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title: "瑜伽師地論 · 2項 入聖諦現觀已離諸障礙"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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云何入聖諦現觀已，離諸障礙？當知此障略有二種。一、行處障，二、住處障。

> どのようにして聖なる真理を現に観察した後、諸々の障害から離れるのでしょうか。知るべきです、この障害には大きく分けて二つの種類があります。第一に行く所での障害、第二に留まる所での障害です。

行處障者，謂如聖弟子，或與眾同居，隨其生起僧所作事，棄捨善品，數與眾會。或復安住常乞食法，而愛重飲食。或兼二處，好樂營為衣鉢等事。或為讀誦經典，而好樂談話。或居夜分，而樂著睡眠。或居晝分，樂王賊等雜染言論。或於是處，有親戚交遊談謔等住，而於是處不樂遠離。謂長夜數習與彼共居增上力故，或復樂與第二共住。諸如是等，名行處障。

> 行処の障りとは、例えば聖なる弟子が大勢と共に住み、僧団の行事が起こるたびに、善い行いを捨ててしまい、何度も集まりに参加することです。あるいは常に托鉢の生活を送りながら、食べ物や飲み物に執着することもあります。あるいはこの二つを兼ね備え、衣や鉢といった物を作ることに熱中することもあります。あるいは経典を読誦しながら、話し合いを好むこともあります。あるいは夜の時間帯に眠りにふけること、昼の時間帯に王や盗賊など世俗的な話にふけることもあります。また、親戚や友人と過ごし、冗談を言い合うような場所にいて、そこから離れることを好まないことです。これは長い間、彼らと共に過ごすことが習慣となり、その力が強まった結果です。あるいは一人の仲間とだけ共にいることを好むこともあります。このような様々なことが、行処の障りと呼ばれます。

住處障者，謂處空閑修奢摩他、毘鉢舍那，總名為住。依奢摩他、毘鉢舍那，當知復有四種障礙。一、毘鉢舍那支不隨順性，二、奢摩他支不隨順性，三、彼俱品念不隨順性，四、處所不隨順性。若謂己聰明，而生高舉，不從他聞順觀正法，是名毘鉢舍那支不隨順性。若不安靜身語意行，躁動輕舉，數犯尸羅，生憂悔等，乃至不得心善安住，當知是名奢摩他支不隨順性。若有忘念增上力故，於沈掉等諸隨煩惱，心不遮護，當知是名彼俱品念不隨順性。若有習近五失相應諸坐臥具，當知是名處所不順隨性。或於晝分多諸諠逸；於夜分中多蚊虻等眾苦所觸；又多怖畏、多諸災厲；眾具匱乏，不可愛樂；惡友攝持，無諸善友。諸如是等，名住處障。

> 住処の障害とは、閑静な場所に住んで奢摩他（サマタ）と毘鉢舎那（ヴィパッサナー）を修行することを、総じて「住」と呼ぶ。奢摩他と毘鉢舎那に基づいて、さらに四つの障害があると知るべきである。第一に毘鉢舎那の部分にそぐわない性質、第二に奢摩他の部分にそぐわない性質、第三に両方に共通する念にそぐわない性質、第四に場所がそぐわない性質である。 もし「自分は聡明だ」と思い上がって高ぶり、他人から正法を聞いて観察しようとしないなら、これを毘鉢舎那の部分にそぐわない性質という。 もし身体・言葉・心の行いが静かでなく、落ち着かず軽々しく、たびたび戒律を破り、後悔や苦しみを生じ、ついには心がよく安らかに落ち着かなくなるなら、これを奢摩他の部分にそぐわない性質と知るべきである。 もし忘失の念の力が強く、沈んだり浮き立ったりするような様々な煩悩に対して、心を守り防ぐことができないなら、これを両方に共通する念にそぐわない性質と知るべきである。 もし五つの欠点を持つ坐臥具（座具や寝具）に親しんで使うなら、これを場所がそぐわない性質と知るべきである。あるいは昼間は多くの騒がしさや楽しみがあり、夜中は多くの蚊や虻などの苦痛にさらされ、また多くの恐怖や災いがあり、必要な物が乏しく愛着できず、悪い友に囲まれて良い友がいない。このようなものを住処の障害という。

又此二障，當知總有二種因緣，能為遠離。一、多諸定樂，二、多諸思擇。多諸定樂，應知略有六種。謂若有已得三摩地，而未圓滿，未得自在；彼應修習止、舉、捨三種善巧，由此發生多諸定樂。若有於三摩地已得圓滿，亦得自在；彼應修習入、住、出定三種善巧，由此發生多諸定樂。云何名為多諸思擇？謂勝善慧，名為思擇。由此慧故，於晝夜分自己所有善法增長，如實了知；不善法增長，如實了知；善法衰退，如實了知；不善法衰退，如實了知。又彼如於晝夜若行、若住，習近衣服、飲食命緣。由習近故，不善法增長、善法衰退，或善法增長、不善法衰退，皆如實了知。即此思擇為依止故，於所生起諸不善法，由不堅著方便道理，驅擯遠離。於諸善法能勤修習。

> さらに、この二つの障り（煩悩障と所知障）について、それを遠ざけるための因縁が全部で二種類あると知るべきです。第一に「多くの定楽（瞑想の喜び）」、第二に「多くの思択（智慧による選択）」です。 まず、「多くの定楽」には、おおまかに六つの種類があります。すでに三昧（サマーディ）を得たものの、それがまだ円満ではなく、自在を得ていない場合には、止（し）、挙（こ）、捨（しゃ）の三つの善巧を修行すべきです。これにより、多くの定楽が生じます。また、三昧がすでに円満で、自在を得ている場合には、入定、住定、出定の三つの善巧を修行すべきです。これによっても、多くの定楽が生じます。 では、「多くの思択」とは何でしょうか。それは優れた善慧（すぐれた智慧）を指し、これを思択と言います。この智慧によって、昼夜にわたり、自分の善法が増長していることをありのままに了知し、不善法が増長していることもありのままに了知し、善法が衰退していることも、不善法が衰退していることも、すべてありのままに了知します。さらに、昼夜の行住や、衣服・飲食・命を支える縁（生活に必要なもの）に親しむことにおいても、親しむことによって不善法が増長し善法が衰退する場合も、あるいは善法が増長し不善法が衰退する場合も、すべてをありのままに了知します。 この思択を依りどころとして、生じた諸々の不善法に対しては、固執しないという方便の道理によって、それらを追い払い遠ざけます。そして、諸々の善法に対しては、精進して修行することができるのです。

如是二處十種善巧，於二處所十一種障，能令斷滅；隨所生起，即便遠離。如是名為遠離障礙。又此遠離障礙義，廣說應知如所說相。除此更無若過若增。

> このように、二つの領域における十種の善巧（巧みな理解）が、二つの領域における十一種の障りを断ち滅ぼします。生じるものがあれば、すぐに遠ざけるのです。これを「障りからの遠離」と呼びます。また、この「障りからの遠離」の意味は、説かれた内容に従って広く知られるべきであり、それ以外に過ぎたものも増えたものもありません。