器等，即便旋還。於軍軍言，隨諸軍轉；於別男女幼少等類，即便旋還。於林林言，隨諸林轉；於別樹根、莖、枝、條、葉、華、果等類，即便旋還。

> あらゆる言葉がすべての場所で通用するわけではない。ある言葉は特定の範囲でのみ用いられ、その範囲を外れると使われなくなる。 例えば、「家」という言葉は、さまざまな家々では通用するが、村、集落、見張り小屋、国などに移ると使われなくなる。 「鉢」や「甕（かめ）」という言葉は、さまざまな鉢や甕では通用するが、瓶や器などになると使われなくなる。 「軍隊」という言葉は、軍隊全体については通用するが、個別の男、女、子供などの区分になると使われなくなる。 「林」という言葉は、林全体については通用するが、個別の根、茎、枝、葉、花、果実などになると使われなくなる。

非常言論者，由四種相應知。一、由破壞故；二、由不破壞故；三、由加行故；四、由轉變故。破壞故者，謂瓶等破已，瓶等言捨，瓦等言生。不破壞故者：謂種種物共和合已，或丸或散，種種雜物差別言捨，丸散言生。加行故者，謂於金段等起諸加行，造環釧等異莊嚴具，金段等言捨，環釧等言生。轉變故者，謂飲食等於轉變時，飲食等言捨，便穢等言生。

> 「よそごとを語る者」とは、四つの相によって理解すべきである。第一に「破壊」によるもの、第二に「不破壊」によるもの、第三に「加行」によるもの、第四に「転変」によるものである。 「破壊によるもの」とは、例えば瓶などが割れた時に「瓶」という言葉は捨てられ、「瓦」という言葉が生まれることである。 「不破壊によるもの」とは、様々な物が混ざり合って、丸められたり、粉にされたりした時に、「様々な雑物」という区別の言葉は捨てられ、「丸薬」や「粉末」という言葉が生まれることである。 「加行によるもの」とは、金の塊などに様々な加工を施して、指輪や腕輪などの異なる装飾品を作る時に、「金の塊」という言葉は捨てられ、「指輪」「腕輪」という言葉が生まれることである。 「転変によるもの」とは、食べ物や飲み物などが腐敗・変化する時に、「食べ物」「飲み物」という言葉は捨てられ、「糞尿」などの言葉が生まれることである。

如是等類，應知名為非常言論。隨於諸物發起如是六種言論，當知此物皆是假有。是名假相有法。

> このようなものを、「非実在の言論」と名づけるべきである。あらゆるものに対して、このような六種の言論が生じるとき、それらのものはすべて仮に存在するものと知るべきである。これを「仮相の存在する法」と名づける。