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title: "瑜伽師地論 · 2項 無涅槃法補特伽羅所有諸相(六種)"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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問：何等名為無涅槃法補特伽羅所有諸相，成就彼故，應知說名無涅槃法補特伽羅？

> 問う：どのようなものを、涅槃を得る能力がない人（無涅槃法補特伽羅）の特徴と言い、それらの特徴を備えているからこそ、涅槃を得る能力がない人と知られるべきなのでしょうか？

答：無涅槃法補特伽羅有眾多相，我今當說彼相少分。

> 答えましょう。涅槃に達する性質を持たない者たちには多くの特徴がありますが、ここではその特徴の一部をお示ししましょう。

謂彼最初不住種性無涅槃法補特伽羅，阿賴耶愛，遍一切種皆悉隨縛，附屬所依，成無量法不可傾拔，久遠隨逐，畢竟堅固，依附相續，一切諸佛所不能救。是名第一不住種性補特伽羅無種姓相。

> 第一に、修行の基となる素質（種姓）を持たず、永遠に悟りを得る可能性がないとされる人々について言えば、彼らには阿頼耶識への執着が、あらゆる種類の状態にわたって深く染みついており、その心の基盤に付着して、数え切れないほどの煩悩を形成し、決して抜き去ることができません。長い時間をかけて追跡し、最終的には堅固に心に結びつき、継続的に依存し続けるため、すべての仏陀でさえ救うことができません。これが第一の「悟りの可能性を示す特徴を持たない人」の特徴です。

復有所餘不住種姓補特伽羅無種姓相。謂彼聽聞以無量門呵毀生死眾多過失，又復聽聞以無量門稱讚涅槃眾多功德，而於生死不見少分戲論過失，不見少分所有過患，亦復不能少分厭離。如是見厭，於過去世不能已生；於未來世不能當生；於現在世不能正生。又於愛盡寂滅涅槃，不見少分下劣功德，不見少分所有勝利，亦復不能少分欣樂。如是見樂，於過去世不能已生；於未來世不能當生；於現在世不能正生。是名第二不住種姓補特伽羅無種姓相。

> さらに、また別の、悟りの種姓にとどまらない人がいる。その人には、悟りの種姓がないという特徴がある。すなわち、その人は、あらゆる角度から生死（迷いの世界）の多くの過ちを非難する教えを聞き、さらに、あらゆる角度から涅槃（悟りの世界）の多くの功徳を称賛する教えを聞いても、生死の中に、ほんのわずかな遊び（無意味な執着）の過ちも見いださず、ほんのわずかな過患も見いださず、また、少しも厭い離れようとはしない。このように見て、厭うことについて、過去世においてすでに生じたことがなく、未来世においても生じることはなく、現在世においても正しく生じることがない。また、愛欲が尽きて静まった寂滅の涅槃について、ほんのわずかな劣った功徳も見いださず、ほんのわずかな勝利も見いださず、また、少しも喜び楽しもうとはしない。このように見て、楽しむことについて、過去世においてすでに生じたことがなく、未来世においても生じることはなく、現在世においても正しく生じることがない。これが第二の、悟りの種姓にとどまらない人の、悟りの種姓がないという特徴である。

復有所餘不住種姓補特伽羅無種姓相。謂彼本性成就上品無慚無愧。由是因緣，無有厭惡，心無怯畏。以歡喜心現行眾惡。由是因緣，未甞追悔。唯觀現法。由是因緣，自身財寶衰退過患。是名第三不住種姓補特伽羅無種姓相。

> 他にも、修行者の資質を持たない人（不住種姓の補特伽羅）には、次のような「無種姓の特徴」があります。その人の本性は、すでに高度な「無慚・無愧」を身につけています。このため、悪事に対する嫌悪感がなく、心に恐れやためらいもありません。むしろ喜んで様々な悪行を行います。こうした理由から、後悔することも一度もありません。ただ目の前の快楽だけを追い求めます。その結果、自分の財産や身分が衰退するという問題を招きます。これが、修行者の資質を持たない人の第三の「無種姓の特徴」です。

復有所餘不住種姓補特伽羅無種姓相。謂一切種圓滿分明稱當道理，美妙、殊勝、易可解了。或依苦諦、或依集諦、或依滅諦、或依道諦宣說開示正法教時，不能獲得微小發心，微小信解，況能獲得身毛為竪、悲泣墮淚？如是亦依過去、未來、現在世別。是名第四不住種姓補特伽羅無種姓相。

> さらに、無種姓の者には種姓の特徴がありません。その様子とは、すべての面で完全に明らかで道理にかない、美しく優れて理解しやすい教えが、苦諦・集諦・滅諦・道諦に基づいて説かれ示される時、たとえわずかな発心やわずかな信解も得られず、ましてや毛が逆立ったり、涙を流して悲しむこともありません。これもまた、過去・未来・現在の違いによって同様です。これを、第四の無種姓の者の種姓のない特徴と名づけます。

復有所餘不住種姓補特伽羅無種姓相。謂彼或時於善說法毘奈耶中暫得出家、或為國王所逼迫故，或為狂賊所逼迫故，或為債主所逼迫故，或為怖畏所逼迫故，或不活畏所逼迫故。非為自調伏、非為自寂靜、非為自涅槃、非為沙門性、非為婆羅門性而求出家。既出家已，樂與在家及出家眾共諠雜住。或發邪願修諸梵行，謂求生天，或餘天處。或樂退捨所學禁戒，或犯尸羅，內懷朽敗，外現真實；如水所生雜穢蝸牛，螺音狗行。實非沙門，自稱沙門；非行梵行，自稱梵行。如是亦依過去、未來、現在世別。當知如是不住種姓補特伽羅，假相出家；非不樂學補特伽羅，名真出家，受具足戒，成苾芻性。由此異門，由此意趣，義顯於彼本非出家，唯有任持出家相狀，墮出家數。是名第五不住種姓補特伽羅無種姓相。

> さらに、種姓にとどまらない補特伽羅（人）には、種姓のない特徴がある。すなわち、その者は、あるとき善く説かれた法と律の中に、一時的に出家することがある。しかしそれは、王に逼迫されたからであり、狂暴な賊に逼迫されたからであり、借金取りに逼迫されたからであり、恐怖に逼迫されたからであり、あるいは生きるのに苦しいという恐れに逼迫されたからである。自らを調伏するためでもなく、自らを寂静にするためでもなく、自らの涅槃のためでもなく、沙門性のためでもなく、婆羅門性のためでもなく、出家を求めるのである。出家した後は、在家者や出家者と共に騒がしく雑然と住むことを楽しむ。あるいは、邪な願いを起こして梵行を修める。すなわち、天に生まれようと願い、あるいは他の天界に生まれようと願うのである。あるいは、学んだ禁戒を退き捨てることを楽しみ、戒律を犯し、内側は朽ち果てているのに、外側は真実の姿を装う。それは、水の中で生じる雑な汚れのある蝸牛（かたつむり）のようなものであり、螺音（らおん）を発しながらも犬のように行うものである。実際は沙門ではないのに沙門と自称し、梵行を行っていないのに梵行を行っていると自称する。このように、過去・未来・現在の別によっても知られるべきである。このように、種姓にとどまらない補特伽羅は、仮に出家の姿をとっているにすぎない。学ぶことを厭わない補特伽羅こそが、真の出家であり、具足戒を受け、比丘の性を成就するのである。この異なる門（方法）によって、この趣旨によって、その者が出家したのではないことが義（意味）として明らかにされる。ただ出家の相状（姿かたち）を保ちながらも、出家の数に堕ちているにすぎない。これを第五の、種姓にとどまらない補特伽羅の種姓なき相と名づける。

復有所餘不住種姓補特伽羅無種姓相。謂彼少有所作善業，或由於身、或語、或意；一切皆為希求諸有。或求當來殊勝後有，或求財寶，或求殊勝所有財寶。是名第六不住種姓補特伽羅無種姓相。如是等類，有眾多相。成就彼故，墮在不般涅槃法數。

> さらに、無種姓の者には、悟りの性質が備わっていない別の相（特徴）があります。それは、その者がわずかに善い行いをしても、それが身・口・意のいずれによるものであっても、そのすべてが「生存（三界に留まること）」を求めるためであることです。あるいは未来において優れた生存の状態を求め、あるいは財貨や宝物を求め、あるいは特に優れた財貨や宝物を求めます。これが第六の、悟りの性質を持たず、無種姓の相を持つ者です。 このように、多くの相があります。それらを身に備えているため、その者は「決して涅槃に入ることのない者」の数に含まれるのです。