---
title: "瑜伽師地論 · 3節 涅槃為上首"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8zh7uo025dib04dc87j3b9"
---

云何涅槃為上首？謂如來弟子依生圓滿轉時，如先所說相而聽聞正法，唯以涅槃而為上首。唯求涅槃、唯緣涅槃而聽聞法，不為引他令信於己，不為利養恭敬稱譽。

> 涅槃を最上の目標とするとは、どのようなことか。如来の弟子が、生まれながらの条件（生円満）を備えつつあるとき、先に述べたようにして正しい教えを聞くならば、ひたすら涅槃を最上の目標とすることである。ただ涅槃を求め、ただ涅槃を目当てとして教えを聞くのである。他者を自分に信じさせるためではなく、また利得や供養、敬われ称えられるためでもない。

又緣涅槃而聽法者，有十法轉，涅槃為首。謂依止有餘依涅槃界，及無餘依涅槃界。

> また、涅槃に縁して法を聴く場合、十の法が転じ、涅槃がその中心となります。すなわち、有餘依涅槃界と無餘依涅槃界に依拠するということです。

當知依止有餘依涅槃界，有九法轉，涅槃為首；依止無餘依涅槃界，有一法轉，涅槃為首。謂以聞所成慧為因，於道、道果涅槃，起三種信解。一、信實有性，二、信有功德，三、信己有能得樂方便。如是信解生已，為欲成辦思所成智，身心遠離憒鬧而住，遠離障蓋諸惡尋思。依止此故，便能趣入善決定義思所成智。依止此故，又能趣入無間、殷重二修方便。由此次第，乃至證得修所成智。依止此故，見生死過失、發起勝解；見涅槃功德，發起勝解。由串修故，入諦現觀，先得見道有學解脫。已得見迹，於上修道由數習故，更復證得無學解脫。由證此故，解脫圓滿。即此解脫圓滿，名有餘依涅槃界。即此涅槃以為上首，令前九法次第修習而得圓滿。當知即此解脫圓滿，以無餘依涅槃界而為上首。

> 知るべし、有餘依涅槃界を依止として、九つの法が転じ、涅槃を首とする。 無餘依涅槃界を依止として、一つの法が転じ、涅槃を首とする。 すなわち、聞所成慧を因として、道、道果、涅槃に対して三つの信解を起こす。 一には、実有の性を信じ、二には、功徳あることを信じ、三には、自己に楽を得る方便を得る力を信じる。 かくの如き信解が生じた後、思所成智を成弁しようとして、身心を憒鬧から遠離して住し、障蓋や諸々の悪尋思を遠離する。 これに依止する故に、善決定義の思所成智に入ることができる。 これに依止する故に、さらに無間と殷重の二種の修方便に入ることができる。 この次第により、ついには修所成智を証得するに至る。 これに依止する故に、生死の過失を見て勝解を発起し、涅槃の功徳を見て勝解を発起する。 串修することにより、諦の現観に入り、先に見道の有学解脱を得る。 すでに見迹を得たなら、上の修道において数習することにより、さらに無学解脱を証得する。 これを証する故に、解脱は円満となる。 すなわち、この解脱の円満を、有餘依涅槃界と名づける。 すなわち、この涅槃を上首として、前の九つの法を次第に修習して円満ならしめる。 知るべし、すなわちこの解脱の円満は、無餘依涅槃界を上首とするのである。

如是涅槃為首聽聞正法，當知獲得五種勝利。何等為五？謂聽聞法時，饒益自他；修正行時，饒益自他；及能證得眾苦邊際。若說法師，為此義故宣說正法，其聽法者，即以此意而聽正法；是故此時名饒益他。又以善心聽聞正法，便能領受所說法義甚深上味，因此證得廣大歡喜，又能引發出離善根；是故此時能自饒益。若有正修法隨法行大師，為欲建立正法，方便示現成正等覺，云何令彼正修行轉；故彼修習正法行時，即是法爾供養大師。是故說此名饒益他。因此正行，堪能證得寂靜清涼，唯有餘依涅槃之界；是故說此能自饒益。若無餘依涅槃界中般涅槃時，名為證得眾苦邊際。是名涅槃以為上首，聽聞正法所得勝利。

> このように、涅槃を第一の目的として正しい教えを聴聞すれば、五つの功徳が得られることを知るべきです。その五つとは何か。すなわち、教えを聴く時には自分と他者を共に益し、正しい実践を行う時にも自分と他者を共に益し、さらにあらゆる苦しみの果てを悟り得る、ということです。 もし説法する師がこの目的のために正しい教えを説き、その聴聞者がこの意図をもって正しい教えを聴くならば、その時を「他者を益する」と言います。また、善い心で正しい教えを聴聞すれば、説かれた教えの内容の非常に深い味わいを受け取り、それによって大きな喜びを得ることができ、さらに世俗を離れる善い根を呼び起こすことができます。ゆえに、この時は自分を益すると言います。 もし正しく教えに従い実践する大師（仏陀）が、正しい教えを確立するために、巧みな手段を用いて正しい悟りを開いた姿を示し、どのようにしてその正しい実践を修行者が進めていくかを示されたならば、その修行者が正しい教えの実践を行う時、それは自然に大師への供養となります。ゆえに、これを「他者を益する」と言います。 この正しい行いによって、静かで清らかな、煩悩の残りのみが残る涅槃の境地を得ることができます。ゆえに、これを「自分を益する」と言います。もし煩悩の残りもない涅槃の境地において完全に涅槃に入る時、それを「あらゆる苦しみの果てを悟る」と言います。 これが、涅槃を第一の目的として正しい教えを聴聞することで得られる功徳です。

如是名為涅槃為首所有廣義。除此更無若過若增。

> これが涅槃を第一とする広い意味です。これ以上に、それより勝ったものや、付け加えるべきものは何もありません。