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title: "瑜伽師地論 · 1目 舉經頌(五十一頌)"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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如經言：一時索訶世界主大梵天王往世尊所，頂禮佛足，退坐一面，以妙伽他而讚請曰：

> 経典にこう説かれています。 ある時、この娑婆世界の主である大梵天王が、世尊の御許に赴き、仏の足に頭を触れて礼拝し、退いて一方に座り、見事な詩句で賛嘆し、こう請いました。

於學到究竟， 善斷諸疑網，今請學、所學、 修學，為我說。大仙應善聽： 學，略有三種，增上戒、心、慧， 於彼當修學。應圓滿六支， 四樂住成就，於四各四行， 智慧常清淨。初，善住根本， 次，樂心寂靜，後，聖見、惡見， 相應、不相應。先淨、樂靜慮， 及於諦善巧；即於諸諦中， 應生、遠、增長。於諸學處中， 有四趣三所。遠離於二趣， 於二趣證得。二安住二種， 一、能趣涅槃。漸次為因緣， 純雜而修習。最先離惡作， 最後樂成滿；諸學是為初， 於此學聰叡。由此智修淨， 淨生、樂成滿；諸學是為中， 於此學聰叡。從此心解脫， 永滅諸戲論；諸學是為尊， 於此學聰叡。若行、趣不淨， 亦趣於善趣；是行說為初， 當知此非共。若行、趣清淨， 非諸趣究竟；是行說為中， 當知亦非共。若行、趣清淨， 於諸趣究竟；是行說為尊。 當知此必共。若有學、無學、 當知並聰叡；若有學、無學， 當知並愚夫。若棄捨攝受， 亦斷除麁重；及現見所知， 是受持三學。若有緣、無緣， 亦細、麁顯現。由受持、遠離， 言發悟，所引。初學、唯有一； 第二學、二種；第三學、具三； 慧者皆超越。不毀壞尸羅， 於學誓能順，軌範無譏論， 於五處遠離。若無犯、出離， 無惡作、惡作，於彼學尋求， 及勤修彼行。終無有棄捨， 命難亦無虧，常住正行中， 隨毘柰耶轉。修治誓為先， 亦修治淨命。二邊皆遠離， 亦棄捨邪願。於諸障礙法， 終無有耽染。亂心法纔生， 尋當速遠離。非太沈、太浮， 恒善住正念，根本眷屬淨， 而修行梵行。應發勤精進， 常堅固勇猛。恒修不放逸， 五支善安住。當隱自諸善， 亦發露眾惡。得諸衣服等， 麁、妙皆歡喜。少隨於世務， 麁弊亦隨轉。受杜多功德， 為寂離煩惱。當具足威儀， 應量而攝受；終無有所為， 詐現威儀相。不自說實德， 亦不令他說。雖有所方求， 而非現異相。從他邊乞求， 終不強威逼；以法而獲得， 得已、不輕毀。不耽著利養， 及所有恭敬；亦不執諸見， 增益與損減。不著順世間 無義文呪術；亦不樂畜積 無義長衣鉢。恐增諸煩惱， 不染習居家；為淨修智慧， 當親近賢聖。不畜朋友家， 恐發憂悲、亂，能生苦煩惱； 纔起、尋遠離。不受於信施， 恐加害瘡皰；於如來正法， 甞無有棄捨。於他愆犯中， 無功用、安樂；常省自過失， 知已、速發露。若犯於所犯； 當如法出離。所應營事中， 能勇勵自作。於佛及弟子、 威德與言教，一切皆信受； 觀大罪、不謗。於極甚深法， 不可思度處，能捨舊師宗， 不堅執自見。常樂居遠離， 及邊際臥具，恒修習善法， 堅精進勇猛。無有欲、生欲、 不憎惡、憎惡，離睡眠、睡眠， 時不居寂靜，離惡作、惡作、 無希慮、希慮，一切種恒時 成就正方便。引發、與覺悟、 及和合所結、有相、若親昵， 亦多種喜樂、侵逼、極親昵， 名虛妄分別。能生於欲貪， 智者當遠離。諸欲、令無飽， 眾多所共有，是非法因緣， 能增長貪欲，賢聖所應離， 速趣於壞滅，仗託於眾緣， 危逸所依地。諸欲，如枯骨， 亦如軟肉段，如草炬相似， 猶如大火坑，譬如蟒毒蛇， 亦如夢所見，如借莊嚴具， 如樹端熟果。如是知諸欲， 都不應耽樂。當聽聞正法， 常思惟；修習；先觀見麁靜； 次於修一向，捨煩惱麁重， 於斷生欣樂；於諸相觀察； 得加行究竟；能離欲界欲， 及離色界欲，入真諦現觀， 能離一切欲，證現法涅槃， 及餘依永盡。

> 学びを究め、諸々の疑いの網を断ち切ったあなたに、 今、学ぶこと、学ばれること、学びを修めることについて、お聞かせください。 大仙よ、よくお聞きください。学びには、大きく分けて三つあります。 増上戒、増上心、増上慧、これらを修めるべきです。 六つの支分を円満にし、四つの楽住を成就し、 四つのそれぞれにおける四つの行によって、智慧は常に清らかになります。 まず、根本に善く安住し、次に心の寂静を楽しみ、 後には、聖なる見解と悪しき見解に、相応するか、しないか。 まず清らかになり、静慮を楽しみ、更に真理について巧みになり、 その諸々の真理の中で、生じさせ、遠く離れ、成長させるべきです。 諸々の学処の中には、四つの趣（向かう先）と三つの場所があります。 二つの趣を遠く離れ、二つの趣を証得します。 二つは二つの種類に安住し、一つは涅槃に趣くことができます。 順を追って因縁となり、純粋と雑多を交えて修習します。 最初に悪作（後悔）を離れ、最後に楽しみを円満に成就します。 諸々の学びはこれが初めであり、これにおいて学ぶ者は聡明です。 この智慧によって修め清められ、清めが生じ、楽しみが円満に成就します。 諸々の学びはこれが中であり、これにおいて学ぶ者は聡明です。 これより心が解脱し、諸々の戲論（あらゆる分別）を永遠に滅します。 諸々の学びはこれが尊いものであり、これにおいて学ぶ者は聡明です。 ある行が、清らかでない境地へ向かい、また善趣へも向かうならば、 この行は初めと言われ、これが共通でないと知るべきです。 ある行が、清らかさへ向かうが、諸々の趣の究極ではないならば、 この行は中と言われ、これもまた共通でないと知るべきです。 ある行が、清らかさへ向かい、諸々の趣の究極であるならば、 この行は尊いと言われます。これは必ず共通であると知るべきです。 有学（学びつつある者）と無学（学びを完成した者）があり、いずれも聡明であると知るべきです。 有学と無学があり、いずれも愚か者であると知るべきです。 もし、執着（摂受）を捨て、粗重（煩悩の重み）も断ち切り、 そして現に見られる所知（認識対象）に至るならば、これが三学を受持することです。 縁があるもの、縁がないもの、また微細なもの、粗いものが現れます。 受持と遠離によって、言葉が発起され、導き出されます。 初めの学びはただ一つ、第二の学びは二種、 第三の学びは三つを備えます。賢者は全てを超越します。 戒律（尸羅）を毀たず、学びの誓いによく従い、 軌範（模範）として非難されることなく、五つの場所から遠ざかります。 もし、違反がなく、そこから出離し、悪作（後悔）がなく、悪作（後悔）があるならば、 その学びを求め、またその行いに励みます。 決して捨てることがなく、命の難に遭っても欠けることがなく、 常に正しい行いに留まり、律（ヴィナヤ）に従って行動します。 修治（修行と対治）の誓いをまず行い、また清らかな命も修治します。 両方の極端を遠く離れ、また邪な願いも捨てます。 諸々の障りとなる法に対して、決して耽溺することがありません。 心を乱す法が生じたなら、すぐに速やかに遠ざけます。 沈み過ぎず、浮つき過ぎず、常に正念に善く安住し、 根本も眷属も清らかにして、梵行（清らかな行い）を修行します。 精進を発起し、常に堅固で勇猛でありなさい。 常に不放逸を修め、五つの支分に善く安住します。 自らの様々な善い行いは隠し、また様々な悪い行いは告白（発露）しなさい。 様々な衣服などを得ても、粗いものでも素晴らしいものでも喜びなさい。 世間の務めにはあまり従わず、粗末なものにも従って生きなさい。 頭陀（ダルータ。衣食住に関する厳しい修行）の功徳を受け、寂静のため、煩悩から離れるためです。 威儀を具足し、身の丈に応じて受け取りなさい。 決して、目的があって、威儀の相を偽って現してはなりません。 自分の真の徳を自ら語らず、また他人に語らせもしない。 たとえ何かを求めるときがあっても、異相（怪しい様子）を現しません。 他人から乞い求める時は、決して強く威迫しません。 法（正しい方法）によって得て、得た後は、軽んじて毀りません。 利養や、全ての恭敬に執着しません。 また、諸々の見解、増益や損減にも執着しません。 世俗的な、無意味な文句や呪術に執着しません。 また、無意味な長衣や鉢を蓄積することを好みません。 諸々の煩悩が増すのを恐れて、在家の生活に染まりません。 智慧を清め修めるために、賢聖（優れた聖者）に親しみなさい。 在家の友人の家に出入りせず、憂い、悲しみ、乱れ、 苦しみや煩悩が生じるのを恐れます。それが生じたら、すぐに遠ざけます。 信施（信仰の布施）を受けず、害や瘡の疱が加えられるのを恐れます。 如来の正法を、決して捨てることがありません。 他人の過失や違反に対しては、無功用（作為しないこと）で安楽であり、 常に自らの過失を反省し、知ったならすぐに告白します。 もし、犯すべきことを犯したならば、法の如くに出離しなさい。 なすべき営みの中では、勇んで自ら行いなさい。 仏とその弟子たち、その威徳と言葉（教え）を、 全てを信じ受け入れなさい。大きな過ちを見極め、謗らない。 非常に深遠な法、思量し推し量ることのできないところにおいては、 古い師の宗義を捨て、自らの見解に固執しません。 常に遠離と、辺鄙な臥具（寝具のある場所）に住むことを楽しみ、 常に善法を修習し、堅固に精進勇猛でありなさい。 欲がなく、欲が生じることなく、憎まず、憎むことなく、 睡眠を離れ、睡眠することなく、時に寂静に留まらず、 悪作を離れ、悪作することなく、希望なく、希望することなく、 全ての種類において常に、正しい方便を成就します。 （これらの）誘発すること、目覚めさせること、和合して結びつけること、 相があること、親密であること、また多くの種類の喜びや楽しみ、 侵し迫ること、極めて親密であること、これらを虚妄分別（間違った分別）と言います。 欲望や貪りを生じさせるものであり、賢者はこれを遠ざけるべきです。 諸々の欲望は、飽くことを知らず、多くの者に共有され、 法（正しい道理）にかなわない因縁であり、貪欲を増長させ、 賢聖が離れるべきものであり、速やかに壊れ滅びに向かい、 様々な縁に依り支えられ、危うく逸楽に耽る拠り所です。 諸々の欲望は、枯れた骨のようであり、また柔らかな肉片のようであり、 草の炬火のようであり、大火の坑のようであり、 例えば、毒蛇のようであり、また夢に見るもののようであり、 借り物の装飾品のようであり、木の先端の熟した果実のようです。 このように諸々の欲望を知って、決して楽しみ耽ってはなりません。 正しい法を聞き、常に思惟し、修習しなさい。 まず、粗いものと静かなものを見極め、次に一貫して修し、 煩悩の粗重（重み）を捨て、断ち切ることに対して欣喜楽（喜悦）を生じ、 諸々の相（対象）について観察し、加行究竟（修行の究極）を得ます。 欲界の欲を離れ、更に色界の欲をも離れ、 真実の真理への現観（直接的な悟り）に入り、全ての欲を離れ、 現法涅槃（現世における涅槃）を証得し、その他の依（基体としての身体など）が永尽します。