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title: "瑜伽師地論 · 2目 辨略義(三番)"
description: "瑜伽师地论是佛教大乘瑜伽行派的重要经典，相传由弥勒菩萨口述，无著菩萨记录，唐代高僧玄奘于贞观年间从印度取回并译成汉文。该论共100卷，系统阐述瑜伽行派的教义，内容包括十七地、三性、八识、修行次第等核心理论，被誉为大乘佛教的百科全书。作为唯识学的根本论典，瑜伽师地论奠定了唯识学派的理论基础，对汉传佛教和藏传佛教影响深远，在佛教思想史上具有崇高地位，是研究唯识学和瑜伽行派必读的经典著作。"
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云何當知此中略義？此略義者，謂若能防護、若所防護、若從防護、若如防護、若正防護。如是一切，總略為一，名根律儀。

> では、この中の簡略な意味はどのように理解すべきでしょうか。この簡略な意味とは、すなわち、もし防護できるもの、防護されるもの、防護のよりどころ、防護の方法、正しい防護を指します。これらのすべてをまとめて一つに総括し、これを「根律儀」と呼びます。

今於此中誰能防護？謂防守正念，及所修習常委正念，是能防護。

> ここで、誰が防護（ぼうご）できるのでしょうか。それは、正しい気づき（正念）を保つこと、そして常に努力して正しい気づきを修習（しゅじゅう）すること、これが防護となるのです。

何所防護？謂防護眼根，防護耳鼻舌身意根，是所防護。

> 何を防ぐのかといえば、それは眼の感覚器官を防ぎ、耳・鼻・舌・身体・心の感覚器官を防ぐことです。これらがまさに防ぐべきものなのです。

從何防護？謂從可愛、不可愛色，廣說乃至從其可愛、不可愛法而正防護。

> 何から守るのかというと、好ましい色や好ましくない色から、さらに詳しく言えば、好ましい法や好ましくない法から、正しく守るのである。

如何防護？謂不取相、不取隨好。若依是處發生種種惡不善法，令心流漏，即於此處修行律儀。防守根故，名修律儀。如是防護。

> どのように防護するのか。それは、形や特徴（相）に執着せず、その後に続く好ましい印象（随好）にも執着しないことである。もし、そこから様々な悪しき不善の法（現象）が生じ、心が漏れ出るならば、まさにその場において律儀（戒め）を修行する。感官の根を守るから、これを律儀を修めるという。このようにして防護するのである。

何者正防護？謂由正念，防護於意，行平等位，是名正防護。

> 何をもって正しい防護というのか？それは、正しい気づきによって、心を守り整え、あらゆる場面で偏りのない平等な状態に保つことである。これを正しい防護という。

又略義者，謂若防護方便、若所防護事、若正防護。如是一切總略為一，名根律儀。

> ここで「略義」とは、防護する方法、防護される対象、そして正しい防護のあり方、この三つをまとめて一つにしたものを「根律儀」と呼ぶのです。

此中云何防護方便？謂防守正念，常委正念。眼見色已，不取其相，不取隨好；廣說乃至意知法已，不取其相，不取隨好。若依是處發生種種惡不善法，令心流漏，即於是處修行律儀。防守根故，名修律儀。如是名為防護方便。

> ここでいう「防護の方便」とは何か。それは、正しい気づきを保ち、常に正しい気づきを習慣づけることです。目で色を見たとき、その形に執着せず、細かな特徴にもとらわれません（中略）さらに、心が法を知ったときも、その形に執着せず、細かな特徴にもとらわれません。もし、そのような場面で様々な悪しき心の状態が生じ、心が漏れ落ちるなら、まさにその場において行動を律するのです。感覚の入り口を守ることによって、これを「律儀を修める」といいます。これが「防護の方便」と呼ばれるものです。

云何名為所防護事？所謂眼色，乃至意法。如是名為所防護事。

> 何が「防護すべき事柄」かというと、それは、眼（げん）と色（しき）、耳（じ）と声（しょう）、鼻（び）と香（こう）、舌（ぜつ）と味（み）、身（しん）と触（そく）、意（い）と法（ほう）に関するものです。これらが防護すべき事柄と呼ばれるのです。

此中云何名正防護？謂如說言：由其正念，防護於意，行平等位。名正防護。

> ここでいう「正しい防護」とは何か。それは、正しい気づき（正念）によって心を守り、平等な状態（平静）に保つことである。これが「正しい防護」と呼ばれる。

又根律儀略有二種。一者、思擇力所攝，二者、修習力所攝。

> また、根の律儀（感覚器官の制御）には、大きく分けて二種類があります。 一つ目は、よく考えて選ぶ力（思択力）によって身につけるもの。 二つ目は、繰り返し修行することによって身につけるもの（修習力）です。

思擇力所攝根律儀者，謂於境界深見過患，不能於此所有過患除遣斷滅。

> 思惟の力によって身を律するとは、感覚の対象に深い過ちを見ても、それらの過ちを打ち消し断ち切ることができない状態のことです。

修習力所攝根律儀者，謂於境界深見過患，亦能於此所有過患除遣斷滅。又由思擇力所攝根律儀故，於所緣境，令煩惱纏不復生起、不復現前；而於依附所依隨眠，不能斷除、不能永拔。由修習力所攝根律儀故，於所緣境，煩惱隨眠不復生起、不復現前；一切時分，依附所依所有隨眠，亦能斷除、亦能永拔。如是思擇力所攝根律儀、修習力所攝根律儀，有此差別，有此意趣，有此殊異。

> 修行によって身につく「根の律儀（感覚を制御する力）」とは、感覚の対象における過ちや害悪を深く見抜き、そのような過ちや害悪を除き、断ち消し去ることを言います。 また、思索の力（思択力）によって得られる根の律儀は、心の対象となるものに対して、煩悩の激しい働き（煩悩纏）が再び生じたり、表面に現れたりすることを防ぎます。しかし、心の基盤（所依）に潜む微細な煩悩の種（随眠）までは、断ち切ることも、永遠に抜き去ることもできません。 一方、修行の力（修習力）によって得られる根の律儀は、心の対象に対して、煩悩の種が再び生じたり表面に現れたりすることを防ぐだけでなく、すべての時において、心の基盤に潜むすべての随眠をも断ち切り、永遠に抜き去ることができるのです。 このように、思択力による根の律儀と修習力による根の律儀には、このような違いがあり、このような趣旨があり、このような独自の特徴があるのです。

當知此中思擇力所攝根律儀，是資糧道所攝；修習力所攝根律儀，當知墮在離欲地攝。

> このうち、思惟し選択する力に含まれる「根の律儀」は、資糧道に含まれるものと知るべきです。また、修行の力に含まれる「根の律儀」は、離欲の境地に含まれるものと知るべきです。