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title: "瑜伽師地論 · 1節 生圓滿"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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云何生圓滿？當知略有十種。謂依內有五，依外有五，總依內外合有十種。

> 生の円満とは何か？知るべきである。おおよそ十種がある。すなわち、内に依るものが五つ、外に依るものが五つあり、総じて内と外に依るものを合わせて十種となる。

云何生圓滿中依內有五？謂眾同分圓滿、處所圓滿、依止圓滿、無業障圓滿、無信解障圓滿。

> どのようにして生まれの完成に内側の五つの要素があるのかというと、同類の集団としての完成、住む場所の完成、頼る基盤の完成、業の障害がない完成、信解の障害がない完成、これらである。

眾同分圓滿者，謂如有一，生在人中，得丈夫身，男根成就。

> 衆同分が満たされるとは、例えばある人が人間として生まれ、男性の身体を得て、男性の性根が具わっていることである。

處所圓滿者，謂如有一，生在人中，又處中國，不生邊地。謂於是處有四眾行。謂苾芻、苾芻尼、近事男、近事女。不生達須、篾戾車中。謂於是處無四眾行，亦無賢聖、正至、正行、諸善丈夫。

> 処の満足とは、ある人が人間として生まれ、なおかつ中央の地に生まれて辺境に生まれないことである。すなわち、そこには比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の四つの集いがある場所のことである。ダス、メレッチャのような、四つの集いがなく、聖者や正しく至る者、正しく行う者、諸々の善き人々もいない場所には生まれないことを指す。

依止圓滿者，謂如有一，生處中國，不缺眼耳隨一支分，性不頑嚚，亦不瘖瘂，堪能解了善說、惡說所有法義。

> 依止が円満であるとは、例えばある人が、仏法の盛んな中央の地に生まれ、目や耳などの身体の一部が欠けることなく、性質が頑固で愚かでもなく、また言葉を発することができないわけでもなく、善く説かれた教えと悪く説かれた教えのすべての法の意味を理解し分別する能力があることです。

無業障圓滿者，謂如有一，依止圓滿，於五無間隨一業障，不自造作，不教他作。若有作此，於現身中，必非證得賢聖法器。

> 業障のない完全な人とは、例えば、次のような人を指します。修行の基盤が完全に整っていて、五逆罪のうちのどの一つの業障も、自ら作り出さず、他人にも作らせない人のことです。もしこれを作る人がいれば、現世において、必ず聖なる境地に達する器となることはできません。

無信解障圓滿者，謂如有一，必不成就五無間業，不於惡處而生信解，不於惡處發清淨心。謂於種種邪天處所，及於種種外道處所。由彼前生，於佛聖教善說法處，修習淨信，長時相續；由此因緣，於今生中，唯於聖處發生信解，起清淨心。

> 「信解の障りが完全にない人」とは、次のような人のことです。 必ず五逆罪を犯すことがなく、悪い場所に対して信解を起こさず、悪い場所に対して清らかな心を発しません。具体的には、さまざまな邪な天の場所や、さまざまな外道の場所に対してです。 その人は過去世において、仏の教えが善く説かれた場所で、清らかな信仰を修め、長い間それを続けてきました。その因縁によって、この生涯では、聖なる場所に対してだけ信解を起こし、清らかな心を起こすのです。

云何生圓滿中依外有五？謂大師圓滿、世俗正法施設圓滿、勝義正法隨轉圓滿、正行不滅圓滿、隨順資緣圓滿。

> 修行が完成するための外的な条件には五つあります。師が完全であること、世俗の教えが正しく説かれていること、真理の教えが伝えられていること、正しい実践が断たれずに続くこと、修行に必要な環境が整っていること、の五つです。

大師圓滿者，謂即彼補特伽羅，具內五種生圓滿已，復得值遇大師出世。所謂如來應正等覺、一切知者、一切見者，於一切境得無障礙。

> 大いなる師として円満であるとは、その人が内なる五つの生まれの円満を具えた上で、さらに師が出世されるのを巡り合うことができることをいう。すなわち、如来・応供・正等覚者であり、一切を知る者、一切を見る者であり、あらゆる境において障りなく達せられたお方である。

世俗正法施設圓滿者，謂即彼補特伽羅，值佛出世，又廣開示善不善法，有罪無罪，廣說乃至諸緣生法、及廣分別。謂契經、應頌、記別、諷誦、自說、緣起、譬喻、本事、本生、方廣、希法、及與論議。

> 世俗における正しい教えの仕組みが完全であるとは、その人が仏の出現に巡り会い、仏が善と不善の法、罪となる行為と罪とならない行為について広く説き示し、さらには縁起の法などについても詳しく解説し、それらを明確に区分していることをいう。すなわち、経典、偈頌、授記、諷誦、自説、因縁、譬喩、本事、本生、方広、希法、そして論議の十二部経のことである。

勝義正法隨轉圓滿者，謂即大師善為開示俗正法已；諸弟子眾依此正法，復得他人為說隨順教誡教授，修三十七菩提分法，得沙門果；於沙門果證得圓滿，又能證得展轉勝上增長廣大所有功德。

> 真の教えが正しく伝わり、完成されるとは、すなわち大師が、まず世俗の正しい教えを巧みに説き示された後、多くの弟子たちがこの正しい教えに従い、さらに他の人々からも相応しい教えと指導を受け、三十七の悟りのための修行法を実践して、沙門の果報を得ることです。そして、その沙門の果報を完全に証得し、さらに次第に優れたものへと進み、大きく広がるあらゆる功徳をも証得するのです。

正行不滅圓滿者，謂佛世尊雖般涅槃；而俗正法、猶住未滅，勝義正法未隱未斷。

> 正しい行い（正行）が滅することなく円満であるとは、仏世尊は般涅槃（完全な悟り）に入られたけれども、世俗の正法はなお存在し滅びておらず、勝義の正法も隠れたり断絶したりしていない、という意味である。

隨順資緣圓滿者，謂即四種受用正法因緣現前，受用正法。諸有正信長者、居士、婆羅門等，知彼受用正法而轉，恐乏資緣，退失如是所受正法，是故慇懃奉施種種衣服、飲食、諸坐臥具、病緣醫藥供身什物。

> 〈修行に必要な物が整い満ち足りている状態〉とは、すなわち四種類の正しい教えを受け入れるための条件が目前にそろい、その教えを実際に活用できることを指します。 信仰心のある長者や在家信者、バラモンなどは、その人が教えを実践しているのを知り、必要な物が不足してその教えを失ってしまうのを心配し、心を込めて衣服や食べ物、寝具、病気のときの薬や身の回りの品々を惜しみなく差し出します。

如是十種，名依內外生圓滿。即此十種生圓滿，名修瑜伽處所。

> これら十の条件は、「内と外の両方に基づいて生じる円満」と呼ばれます。そして、この十の生まれの円満があるところこそが、ヨーガ（瞑想）を修行するのにふさわしい場所なのです。

由此所依、所建立處為依止故，證得如來諸弟子眾所有聖法。如是聖法，略有二種。一、有學法，二、無學法。今此義中，意取無學所有聖法。謂無學正見，廣說乃至無學正智。何以故？由諸有學雖有聖法，而相續中，非聖煩惱之所隨逐現可得故。

> この拠り所、この基盤に依って、如来の弟子たちのすべての聖なる教えが成就されます。この聖なる教えは、大きく分けて二つあります。第一は「有学法」、第二は「無学法」です。ここでの意味は、無学法にあるすべての聖なる教えを指します。すなわち、無学の正見から広く説いて無学の正智に至るものです。なぜなら、有学の者たちは聖なる教えを持ってはいますが、その身心の連続には、聖ならざる煩悩が付き従い現れているからです。

如是初支生圓滿廣聖教義，有此十種。除此、更無餘生圓滿，若過若增。

> このような最初の支分における生まれの円満と広大な聖教の義には、これら十種があります。これ以外には、これ以上の生まれの円満も、それを超えるものも、付け加えるものも、他にはありません。