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title: "瑜伽師地論 · 2目 虧損十因緣"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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又即如是2目 虧損十因緣

> まさにそのように、十の因縁が欠けているのです。

尸羅律儀，由十因緣，當知虧損；即此相違十因緣故，當知圓滿。

> 尸羅の律儀は、十の因縁によって欠損があると知られるべきであり、これとは反対の十の因縁によって、円満であると知られるべきである。

云何十種虧損因緣？一者、最初惡受尸羅律儀，二者、太極沈下，三者、大極浮散，四者、放逸懈怠所攝，五者、發起邪願，六者、軌則虧損所攝，七者、淨命虧損所攝，八者、墮在二邊，九者、不能出離，十者、所受失壞。

> 十種類の欠損の原因とは何か。第一に、戒律を最初から悪しき思いで受け入れること。第二に、極度に沈み込むこと。第三に、極度に浮かれ散乱すること。第四に、放逸と怠惰に陥ること。第五に、誤った願いを起こすこと。第六に、生活の規範を欠くこと。第七に、清らかな生計を損なうこと。第八に、両極端に落ち込むこと。第九に、解脱できないこと。第十に、受けた戒を壊してしまうこと。

云何名為最初惡受尸羅律儀？謂如有一，王所逼迫而求出家，或為狂賊之所逼迫、或為債主之所逼迫、或為怖畏之所逼迫、或不活畏之所逼迫而求出家。不為沙門性、不為婆羅門性、不為自調伏、不為自寂靜、不為自涅槃而求出家。如是名為最初惡受尸羅律儀。

> 最初に「悪い戒律の受け方」とは何か？ 例えば、ある人が王に無理やり出家させられたり、凶悪な賊に脅されたり、借金の取り立てに追われたり、恐怖に怯えたり、生きることに不安を感じて出家する場合がある。 しかし、それは沙門（修行者）の本質のためでも、バラモンの本質のためでもなく、自分自身を調伏するためでも、静めるためでも、悟りを得るためでもない。 このような出家の仕方を、最初の悪い戒律の受け方という。

云何名為太極沈下？謂如有一，性無羞恥，惡作羸劣，為性慢緩，於諸學處所作慢緩。如是名為太極沈下。

> 極端に落ち込んでいる状態とはどのようなものでしょうか。例えば、ある人が羞恥心がなく、後悔の気持ちも弱く、性格が怠惰で、すべての修行の場面において行動が緩慢であることです。これを「極端に落ち込んでいる」と呼びます。

云何名為太極浮散？謂如有一，堅執惡取，非處惡作，於不應作諸惡作中浪作惡作；非處於他起輕蔑心、或惱害心，於其非處強生曉悟。如是名為太極浮散。

> 「極端に心が散乱して浮ついている」とはどういうことか。それは、ある人が頑なに誤った考えに執着し、やるべきでない後悔を意味もなく抱いたり、本来後悔すべきでないことに妙なこだわりを持ったりすることをいう。また、根拠もなく他者に対して軽蔑の心や害そうとする心を起こし、本来なら理解すべきでないことに無理に気づこうとする。このような状態を「極度に心が散乱している」というのである。

云何放逸懈怠所攝？謂如有一，由過去世毀犯所犯；於此毀犯，由失念故，一類不能如法還淨。如由過去，由未來世、由現在世當知亦爾。謂毀犯所犯；於此毀犯，由失念故，一類不能如法還淨。又非先時，於所毀犯發起猛利無犯樂欲。謂我定當如如所行、如如所住，如是如是行於所行、如是如是住於所住，於所毀犯終不毀犯。由是因緣，隨所行住，如是如是毀犯所犯。由此成就前際俱行、後際俱行、中際俱行、先時所作及俱隨行所有放逸。又自執取睡眠為樂、偃臥為樂、脇臥為樂；性不翹勤；為性懶惰；不具起發；於諸有智同梵行者，不能時時覲問供事。是名放逸懈怠所攝。

> では、どのようなものが「放逸・懈怠」に含まれるのでしょうか。 例えば、ある人が過去において戒律を破ったとします。その過ちを犯したにもかかわらず、心の不注意（失念）のために、一部の人は正しい方法で罪を清めることができません。過去だけでなく、未来や現在においても同様です。つまり、戒を破っても、失念のために正しく清められないのです。 また、その人は以前から、破った戒に対して「決して再び犯さない」という強い意欲を持っていません。「私は必ずこう歩み、こう留まる。そして、その通りに行い、その通りに留まろう。決して戒を破ることはない」という誓いが欠けているのです。 そのため、その人の歩みや留まりに伴い、絶えず戒を破り続けてしまいます。こうして、過去・未来・現在にわたる行為と、それに伴うすべての「放逸」が成立します。 さらに、その人は自ら進んで「睡眠を楽しむ」「横になって休むこと」「脇を下にして寝ること」を好みます。行動を起こそうとせず、本質的に怠け者であり、奮起する力がありません。そして、智慧ある同じ修行者たちに対して、定期的に訪ねて質問したり、世話をしたりすることもしません。 これらが「放逸・懈怠」に含まれる内容です。

云何名為發起邪願？謂如有一，依止邪願修行梵行。言我所有若戒、若禁，若常精勤、若修梵行，當得生天，或餘天處。或復愛樂利養恭敬，而修梵行。謂因此故，從他希求利養恭敬；即於如是利養恭敬，深生染著。如是名為發起邪願。

> 「悪い願いを起こす」とはどういうことか。例えば、ある人が誤った願いに基づいて清らかな行いを修行することである。「私の行っている戒律や禁止事項、絶え間ない努力、清らかな修行によって、天界や他の天の世界に生まれ変わることができるだろう」と考えたり、あるいは世俗の利益や尊敬を求めて清らかな行いを修行することである。つまり、その目的のために他人から利益や尊敬を得ようと願い、その利益や尊敬に深く執着してしまうことである。これが「悪い願いを起こす」ということである。

云何軌則虧損所攝？謂如有一，於威儀路、或所作事、或諸善品加行處所所有軌則，不順世間，違越世間；不順毘奈耶，違越毘奈耶。如前廣說。是名軌則虧損所攝。

> では、どのようなことが「規則を欠く」ことに含まれるのでしょうか。例えば、ある人が、立ち居振る舞いや、行うべき仕事、あるいは善い行いの実践に関する規則を、世間の習慣に従わず、それに反したり、戒律（びないや）に従わず、それに反したりする場合です。これらについては、前に詳しく述べた通りです。このようなことを「規則を欠くこと」と言います。

云何淨命虧損所攝？謂如有一，為性大欲，不知喜足，難養難滿。常以非法追求衣服、飲食、臥具、病緣醫藥及諸資具，不以正法。又為貪求種種衣服、飲食、臥具、病緣醫藥資具因緣，方便顯己有勝功德，矯詐構集非常威儀。為誑他故，恒常詐現諸根無掉、諸根無動、諸根寂靜，由是令他謂其有德，當有所施、當有所作。所謂承事，供給衣服、飲食、臥具、病緣醫藥及諸資具。又多凶悖、強口、矯傲、修飾其名、執恃種姓。或求多聞，或住持法，為利養故，亦復為他宣說正法。或佛所說，或弟子說，或自宣說己實有德，或少增益。或於他前方便現相，為求衣服，或求隨一沙門資具。或為求多，或求精妙，雖無匱乏，而現被服故弊衣裳，為令淨信長者、居士、婆羅門等、知其衣服有所匱乏，殷重承事，給施眾多上妙衣服。如為衣服，為餘隨一沙門資生眾具亦爾。或於淨信長者、居士、婆羅門所，如其所欲不得稱遂，或彼財物有所闕乏，求不得時，即便強逼、研磨麁語，而苦求索。或彼財物無所闕乏，得下劣時，便對施主現前毀棄所得財物。如是告言：咄哉男子！某善男子、某善女人，方汝族姓及以財寶，極為下劣，又極貧匱，而能惠施如是如是多妙悅意資產眾具；汝望於彼，族姓尊貴，財寶豐饒，何為但施如是少劣非悅意物？彼由如是或依矯詐、或邪妄語、或假現相、或苦研逼、或利求利種種狀相，而從他所非法希求所有衣服、飲食、臥具、病緣醫藥諸資生具，非以正法而有所求。由非法故，說名邪命。如是名為尸羅淨命虧損所攝。

> 清らかな生活（正命）が欠けているとは、どのような様子か。 例えば、ある人が非常に欲が深く、満足することを知らず、養いがたく満たしがたい。常に、衣・食・住・薬や様々な生活道具を、誤った方法で求め、正しい方法では求めない。 また、様々な衣・食・住・薬などを貪り求めるために、わざと自分の優れた徳を示そうとし、偽りの威儀を作り出す。人を欺くために、常に偽って、諸々の感覚が落ち着き、動かず、静かであるように装う。これによって、他人に「この人は徳がある。施しや奉仕をすべきだ」と思わせようとする。すなわち、身の回りの世話や、衣・食・住・薬などの供給を期待するのである。 また、多くは乱暴で、言葉が荒く、高慢で、名声を飾り、家柄や身分を頼みにする。あるいは、多くの知識を求め、または教えを保持しながら、すべて利益のためであり、他人に正しい教えを説くこともある。それが仏が説いたものであれ、弟子が説いたものであれ、または自分には徳があると主張し、あるいは実際より少し誇張して語る。 あるいは、他人の前で様子を伺い、衣服や、何か僧侶の生活道具を求める。多くを求めたり、上等なものを求めたりする。実際には不足していないのに、わざとぼろぼろの衣をまとい、信心深い長者や在家信者、バラモンなどに「衣服が不足している」と思わせ、手厚く世話をさせ、多くの上等な衣服を施させる。衣服だけでなく、他の僧侶の生活道具についても同様である。 あるいは、信心深い長者や在家信者、バラモンのもとで、望み通りにいかない時、または彼らの財物が不足していて、求めても得られない時には、強引に迫り、荒い言葉で苦しめながら無理やり求める。 あるいは、彼らの財物に不足がなく、得られたものが粗末な時には、施主の面前でその財物を捨ててしまい、こう言う。「おい、あなたは！ある善男子、善女人は、あなたよりも家柄や財産がずっと下で、非常に貧しいのに、こんなにも素晴らしく喜ばれる品々を施している。あなたは家柄も尊く、財宝も豊かなのに、なぜこんなに粗末で気に入らないものしか施さないのか？」 彼はこのように、偽りや、間違った言葉、見せかけの態度、無理な強要、あるいは利益からさらに利益を求める様々な方法によって、他人から不正に衣・食・住・薬などの生活道具を求める。正しい方法によって求めるのではない。このように正しくないから「邪命」と言うのである。これが戒律や清らかな生活における欠損の一つである。

云何名為墮在二邊？謂如有一，耽著受用極樂行邊，從他所得或法非法所有衣服、飲食、臥具、病緣醫藥及諸資具，愛玩受用，不觀過患、不知出離。是名一邊。復有一類，好求受用自苦行邊，以無量門而自煎迫，受極苦楚。謂依棘刺、或依灰坌、或依木杵、或依木板、或狐蹲住、或狐蹲坐修斷瑜伽。或復事火，謂乃至三承事於火。或復昇水，謂乃至三昇上其水。或一足住，隨日而轉。或復所餘。如是等類修自苦行，是第二邊。如是名為墮在二邊。

> 「二つの極端に落ちる」とは、どのようなことを言うのでしょうか。 例えば、ある者は極度の快楽や享楽に執着する側に落ちています。他人から与えられたものであれ、合法・非合法を問わず、衣服、飲食、寝具、病気のための薬や医療品、その他の生活用品をむさぼり楽しみ、その危険を見極めず、そこから抜け出る方法を知りません。これが一方の極端です。 また別の種類の者は、自ら進んで苦行に励む側を好み、無数の方法で自分自身を苦しめ、激しい苦痛を受けます。例えば、鋭い棘の上に座ったり、灰をかぶったり、木の杵や板の上にうつ伏せになったり、狐のようにしゃがみ込んで座ったり、あるいは断食やヨガの修行をしたりします。また火を礼拝する者もあり、三度にわたって火に仕えます。あるいは水に浸かる修行として、三度水の中に沈みます。あるいは片足で立ち、太陽の動きに合わせて体を回転させる者もいます。その他にも様々な形で自らを苦しめる修行があり、これが第二の極端です。 このように、これらの行為を「二つの極端に落ちる」と言います。

云何名為不能出離？謂如有一，或戒或禁由見執取。謂我因此若戒若禁，當得清淨、解脫、出離。一切外道所有禁戒，雖善防護、雖善清淨，如其清淨，不名出離。如是名為不能出離。

> 「どうして『出離できない』と言うのか。ある人が、戒律や禁制を、自らの見解に基づいて執着し、『私はこの戒律や禁制によって、清らかになり、解脱し、出離できる』と考えることである。すべての外道が持つ禁戒は、たとえ上手く守り、清らかに保っていても、その清らかさだけでは出離とは呼べない。これを『出離できない』というのである。」

云何名為所受失壞？謂如有一，都無羞恥，不顧沙門，毀犯淨戒，習諸惡法。內懷腐敗，外現貞實，猶如淨水所生蝸牛、螺音狗行。實非沙門，自稱沙門；實非梵行，自稱梵行。

> 受けた戒律を壊してしまうとはどういうことか。例えば、ある人が全く恥じる心がなく、修行者としての立場を顧みず、戒律を破り、悪い行いを身につける。内側は腐り切っているのに、外側は誠実そうに見せかける。まるで清らかな水に生まれた巻き貝や、犬のように吠えながら歩く者のようだ。実際は修行者ではないのに修行者と自称し、実際は清らかな行いをしていないのに清らかな行いをしていると自称する。

如是名為所受失壞。略由如是十種因緣，名戒虧損。世尊或說尸羅虧損，或時復說尸羅艱難。當知於彼諸因緣中，由二因緣，謂不能出離，及所受失壞。由餘因緣，當知唯說尸羅虧損。

> これが、「受けた戒が壊れること」と呼ばれるものです。 簡単に言えば、このような十の原因によって戒律は損なわれるのです。 世尊（仏）はある時は「戒律の損傷（尸羅虧損）」と言い、またある時は「戒律の困難（尸羅艱難）」ともお説きになります。 これら諸々の原因のうち、二つの因縁、すなわち「解脱できないこと」と「受けた戒が壊れること」については、戒律の困難が説かれていると知るべきです。 その他の因縁については、単に戒律の損傷のみが説かれていると知るべきです。